目ざとい人ですこと
みんな道着に着替えるといっせいに道場へと戻って来る。当然だがやる気は十分見たいだ。
…ただ一人を除いては。
「なぜ俺まで着替えにゃならんのだ」
いつもの端正な顔立ちはどこへやら。
身に纏った道着がこれっぽっちも似合ってない。
部長の涼だ。
「アンタこっちに来てから空気じゃない。それに勉強ばっかで運動なんてほとんどしてないんでしょ? 少しぐらい動いた方がいいわよ。脳の回転も速くなるって」
にっこり笑いかけてやると涼は凄く嫌そうな顔をした。まあ仕方がないが。
ちなみに一緒に来た香蓮は見学している。というか父さんと談笑している。ホント仲良いなあの二人。もしかしたら今日話した分が楓と喋った一年分なんじゃないか? 仲良くする順番が違うぞ父よ。
「あの金髪は何しに来たんだ?」
「もともと私に付いて来ただけだしね。大目に見てあげて」
「別に何とも思ってない。勘違いするな。しかしキミはいつも唐突だな。こんなもの無理矢理着させやがって」
「あら嫌味? まあなんとでも言ってもらって結構だけど。はっきり言って私だけ頑張って部長のアナタが何もやってないのは癪だから付き合ってもらってるだけだから。ちなみにあなたは特別コース。そこのマッチョ三人にこってりしぼってもらうから」
「はッ!?」
気付いた時にはもう遅い。
道着の上からでも十分わかる。
その厚みは決して脂肪などではない筋骨隆々の男たちが涼をさらう。
「この恨み、、、ぜっったいに忘れんからなぁぁぁぁ!!!」
マッチョに引きずられていく涼を横目に流す。というかやり過ごす。…にしても恨みだなんて大袈裟な。終わった頃にはきっと私に感謝だわ。
「大丈夫なの…アレ…」
進藤咲が心配そうに呟く。きっかけを作ったのが自分だからなのか少しだけ責任感を感じてるようだ。別に気にしなくてもいいのに。それに気にするなら私を巻き込んだことを気にして欲しいわね。
「ふふ…そうね。でも、ゴメンなさい。如月さんには悪いだなんて思ってないわ」
「…一応理由を聞いておこうかしら。どうして?」
「如月さんっていっつも退屈そうにしてるじゃない。少しぐらい日常に刺激がある方がお望みでしょ?」
「バカ言ってるわ」
「そうかしら? まあ後は…そうね。私が単純に手合わせしてみたかったっていうのもあるけど。昔のチャンピオンさん」
「…………」
揶揄っている…と思ったのは間違いみたいだ。
組手は全体練習でやるつもりだったが何だか相手がたぎっている。それどころか周りを無視して今ここでおっぱじめようとしている節すらある。面倒くさい奴だ。
「アナタ自分の立場分かってる? 先輩だからって調子に乗り過ぎなんじゃない」
「そんなことないわ。それに力を見てみたいっていうのもあるし」
「いやそうじゃなくってさ…」
さっきまでの怯えた様子は何処へいったのか。考えうるに道着を着たことによりスイッチが入ったのだろう。単純というか何というか。つーか見てないで助けなさいよ美樹先輩。
「そうなんだけど…でも私も見てみたいわ。二人の組手」
「おい」
空気も読まずそんなことを言ってくる。空手部で唯一真面だと思ったのに。
「こりゃ逃げれんな、凛」
香蓮と話していたはずの父さんがこちらへやってくる。
にかっとガキ大将のような笑みを見てさすがの私も心が折れた。
「…わかったわよ。やればいいんでしょやれば」
半ば焼けぐそ気味に叫ぶと何処からか笑い声と歓声が上がった。
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「ルールは三分一ラウンド。一本を取った方が勝ち。判定は無し。顔面への突き、関節、投げ以外は何でもあり。一本はオレが判断しよう。いいか?」
進藤先輩が静かに頷く。
私もそれに習って頷いて見せた。
にしても…なんでこんな事になっちゃったんだろ。
周りには、人、人、人。
大の大人が私たちを囲んで大きな声援を送っている。全力でこのイベントを楽しむみたいだ。クソッ! 人事だと思って!
「凛―!! がんばれー!!!」
「咲先輩、ボッコボコにしてやるですー!」
「ちょっとうっさいわよアンタ! 黙りなさいよ!!」
「うるさいのはアナタです。もしかして知らないんですか? アナタのその甲高い声も嫌われてる原因ですよ」
「知らないし知りたくなかったわよ!」
低レベルな柚子と香蓮の罵り合い。
香蓮…応援は嬉しいけど当事者からしたら完全にアンタも野次馬だわ。
「集中してないと怪我するわよ?」
腑抜けた顔でもしてたのだろう。進藤咲が間髪入れずに嫌味を言ってくる。目ざとい人ですこと。
「相手の嫌がることをやるのが格闘技でしょ? 目ざといのもある意味才能だと思うわ」
「あら、じゃあ目ざとくない私は本当に怪我しちゃうわね。まあ、それならそれで試合に出なくて済むから助かるけどね」
「大丈夫。そうならないよう手加減してあげるわ」
皮肉たっぷりに返す先輩はどこまでも楽しそうだ。まるでこうなることが初めから分かっていたみたいに。
「両者中央!」
話しは終わりだとでもいう様に父さんが二人の間に入る。
互いに礼して構えをとる。
「始め!!」
開始の合図が高々と上がる。
そして…この合図と共に私にとって、実に十年ぶりに近い実戦が開始されたのだった。




