8.すれ違い×勘違い
「なぁ、シア。夜中にアベア神と、裏ダンジョンで何やってるんだ?」
婚約をしてから一ヵ月ほどたったある日、ジークがそんなことを尋ねてきました。
アベア神のダンジョンは、二人一組でないとそもそも入り口が開きません。
右端と左端にある石に、二人で同時に手をかざさないと、扉が開かない仕組みになっているのです。
表のカップル専用ダンジョンと違い、私がチャレンジしている裏のダンジョンはお一人様推奨でしたが、入り口はダンジョンの中にありました。
アベア神によれば、裏のダンジョンのスキルを心から求め、その資格を満たす者がやってきた場合。
カップルじゃなくても、扉は自動で開く仕組みになっているそうです。
しかし、私は正規の資格者ではないので、一人でダンジョンの扉を開くことができません。
なのでどうしてもジークにお願いして、ダンジョン内へ入る必要があったのです。
ジークは裏ダンジョンの存在を知っていましたが、どんなものなのかまでは知りません。
裏ダンジョンの詳しい内容は、資格を持つ者以外に話してはいけない。
それが掟でした。
しかし、ジークになら言ってもいいかなと、普段の私なら判断したことでしょう。
ヴェルフレイム様のことも相談して、力を借りているところです。
しかし、それをしない理由は一つ。
私はジークに対して、物凄く腹を立てていたのです。
何の相談もなく、勝手に誰かと婚約したのも許せませんが、何より。
私の左手にある《エンゲージ》の証を見ても、何も言わないということに、とてもモヤモヤとしていました。
ジークは、私がヴェルフレイム様と婚約したことをすでに知っています。
父様には、自分が不甲斐ないばかりに、私を差し出してしまった罪悪感があるようでした。
恋人だということになっているジークに、父様が頭を下げて謝っているのを、私は見てしまったのです。
なのに、ジークは未だにそのことには触れてきません。
偽とはいえ恋人です。
婚約直前には、ジーク宛てにティファニーちゃんを必死に飛ばしていたのですから、何かあったのかもと気づいてもいいはずです。
望んでない婚約だったんだなとか、私が婚約を嫌がっているんだなとか。
察してくれても……いいはずです!
ジークが今更どうこう言ったところで、ヴェルフレイム様との婚約がどうにかなるわけではありません。
それはわかっています。
けど、あのときは駆けつけられなくてごめんとか、一言あってもいいのではないでしょうか。
しかし、自分からそんなことを言うのは嫌でした。
まるで、構ってもらえず拗ねている子供のようで、格好悪いです。
「別に私が何をしようと、ジークには関係ないはずです。ちゃんと黙って従者の役割を果たしてくれれば、それでいいのです」
なので、ツンとジークにいってやります。
そうすれば、ジークが苛立ったように眉をひそめました。
「結婚すれば実家のダンジョンともお別れだからって、人が黙って付き合ってやってたのに……本当にお前はかわいくないな!」
「別にジークにかわいいって思ってもらわなくても平気です。どうしても……このダンジョンのスキルが、私には必要なんです!」
自分がかわいくないことくらいは、重々承知です。
売り言葉に買い言葉というやつでつい答えれば、ジークの怒りを買ってしまったようでした。
「へぇ……そうかよ」
低い声。
近づいてきたジークはどことなく怖くて、後ずされば壁に背中がつきました。
私の顔の横に、ジークが手をつきます。
逃げ場を奪われ、至近距離で睨まれました。
「シアがダンジョンに潜り始めたのは、婚約してからだよな。まさかとは思うが、アベア神に他の男との縁結びでも願うつもりか?」
「そんなところです」
実際にはもっとえげつないスキルを願うつもりですが、そんなことをジークに言うつもりはありません。
「今更結婚するのが嫌とか……言うんじゃないだろうな?」
「嫌に決まっています」
即答すれば、ジークは目を見開きます。
まるで思いもよらないことを言われたような顔でした。
「……っ、お前は……!」
ジークはギリと歯を食いしばり、壁をドンと叩きました。
思わずびっくりすれば、ジークが舌打ちをします。
「何が……不満だ、シア。文句があるなら言ってみろよ」
怒りを押し殺したような声。
まるで自分を落ち着かせようとするかのように、ジークが私の両頬を抓ります。
「つべこべ言わず、結婚しとけ。お前を幸せにできるのはお」
ジークの言葉の途中で、その手を払いました。
それから、思いっきり睨み付けます。
私の《エンゲージ》を見て、ジークが何も言わなかった理由。
それが、この瞬間にはっきりとわかりました。
つまり、ジークは――私とヴェルフレイム様の結婚に賛成だったのです。
冷たすぎるのではないでしょうか。
こんな私にだって、選ぶ権利というものがあるはずです。
私個人の恋と、多くの人達の幸せを考えれば、その重さは後者の方がダントツだという人もいるでしょうが……そう割り切れるほど、私はいい子じゃありません。
アベア神のダンジョンを訪れる人々は、皆ラブラブでした。
恥ずかしくないのかお前らと言いたいくらいには、彼らは互いを想い合っていたのです。
こんなふうにはなりたくないなと思いながら……本当は。
私は、彼らのような関係に憧れていたのです。
いつか自分も、周りが見えなくなるほど想える相手に出会いたい。
けれどそんな相手がいないから、人一倍彼らが羨ましかったのです。
認めたくはありませんが、嫉妬……という感情があったのは、事実でした。
一途に想える相手を見つけて、いつか結ばれる。
それを夢見ることの何がいけないというのでしょうか。
私が結婚に夢見がちなことくらい、自分でもわかっています。
ジークなら、ジークだけは。
私の立場に立って、親身になって考えてくれるはずだと……そう疑いもなく信じていました。
裏切られたような気持ちで、深く傷ついている自分がいました。
「なんだよ……その顔は」
涙がでないように、さらに強くジークを睨みました。
さすがのジークも、これには少しうろたえた様子を見せます。
「……他に、好きな人がいます」
ジークに、はじめて嘘をつきました。
味方だと思っていたジークにまで、ヴェルフレイム様と結婚しろと言われるのは耐えられなかったのです。
私の精一杯の虚勢。
ジークは、呆然としていました。
それからふと我に返ったように、私に何か言おうとして、彷徨うように手を伸ばして。
途中でその手を引っ込めると、私から視線を逸らしました。
「……そうかよ」
小さく呟いたジークの声は、力ないものでした。
どうして私以上に、ジークが傷ついた顔をしているのでしょう。
……納得がいきません。
その場には、耐え難い空気が満ちていました。