暗闇に対する恐怖を書きたくて換気口をフューチャーしました。
どうして換気口って怖いんだろう?
昔の映画で換気口から泥棒が出てきて宝石を盗る、みたいな演出があった。憧れた。やってみたくなった。出来る気がした。しかし結局はやらなかった。母親に怒られたから。
「あんたに出来るわけないでしょ?あれはアクション俳優がやるから格好いいの。イケメンと美女がやるから皆憧れるの。そもそも、あんたが換気口に入ったら抜けなくなるでしょ!」とご飯を作っている最中の母親に言われた。ごもっともです。そう思った。
その後、入らないけどよく観察した。病院、ショッピングセンター、ファーストフード店、ラーメン屋など個性豊かな換気口を目撃した。そして気付いた。空気が汚れたり、油が跳んだりすると汚くなる。テレビでよく見る焼肉屋とかの換気口。あれには入りたくないと思った。
ここで少し見方を変えてみよう。換気口に入る、という行為を《身体全体を入れる》を前提に考えていないだろうか。確かに映画では、主人公が配管を通り抜け換気口から命綱頼りに降りてくるシーンがあった。実行不可能な任務を遂行する主人公に惚れた。しかし、現実ではまさしく不可能である。けれど《頭を入れる》ということなら簡単に出来るのではないか。自分の頭より大きめの換気口を見つけ、頭を突っ込むだけなのだから。…今、『臨場感が足りない』と思ったのではないだろうか?ごもっともです。
映画を見て、憧れと同時に危険も感じた。中に入ると、身体が汚れるだけでなく色んな障害もあるのだ。蜘蛛の巣が張っていたりネズミが居たり、最悪なのは暑さである。一見ヒンヤリしていそうな場所だが、中華料理屋など火を使う換気口は熱気が通るため暑い。その為、動物が生息出来てしまうのである。酸素も薄そうなので長くは居られない。場所によっては下が見える場合もある。高所恐怖症や閉所恐怖症の方にはお勧めできない。また、暗いのが特徴である。ヘッドライトや懐中電灯が必要だ。
人間は本来、暗い所が苦手な生物である。ネコ科動物のように夜型でもなく、コウモリのように翼があるわけでもなく、フクロウのように目が良いわけでも首が回るわけでもない。なのに人間は心霊スポットと称し暗闇探検に出かけるのだ。不思議である。そして、「怖いよ」「止めようよ」「祟られるよ」と言いながらスマホで動画を録り、帰ってから編集すると変なものが映り込んでいて恐怖を感じる。その後の日常生活では、僅かな物音にも反応してしまうほどの恐怖を感じ続け、自分は呪われているのではないかと思い悩む。そしてその恐怖は心霊スポットに対してではなく暗闇に対する恐怖と変化していくのだ。30代から40代のサラリーマンがよく口にする「先行きが不安だ」「先が見えないのが怖い」というのは、この暗闇に対する恐怖感からきていると考えられる。
何が言いたいかというと、暗闇に対する恐怖を身近で感じられるのは換気口だということである。勿論、新幹線に乗っているときに通るトンネルも怖い。長くて暗くて、ガラスに移る自分の顔を見ている時に後ろを誰か通ると吃驚する。外を眺めていると一瞬何か居たように感じる。そして何より耳がキーンとなる。山だから。
しかし、新幹線のスピードだから感じられる恐怖であって、日常的な恐怖とはいえない。換気口は日常に存在する。子供の頃は換気口をじっと見ていると誰か居るような気がしていた。木目を見ていると顔に見えてくる恐怖と似ている。居ないと分かっていても怖いのだ。暗闇にはそういう力がある。
対策としては、見ないようにする以外ない。だが見ないようにすると逆に見たくなるのが人間心理である。「駄目」と言われるとやりたくなるのだ。そして後悔する。『あー見ちゃった』ってなる。怖くなる。負の連鎖である。所詮、光があれば影があるように、恐怖から逃れるには幸せになるしかないのかもしれない。暗闇を見ないように生活したいのであれば、光差す場所にいるしかないのである。