第十一話
『魔力の器』というものは、生命なら誰でも持っているものだ。違いは大きいか小さいかだけであり、四精霊が作り出す魔力は少なからず体に作用している。
そして、魔女の一説では、魔力の器とは魂と結び付けられているもの。という考えがある。
これは魔力の器が大きいとされる種族が長寿だということから導き出された説だ。
人間よりもドワーフ。ドワーフよりも妖精。妖精よりもウィル・オ・ウィスプ。というように、魔力の器が大きく、自由に魔法を使える種族ほど長く生きているのだ。
そこに目をつけて研究をする魔女もいる。その殆どが正法であり、不治の病を治すための研究などの延長線上なのだが、一部には邪法に手を染める魔女もいた。
それは一度魔力の器を壊し、他の生命の魔力の器を合わせて大きくしようという考えだ。
つまり、犬と猫がいるならば、両方の魔力の器を破壊して合わせることで、一つの生命として生み出そうという考えだ。
生命を合わせることにより、二つ分の魔力の器の力を使いこなそうということだ。それを『器の再構築』と呼ぶ。
――ということを、グリザベルは噂程度に聞いていたのだ。
「グリフォンを保護していた魔女が言っていた話だ。可能性は少ないかも知れないが、信憑性はある。その魔女は正法に研究を進める魔女だからな」
グリザベルは解決の糸口が見えたと、興奮に声を高くした。
「あのなぁ……毎回言うけどよ。わかるように説明しろよ。その話の着地点はどこだってんだよ」
リットは顔にまとわりついてくるメリアにイライラしているので、そのままの態度でグリザベルにもキツく当たった。
しかし、グリザベルは怯むことはなかった。自分が思う仮説が間違っていたとしても、答えに導くものの一つになると確信していたからだ。
「器の再構築で生まれたのが、あのグリフォンだ。つまり邪法と言えども、ある程度の結果は出しているということ。正法と邪法の違いは倫理だけではない。際限のなさが問題なのだ。邪法というのは終わりなき研究のことだ。自分の法の中で好き勝手にやれるせいで、終わりを見失ってしまう。虫で成功すれば動物で、動物で成功すれば人間で。人間で成功すれば――とな。人間の中に精霊の器を混ぜようと考えるのにも、そう長い時間はかからんだろうな」
「そんなの『依代』って技術で、グリザベルもやってたじゃねぇか」
「器を混ぜるのと、魔力を入れるのとでは全く違うわ。魔力は一時的なものだが、器は永遠のものだ。そして、永遠というものは魔法の力の範囲外だ。ヨルムウトル王との永遠の愛を願ったディアドレからもわかるだろう。欲望とは胸に抱くもの。空の手を禁忌へと伸ばす要因だ。それが邪法。正法を唱えるものは、両手に抱えるものの重要性を知っているからな。故に邪法の中でなにも掴み取れないこともわかっている」
「こいつは妖精とシルフの器を混ぜ合わせたものだっていうのか?」
リットに指を向けられたメリアはじゃれるように、その指に抱きついた。
「正しく言えば、シルフの分霊だ。シルフそのもの器は流石に無理だと判断したのだろう。我が壁の向こうに入ることが出来たのならば、もう少し詳しいことがわかると思うのだが……。無理なものを嘆く時間がもったいない。グリフォンを保護していた魔女の元へ向かおうではないか」
グリザベルは柄にもなく拳を掲げて歩き出したのだが、誰もついてこないので小走りで戻ってきた。
「あのなぁ……どうやって帰るんだよ」
「そこに閉じ込められたわけではないのだ。お主は自由に出入り出来るであろう」
「ここの見えない壁の話じゃねぇよ。来る時は水溜りを飛び込んできただろ? 帰りはどうすんだって話だ」
リットに言われ、グリザベルは完全に忘れていたと、口を開きかけのまま止まった。
ここにいる魔女に帰り方を聞くつもりだったのだが、肝心の魔女は死んでいて、残された資料を見ても帰り方は書かれていなかったのだ。
「どうするんスかァ? ここは食べるものはなさそうですよォ……」
お腹も空いてきたノーラは心配そうに周囲を見渡した。見えない壁に守られている範囲以外は、死んだ森が続くだけ。花もなければ果実もない。動物など影もなかった。
そんな中「もう帰っちゃうの?」と残念そうにしたのはメリアだった。「もうちょっといてよ。一人で寂しいんだから」
「オレは一刻も早く離れたい。追い払っても顔の周りをうろうろする夏の蚊そのものだ」
リットは手で追い払うが、何度繰り返してもメリアは戻ってくるのだ。鬱陶しくてしょうがなかった。
「でも、またここへ戻ってきますよ。答え合わせはここでしか出来ないですし、旦那しかそこへ入れないんスから」
「まぁ……どうせすぐ会えるし……帰り方を教えてあげる。水溜りを探せばいいのよ。死んだ森で生きた水を探すんだから簡単なはずよ。出てきた近くにあるはず。水はもう一つの世界を映し出す鏡よ。恐れずに飛び込みなさい」メリアは急に真面目な声で言うと、「ここへ来たのなら、もう知ってるわね」とおどけた。
リットにもグリザベルにも、その声は精霊からの忠告のように聞こえていた。本来は恐れるべき力で、容易に触れるものではないのだと。
流れで落ちた冷や汗に背中を寒くしながら、リット達は来た道を戻っていった。
メリアの言う通り、死んだ森に似つかわしくない澄んだ水溜りが一つ。誇らしげに日差しを浴びて光っているのが見えた。
来た時と同じ用に、まずリットが飛び込み、その後をグリザベル達が続いた。
ついた先は迷いの森。リット達にはどこへ歩いて良いのかわからない場所だが、ハイデマリーがいるので迷わずに歩くことが出来た。
パフィオペに見てきたものとこれからの話をすると、一度リットの家に戻り用意を整えてから、グリフォンに乗って件の魔女の場所へ向かうこととなった。
リットが自分の家に戻ると、家にいたシルフの分霊が顔面に張り付いて「好き好き」と言ってきた。
「これは、向こうの分霊と繋がっているのか?」
リットは手で払ってシルフを追い払うと、ほっとしてため息をついた。
シルフがチルカを依代にしたままだったら、チルカに抱きつかれていたかも知れないと思うと嫌な汗が流れてくるからだ。
「繋がってはいるが、意思の疎通の能力はほぼないのだろう。ほぼ記憶だけを共有しているようなものだ。好きと嫌いは、イエスとノーの代わりのようなものだろう」
グリザベルは荷物を下ろすと、急に出向いては迷惑になるので魔女へ手紙を出すと二階の個室へと上がっていった。
リットは家についたらどっと疲れが出てきたと、居間の椅子に座り込んだ。
すると、チルカが陽気な鼻歌を歌いながら近付いてきた。
「アンタやるじゃないの」
「なにがだよ……口喧嘩なら明日にしてくれ。どうも体が重い……」
「褒めてんのよ。見事私からシルフを引き離したんだから。でも……アンタみたいのでも、あの男の血が流れてるのね。呆れるわ」
シルフに好き好きと言い寄られているリットを、リットの父親のヴィクターと重ね合わせたチルカは、冷ややかな軽蔑の視線を浴びせた。
「やっぱり喧嘩を売ってんじゃねぇか」
リットはチルカを睨みつけたものの、突っ伏したテーブルから顔を上げる気にはなれなかった。
「嫌ねェ……急に老け込むんだから」
「老けたんじゃなくて、疲れたんだよ。妖精に振り回され、精霊に振り回され。今回オレは関係ないってのによ」
「アンタねぇ……自分が関係ないのに、自ら動くような奴だと思ってるわけ? アンタがそんな良い奴はずないでしょ。しっかり自分が関係してるのがわかってるから動いてるって認めなさいよ」
チルカはリットのシャツの袖をめくって、四つ揃った紋章をあらわにした。
あの水溜りの扉を開く鍵になっていたのは、十中八九この紋章だとリットにはわかっていた。向こうの家の透明な壁を行き来できるのも同じことだ。
「もっと便利なことに使えねぇのかよ……いらねぇ合鍵を押し付けられた気分だ」
「アンタいっちょ前に精霊の恋人気分でいるわけ?」
「介護を押し付けられたみてぇだってことだ。そうだ」リットは急に顔を上げると、手のひらをチルカに向けた。「鼻毛よ伸びろ……」
「アンタって本当に嫌な奴ね……。精霊の力がそんなものに作用するはずないでしょう。そんなことより、私はいつになったらこんなしょぼくれた家の外に出られるのよ」
「オレが白骨化するまでかもな」
リットは肩をすくめて再びテーブルに突っ伏すと、それっきり動かなくなった。
リットが目を開けたのは翌日の昼になってからだった。昨日家についたのが夕方前なので、かなり長い時間を椅子の上で過ごしていたことになる。
頭をあずけてしびれた腕で食器をテーブルから落としてしまうと、グリザベルは「ようやく起きたのか……」呆れていた。
手紙を出し終えたグリザベルは、これからのことを話そうとリットを待っていたのだが、一向に起きる気配がないので眠ることにし、起きて来てもまだ眠ったまま。昼になり、ノーラが騒がしく昼食の準備を始めてから目を覚ましたので、なにも話が進んでいないと肩をすくめた。
「しょうがねぇだろ……昨日はやたらと疲れてたんだ……」
「お酒を飲んだわけでもないのに珍しいっすねェ」
ノーラは白身だけをカリカリに焼いた目玉焼きを、落とした皿を拾って乗せてリットに出した。
「妖精ってのは人の精気でも吸い取ってんのか?」
リットはまだ体がだるいと肩を回した。これの理由はわかっていた。椅子で寝て体の疲れが取れきっていないからだ。
「そんなわけないでしょう。そうだとしても、アンタの精気なんか吸い取らないわよ」
「しっかり食べて、しっかり寝ないから体の調子が悪くなるんスよ。ほら、私を見てくださいな。いつでも絶好調」
ノーラはパンを口に押し込むようして食べながら、細い腕に力こぶを作ってみせた。
「そんなに元気なら、店を開けてひと稼ぎしとけよ」
「旦那が寝ちゃうから、誰も次の予定を立てられなかったんスよ。すぐに出るのか、しばらくとどまるのか。そんな中でお店を開店させたら、馴染みのお客さんだって混乱しちゃいますぜェ。それに、ほとぼりは冷めたみたいっスけど、まだ一部は熱烈に怒ってるみたいっスよ。一夜限りの夢を叶えた女性達が」
リットは忘れていたと頭を抱えた。
シルフの風の力で仮初めに胸を大きくした女性達は、巨乳好きのローレンの甘言に乗せられて、再び巨乳を取り戻そうと躍起になっているのだ。
九割は一時のお祭り騒ぎを楽しんで冷静になっているのだが、残りの一割は厄介にも本気で胸を大きくしようと願っているものなので、店を開ければなだれ込んでくるに違いなかった。
昨夜の漏れた明かりを見つけた誰かが既に、町中にリットが帰った来たのを広めているかも知れない。
「なんだって……こんなバカになる時があんだよ。乳のデカさにこだわる奴は、女でも男でもな……」
「美への飽くなき探究ってやつっスよ。大きいお胸っていうのも、太って見えたり、肩も首もこるし、胸の下に汗疹が出来るし大変なんスよ」
ノーラは物知り顔で言うので、リットは平らなノーラの胸に呆れた視線を送った。
「なんだってオマエがそんなこと知ってんだよ」
「嫌っスよ、旦那ってば。誰が今食べてる卵を持ってきたと思ってるんスかァ?」
「誰だよ」
「サンドラっスよ。胸を大きい女性を増やしたから殺すって伝言を頼まれましたよ。そうでなければ、旦那の味方だそうです」
「ローレンの欲望に、サンドラの嫉妬かよ……。二つのもんが同時に動くからややこしいんだ……。依代みてぇに、どうにか一つに合わせらんねぇか?」
「出来るわけなかろう。男女関係のもつれを、長い年月をかけて洗煉してきた魔女の技術と一緒にするでない」
グリザベルはフォークを置きながら言った。朝からノーラに食べさせれている卵料理の連続に、胸焼けがしてきてもう食べられないとギブアップだった。
「男女の関係ってのは魔女の歴史より長えだろうが。オマエのご先祖さんの男女関係のもつれのせいで、オレはどんだけ振り回されたか」
「良い教訓だろう。魔女に欲望を叶えてもらう時は気をつけるべきだとな。良くも悪くも人にかけられる期待というものは、己の範疇を飛び越えさせるには十分なものになる。大事なのは心を置いていけるかだ。心ごと飛び越えてしまうと、己を見失ってしまうからな」
グリザベルはどこか遠い目をして言うので、リットはこれがいつもの長話への前フリだということを察した。
「……次の行き先の話だろ。余計な情報はいらねぇぞ」
リットは先に釘を刺したのだが、一度話しだそうとしたグリザベルの言葉は止まることはなかった。
リットには全く関係のない、話したいことを、話したいように、話したいだけ話しだしたのだった。
「余計なことなど一つもない。よいか? そもそも、魔女というのは倫理と禁忌の狭間で揺れる繊細な学問なのだ。決して一つの側面からだけで判断しないようにだな――」




