37.それが理由じゃないけれど
「おい、クレイシア。そろそろ起きてこい」
クレイシアの部屋へ行き、扉をノックする。
緊張しながら声をかけたのに、返事はなかった。
クレイシアは悩む姿や落ち込む姿を、ジークに見せようとしない。
嫌なことや困ったことがあると、空元気や笑顔で誤魔化して、隠そうとするところがある。
それができないくらいに傷ついているから、出てこないし、返事もしないのだろうか。
そう思えば、後悔に苛まれた。
クレイシアがムリをしているとき、最初の頃のジークは知らん顔をしていた。
ジークにとってクレイシアは他人でしかなかったし、自分には関係ないことだと思っていたからだ。
けれど、今のジークにはそれができない。
クレイシアがムリをしていると気づけば、どうしようもなくなるのだ。
そんなに俺は頼りないのか。
昔の俺なら頼ったのか。
クレイシアが何でも自分一人で抱え込もうとするたび、ジークはイライラとしていた。
今回の騒動だってそうだ。
クレイシアは、ジークを頼らずに一人で解決しようとした。
自分自身の態度が原因だったとしても、どうにもならないことだったとしても。
その顔が曇る原因が何か、話してほしかった。
「夕飯、食べないとお腹空くだろ。俺の顔が見たくないなら、部屋に届けさせてもいいから……ちゃんと食え」
ジークの言葉に、ヴェルフレイムがそうじゃないだろと足下で小突いてきた。
「怒ってるなら謝る。悪かった……少し大人げなかった。その、お前が……」
ここは素直に謝るべきだと、ジークは口を開く。
クレイシアが、昔の俺ばかり気にするから、面白くなかった。
そう言おうとして、躊躇う。
(……これじゃ、自分のことをもっと見ろ、構ってほしいと言ってるみたいじゃないか!? 格好悪いにもほどがあるだろ!)
ただクレイシアにモヤモヤした気持ちをぶつけるだけで、自分がどうして不機嫌になっていたのか、ジークはその理由を考えたことがなかった。
クレイシアに好かれている、昔の自分に嫉妬していた。
その事実に気づけば、愕然とする。
(俺はもしかして、クレイシアのことが好きになってた……のか?)
自分自身に疑問を投げかければ、どうやらそうらしいと気づく。
たとえ過去の自分にだって渡したくなかったし、クレイシア他の男と仲良くしていると面白くなかった。
「ジーク、どうしたんだ急にぼーっとして」
「あ、あぁ。ちょっと考え事をしていた」
ヴェルフレイムに話しかけられて、我に返る。
自覚した気持ちに、ジークは耳元まで赤くなっていた。
「……お前が、昔の俺ばかり気にするから面白くなかったんだ。その、悪かったな。あんなことをいうつもりじゃなかった」
照れくさく思いながら、言葉を紡ぐ。
それでも扉の向こうから、何も反応はなかった。
「ヴェルフレイム……どうしたらいい」
「なんだ、その頼りない顔は……顔も赤いが、熱でもあるのか?」
弱り切って尋ねれば、ヴェルフレイムが困惑した様子を見せる。
扉が開かないということ以上に、恥ずかしすぎる本心を暴露したことが、ジークにダメージを与えていた。
「今日はいったん撤退しよう。クレイシア、扉の前に夕食を届けさせるから、ちゃんと食べるんだぞ!」
ヴェルフレイムが扉へと声をかけ、ジークもそれに従うことにする。
その日はとりあえず、部屋に戻った。
◆◇◆
次の日の朝。
ジークはクレイシアの部屋の前に、一人で来ていた。
扉の前には手つかずの夕食。
丸一日、クレイシアは何も食べていないことになる。
「おい、クレイシア。開けろ」
ノックをしても返事はなかった。
何度か激しく叩いてみたが、それでも無視されてしまう。
(というか、さすがにおかしくないか? もしかして中で倒れてたりするんじゃ……)
そう思えば不安になった。
扉の取っ手に手をかければ、内側から鍵がされていて開かない。
予備の鍵を手に、ジークは少し迷う。
勝手に部屋へ入るのは気が引けたし、顔を合わせづらかった。
(さすがに、心配だしな……)
けれど、放ってもおけない。
ジークは鍵を差し込んで扉を開ければ、クレイシアはベッドの上ですやすやと寝ていた。
「なんだ、寝てたのか。あれでも起きないとか、どんな神経をしてるんだ」
脱力して、ベッドに腰掛ける。
その顔を見ようとして、とんでもないことにジークは気づいた。
クレイシアの顔が、半透明に透けていたのだ。
毛布をめくれば、体全体が透けている。
「おい、起きろクレイシア!!」
肩をつかんで揺さぶろうとしたが、ジークの手はクレイシアをすり抜けた。
「おい、何事だジーク!! な、なんだこれは!!」
ヴェルフレイムが部屋に駆けつける。
クレイシアの姿を見て、言葉を失ったようだった。
「クレイシア、クレイシア!!」
「くそっ、なんでこんなことに……!!」
ヴェルフレイムが名前を呼んでも、クレイシアのまぶたは閉じられたままだ。
起きないクレイシア。
ジークの頭に、部下であるサキュバス三姉妹が浮かんだ。
夢魔である彼女達なら、人を眠りに落とすことができる。
何かこの件に関わっているかもしれない。
すぐにサキュバス三姉妹を呼んでくるよう、ヴェルフレイムに命令する。
しばらくしてその場にやってきたのは、次女のイルシェと三女のウルシェだった。
長女のアルシェは、昨日から家に帰っていないらしい。
「アルシェはどうした」
「昨日クレイシアちゃんのところに泊まったはずよ? 姉様がどうかしたの?」
イルシェが首を傾げる。
妹のウルシェも、焦った様子のジークに不思議そうな顔をしていた。
「クレイシアが目覚めない」
「それならきっと姉様の仕業ね。今回のお礼に、クレイシアちゃんの好きな夢を見させてあげようって話になってたのよ」
アルシェときたら、人騒がせだ。
続くウルシェの言葉に安心したのと同時に、そういうことなら事前に言っておくべきだろうと、ジークは思う。
「そういうことをするなら、何故事前に言わなかった」
「どうしてジークに言う必要があるの? これは私達姉妹が個人的にしていることよ?」
イルシェに言われて、ジークは何も言い返せなかった。
三姉妹はクレイシアの友人であり、いちいちジークに伺いを立てる必要性はどこにもないのだ。
「丸一日夢を見させるなら、そうと言ってくれないと、こっちだって驚く。体も透けてるし驚いたんだ。ご飯も食べないで、衰弱したりしないのか?」
アルシェがクレイシアを危険に晒すことはないだろう。
けれど、念のため確認しておけば、二人は大きく目を見開いた。
「えっ? 体が透けてる?」
「二日間夜に夢を見てるとかじゃなくて、ずっと連続で眠りっぱなしなの?」
「だからそうだと言ってるだろ」
質問に苛立って答えれば、姉妹は顔を見合わせる。
クレイシアの様子を見たいというので、部屋へ連れていけば、これはまずいわと血相を変えた。
「クレイシアちゃんは夢に囚われるあまり、お姉様の力を自分のものとして取り込んでしまったみたい。そういえばクレイシアちゃんは、魔力を受け入れてしまう体質だったわね……」
精神体のサキュバスは、魔力の塊のようなものらしい。
サキュバスとして生きてきたけれど、初めてのレアケースだとイルシェは呟く。
クレイシアは、魔力を受け入れやすい体質だ。
これは神に愛された神子に多い特性である。
神様の側にいるうちに訓練され、その力に耐性がついた神子の子孫達に、わりと多く見られる体質のようなものだった。
「サキュバスの力を取り込むとは、やはり相当な器の持ち主だなクレイシアは」
感心したような呟きを、ヴェルフレイムが漏らす。
「……それが理由で、クレイシアを選んだわけじゃないからな」
ヴェルフレイムを受け入れて子を産む母体として、クレイシアは十分な適性がある。
けれど、それが目的でクレイシアがほしいわけじゃないのだと、今のジークははっきりという事ができた。
「あぁ、知っている」
この間までのジークなら、それが理由でクレイシアに付き合っていると言ったことだろう。
ヴェルフレイムはうなずき、それからイルシェとウルシェに顔を向けた。
「それで、どうすればクレイシアは目覚める?」
「夢の中に直接潜り込んで、クレイシアちゃんを連れ出すしかないわ。ただ、拒絶されちゃうと、こっちも目覚められなくなっちゃうから、危険が伴うけどね」
ヴェルフレイムの質問に、イルシェが答える。
「お姉様が必死で抗っているから、完全に透明になってはいないけれど……そうなったらもう助けるのはムリよ。クレイシアちゃんは夢の墓場で生きる、夢の世界の住人になるわ」
「サキュバスになるってことか?」
質問すれば、ちょっと違うわねとイルシェが首を振る。
「人の夢の奥に、サキュバスが暮らす夢の世界があるわ。けれどそこに繋がらない、閉鎖された夢を夢の墓場と呼ぶの。現実からも消えて、幸せな夢の中で生きるのは、とても美しいのだけれどね」
イルシェとウルシェも困り果てたように、顔を曇らせる。
「私とウルシェで力を合わせれば、ジークをクレイシアちゃんの夢に送り込むことはできるわ。どうする?」
「どうするも何も、それしか方法はないんだろ?」
さっさとやれと、ジークはイルシェを促す。
「わかったわ。お姉様とクレイシアちゃんを頼んだわよ」
「夢よりも現実に意識を向かせるの」
イルシェとウルシェが、ジークをベッドに寝かせてその額に手を添える。
すぐに襲ってきた眠気に、意識を手放した。
すみません、予約投稿するのを忘れて遅れてしまいました!




