9.スキルはまるで毒林檎のように
その場から逃げるように、私は裏のダンジョンの扉を開けました。
中に入ろうとすれば、何故かジークもついてきます。
「ジーク、いつものように外で待っていてください」
「そんなに別れたいっていうなら……お前がスキルを取るのを手伝ってやるよ」
私の制止も構わず、ジークは腰の剣に手を添え、私の先へと走っていきます。
それは圧倒的な光景でした。
集団で襲い来るオーク型のモンスターをあっさりと輪切りにし、服を溶かしてくるスライムを魔法で蒸発させ。
私が苦戦していた触手モンスターも、その触手をリボン結びにしたあげく、軽く切り捨ててしまいました。
それでもジークにとって、肩慣らし程度にしかなっていないのでしょう。
今のジークは抜き身の剣のような雰囲気を纏っていました。
もう攻撃を加える必要もないのに、原型がないほどにモンスターを切り刻み、過度な強い魔法を放ちます。
物足りないというように舌打ちするジークは、自棄になっているようにも見えました。
この二週間ちょっとで、私はどうにか地下五階まで攻略を進めていました。
あと十五階層あるのか。
そう思えば、気が遠くなっていましたが、ジークのおかげで最下層にあっさり辿りつきます。
「んもう! ジークが手伝ったら、ずるいじゃないのっ!」
最下層の部屋では、アベア神が待っていました。
ぷりぷりと頬を膨らませて、大層お怒りのようです。
「なんだ、お前のダンジョンは二人一組が基本だろう。俺がシアを手伝って何が悪い」
「裏ダンジョンはお一人様推奨なのよ。まぁ、ルール違反ではないんだけど……ジークが手伝ったら、楽にクリアしちゃうでしょ!」
ジークに、アベア神が抗議します。
「シアに甘いお前のことだ。どうせ最終的にはクリアさせるつもりでいたんだろ」
「一応これ試練だから、簡単に渡しちゃダメなの! まぁ……あんたの言うとおりだけどね」
確信を持っている様子のジークに、アベア神が深い溜息を吐きました。
どうやらアベア神は、最初からスキルをくれるつもりでいたようです。
こういうときに頼れるのは、やっぱり神様といったところでしょうか。
「というか、ジーク。あんたさ、あたしがクレイシアちゃんにスキルを渡してもいいわけ? てっきり、妨害するかと思ってたんだけど」
「どうせ俺が何を言ったところで、シアは聞いたりしないだろ。それなら好きなようにやらせるさ。シアの好きな奴が分かれば……後はどうとでもなる」
意外そうに言ったアベア神に、ジークは吐き捨てました。
「……あぁ、なるほど。クレイシアちゃんが恋愛成就のスキルを欲しがってるのが、気に入らないわけだ」
私が欲しがっているのは、恋愛成就のスキルではありません。
アベア神がわざわざそんなことを言ったのは、本来の私が欲しがっているスキルを、ジークから隠すためなのでしょう。
「その何もかも知ったようなクスクス笑いをやめろ。耳障りだ」
「クレイシアちゃんの想い人を見つけて処分すれば、問題は解決。考えが透けて見えるわよジーク。あたし、そういうの嫌いじゃないけどね?」
ジークに睨み付けられても、アベア神は怯みません。
肩をすくめて、やれやれといった動作をしました。
「裏でこそこそ細工するお前よりはマシだろ」
「強引な手段に出た奴より、あたしのほうがよっぽどマシだと思うけど。駆け引き上手って言ってほしいわ」
アベア神とジークは、元々仲がよくありません。
相性が悪いとはこういうことをいうのでしょう、一触即発な雰囲気でした。
「前々から、お前のことは気に入らなかったんだよな……オカマ野郎」
「奇遇ね、あたしもよ。神は他の神の神域――ダンジョンを犯すべからず。また他の神の神子に手を出すべからず。墜ちた神でも、神は神」
ジークが剣を構えれば、アベア神もその手に斧と槍が合体したような武器を出現させます。
アベア神は重そうな武器を軽々と振り回し、その先をジークに突きつけました。
「声をかけたのはクレイシアちゃんだし、あんた自身に罪はない。可哀想なところもあるから、仲良くなるくらいなら見逃してあげてたんだけど。奪っていくなら話しは別よ? うちの可愛いクレイシアちゃんに――面倒なもの背負わせる気かよ」
アベア神の声が、後半ドスの効いた男声になります。
ジークはアベア神から視線をそらさず、挑発するように笑いました。
「……それでも、手放す気はない。他の奴に渡すかよ」
「へぇ、本人にそういうこと言えないヘタレのくせに、こういう時だけ強気だな」
ジークとアベア神の会話の内容は、正直よくわかりません。
私を置いていきぼりにして、二人だけで伝わっている部分があるようです。
「……殺されたいのか? 神様のくせに死にたがりだな」
「あたし、生意気な男を屈服させるの大好きなのよね。見た目だけならジークは好みだし、その顔が涙でぐちゃぐちゃうになるのを想像すると……今からぞくぞくしちゃう」
「このド変態が。泣くのはお前のほうだろ?」
うそぶくジークとアベア神からは、尋常じゃない力が漏れ出しています。
今にも殺し合いが始まりそうな雰囲気でした。
「アベア、ジーク! 落ち着いてください!!」
二人の間に入り、体を盾にするようにして思いっきり叫びます。
私のお願いで止まってくれるかは半々といったところでしたが、武器を収めてくれました。
とりあえずは一安心です。
「アベア、私に約束のスキルをください。ジークも手伝いましたが、裏ダンジョンをクリアしたということでいいのでしょう?」
「そうだったわね」
私の言葉に、アベア神は当初の目的を思い出したようでした。
手のひらを上に向け、そこにダイスくらいの小さな光の球を出現させます。
「これが約束のスキル――《婚約破棄》よ、クレイシアちゃん。これがあれば、相手に婚約破棄をさせることができるわ」
「なっ!?」
アベア神の言葉に、ジークが戸惑いの声を上げました。
愛の神であるはずのアベア神が、そんなスキルを持っているとは思いもしなかったのでしょう。
驚くジークを横目で見つめ、アベア神が薄らとした笑いを浮かべます。
「このスキルは、クレイシアちゃんが《エンゲージ》を結んだ相手への好意を示した瞬間か、または《エンゲージ》の相手が、クレイシアちゃんへの好意を示した瞬間に発動するわ」
そっと私の手の上に、アベア神が光の球をおきました。
重さは感じられませんが、ほんのりと温かいです。
「クレイシアちゃんが、このスキルを飲み込んで、ヴェルフレイム様に好きと言うだけでいいの。そうすれば、ヴェルフレイム様は、その瞬間にクレイシアちゃんのことが嫌いになって……自分から婚約破棄を言い出すわ」
優しい優しい声色で、アベア神は私に話しかけてきます。
それはまるで、毒林檎を食べるようそそのかす魔女のようだと、頭の隅で思いました。
「あとね、好意を口にするという発動条件には、結婚の儀式も含まれているわ。つまり愛を誓ったその瞬間でも、《婚約破棄》は発動する。このスキルがあれば、クレイシアちゃんは、絶対に婚約破棄できる。結婚しなくたってよくなるの」
こんなにぴったりなスキルをくれるなんて、さすがと言ったところでしょうか。
こういうときにアベアは、とても頼りになります。
どこかの誰かさんとは大違いです。
「今説明したのが、対自分用の力。他の人に使う場合はまた別の発動条件があるわ。あと他にも色々注意事項があるんだけど……今聞きたい?」
アベア神が、ジークへと一度視線を向けてから尋ねてきます。
ジークがいると言いにくいことなのでしょう。
「いいえ、今ので取りあえずは十分です」
「なら細かい部分は、あとで紙に書いて渡すわね」
にっこりとアベア神が微笑みます。
「飲み込めば、そのスキルはクレイシアちゃんのものになるわ。前に《変幻自在》のスキルをあげたときにも説明したけど、一度手に入れたスキルとは一生付き合っていかなきゃいけないから、そのあたりもよく考えてね?」
「ありがとうございます、アベア」
スキルは万能というわけではありません。
アベア神からもらった《変幻自在》は便利なスキルですが、欠点も確かに存在していました。
しかし、スキルにどんな問題があろうと、今のこの状況を変えられるのなら、私はそれに手をだします。
この光の球さえ飲み込めば、ヴェルフレイム様との婚約を破棄できるのです。
覚悟は――もうできていました。