08 転生王子は前世を語る
「カメリア様は筋が良いので教え甲斐があるというものです」
「恐縮にございます……」
カメリアの妃教育には王城の者が携わる。貴族の女性にとって必要とされる社交、とりわけ優雅な仕草やマナーはそれだけで目を引く。国を代表する王妃は自国のものだけではなく、外交を考え他国のマナーも身につけなければならない。
(前世のカメリアは本当にこれをやってのけたのか……!?)
歩き方や茶会の一挙一動に最上級の優雅を求められ、カメリアは何度も音を上げそうになったが、その度に脳裏には悲しげなあの表情が浮かんだ。”前世のカメリア”は何があっても不満を零したことは無かったはずだ、とあの美しい令嬢を思い出しては、今頃同じように帝王学に励んでいるであろうゲオルクを想いカメリアは深呼吸をした。
自分はカメリアとして生きるしかなく、そして彼女を前世のような悪役に仕立て上げるわけにはいかない。少しでも不完全な点があれば、有力貴族はここぞとばかりに揚げ足を取りカメリアを失落させようと動くだろう。前世ではアンリという存在がそれを崩したが、今世のゲオルクはアンリを選ぶことはない。カメリアが隙のない完璧な令嬢になることは、己の身を守る手段の一つでもあるのだ。
「カメリア様、さぁもう一度!明日にはゲオルク殿下とのダンスレッスンです。みっともないお姿をお見せするわけにはいきませんわよ」
容赦なく細い体を締め上げるコルセットも、踵の高い窮屈な靴も、ゲオルクの記憶を取り戻してからは一層苦しいものに思えたが、”ゲオルク殿下”の隣に並び立つ為ならばそんなことで文句など言っていられない。
「えぇ、そうね。ゲオルク殿下には、わたくしの姿をしっかりと見てもらわなければ」
♢
「そこまで!」
制止の声に、張り詰めていた空気が一瞬で解けた。喉元に剣を突き付けられた騎士はゆっくり立ち上がると、苦笑いで礼をしてそそくさと決闘の壇上を去る。剣を腰に差し戻し、続いて反対側から壇上を降りるとゲオルクはため息を吐いた。
「少々手こずってしまったな……」
「幼いからと殿下を侮ってはいけませんな。殿下は素晴らしい剣の才がおありだ」
「見習いから上がったばかりの騎士に勝ったくらいで大袈裟だ」
苦笑を向けるゲオルクだが、周囲の見習い上がりは引き攣った笑いを浮かべている。王城の騎士団に入るにはそれなりの腕が要求される。見習いといえど厳しい試験に通った者たちが、自分の半分ほどの年齢の少年に倒されたのだ。ゲオルクは謙遜するが、周りの評価は決して幼い王子に対するおべっかなどではない。
「訓練に混ぜてくれなどと我儘を行ってすまなかったな。礼代わりに今日の食事にはいいものを出すよう調理場には伝えておこう」
「滅相もございません!殿下がいることで我々の気も引き締まります。むさ苦しい場所ですが、いつでもお越しください」
「あぁ、皆頼りにしているぞ」
先ほどまで大人顔負けに剣を振るっていたとは思えない、中性的な見た目の魅力存分な笑みをニコリと一同に向け、ゲオルクは場を去った。
(しまった、男の姿では愛想を振りまいてもあまり意味はないな……)
だがゲオルクのそんな考えとは裏腹に、騎士の何人かの庇護欲がそそられたのは知る由もない……。一方で騎士団長のエクメアは、騎士たちの士気やゲオルク殿下への忠誠心が高まったとご満悦なのであった。
♢
「まぁ、なんて絵になるお二人なのかしら……」
「これからの成長を見守れるのが楽しみで仕方ないわぁ」
サロンを出たメイドたちがひそひそ話をして浮かれている。この中でも逢瀬を重ねているのはまだ幼い未来の王とその妃。その大人しい見た目とは真逆に身体を動かすことに熱中している絶賛成長中の美少年と、人形のように美しい少女が仲睦まじく話している様子はメイドたちの目の保養となっている。だがメイドたちの妄想と、彼らの会話の内容は全く噛み合わないものであった。
「少々、食べすぎではないか?このままだと子豚令嬢と呼ばれてしまうよ、”メリー”」
「あら、”ルーク”こそ鍛えすぎてゴツゴツとした芋のようにならないか心配ですわ」
婚約を確固たるものにする為に、仲の良さをアピールする手段の一つとして互いを相性で呼び合うことにしたゲオルクとカメリアは、微笑みながら言葉を交わすがそこに可愛らしさなどない。令嬢だからと前世では淑やかに生きてきたカメリアは、剣を振り身体を動かすことが楽しくて仕方がなく、一方で本当は甘党であったゲオルクは茶会で出される菓子にはつい手が伸びてしまう。
「ヴィンラント公爵家で出される菓子は美味しいでしょう?」
「ああ!王宮での菓子も好きだったが、ヴィンラント領で作る薔薇の蜂蜜を使ったあのクッキーが特に、おい、しぃ……」
ニコニコと話を聞いていたゲオルクの手がカメリアの頬をつまむと、カメリアはゲオルクが何を言いたいかを察して血の気が引いた。
「ほう?メリーはさぞ使用人や両親に愛され甘やかされているのねぇ」
「……はぁ、自分の姿でそんな言葉遣いをされるとなかなか堪えるものがあるな……」
「私だって、私の見た目で美しくない振る舞いをされると頭が痛いですわ」
侮蔑するような目で見られたじろぐカメリアは、すぐさま座り直した。こほん、と咳をひとつしてゲオルクの顔を見ると、真摯な声色で切り出した。
「前世ではすまなかった……。君は無実だったというのに」
「……そうですわね。だけど私、不思議と憎しみはございませんの。アンリ様が現れてから、周りは少しずつ色を変えていき、そしてただ一輪の花が燃やされただけのこと。私はこの身体で、為すべきことを成すだけです」
憎しみは抱いていない。その言葉を聞いて、ゲオルクは安堵の気持ちと同時に、自分を憎み、怒り、いっそ責めてくれたら良いものをと、胸が詰まる思いがした。
「カメリアがルークとして為すこと……?」
「それはお話することはできませんわね。メリー、あなたはどうするおつもり?」
「俺は……、私は、アンリを止める。アンリは……あいつは『緑の子』なんてものじゃなかった。あれは魔女だ。この国を枯らした、とんでもない女だった!」
カメリアの声で語られる言葉を聞き、ゲオルクの表情は固まった。
「ルーク……、いや……。カメリア、君が亡き後の話を聞いて欲しい」