第十九話
夜になり、砂漠の冷気が産毛をなで始める頃、リットは地震かと思うほどの振動で飛び起きた。
しかし、実際には地面が揺れているわけではなく、自分の体がグリザベルに寄って揺さぶられているところだった。
「……なんだってんだよ。怖い夢でも見たのか?」
リットはあしらうように言うと、再び体を地面に預けた。
「夢ではないわ!」
グリザベルが叫ぶように言うので、リットは体を起こして部屋を見渡した。
部屋の中に変わったところはない。そもそも部屋というよりも穴なので、なにも変わるはずがないのだが、グリザベルは自分で自分を抱くようにして身を震わせていた。
「夢じゃねぇなら幻覚だ。どっちにしろ寝ろよ」
「見えるものではない! お主にはあの声が聞こえなかったのか? 耳を澄ませ! こっちに近付いてきているぞ」
「声?」
リットが耳をそばだてると、調子外れにケタケタ笑う声が静かに響いていた。
少しずつ大きくなるその声は、グリザベルの言う通り近付いてきているのに間違いなかった。
「ここにはなにか危険の生き物がいる……」
グリザベルがあまりに真面目な顔で言うものだから、リットは笑いをこらえきれずにお腹を押さえて転げ回った。
「せいぜい今のうちに笑うておけ……」
「そう起こるなよ。お仲間だろ」
「今更そんな甘言で我の機嫌をとれると思ってるのか?」
「オレじゃねぇよ。『マニア』がだ」
リットは笑い声の正体が誰かわかっているので恐怖はなかった。
しかし、グリザベルは違う。息継ぎをしていないように感じるケタケタ続く笑い声は恐怖を感じさせる以外なかった。
そして、それは一際大きくなったかと思うと、ピタリと止まったのだ。続いて聞こえてくるのは衣擦れの音。ゆっくりだが長く。まるで死体でも引きずっているのではないかと思うような音だった。
リットはランプに火を付けると、怯えるグリザベルの横を通り過ぎて、部屋の入り口を光で照らした。
すると足音は早くなり、まず影が壁に姿を表した。
人間の姿をしている。グリザベルがそうほっとしたのも束の間。マニアはものすごい勢いで走ってグリザベルの眼前まで詰め寄ったのだ。
汗でボサボサになった前髪の隙間から、見開いた目が見える。それだけで、グリザベルが腰を抜かすには十分だった。
「マニアれす……どうぞよろすく」
筋肉がないように思えるほど弱々しく伸ばされたマニアの手と、グリザベルはおどおどと握手を交わした。
「我はグリザベル」一度名乗ると、ここで飲まれるわけにはいかないと表情に力を入れた。「漆黒の魔女――よよよよよよよよよ!!」
急に握る手を強められたグリザベルは動揺して、喉が壊れてしまったかのように、震えた「よ」という文字を短く繰り返した。
「どうぞよろすく。……どうぞ……よろそく。どうぞ座っれ……座っれ! 座っれ!」
「話を聞くから、しっかり座れとよ」
リットは前に散々見た光景だと、ランプを三人の真ん中に置くと座り直した。
頭が混乱してしまい、リットの言葉だけが頼りのグリザベルは言うとおりに、ランプに近付いて座り直した。
すると、マニアの手はすぐに離された。
「肉体から精神を切り離すような作用がある植物を作ったりしてないか?」
リットに聞かれるとマニアは「あい!」と感情のない表情のまま大きな声で返事をした。「……マニアれす。一つの器に二つのものを混ぜるには――潰すて!! 潰すて! 何度も潰すて混ぜる!」
マニアが拳を地面に叩きつける度に、グリザベルは体をビクッとさせた。
「そりゃ植物を混ぜるには潰したり、熱したりするだろうけどよ。人の体だぞ。風呂にでも入れろってのか?」
マニアは天井を見上げると、リット言葉にケタケタ笑い続けた。
話しかけても笑いが止まることがないので途方に暮れていると、キルオが「今日は機嫌がいいな」と部屋に入ってきた。
「ちょうどよかった、どこを殴ればこの笑い声が止まるか教えてくれ」
「久々の来客だからな。それもアリアには稀にあるが、マニア様に客なんてないからな。それこそヴィクターくらいだった」
「別に急いでるわけじゃねぇけどよ。そこそこ切羽詰まってる状況なんだ。どうにかして、妖精から精霊の精神を完全に分けなけりゃいけねぇんだ」
「なんだ、そんなことか? ヨルアカリグサの時みたいに、もっと無茶なことを言うと思ってた」
「そんなことでもねぇだろ。変な薬でぶっ飛びてぇってわけじゃねぇんだ」
リットは医者は黙ってろと手で制すが、キルオが「あるぞ薬は」と言うものだから、態度を急変させた。
「あるって言ったか?」
「あるって言った? なにに? オレがか?」
「そうだよ……。精神を分ける薬ってやつがあるって言っただろ」
「あぁ、そうだったな。あると言うより、完成間近と言ったところだ。元々はアリアとマニア様を分ける為に研究してたんだけど。今となっちゃどっちに情があるし、どっちともそれぞれに人生を過ごしてきた。本人が悩むまではそれでいいだろうとな」
キルオは持ってきてやると言うと、歌うように体を揺らして抑揚のなくケタケタ笑い続けるマニアを担いで部屋を出ていった。
「心臓と頭の中が肉体においつておらん……」
グリザベルは胸を手で押さえて深呼吸を繰り返した。
「おいおい……これ以上厄介な問題を増やすなよ、まぁ、心臓が飛び出たなら、医者に見てもらえよ。ちょうどよくいるぞ」
「バカなことを言っているでないわ。あんな性格なら、一言説明しておけ!」
「どう説明しろってんだよ。それにな……ヨルムウトルで会った時のオマエはあれくらいめんどくさい奴だったぞ。今でこそ慣れたけどな」
「それは……」とグリザベルは口ごもった。「それは……マニアと我は最良の友になれるということではないか?」
「……そういうとこは尊敬するよ」
リットは急に友達作りをしようとするグリザベルに向かって肩をすくめた。
それからしばらくしても、キルオが薬持ってやってこないので、リットとグリザベルはこっちから研究室へ向かうことにした。
「まったく……自分から言っておいて来ないとはな」
グリザベルは穴の奥へと続く坂道を下りながら、礼儀がなっていないと怒っていた。
「親父の薬を作る時にああなったんだ。その薬の副作用ってのが忘却だからな」
「それは悪いことを言った。謝罪する」
「謝罪の必要はねぇよ。オレだってこんな坂道を歩かされてイラついてる。下りてるってことは、帰りは上るってことだからな」
「……お主も副作用が出てるのではないのか?」
「そういう性格だってことだ。説明しろって言っただろ、性格を。性格というよりも、性質かもな。近い記憶が忘れやすいんだ。グリザベルの性格も考えると、キルオが忘れたらまた一から説明をはじめて一向に話が進まない可能性があるから、先に言っておいたんだ」
「先に言っておくというのは、出会う前に言うことだぞ。……まったく。だが、大丈夫だ。把握したぞ」
グリザベルは気を取り直したはずだったが、研究室に入った途端にキルオに怒られたせいで、また混乱していた。
「おい、こんな夜更けに人の研究室に勝手に入ってくるなんて、非常識にも程があるだろ」
「我は客ぞ。昼間に会っただろう。グリザベル・ヨルム・サーカス。あの――」
忠告されたにもかかわら再び自己紹介をしようとするグリザベルを押しのけて、リットは部屋の中へと入っていった。
「薬を見せてもらいに来たんだ。精神を分けるとかっていう」
「ああ、あの薬か。よく知ってたな研究をしてたのを」
「まぁな。途中なんだろ? どのへんが途中なんだ」
リットが適当に部屋の中を歩き回っていると、キルオはこっちだと棚をあけて薬瓶を取り出した。
「凄いぞ。精神というがな、人格を一つ確実に破壊する薬だ。それも飲むだけですむ」
「そりゃ欲しがるやつが山ほどいるだろ」
「どうだかな。人格が一つ死ぬということは、もう一つの人格にも影響を及ぼすってことだ。廃人になっては意味がないだろ? そこで、オレは忘却という研究を進めていった。忘れるっていうのは、精神における最良の薬だからな。そこから色々広がっていった結果、ヴィクターの体を蝕む毒の回わりを遅行させる薬が出来たんたが、あいつは拒んだ。どんな日々も誰の言葉も忘れずに生きていたいってな。まぁ、前にも似たようなことを話したなリットには」
「まぁな。穴にこもるのが飽きたら、ディアナの墓でも見舞ってくれ。暇してるだろうからな」
「あぁ、そうする。――とにかくだ。薬はあるが、使えないということだな」
「いや使えるかも知れぬぞ……」
グリザベルは勝手に薬の成分表を見ていた。そこに使われていたハーブは、魔女学でも使われるようなものばかりだったのだ。
「オマエもチルカには色々言われてたもんな……」
「アホめ! 誰がチルカにこの薬を使うか! このハーブは『魔除け』に使われるようなものばかりだということだ」
魔除けというのは魔力を除けるということだ。魔法と関わりの深い魔女が、魔力を避けるというのは一見おかしな話だが、魔宝石をしまっておくための箱などに使われるのも魔除け。魔力を好む虫から遠ざける魔法陣のためのポプリも魔除け。
魔力を寄せ付けないという考えや、魔力を除去するという考えも魔女には一般的なのだ。
そこでグリザベルが考えたのは新たな依代だった。媒体は煙。お香を作りチルカに吸わせることで、チルカの器の中に混ざったシルフの魔力だけを追い出すことにより、一緒に分霊も追い出すということだ。
追い出された分霊は、安定した魔力の器に再び戻ろうとするはずだが、それを煙へと移す。あとはグリザベルが透明な壁を壊し、煙は風に舞ってシルフへの元へと戻る。
「――どうだ? 完璧ではないか?」
「机上の空論ってのはいつも完璧なんだ。それが通用するなら、今頃オレの周りは面倒を起こすやつは一人もいねぇよ。だいたいよ、依代にするってのはゴーレムだろ。煙をどうゴーレムにするってんだよ」
「別にゴーレムにする必要はない。今までは必要にあってゴーレムにしていただけのこと。煙というのは、沈降、凝集、拡散する性質がある。これは魔女学で例えるとだな」
「結論だけにしろ。魔女うんちくはうんざりだ」
「まったく……煙と魔力の相性はいいのだ。使い魔を呼ぶ時の香もそうだが、様々なことに利用されている」
グリザベルは自信満々に胸を張って言ったのだが、キルオが無理だと口を挟んだ。
「この薬はもう絶滅した植物を使っている。種はあるんだが、今の環境で芽を出すことはない。アリアが言っていたから間違いない」
言われてグリザベルはもう一度成分表を見た。
「たしかに……絶滅したというより……元々存在していない植物だったとは。すまない舞い上がっていた」
二人が言っているのは強い魔力のもとで変異した植物だ。強い魔力というのは大戦中の話であり。もう、あんな魔力の使い方をする魔女もいなく、現代の魔女は元々の魔力の器が小さい。ディアドレのような魔女が百人単位で生まれて、魔法を使って争わなければ芽が出ない植物だ。
「それってよ……範囲が狭けりゃ可能なのか?」
「……なんの話だ」
グリザベルはせっかくの良い考えが泡となって消えたと落ち込んでいたので、声に覇気がなくなっていた。
「コップを魔力で満たすのと、部屋を魔力で満たすって話だ。魔力の単位は知らねぇけどよ。強い魔力を扱うのも、狭い範囲なら可能ってことだろ」
「可能だ。だがな魔除けにも限度がある。魔力を外に逃げ出さないような仕掛けを作るには、何年かかると思うておるのだ」
「それがもう出来てるって言ったら」
「それは! それは……我の考えも実行できるということだ。その植物が芽を出すというのならばな」
「なら、解決だな。ヨルアカリグサを育てた保護ケースまだ残ってんだろ?」
「あぁ、あるぞ。だけどな……」
キルオはグリザベルの顔をちらっとみた。保護ケースというのは、黒い木枠を利用した『重層魔法陣』であり、過去にキルオ達が浮遊大陸の植物を持ち帰る時に使ったものだ。
作ったのは魔女。値段は支払えるような額ではなく、その魔女に支払はせず踏み倒したので、同じ魔女のグリザベルの元で堂々と出すのはどうかと思ったのだ。
「安心しろよ。道を踏み外した魔女の子孫だ。とやかく言わねぇよ」
リットの言葉の意味を理解していないグリザベルだが、自分の考えを実行できるならととりあえず頷いておいた。
「そうか? ならこれだ。ある程度ヨルアカリグサを育てて成分を抽出したから、バラしてしまったがな」
キルオがバラバラになった保護ケースの部品を机に並べると、グリザベルは驚愕して目も口も大きく開きっぱなしになってしまった。
「これは! あ、あ、あ、あ、あああああああの大事件の……!? まままま、ま、ま、ま、まま魔女会でも問題になったものだ。大金を踏み倒されたと、魔女と人との関わりが遮断されるような出来事だぞ」
「やっぱり出さないほうがよかったんじゃ?」
グリザベルの反応にキルオは心配になったが、グリザベルはおもちゃを与えらた子供のようにうきうきしていた。
「これは? なるほどこうつなげるのか。そうなると、これはこうだ。どうだ? 我は凄いだろう? 凄いのだ。ふふん」
グリザベルはリットに自慢げな顔を向けると、そこからは黙々と保護ケースを組み立てだした。
「大丈夫だっただろ? 後は酒でも飲んで待ってよう。変な時間に起こされたせいで、全然眠れねぇよ」
「二日酔いの薬を飲んだんじゃないのか?」
「おかげで気持ちよく飲める。ありがとよ。どっかにアリアがつけた果実酒が残ってだろ。甘すぎるけど……あれでいい」
「それなら隣の部屋だ。まったく……変わってないな」
前にあった時とまったく行動も態度も変わらないリットに、キルオはヴィクターと居たときのような心の拠り所を感じていた。




