切リ札ハ 最後マデ
奇襲戦法から数秒。
呆然と立ちすくむ僕に対し、仕掛けた方は悠々自適に伸びをしている。
わざとらしく背筋を伸ばす彼女が行った行動は、非常に古典的な“陽動作戦”
その名も“寝たフリ”別名“狸寝入り”
単純明快かつ誰もが知ってる戦法だが。
まさか日本最高峰の頭脳を持つ彼女がそんな事をするなんて1mmも思って無い僕には絶大な効果を発揮した。
その結果。
見事に、この“大胆不敵な策略家”によってまんまとハメられたのだ……
『おはようございます、相内君
どうしたのかしら?
豆鉄砲にでも撃たれたのかしら?』
どちらかと言うと。
とっても美人な狸に化かされた気分です。
色んな意味でありがとうございました。
猫が顔を洗うかのごとく目を擦る彼女。
その動作一つ一つに、僕は全てを持って行かれていた。
ほんの数分前には確かにあった気合は無く、空気の抜けた風船の様に、今は立ってる事すらままならない。
『そういえば、お礼がまだだったわね。
ありがとう。
可愛いなんて人から言われたのは何年ぶりかしら?』
立ち振る舞いから現れる余裕によって生み出された、優しく、しかし悪戯な笑顔。
しぼんだ風船に、今まで経験した事の無い空気が入れられて行く。
そう言えば、宮崎さんの笑った顔を見るのは初めてだ……
こんな表情もするのか。
ココにもチート使いが居たなんて聞いてない。
『さて……
相内君はどうしてココに来たのかしら?
まさか、人の寝顔を見るのが趣味とか?』
趣味?何を言ってるんですか?
仕事にしても差し支えないレベルですね。
国の重要文化財に認定しても良いぐらいだ。
絵葉書コーナーで富士山と並べても遜色無いと思う。
いやいや、違う違う。
そんな変態的紳士行為をしにココに来たんじゃ無い……
意を決して、聞こえない様に静かに、ゆっくりと、深く深呼吸をして口を開ける。
『その……』
あれ?どこに行った?
どうやら、息と共に大事な物まで吸い込んでしまったらしい……
頭では分かってる。
言葉の羅列は完成している。
しかし、それを出す事が出来ない……
電気信号が声紋に達する前に遮断されている。
脊髄に問題があるのか?
反射的って事は直感的なのか?
『その続きは聞かせてくれないの?』
彼女が行ったのは駄目押し
有利な戦局を確固たる物にするトドメを超える一撃だった。
ダウンした選手に対するマウント攻撃。
フリーダイヤルを打ち込んでる相手に向けて、送料手数料負担のサービス。
9回の表、大量リードをしてる最中に放たれた満塁ホームラン。
勝ってるチームが行うロスタイム中のPK。
そして。
今の僕に対しての上目遣い。
死んだ。
流石に僕も馬鹿じゃないし、鈍感じゃない。
初めて体験するから戸惑ったけど。
分かってしまえば何て事は無いね。
雷が落ちるとはよく言った物だ。
有名RPGの勇者は、どうして雷系の技を覚えるのかが、長年の研究課題だったけれど
今、やっと解けたよ。
超強力な“自然現象”だからだね。
『僕と付き合って下さい』
《文学少女》
〜第三章〜
〜切リ札 ハ 最後マデ〜
ココだけ見ると、コロコロ意見の変わるチャラ男に見えるかもしれない。
だが、その真意は僕意外には分からないだろう。
息を吐くかの様な告白をした様に見えるけれど。
内心はとてつもない事になっている。
言わないと張り裂けそうな心臓を楽にする為に言ったのに。
言う前よりも凄い鼓動で動いてる。
左胸に秘められた肉の塊が、全て筋肉で出来ているって事が今なら理解出来る気がする。
頭の中は真っ白だ。
前の様な、霧がかかったモヤでは無い。
晴天の日に見る雪景色のごとく、実に晴れ晴れとした白さ。
一点の曇り無くアホみたいにスッカラカンの頭は、何かを考える場所と言うよりも単なる器の様に感じる。
『なるほどね。
じゃあ、理由を聞かせて貰っても良いかしら?』
『へ?』
理由?い、言わなきゃダメなのか?
数十分前の前言を撤回してまで出した答えの理由を、本人の前で言わなければならないのか?
急に暗雲が立ち込める。
向こうが言って来たから……
みたいな邪な想いでは無い分。
コレを口にするのは相当キツい……
『理由が無ければ、付き合えないわ。
理由があれば考えられるもの。
でしょ?』
『ぐぬぬ……』
確かに宮崎さんの言うのも一理ある。
だが、本人にその理由を伝えるのはいささか酷な話で……
でも、伝えなければ話が先に進まない。
クソ……
あれ?
何かこれ、身に覚えがあるぞ?
コレって昨日……
『じゅ〜う、きゅ〜う、は〜ち』
『あああ!言います!言いますから!!』
再び始まるカウントダウンゲーム。
しかし、今回は明らかに立場が逆!
攻守が逆転したこの状況下。
“ゆっくりとした秒読み”から。
明らかな“遊び心”が見受けられる。
そして、忘れるにしては余りにもタイムリー過ぎる記憶を頼れば。
やっぱり言わなきゃダメな事ぐらい、どんな馬鹿だって分かる。
『ひ、一目惚れです。 たった今さっき』
『それは本当かしら?
その“たった今さっき”って部分が取って付けたみたいで怪しいわ』
お願いします、その微笑みながらの“上目遣い”をやめて下さい死んでしまいます。
そんな悪戯をされたら、コッチの身が持ちません。
予想通りの返答と“嬉しい誤算”によって、ガリガリと僕のライフゲージは減って行く。
『まさか私みたいなのがタイプなんて言わないわよね?
キチンとお喋りしたのは昨日が初めてよ?
それとも、相内君は、僅か数回のコミュニケーションで相手の事が分かるエスパーなのかしら?』
うぐっ!これは予想外!
確かにそんな人物に心当たりはあるが、残念ながらその才能は僕の所に来る前に全部奪われてしまった。
これは一体どういう事だ?
何故僕が攻められている?
昨日のリフレインなら、椅子に縛り付けられて額に銃口を向けられてるのは宮崎さんのハズ。
こんなの絶対おかしいよ……
この状況は明らかに昨日よりも酷い。
座った椅子は電気椅子。
全ての首には皮のベルトが巻かれており。
電極付きのヘルメットを装備させられ。
まるでペン回しの様に、僕の命が掛かったスイッチを彼女は弄んでいる。
『さあ、相内君。
私を納得させてくれる理由を話してくれるかしら?
それとも話してくれないのかしら?
そもそもそんな理由なんて無いのかしら?』
身動きの取れない僕に対し、圧倒的なまでの優位で押し寄せる宮崎さん。
ある種の業界からすれば“ご褒美、にも取れるのかもしれないけど。
僕の中でこれは“拷問”にカテゴライズされる代物だ。
『本当なんだ!
本当に一目惚れなんだ!
ほんの数十分前は断るつもりで居た。
でも、でも、そんな気持ちなんて今はもう無い!
何処か遠くの国で幸せに暮してるよ!
だから、だから……』
自分でも何を言ってるのかよく分からない。
ただ一つ言えるのは、この言葉には嘘偽りが無いって事と。
忙しく動く口に添えられた“綺麗な指先”は。
慌てふためく僕を宥めるには充分過ぎるほどの物だった。
『あんまりにも相内君が必死だから、からかいたくなったの、ごめんなさいね。
でも分かってくれたかしら?
“分かって貰えない”って結構辛い事でしょ?』
一番息苦しかった首のベルトが外れる。
次に自由を奪った手足。
そして最後に、命の自由を奪っていたヘルメットが解除される。
“伝わらない”窮屈感から解放された次に待っていたのは。
“伝わった”事に対する安堵感と満足感。
そして同時にやって来る。
飲み込んだハズの謝罪の言葉。
ベクトルは違えど、その大きさは史上類を見ないほど強烈で、伝わらない時以上に僕の胸を締め付ける。
『僕の方こそごめん……
宮崎さんは、こんな辛い思いをしてたんだね。
そうとも知らずに僕は……』
『そう?
私は結構楽しかったわよ?
少なくとも授業よりかは遥かに刺激的だったわ』
返せ!僕の純粋な気持ちを返せ!!
しかも、学校生活の楽しみである学生間のコミュニケーションを、学生生活の苦行である授業と比べられていたなんて、余りにも僕が不憫過ぎる!
子猫とゴキブリを比べる様な物だ。
後者を選ぶ人は変態しか居ない!
『喜ンデ 貰エテ 何ヨリ デスネ』
『あら?相内君は楽しくなかった?』
楽しくなんか……
と言いたいけれど、思い返せばチョット楽しかった気がする。
これほどまでに思い悩み。
色々と頭を使ったのは久しぶりな気がする。
もっとも……
『上手く行ったからこそ“楽しかった”と言える気がするよ……
もし、コレでダメだったらと思うと今でも壊れそうだよ』
『あら? 私はまだダメとも良いとも言って無いわよ?
何が上手く行ったのかしら?』
こここここココに来てこの人は何て事を言い出すのかかかかかかかか
『冗談よ、そんな世界の破滅みたいな顔をしないで。
むしろ、人生最高の瞬間並の顔をしてくれないと傷付くわ』
『そそそそれだけショッキングだったんだよ!
天国から地獄へ垂直落下した気分だったよ』
『そう、それは嬉しいわ。
でも、天国にも地獄にもしばらくは行かないでね。
今、相内君にそんな所に行って貰ったら困るもの』
何だかとてつもなく恥ずかしい事を聞いた気がする。
顔色一つ変えずにそんな事が言える宮崎さんが少し羨ましい。
『ところでさ、一つ聞いて良いかな?』
『何かしら? 答えられる範囲なら何でも答えるわ
放送コードギリギリのラインでも、今なら答えてあげる』
今限定ですか!?
出来ればいつでも答えてくれると嬉しいんですけど!
放送コードギリギリのラインはとても魅力的だ、けれど。
それ以上に大切で。
きっとこのタイミングを逃したら、一生聞けない気がする質問が僕にはあった……
『宮崎さんは、どうして僕のことを?』
『そうね……
“乙女の秘密”かしらね』
どうやら乙女には沢山の秘密があるらしい。
勇者が何故、雷を操るのかの次は、乙女の秘密が研究課題になりそうだ……
もっとも。
この嬉しそうに黒髪をかき分ける彼女を見れば、とても簡単そうな課題でもあり、生涯掛かっても解明出来ない課題にも取れる。
『しのぶれど
色に出にけり
わが恋は
ものや思ふと
人の問ふまで』
『へ?何?』
『“平 兼盛”よ。
そろそろ帰りましょう』
美しき日本古来のリズムに乗って奏でられた和歌。
その意味を僕が知るのは、果てしなく先の事だった。
『さあ、早く』
そう言って向けられる。
相も変わらぬ綺麗な瞳と、壊れてしまいそうな小さな手。
『え?』
『また図書室から逃げる様に出られては困るもの。
それに恋人は手を繋ぐものでしょう?』
何はともあれ、僕の学生生活はこれからとても文学チックで、刺激的な日々になりそうだ……
それにしても宮崎さん……
意外と大胆だなぁ……
《受信メール ガ 一件アリマス》
《件名:作戦は成功しました。》
《本文:今日から弟さんとお付き合いする事になりました。
これからも末長くよろしくお願いします。》
〜約一年前〜
『失礼しま〜す』
『どうぞ』
『あれ?この図書室は私物化されてるって聞いてたけど、すんなり受け入れてくれるんだ?』
『中に置いてある書物が全て私の頼んだ物なだけです。
それ以外はどこの学校にもある普通の図書室ですよ。』
『ふーん。
私としては、学校に居ながら大きな街に行かないと見れない様な本が見れるから良いんだけどね!』
『そうですか、では。
御所望の書物は何でしょう?』
『心理学の勉強に使える物が欲しい。
受験先が国立大学なの、半端な物じゃダメなんだよね』
『分かりました、ではお待ち下さい』
『へぇー、ここの本の事、全部覚えてるの?』
『私が頼んだ物ですから』
『凄いね!!
…………ねぇ、チョット良いかな?』
『何でしょうか?』
『貴女、もしかして悩んでる?
しかも“恋の悩み”じゃない?』
『………………』
『私で良ければ、相談に乗るよ。
こう見えてもカウンセラー志望なんだ』
『………………』
『大丈夫!安心して!!
【乙女の秘密】って事で内緒にするからさ!
さあ!このおねーさんに何でも話してみなさいグヘヘへへへへ』
『…………顔』
『へ?』
『とても悪い顔をしています』
《文学乙女》