中年男振り上げた拳の始末に困る
勢いがそがれてしまった。
四月、あれほど会社を辞めたいと切に願い、職場での態度も甚だ無遠慮になり、転職エージェントには相談し、実家の両親には泣きつき、辞めるぞ、もう辞めるぞ、いま辞めるぞ、と息巻いて早季節は6月。
次の転職先が決まるまでと、気もそぞろに職務をこなしてたら、なんだか思ったより気分が落ち着いてしまった。むしろ転職先など本当にあるのだろうかという不安が大きくなり、不安が大きくなると行動がとれなくなり、転職サイトを見る時間もみるみるうちに減ってしまった。
もうこのまま転職しないのだろうか。
今の会社で働き続けたいとは思わない。自問自答を幾度繰り返しても今の会社に固執する必要はどこにもない。
けれど、けれどもである。上司から優しく声を掛けられる。同僚から仕事のフォローをされる。後輩から一緒に帰りましょうと言われる。そのたびに、今の会社を無理に辞める必要などないのではないかと思ってしまう。あれだけ嫌だったのに、現に今でも嫌なのに、嫌いな人とは目も合わせたくないのに、明日も遅くまで働かなければならないと思うと嫌気がさすのに、きっと朝起きれば、休んでしまおうかと悩むはずなのに。
怒りの感情は時とともに減衰していってそのうち消えてしまうのだろうか。怒りという感情を原動力として動いていたこの転職活動は怒りの減衰とともに動きを止めてしまうのだろうか。
ただ単に、転職活動が上手くいくかわからないという不安が、苦しくても惨めでも、安定した収入を得れる現状維持を求めているだけなのだろうか。
迷っているときは無理に決める必要はない。自分が納得していないのに無理に決めては絶対後悔する。
そんなことが書いてあった啓発本があった気がするが、果たして本当にそうだろうか。
二十代から今の会社には長居しないとずっと思ってきた。そう思ってきたからこそ、無理に人間関係を維持しようとは思ってこなかったし、出世にも頓着せず働いてきた。
しかしそれはただの言い訳だったのだろうか。自分はいずれ会社を辞めるからと、怠惰な会社生活の言い訳にしてきただけなのだろうか。
だとしたら。だとしたら。私はこのまま自分に言い訳をしながら年老いていくのだろうか。嫌だ嫌だと言いながら夜遅くまで仕事をこなし、出世する後輩達をしり目に、愚痴を吐きつつ汗水を流すのだろうか。
そうこうしている間に親は年老い、他界し、たった一人何の目的も、喜びもなく人生を終えていくのか。
嫌だ。そんなのは嫌だ。私だって人生を楽しみたい。喜びを誰かと分かち合いたい。穏やかな人生を送りたい。
嫌なのに、心は何も感じなくなっている。疲れた。