分かったから顔を殴るな
道場までの道すがら空手部について涼から話しがあった。
どうやら部員が少ない上に今期は怪我人が多発して団体戦のメンバーが足らないらしい。個人戦なら活躍の場はあるがそれでは三年生が不憫ということだろう。己の残像を残すなら試合場で。それは決して夢ではない。最後の夏は勝っても負けても悔いの無いようにしたいのだ。
「でもさ…それで私が出るっておかしくない? 完全に外部の人間なんですけど」
「そうだな。でも、それだけ勝ちたいってことなんじゃないか?」
「分かってるわよそれくらい! 託されても重いっつってんの! 出たくないのよ私は!! 察しなさいよそれくらい!!」
「分かったから顔を殴るな。痛いだろ」
「アナタって私よりバカね」
プークスクス。
ツボに入った香蓮がバカうけしている。言っとくけど同類だかんねアンタ達。
そんなこんなで道場へと着くと見慣れた…というより見知った雰囲気が漂っている。
やっぱり道場の雰囲気は独自だ。涼も香蓮もどうやって中に入ろうか戸惑っている。確かに慣れてないとちょっと怖いよね。
「大丈夫だと思うわよ。クツを脱いで入る前に一礼して。それがここでの礼儀だから」
二人、よそよそしくも下駄箱にクツを入れると一礼して道場内へと入って行く。
ちょっぴり面白かったので含み笑いをして私もそれに追従する。
中へ入ると空手部が練習していた。
男は一人もいない。実に珍しい事だが西高において男子空手部は当の昔に廃部になっているのだ。
しかも、だ。
ひーふーみー……女性部員も限りなく少ないようである。
「あっ」
こちらに気付いたのか練習から抜けて、ひとりこちらに向かってくる。
百六十センチくらいの身長に細くもしっかりとした体躯。可愛らしい顔立ちとは裏腹に強い芯が伺える。いかにも空手部といった感じで気が強そうだ。
「今日は来てくれてありがとう。総務部の土屋君と如月さんよね?」
迎えてくれたこの女性が依頼者なのだろう。こちらの存在に疑問はないようだ。
「貴女が依頼者だな。遅れてすまなかった、部長の土屋涼だ」
「ううん、全然。アップも終わったしちょうど良いくらいだよ。私の名前は進藤咲。二年生だよ。これからよろしくね」
「はうう~…眩しいよおおお……」
にっこり笑顔で挨拶を交わす彼女はなんとも美しい。どこからともなく発生しているリア充オーラが香蓮を焦がす。まるで十字架を前にしたドラキュラだ。
「香蓮、恥ずかしいからそのリアクション止めて。それより進藤さん」
「なに?」
「どうして私が空手やってたこと知ってるの? 私的にはあまり良い気分じゃないんだけど」
意図して語尾を強める。
上級生だろうとなんだろうと関係ない。人のプライベートを覗き見るなど度が過ぎてる。ここでウソを付くならそれこそこの話しはなかった事にしてやる。
…と、思っていたのだが当の本人はキョトンとしており、
「如月さんがやってたこと知らないよ。ネット検索したらヒットして知ったんだもん」
「ね…ネット?」
思いがけない答えにオウム返ししてしまう。しかし、何故私なんかでググるのよ。接点ないよね?
「ないけどこの前、家の近くの道場に如月さんやそこの宝城さんが入って行くのが見えたから」
「ああー…なるほどそれで」
多分だが道場にご飯を作りに行った時のことだろう。
どうやら進藤さんは道場の近くに住んでいるらしい。私はともかく香蓮は目立つからなあ…たまたま目に付いちゃったんだろう。それにしても喧嘩越しだったのが恥ずかしいじゃないか。どうしてくれる。
「何をやっとるんだキミは」
微妙な空気を察したのか涼が間に入って来る。ダメな子扱いされてるようで正直気にくわなかったが助かったのも事実なので黙っておく。どうも助かりました。
「すまなかったな気分を悪くさせて。ウチのバカが酷い勘違いを」
「良いって良いって。気にしてないよ」
進藤咲は笑いながら大人の対応を見せる。
始めはどんな人なのだろうと曲がった視点から見ていたが、きっと良い人なのだろう。笑顔を見れば素なのかどうかぐらいは分かるし周りの信頼のアツさもどこは問わなく確認できる。
普通なら練習中に三年を置いて抜けるなどありえないし、みんな練習中だというのを忘れて、しきりにこちらを気にしている。
これを信頼されていると思わずしてどう思うのか。
まあ取り敢えず怪しい人じゃないのは分かった。ただ、やっぱり私の考えは変わらないからはっきり言っておかないとね。
「進藤先輩」
「なに?」
「私、試合には出ませんよ」
「おい」
涼が詰め寄る。しかし、私が制するより早く進藤先輩が割って入った。
真摯な眼差しは私を見つめた。
「理由を聞かせてくれる?」
「理由? そんなの簡単よ。意味ないって言ってんの」
「それは私たちに、それとも如月さんに?」
「両方よ。私も自信ないし、第一、私のような部外者が入って勝っても嬉しくないでしょ? 勝っても嬉しくないのにやる意味あるの」
「それは私たちが決める事でしょ?」
「ええ。私『たち』がね」
語尾を強めたのに察したのか進藤先輩が後ろを振り向く。そこには温和な顔をした女性が一人佇んでいた。
「美樹ちゃん…」
「ごめんなさいね。如月さん…だっけ? 咲が我がまま言ったみたいで」
「いえ、そんな…」
私はガラにも無く一歩引く。
呼び方から言ってきっと三年生なのに、こちらが年上だと勘違いしてしまうかのような物腰に、逆に気圧されてしまう。しかし、妙だな。雰囲気的に先輩後輩の間柄という訳ではなさそうだ。
「そうなの。実は家が近所で幼馴染なのよ。この子昔から猪突猛進なところがあるから勘弁してあげてね」
「どういうことですか?」
「私が団体で一回戦ぐらい勝ちたいなって言っちゃったのよ。ほら…うちって部員少ないでしょ? 少ない上に半数が怪我してるから組手の試合に出られるのが三人でギリギリなの。しかも一人は一年生だし…」
歯切れの悪い先輩は本当に申し訳なさそうに謝った。
ただ、あー…何となくだが見えてきた。
この進藤って先輩はどうやらこの美樹先輩の願いを叶えるべく総務部に依頼してきたのだろう。利用しようとか、自分が勝ちたいからとかそんな勝手な理由じゃなく。いってしまえば人の為に動いた結果なわけだ。今回の依頼は。
しかし、そうなると…少しだけ感慨深いものがあるのも事実な訳で……
「美樹先輩は一回戦勝てれば満足するの?」
「え? そうね…欲を言えば優勝したいけど現実は厳しいし…。団体は一年の頃から勝ったことが無いから出来れば最後の夏ぐらいは一回戦ぐらい勝ち抜きたいわね」
「そう…」
私は大仰に溜息を吐くと涼と香蓮の方を見た。
言葉をかいした訳ではないが表情が語っていた。二人は私がどうするのか分かっていたみたいだ。
気恥ずかしいやら何とやら。でもまあ…理解者がいてくれた方が助かるか。
「…分かった。協力する」
「ホント!?」
「ただし条件があるわ」
今にも食いつかんとする進藤先輩を手で制する。喜ぶのはまだ早い。
「私は一回戦限定での出場。勝っても負けてもそれ以上の出場はないわ。良い?」
「うん。それで美樹ちゃんの夢が叶うならそれで…」
「喜ぶのはまだ早いわ。もう一つだけ条件。勝つ為に実戦練習をすること」
「それはもちろん、ここでみんなと…」
「そうじゃないって」
私は呆れた様子を隠しもせずに親指で外を指す。無論、ここから出ろという合図だ。
一見なにを言ってるのか分からなかったと思うが空手部の二人は即座に察したみたいだ。顔が青ざめている。
「こんな生温い所でやってたって強くならないわよ。勝ちたいなら徹底的にやらなきゃ」
口角を吊り上げて笑う私に、二人は再び恐怖に慄くのだった。




