第十四話
リットとグリザベルは町に戻ったものの、家には帰らずにカーターの酒場へ来ていた。
家に帰るとチルカが騒ぎ立てるのはわかっているので、静かな場所で話をまとめようということになったからだ。
「――というわけだ。うるせぇから、酔っぱらい共を追い返せよ」
リットはウイスキーの入ったコップを片手に、もう既に出来上がった酔っぱらい達を指した。
「うるさいのが嫌なら、真っ昼間に来るんだな。もう夜になる夕方に来ておいて言うセリフじゃねぇ」
「昼には着く予定だったんだよ。どっかのマヌケが手綱を握らなかったらな」
リットに睨まれたグリザベルだが、ワインを一口喉へ流し込んで余裕の笑みを見せていた。
「お主の手綱通りなら、到着するのは明日になっていたわ。我が魔力が綺麗に安定している空路を選んだからこそ、グリフォンは気持ちよく飛んだのだ」
「それが遠回りになったって言ってんだ。カーター、そう思うだろ?」
「さぁな。一つだけ言うなら、ここでは味方が欲しかったら金を使うことだ」
カーターはおかわりが欲しくなったら呼んでくれと言い残して、他の客の相手をしにいった。
「まったく卑しい男め……。そこまでして我を言い負かしたいのか?」
「そうだな。どうせなら、泣かして、数日は立ち直れなくらい言い負かしてやりてぇよ。……で、オレは妖精の何を探ればいいんだ?」
「それを探すのもお主のやることだろう。我は魔女のことで手一杯だ。天才が人生を数度も繰り返してたどり着いた境地に、我もたどり着かねばならんのだ」
「そうは言うけどよ……」リットはウインナーをフォークで刺すと、その先をグリザベルに向けて説教でもするように振った。「ゼロからなにかを見つけ出すってのはほぼ不可能だ。オレは妖精のことなんて何も知らねぇんだぞ」
「あんなにチルカと一緒に過ごしているのにか? 丁度いい機会じゃないか。お互いを理解するのにまたとないぞ」
グリザベルはワインで少し酔っているのか、絶対に不可能なことを適当に口にした。
リットとチルカが理解を深めることなどないとわかりきっていることだ。
しかし、リットは「それもありだな……」と呟いた。
「……酔いも冷めたぞ。本当に言っているのか?」
「別にお手々つないで仲良くしようって話じゃねぇんだ。昔も魔女と妖精が関わっただろ? オレに迷惑をかけた世界一アホな魔女が」
「ディアドレは偉大な魔女だ……。それに妖魔録ならお主も一度読んでいるだろう。今更なにか見つかるとも思えぬが?」
「オレじゃなくてチルカに読ませんだよ。妖魔録ってのは、言うなりゃ都合良く解釈された日記だろ? 不都合は隠されている。それをチルカに暴かせりゃ、なんで魔女が妖精を利用したかわかるかもしれねぇ」
「たしかに……妖魔録を含むディアドレの『魔録シリーズ』は物語調にかかれているものだ。日記と呼んでもいいくらい、妖精との交流を赤裸々に書いている。だが、同時に魔女の歴史書のようなものでもある。そこに嘘はなくとも、省略している部分はあるやも知れぬ……」
「なら決まりだな」
リットが差し出した手を、グリザベルは満面の笑みで握手した。
しかし、リットは笑みを返すどころか、眉を寄せて訝しげに言った。
「なにしてんだよ」
「なにとはなんだ。お互いを鼓舞する激励の握手だろう。お主が先に手を出してきたのだぞ」
「オレは妖魔録を出せって言ってんだよ。持ってんだろ」
「そうなら、そう言え……。まるで一人ではしゃいでいるようではないか……。確かに我は妖魔録を持っているが、手元にはない。ヤッカに貸しておる。だが、リゼーネの城の書庫にもあるのだろう? リゼーネとは遠慮するような関係でもない。借りてくればいいだろう」
「オレはな。国書として都合よく解釈された写本じゃなくて、原本に近いほうを見てぇんだ。グリザベルが持ってるほうが、原本に近いんだろ?」
「当然だ。我が初代写字生の妖魔録を手に入れるのにどれだけ苦労したと思っている……。物の価値のわからぬ商人の手に渡っていたせいで、どれだけの金が必要だったか……」
「苦労話は弟子にでも聞かせてやれよ」
「とっくに聞かせたわ。そしたら、ヤッカが興味を持ってきたのでな。貸してやったということだ。どうだ? 太っ腹だろう? まぁ、師匠として当然のことをしたまでだがな」
グリザベルはフハハハと自慢気に高笑いを響かせた。
ヤッカというのは、以前グリザベルが面倒を見ていた三人の見習い魔女の一人で、魔女薬に使う虫や動物などを専門に勉強している魔女だ。
実際には女の子ではなく男の子なのだが、女尊男卑の魔女世界で修行を積むために性別を偽っている。
シーナと同様に本師匠が決まっていないので、あちこちの魔女の元で修行を積んでいる最中だった。
「修行先はわかるのか?」
「当然だ。ヤッカは定期的に我に手紙を送ってくるからな。実に見どころのある若者だ。それに比べマーはどうだ。もう離れて随分になるのに、一通も手紙をよこさぬ……本弟子というのに……」
「弟子ってのはそういうもんだろうよ」
この日は結局飲みながら酒場で夜を明かし、リットは一度も家に戻ることなくグリフォンで次の目的へと向かうことになった。
リットが向かったのは、グリザベルに聞いたヤッカがいるという街。てっきり生命と緑あふれる街だと思っていたのだが、実際は高級な馬車が行き交う都会で、とても虫や動物の研究など出来そうにない場所だった。
しばらくリットが当てもなく町の中を歩いていると、怪しげなものばかり並べている物売りが目に入った。
そこには大人の顔ほどある蛾や、見たことのない形をした爪や、明らかに毒草と思える乾燥植物など、如何にも魔女が使いそうなものが売られていた。
リットは下手に探し回るよりここにいたほうがヤッカを見つけやすいかと思い、適当に商品を眺めていると「お使いだろ」と店主の髭の男に声をかけられた。
「まぁ、そう見えるだろうな」
男が魔女薬の材料を見ていたら使い走りに思われて当然だと、リットは特に否定することはなかった。
「何を買うのか忘れて途方に暮れてる。そんなとこだろ? ん? どうだ」
店主がやたらと絡んでくるので、リットは「だとしたらなんだ?」と聞いた。
ニコニコと気持ちの悪い笑みを浮かべた店主は「オレに任せておけ」とリットの肩を抱くと大きく手を振って、誰かを呼びせた。
「おーい! こっちだ。頼むよー」
店主のどこか上ずった声に呼ばれたのは、リットが探していたヤッカだった。
「どうしたんですか? 今日は注文をしていないはずですが」
「ここにいるマヌケな男が、師匠のお使いの内容を忘れちゃったみたいなんだ。悪いんだけどよ、面倒見てやってくれないか? 次に来た時またおまけするからさ」
「本当に商売上手ですね。毎回そんな事を言うんですから……。ここばかりに買い物に来ちゃいますよ」
「そうだろう? 複雑な男心って奴よ」
店主はツバでひげを整えると、ニカっと爽やかに笑ってみせた。
しかし、ヤッカはその顔を見ることなく「お師匠様はどんな薬を作ると言っていましたか? それによってはなにが必要かわかるかも知れません。怒られるのは嫌ですもんね」と、リットに気付かず話し始めた。
「そうだな……人探しだな」
「尋ね人ですか? だとしたら、薬というよりも呪術関係の素材ですね。よく使われているのは……夜寝ずのコウモリの羽と、働きアリの――」
「それとな、記憶力を向上させるのも欲しいな」
「それなら、キャットウォッシュという植物の根と、ニニベコという虫がよく使われていますね。ニニベコはこの時期は土に潜って出てこないので、もしかしたら取り扱ってる店がないかも知れませんよ。よろしければ、僕が持っている分をお分け――」
ここでヤッカは初めてリットの顔を見て、言葉を止めてしまった。
驚いたわけではない。今までからかわれていたのに気付いたからだ。
「思い出してくれたなら、買うものは何一つねぇな」
リット呆ける店主に適当に別れを告げると、ヤッカに今厄介になっている家まで案内しろと歩かせた。
「なぜリットさんがこんな街に……」
「オレからすりゃ、なんでヤッカがこんな街にいんだよ。虫の死骸くらいだろ、ここにあるのは」
「今の修行では生態観察ではなく、魔女薬の深い世界の勉強をしているんです。ここは三つの国をつなぐ道の真ん中にある街なので、各国の変わった素材が手に入り、現物を見て触れることが出来るので、修行の場所としては最適なんですよ」
「まぁ、現物を見るってのは大事だな。オレも現物を見にここまで来たんだからな。グリザベルから借りた妖魔録。持ってんだろ?」
「あぁ……すっかり返すのが遅くなってしまいましたね。持ってます。グリザベル様は怒っていらっしゃいましたか?」
ヤッカは心配そうな顔でリットの顔を覗き込んだ。その仕草は如何にもな女の子の仕草だったので、リットは思わず鼻で笑ってしまった。
「怒っちゃいねぇよ。今はそんな感情に振り回されてる暇はねぇだろうしな」
ヤッカはどういう意味なのだろうと首を傾げていたが、リットに足が止まってると指摘されると早足で案内を続けた。
ヤッカに連れてきてもらったのは『ボディマ』という魔女の店だ。
「客が訪ねてくるなんて何年ぶりだろうね」
そこらの樹皮を剥がしてきたかのようなシワだらけの顔で迎え入れたボディマは、リットを椅子に座らせるとテーブルに様々な小瓶を並べて商売を始めた。
「あのなぁ。アンタの客じゃねぇよ。これからもなるつもりはねぇしな……。なんだよこの薄気味悪いのは……」
リットが小瓶を一つ持ち上げると、ボディマは「それはリスの睾丸だよ。昔から悪ガキに飲ませるんだ。一口飲めば悪い口が直るってね」とからかって笑った。
「そりゃ二度と飲みたくねぇだろうしな。とにかく客じゃねぇから、なにか売りつけようとしても無駄だ。金も持ってきてねぇからな」
「じゃあ、何をしに店へ来たんだ」
「ヤッカに用があってきたんだ。貸してた妖魔録を返せってな」
「妖魔録を読めるような上等な頭をしているとは思えないけどね……。本当は別の目的があるんだろう?」
鋭いボディマの眼光にリットは一瞬怯んだ。なにか見透かされたような気になったからだ。
「動物の玉を集めるような店なんか乗っ取る気もしねぇよ」
「何年魔女をやっていると思ってるんだい? 私の目をごまかせると思ってるのかい? ――ヤッカちゃんにたかる悪い虫だろう」
ボディマの見当外れな答えに、リットは思わず肩の力が抜けた。
「オレを材料売りのおっさんと同じだと思ってんのか?」
「あんな可愛らしい子……ほっとくはずないからね。ここにはあの子を狙った飢えた狼どもがうようよいるんだ。油断できないよ」
「狼なら、玉を切り取って瓶にでも詰めてコレクションに加えとけよ。詳しくは言えねぇけどよ。違法な魔法生物のことで頼まれごとをされてんだよ。それに妖魔録が必要になるかも知れねぇんだ」
「違法な魔法生物? なんだい……クリクルの案件かい」
「知ってんのか?」
「知ってるも何も姉妹弟子だよ。親友とは言えないけどね。厳しい修行を励ましあい、しのぎを削った仲だ。まぁ、戦友と言ったところかね。年も近くて、些細なことでよく喧嘩もしたものさ。懐かしいねぇ……もう何十年も会ってないよ。元気にしてるかい?」
「修行時代を思い出せよ。そのままの姿でいるぞ」
リットは改めてボディマの顔を見てから、クリクルを思い出した。当然の話しだが、とても同年代には思えない。二人を頭の中で並ばせると、孫と祖母以外に言葉が見当たらない。
「なかなか粋な言い回しをするじゃないか。元気ってことだろう? どれ、ボディマの頼みなら、私もいっちょ手を貸すよ」
やる気満々に立ち上がろうとするボディマをリットは手で制した。
クリクルは今の状況を知らせていないはずだし、知らせたくもないと思ったからだ。
そこへ連れていき引き合わせるのは違う。そんなに意地の悪いことをする必要など何一つない。
リットはどうにか言い訳を考えようと思案を巡らせると、妖精の姿が浮かび上がった。
「必要なのは虫に詳しい奴だ。動物じゃなくてな」
「そうかい……それなら仕方ないね」
「だろうな。虫に関するものが一つもねぇからな」
「動物が専門だからね。ヤッカちゃんにも、動物はどれだけ魔女薬に使われているかを教えてる最中さ。そうだ! ヤッカちゃんを連れていきなよ。あの子は虫に詳しいからね。役に立つはずさ。それに違法とはいえ、魔法生物と触れ合う機会なんて滅多にないからね。いい機会だよ。行ってみたいだろう?」
ボディマはいつの間にか隣に立っていたヤッカに聞いた。
ヤッカは本を強く抱きかかえて「いいんですか!?」と目を輝かせた。
「ちょっと待てよ。なんで魔女ってのは次から次へと騒動を持ち込んでくんだよ。いいわけねぇだろ」
「こんなに可愛い子が頼んでるのにかい? アンタの玉を切り取って瓶に詰めた覚えはないんだけどね」
「そうだろうよ。どの瓶にも見覚えのある玉は詰まってねぇからな。オレに必要なのは妖魔録。ヤッカじゃねぇよ」
「たまには本じゃなくて生身の女に触れたらどうだい?」
「アンタさっきと言ってることが違うじゃねぇか」
「もちろん本当に触れたら、ある日ころっと玉が取れ落ちる魔女薬を飲ませてやるさ」
「まさか……この茶に入れたんじゃねぇだろうな」
リットは口をつけたばかりのカップを急いで離した。
「さぁ、どうだろうね。答えは闇の中。晴らすには天使のように可愛いヤッカちゃんを連れていくしかないよ」
リットはうなだれると「マーを連れて歩くよりましだ」とヤッカに支度をするように言った。
お茶になにも薬を混ぜてないことはわかっていたが、マーとシーナには新しいものを触れさせてきたので、ヤッカにも触れさせないと不公平な思いが湧き上がってきたのだ。
一時の兄弟子としての情というやつだ。
「なれねぇことをするもんじゃねぇな……どうも過去が足を引っ張ってくる」
「なら、未来に手を引いてもらえばいい。それとも今に抱かれるかい?」
「魔女の婆さんってのは……どいつもこいつも気楽なもんだな。好き勝手言いやがる」
「老い先短ければ、未来のことを考えるのは少しでいいからね。魔女というのは年を取ってからが盛りだよ。その分今を生きてるんだからね。若者より、若者らしいよ。最近じゃ若者のほうが婆くさいと言うじゃないか。若いうちは皆一歩踏み出すべきだよ。そう思わないかい?」
「思わねぇよ。是非ともその場で足踏みをしててほしいもんだ。そうすりゃ、オレが出張る必要なんかねぇんだからな」




