第十話
「おい、魔法陣なんてどこにもなかったぞ」
戻ってきたリットに、グリザベルはもう一度よく探せと追い返そうとしたのだが、リットが再び魔女の家へと戻ることはなかった。
「何回繰り返させるつもりだ。もう三回目だぞ。ねぇもんはねぇんだよ。家でもぶっ壊して探せってのか?」
リットは透明な壁の向こう側へ戻ろうとすると、妖精は風の壁を作り出して行手を阻んだ。
「誰が帰っていいって言ったのよ」
「おい……こっちは暇でも構うつもりはねぇんだ。精霊は嫌いだからな」
リットの冷たい言葉にも、妖精は笑顔のままだった。
「あなたここでずっと私と暮らすのよ。だって、あなたしかここにしか入ってこれなんですもの。歳をとり、肉が腐り、骨だけになってもここにいるの」
リットの体は突然冷たい風に襲われた。今までに体験したことのない冷たさ。肌ではなく骨や臓器が凍るような冷たい風だった。
異変を察知したグリザベルは透明な壁を叩いて「大丈夫か!」と連呼した。
「いや……無理だ……」
いつもとは違う弱々しい声色にノーラも心配して声をかけ続けた。
「ちょっと……これじゃあ私が悪者みたいじゃない」
妖精は困ったと肩をすくめた。
「リットを殺そうとしておいて、よく言えるな……」
グリザベルは荷物から魔法陣を取り出すと、外側から無理矢理にでも見えない壁を壊そうとした。
すると妖精が「ちょっと! ちょっと! 私はちょっとふざけただけで、そんな酷いことはしてないわ。大好きなリットに危害を加えるわけないじゃない!」と慌てた。
「じゃあ、なんで旦那はうずくまって苦しんでるんスか?」
ノーラは今まで人に見せたことないような鋭い目つきを妖精にぶつけた。
「知らないわよ……ねぇ? 大丈夫? リット」
妖精が本気で心配しているので、ノーラの目つきはすぐに和らいだのだが、ならリットはどうしたのかと逆に不安になってしまった。
「もしや……精霊の紋章の影響か!?」
グリザベルが叫ぶようにいうと、リットの体がピクリと動いた。
「……糞が漏れそうだ」
リットの呟きに全員が「は?」とつぶやいた。
「だから糞が漏れそうなんだよ……変な風を浴びせやがって……おかげで腹が芯から冷えやがった」
「どうすればいい? これは漏らすのを見守るのも愛? 見てればいいの?」
妖精が慌てると、グリザベルはため息を一ついた、
「風の力で見えないところまで運んでやってくれ……。リットにもプライドがあるし、我らも見たくない……」
グリザベルが項垂れるのと同時に、リットは家の裏まで風の力によって運ばれた。
「人間ってすぐに壊れちゃうのね」
「旦那はお酒の飲みすぎでしょうね。それより……なんて呼んだらいいスかァ? 名前がないと不便っスよ」
「好きに呼んでいいわよ。あなた方わね。リットにはやっぱりダーリンかハニーって呼んでもらおうかしら」
一人であれもいいこれもいいと妄想をする妖精を尻目に、ノーラとグリザベルはどうしようかと首を傾げあった。
「どうします?」
「どうと言われもな……、精霊の力が強いのならば、やはりシルフが妥当だと思うが」
「メリアちゃん! メリアちゃんですー!」
ハイデマリー譲れないと声を大きくして言った、
「まぁ、それでいい」とグリザベルは納得した。メリアが死んだと聞かされたばかりで、心の整理がついていないのだと思ったからだ。「それで、メリア。詳しい話を聞きたいのだが」
グリザベルがなぜこんなところにいるのかと聞くと、メリアは「あなた方のせいよ」とグリザベルに指を向けた。
あなた方というのは、今いる一同のことではなく魔女のこと言っている。
ある日シルフは急に魔女によって存在を封じ込められたのだった。その時に、体をいくつかに分けることによって、災害を起こす『精霊召喚』は起きなかったのだが、こうして分霊の一つが魔女によって閉じ込められてしまったらしい。
そもそもの目的が分霊の一つを手に入れることだったらしく、その魔女は他の分霊を探しには出てこなかった。
残された分霊は一つに戻って精霊界の均衡は保たれているのだが、シルフの力が一部欠けたことにより不安定になってしまっているという。もしこのまま力が戻らなければ起こるは天変地異だ。
そこでシルフは風で言葉を拾い集めて、この状況をどうにか出来る者はいないかと探し始めたのだ。
その時にたまたま拾ったのが、大言壮語を撒き散らすチルカの噂話だった。
ウンディーネを使い問題を解決した人間の話。それを従える妖精の私。
そんな話を聞いたものだから、チルカにつきまとえばその人間の元へ案内してもらえると思ったのだ。
そして、それは思い通りに動き、助けにここまでやってきたのがリット達一向というわけだった。
と、メリアは話した。
「なるほど……その魔女はなんの研究をしていたかわかるか?」
「合成魔法生物。なかなかとち狂った人間だったわよ。あれは、欲望に取り憑かれた人間の顔ね……」
メリアは嫌悪の表情で思い出したくもないと、記憶に残る魔女に向けるように舌をベーッと出した。
「やはりな……目的はわからんが、邪法に手を染めたか……。なぜ魔女はディアドレの失敗から学ばんのだ……」
グリザベルは不甲斐ないと、項垂れて首を振った。
「魔女のことはわからないけど、これどうにかしてもらえる? 出られないのよ」
メリアは見えない壁を叩きながら言った。その様子はいつか見たチルカと全く同じだった。
「我らもどうにかしようとしているのだが……ここの魔女の研究内容を知るしかないな」
グリザベルは意味ありげな顔でうなずいたのだが、そこから動こうとしなかった。
「どうしたんスかァ? 調べものなら動かないと」
「リットのうんこ待ちだ……」
「まったく……ひどい目にあった」
ベルトの位置を直しながら戻ってきたリットに、ノーラは訝しげな視線を送った。
「まさか漏らしてないっスよねェ……」
「漏らすかよ。証拠がほしけりゃ、家の裏の土を掘り返せ」
「なら、安心スねェ。調べ物をするときに間違って踏むこともなさそうっス」
「調べ物? なんだよ。やることが決まってるなら、オレを待たずにさっさと動けよ。オレの糞でゴーレムを作るわけじゃねぇんだろ?」
「相変わらず下品な男だ……」グリザベルは呆れつつも家を指した。「調べるにしても、お主しか中に入れんのだ」
「こいつに頼みや、風の力でものを運べるだろう。何をグズグズしてんだよ。まさか本当にオレの糞待ちだったのか?」
リットがメリアに指を向けると、メリアはその指に抱きついた。
「糞を漏らしたお主に正論で責められたくないわ……」
「だから漏らしてねぇって。まぁ、そういうわけだ。精霊だろうが、妖精だろうが、その他の生命だろうが、助かりたけりゃ働け。今回は精霊に振り回されるつもりはねぇ」
リットが家を指すと、メリアは文句のひとつも言わずに、風の力を使って家の中のものをそっくりそのまま外へと移動させた。
壁と屋根を取り払ったかのように、位置関係は変わらずだ。
リットはこれは便利だと意味ありげに頷くと「で、どれから見るんだ?」とグリザベルに聞いた。
まだグリザベルは見えない壁の中には入れないので、気になるものをリットが運び出して見せるしか方法はなかった。
「なにか研究を途中のようなものはないか? それか不審なものだ」
「この白骨死体が目に入らないほど節穴なら、オレはもう一生オマエを頼ることはねぇだろうな」
リットが白骨死体をその辺にあった箒で突くと、グリザベルは驚いて目を丸くした。
「それは置き物ではないのか? 魔女の死体か?」
「そうね。私は瓶の中に閉じ込められてたけど、妖精が見ていたらしいわ。その骨は私を閉じ込めた魔女の骨だって」
メリアの言葉が真実ならば、こんなにおかしな話はないとグリザベルは眉間にシワを寄せた。
「大きな謎が三つ。白骨化した魔女の死体。魔法生物の作成。見えない壁。それを繋ぎ合わせるはシルフの力か……。なぜ魔女はシルフの分霊を瓶に閉じ込めたのか……風は厄災を運び。厄災は地に降り立つ。雲は紺碧の空を覆い隠す闇となり、光なき世界を謳歌する……」
「なに言ってるのこの人……」
メリアはぶつぶつとセリフのように呟くグリザベルを引いて見ていた。
「ほっとけ。病気で咳き込んでるようなもんだ。それより、離れろよ……」
リットは頬に体を寄せるメリアを睨みつけた。
「どうして? 愛情表現よ。体を寄せ合うなんて恋人同士みたいでいいじゃない」
「その姿……チルカに言い寄られてるみたいで寒気がすんだよ……」
「こればかりは仕方ないわ。今の力じゃ妖精の姿を保つので精一杯」
「そもそもなんで妖精の姿なんだよ」
「それは私じゃなくて魔女に聞いてほしいな。他にもたくさん生物はいたのに、依代に選ばれのたのが妖精なんだもの」
「妖精ね……。そもそもその妖精の死因ってのはなんなんだ? 白骨化した死体と関係があるのか?」
「私はなにも見てないもの。私が知ってるのは、依代として降ろされた時に、一部分だけ混じり合った妖精の記憶だけ」
「なんでもいいから話せよ。……他に聞くこともねぇしな」
リットはグリザベルが固まっている間はやることもないので、暇つぶしになにか話せと言ったのだが、メリアはこの言葉でとてもご機嫌になった。
「もう……照れちゃって。可愛いんだから。私に興味があるなら、素直にそう言えばいいのよ」
「おい、ノーラ……」
リットは話にならないと、ノーラを間に挟むことにした。
「はいはい。旦那より優位に立ちたければ、逃げ道をなくすように理路整然と立ち向かうか、旦那を上回るわがままと意固地さで押し切る。この二つのパターンがオススメっすよ。そして、なにより大事なのが旦那が興味をなくさないように、適度に情報は出してあげることっス。なんでも、男を動かすにはロマンってのをくすぐるのが一番らしいですよ。イミルの婆ちゃんが言ってました」
ノーラは適当に思いついたことをその場で並べ立てただけなのだが、メリアには効果があったようで知っていることをペラペラと話し始めた。
「なら教えてあげる。なんと魔女の死因は老衰よ。あっという間に年を取って、あっという間に死んで、あっという間に白骨化したらしいわ。自然界に法則に反していて嫌な話よね」
「それって……魔女が死ぬ前の話っスかァ? 死んだ後の話っスかァ」
ノーラはある疑問が浮かんで首を傾げた。
「強いて言うなら死んでる最中の話よ。それがどうしたの?」
「辻褄が合わなくないっすかァ?」
今いるメリアは、妖精を依り代にシルフの分霊が入った姿だ。
そして、今話していた内容は、シルフの記憶の一部を引き継いだからだということ。
つまり魔女が老衰したのを見たというのが妖精ならば、誰が妖精を依代にしてシルフの分霊を閉じ込めたのかということだ。その時は、まだシルフの分霊はガラス瓶の中に閉じ込められていたはずだと。
「そう言われても……私にもわからないことだらけだもの。でも、嘘は言っていないわ。私だって早くここを出て、元の体に戻りたいんだから」
シルフは嘘を言っていない。
サラマンダーやノームの時と同じで、精霊がわざわざ自然界に悪影響を及ぼすことはない。必要悪ならば起こすことはあるが、もし力の一部が永遠に欠けたままならば、それは精霊界のバランスの崩壊を意味することになる。つまり精霊のいない世界。『闇に呑まれる』ような世界だ。
「その魔女がしてた研究が、永遠の命や若さを願ったものだってんなら、ウィッチーズ・カーズで急激な白骨化には納得出来るんだけどな。グリザベルの話じゃ、合成魔法生物の研究だろう?」
リットは魔女がここで行っていたのは、不老不死の類の研究ではないと言った。
魔女の研究には詳しくないが、不老不死と合成魔法生物などという大それた研究を同時進行させるなんて不可能だと思ったからだ。
グリザベルが先程から独り言をつぶやいて頭を悩ませているのも、同じ理由からだった。
魔女の目的がわからないのだ。どういう過程を歩んだのかはもちろん。どいういう結果を望んでいたかもわからない。
不可解な事実が転がっているだけだ。
リットはグリザベルがなにか導き出すまで自分が考えても無駄だと、時間が潰せるようなものはないか、外に出された荷物をあさり始めた。
木箱に挟まれた本を見つけたので、横着してそのまま抜き取ろうと勢いよく引っ張ると、上の木箱が倒れてしまい、机の端に置かれていた空のガラスの入れ物が地面に落ちた。
その割れる音に、グリザベルの集中力は途切れてしまった。
「まったく……なにをやっているんだ。家主が死んでいるとしても、私物だぞ」
「割れたものはしょうがねぇだろう。それとも直しゃいいのか? いっそ作り直したほうが早そうだけどな」
リットがこんな簡単な入れ物は、ランプの火屋の応用でいくらでも作れると言うと、グリザベルは表情をはっとさせた。
「壊れた器の再構築か……」




