第一話
「一大事よ!!」という叫びは、風と一緒になってリットのランプ屋へと入って来た。
「まったくだ……窓を閉め忘れたせいで虫が入ってきた」
店のカウンターに座っていたリットは、やかましいのが戻ってきたとチルカの顔を見てため息をついた。
「そう! それよ! 早く窓を閉めないと!」
妖精のチルカは小さな体を目一杯窓に押し付けて、なんとか閉めようとしていた。
だが、手のひらサイズの妖精の力で閉められるようなものではなく、木枠が小さく軋む音が響くだけだ。
「意味がわかんねぇよ。雨でも降るのか?」
リットは立ち上がると、窓から身を乗り出して空を見上げた。空は綺麗に晴れ渡っており、雲のひとつもない。澄み渡った見事な秋晴れだった。
「いいから閉めなさいよ! アンタ死ぬわよ!」
チルカのあまりの血相に、リットは言うことを聞いて窓を閉めた。
だが、何かが迫ってくるようなことはなく、天気も変わらず。町もただの日常の風景が流れるだけだ。ただ、リットのランプ屋に疑問だけが埃のように残った。
そんな埃はさっさと外へと掃いてしまいたかったが、チルカは窓枠に隠れて外の様子をうかがったまま黙ってしまった。
リットがチルカの名前を呼ぼうが、悪口を言おうがなにも反応はない。
チルカは耳を済まし、目を凝らして、ひたすらに外を見ている。
「鳥にでも追われてるなら、店には入ってこねぇよ」と言うリットの言葉は虚しく響いた。
それから客も来ることなく、無口のチルカと二人きりと言う奇妙な時間がしばらく流れた。
ノーラがいればまた変わっていたのかもしれないが、あいにく今は外へ出ていた。
こんな時に限って客も来ず、リットは唾を飲見込む自分の音がやけに大きく響くと感じるくらいの静寂の時間を過ごしていた。
そんな気まずい静寂を破ったのはチリンチリンという、店のドアについた鈴の音だ。
「いやー……参りましたよォ。急に風が出てくるんスもん。空でも飛ぶかと思いましたよ」
「ちょうどいい時に帰ってきたな。ノーラ、オマエを待ってたんだ」
ドワーフのノーラは小さな体で腕を組むと、やれやれと首を振った。
「どうやら、私に店番をさせてお酒を飲みに行きたいみたいですが……旦那でも無理っスよ。外は暴風。みんな慌てて店じまいしてましたよ」
「そうじゃねぇよ――なに!?」
友人のカーターの酒場に行こうと思っていたリットは、急なことにがっくりと項垂れてしまった。
「そうじゃないなら、なんなんスかァ?」
「チルカの相手を任せようと思ったんだけどよ。そんなに風が強いなら、オレも店じまいだ」
リットは一度店のドアを開けて、外の様子を確認した。
ノーラが言うほどの暴風ではないが、確かに風は強くなっていた。この分なら窓の補強もしておいたほうがよさそうだった。
「あんらァ? チルカじゃないっスかァ。旦那と一緒なのに静かとは……いつも暇があれば口喧嘩なのに。おかげで気付きませんでしたよ」
「ノーラ……黙りなさい」
チルカは小声で言うと、外を強く睨みつけた。
「なにかいるんスかァ?」
「いいえ……来るのよ……」
「おい、ノーラ。窓に板を打ち付けるのを手伝え。このままじゃ、風でガラスが割れそうだ」
リットの言葉にいち早く反応したのはノーラではなくチルカだった。
「アンタ! やるじゃない! そうよ! 全部の窓を木の板で塞ぐの! アリもクモの子も通れなくするのよ!」
「なにはしゃいでんだよ……。言われなくてもそうするに決まってんだろ。ウチは本物のガラスを使ってんだ。割れたら、どれだけ修理代がかかることか……」
文句を言いながら外に出るリットとノーラを、チルカは全力で応援して見送った。
そして、二階の窓も全て風に備え終えると、ようやくチルカは居間のテーブルにちょこんと座って落ち着いた。
「ここに来たのは間違いじゃなかったわ」
チルカはリットの家の棚に置きっぱなしにしていた、隠し蜂蜜をひと舐めすると至福の表情を浮かべた。
リットは同じ棚からツマミのナッツを取り、コップにウイスキーを注ぐと椅子に座った。
「厄介事はお断りだぞ」
「いつも厄介事の中心にいる男がなに言ってんのよ。とにかく、私はしばらくここにいるわよ」
「それが厄介事だってんだよ。厄介になるって言葉を知らねぇのか?」
「私は大歓迎っスよ。チルカと話すのも久しぶりですし。でも、なにかあるなら解決したほうがいいっスよ。窓を塞いでるから、太陽が入ってこないんスから」
妖精のチルカは太陽神というものを信仰しており、太陽の光を浴びないと弱ってしまうのだが、チルカはそんなことはお構いなしと言った。
「ここには妖精の白ユリのオイルがあるから困らないもの。森もあるしね」
チルカは木枠に埋められた窓から、見えない中庭を見つめた。
「せっかく妖精が全員いなくなって静かになったと思ったのによ」
「逃げたのよ。異常事態が迫ってるから」
「だからよ、それを教えろってんだ」
リットはつまみのナッツを口に放り投げたが、突然の強風に押されて逸れてしまい床に転がった。
そんななんてことない場面を、チルカは青ざめた顔で見ていた。
「ちょっとアンタ! 地下の工房の窓は閉めたの?」
「あぁ、すっかり忘れた」
「あぁじゃないわよ! 早く閉めなさい!!」
チルカが金切声で叫ぶのと同時に、工房へと続く床扉が風に押されて盛大に開いた。
「チルカちゃん見ーつけた!」
風は言葉を発して、チルカ目掛けてまっすぐ向かっていた。
チルカは悲鳴をあげるが、リットは無視して倒れそうな酒瓶を手で押さえた。
すると「あ!? ダメダメ!」と、風が止まった。ついで「聞いてないよぉ……」と情けない声で言った。
「なんだ?」
「シルフよ」
「シルフって四精霊のか?」
「他にいるわけないでしょ」
「ウチは四精霊はお断りだ。特にシルフはな。さっさと出ていけ」
リットの腕にはウンディーネ。それにサラマンダーとノームに入れられた紋章がある。シルフにまで紋章を入れられてたまるかと、手でしっしと追い払った。
チルカはリットの背中に隠れて、応戦するようにシルフに暴言を浴びせていた。
「むぅ……近づけない」
シルフは悔しげな声を上げた。
「なんだ?」リットは自分の腕を訝しげに見た。「紋章にそんな効果があるのか? よし、なら近付くな」
リットは紋章を見せびらかすように腕を立てると、シルフと思われる風の発生源にグイッと近付けた。すると、風は辺りのものを浮かせながら少し退いた。
チルカの興奮も最高潮になり「いいわよ! やっちゃいなさい!! アンタは最高のゲス野郎よ!」と、過去最高にリットに好意を持って応援していた。
「こうなったら……仕方がない。えいや」
シルフは思い切った声の割にはあっさりと決断を決めると、リットへと近づいた。
リットの腕に一瞬風が纏ったかと思うと、紋章が一つ増えていた。
「これでオッケー! チルカちゃん! 好き好き!」
シルフはリットの体を突き抜けてチルカに向かっていったが、チルカは「死ね! 変態!」と吐き捨てて家中を飛び回って逃げた。
そのせいで、リットの家は風に荒らされてぐちゃぐちゃになってしまった。
だがリットはなにも言わない。なにが起こるかわからないと言われていた四つ目の紋章を、とうとうシルフに入れられてしまったのだ。これから起こることを考えれば、家がどうなるか知ったことはなかった。
しかし、放心を続けていも体に変化はない。具合が悪くなることも、快調になることもない。変わったことといえば、あまりのことに酔いが醒めたことくらいだ。
「どうやら、大丈夫らしいな……」
「良かったスねェ。なんていうか……これで旦那がどうにかなったら、あまりにもマヌケっスもん」
それからリットはその場で飛び跳ねたり、家の周りを走ったり、水をがぶ飲みしたり、地下の工房で炉に火をつけてみたり、日常生活に支障はないか色々と試してみたのだが、四精霊の紋章が四つ揃ったことによる特別な現象というものは一つも発生しなかった。
最後に酒を一杯飲んで椅子で落ち着くが、結局最後までリットの体に変化は訪れなかった。
「問題はなしっスねェ。念の為にハチミツをたっぷり胃に流し込んでみます?」
ノーラはパンにかけている途中の瓶をリットに向かって傾けた。
「問題はありだ……見ろよ。この現状を……」
リットは紋章の入った腕で、部屋中をぐるっと指した。
チルカとシルフが暴れたせいで、家具は倒れ、棚の中の食器は割れ、読みかけの本は風にめくられて、どのページまで読んだかわからなくなってしまっていた。
まるで強盗に荒らされた家のようだ。
「別に元からキレイな家ってわけじゃないからいいじゃないっすかァ」
ノーラは倒れた食器棚の後ろから、以前にチルカが隠していたナッツを目ざとく見つけると、砕いてパンにふりまいた。
「いいわけあるかよ……酒瓶でも割れてみろ」
リットが言った瞬間。二階で瓶が割れる音が響いた。
「割れたみたいっスよ」
ノーラは大きな口でパンにかぶりつきながら言うと、手をひらひらと振って駆け足で階段を上るリットを見送った。
「おい、いいかげんにしろ」
リットは昨夜の寝酒で置きっぱなしにしていた酒瓶が床で割れているのを確認すると、飛び回るチルカの行く手を手のひらを広げて阻んだ。
チルカは「どきなさい!」と叫ぶだけで、スピードを緩めることはなかった。
当然リットの手のひらにぶつかることになる。
そして、もう一つ。小さな旋風がチルカの背中めがけてぶつかってきた。
「チルカちゃん! 好き好き!」
「あー……もう最悪……」
チルカはがっくりとうなだれると、煙に燻された蚊のようにゆっくり床まで落ちていった。
「邪魔なんだよ。庭に捨てるぞ」
リットがチルカに手を伸ばそうとすると、物凄い風によって手を弾かれた。
「さわるな! 嫌い嫌い!」
「気が合うな。オレも嫌いだ。さっさと消えろ」
リットが窓を開けて夕焼けが映える外を指差すと、チルカを浮かせたシルフはそこへ向かっていった。
問題解決だとリットは下に戻り、酒の続きでも飲もうと階段を降りていった。
「一応……グリザベルに手紙でも出すか」
「シルフをどうにかしてくれェ。ってのも無理な話じゃないっスかァ?」
「それはもう解決だ。チルカごとどっかへ行ってくれたからな」
リットは手紙は紋章について聞く為だと説明するが、ノーラはリットの背中に向かってちょいちょいと指を差していた。
「どっかって言うのは、旦那の背中のことっスかァ?」
振り返ったリットの目に映ったのは、全身力なくうなだれたチルカと、それを抱きかかえるもう一人の妖精の姿だった。
その妖精は「どうしよう……出られない……」と言った。
どことなく透けて見える妖精が、シルフだと気付いたリットは「勘弁してくれよ……」と、チルカ以上にうなだれた。
リットは店のドアを開くとそこからシルフに出ていくように言うが、なにかに阻まれて出ていくことが出来なかった。
リットとノーラが試してみると、何事もなく出入りが出来た。
それを知ったチルカは「チャンスよ!」とドアに向かうが、シルフと同じくなにかに阻まれて、盛大に顔をぶつけてしまった。「もう……私がなにをしたっていうのよ……」
「オレが聞きてぇよ。なにをしたんだよ……」
「なにもしてないわよ! いきなり付きまとわれて迷惑してるの」
「迷惑してんのはこっちだよ。ついこの間だぞ。サラマンダーとノームが『干天』を引き起こしたってのは。シルフはなにを起こすってんだよ……」
「なにも起こさない。チルカちゃん好き好き」
シルフはチルカに抱きついたまま頬をすり合わせていた。
その姿を見たリットは「趣味わりぃんだな」としみじみ呟いた。
「アンタ喧嘩売ってるわけ……買ってあげるから、これをどうにかしなさいよ」
チルカはシルフの顔を乱暴に手で押しのけながら言った。
「どうにかしろってな……オマエのことを知った上で好きって言ってんだろ。それは本物だ」
「本物の愛なんてどうでもいいの! 私は迷惑してるんだから」
「んなこと言ってねぇだろ。本物の変態だって話だ。なじられ、足蹴にされ、それでも好意を持ってんだろ。変態以外何者でもない。そして、変態は変態を呼び寄せる。なぜならそれが変態だからだ」
リットはどうすればいいんだとカウンターにより掛かると、店のドアが開いて鈴を鳴らした。
「リット! 匿ってくれたまえ!」
ローレンは言いながら店に入ると、返事も聞かずにカウンター裏のドアを開けて部屋の奥へと入っていった。
すると、遠くから「どこ行ったの!」という怒鳴り声が聞こえ、徐々に近づき、店に入ってきて「ここでしょ!」と盛大につばを飛ばした。
入ってきたのはサンドラ。宝石屋ローレンの恋人だ。
巨乳好きで女性にだらしないローレンは、それがサンドラにバレると、しょっちゅうリットの店へと逃げ込んでくるのだ。
いつもならローレンをかばうことなく、居場所を教えるリットだが今日は違った。
「ローレンなら、天敵がいるから逃げていったぞ」
リットは不機嫌な顔のチルカを指しながら言った。
サンドラは「どこに!」と、睨みをきかせたままリットに顔を近づけると、カウンターを叩いて「言いなさい!」と叫んだ。
その振動でカウンターに置いてあった売り物のランプが、床に落ちて大きな音を立てた。
「言えるのは、悪友はオレだけじゃないってことだ」
リットが肩をすくめると、サンドラはすぐに「カーター!!」と思い当たる名前を叫び、酒場へと走って行った。
リットは店を閉めると「さてと……」いい考えが浮かんだという顔を浮かべた。
部屋に戻れと指を向けるリットに、チルカは「なんなのよ」と聞いた。
「変態のことは変態に聞けばいいってことだ」




