36.積み重なってそこにあるもの
「ヴェルフレイム王。クレイシアはまだ寝ているのだろうか?」
「普通にジークでいい。お腹が空いたら起きてくるだろ」
ライナスに尋ねられて、ジークは答える。
朝食の席に、クレイシアの姿はなくて、間違いなく自分のせいだろうとジークは確信していた。
昨日、三騎士の親達を断罪し、一段落ついた後。
ジークは、クレイシアに酷い言葉を浴びせてしまったのだから。
「団長、無粋ですよ」
「……あぁ、なるほど。すみません、私としたことが」
副団長であるクリスに咎められて、ライナスがはっとした様子になり、赤くなる。
どうしてそんな反応をされるかわからなかったが、昨日ジークとクレイシアがよい雰囲気になったところで二人は部屋を出ていた。
勘違いをされているようだと、ジークは気づく。
けれど、あえて何も言わなかった。
ジークの城では、料理は精霊達が作ってくれる。
まぁワンパターンではあるのだが、それなりに美味しかった。
スクランブルエッグを口に運びながら、昨日のことを考えれば、すぐにクレイシアの顔が浮かんできた。
(昨日は……言い過ぎたか? いや、でもあれは……)
ジークがシアと呼んだときの、希望に満ちあふれた喜びの表情。
それを思い出せば、イライラとしたものがこみ上げてきた。
クレイシアが求めているのは、今のジークじゃなくて、過去のジークだ。
そんなことは最初からわかっていたし、どうでもいいことのはずだった。
なのにどうしてそれを確認して、こんなにも腹が立つのか――自分でもわからない。
ジークが傷つけられたと知って、クレイシアは泣いて、怒った。
最初はそんなことで死ぬような弱いやつと思われていたのかと、バカにされた気分でいたのだが、そうではないと知って嬉しかったはずなのだ。
クレイシアは純粋に、ジークの身を案じてくれていた。
誰かに心配されるなんて、思ってもいなくて……悪くない心地だった。
「好きな人が傷つけば、悲しいのは当然です! それがたとえ私のせいで、心配する資格がなかったとしても、それでも心配してしまうものなんです!!」
そう叫ぶクレイシアが、心から愛おしいと思えた。
自分のために泣いてくれている存在が――たまらなくほしくなった。
誰かを好きになるなんて、あり得ないことだと思っていたのに、いつの間に慣らされてしまっていたのだろう。
自分はずっと冷静でいるつもりだったのに、ここ最近の行動を振り返ってみれば、らしくないことばかりしていた。
クレイシアの面倒事につきあって、痛めつけられようと我慢して。
本当は、そんなことする必要はどこにもない。
いくら契約とはいえ、自分の子を産んでくれる別の女を探したほうが、よっぽど楽に違いないのだ。
なのに結局ジークは、理由をつけてクレイシアの側にいた。
目が離せなくて、手がかかる。
一生懸命で、時には盛大に空回りして。
正直それは人としてどうなんだと思う常識外れなところも含めて、いつでも前向きな彼女を――好きになっていたのだ。
悔しいけれど、認めるしかなかった。
「……シアはそんなに俺が好きか?」
だから、クレイシアではなく――シアと呼んだ。
それは愛情表現の仕方がわからないジークの、精一杯の歩み寄りだった。
クレイシアの気持ちを、ちゃんと言葉で確認したかった。
好きだと返ってきたのなら、ジークも少しは素直になれる気がしていたのだ。
「ジーク、記憶が……戻ったんですか?」
けれど返ってきたのは、今のジークに向けられた言葉じゃなかった。
どこか期待に溢れた表情。
それを見た瞬間、冷たい水をかけられたような気持ちになった。
クレイシアの親切もそのまなざしも何もかも……過去の自分に向けられたものだ。
今のジークに与えられたものじゃない。
本当にクレイシアが必要としているのは、自分ではないのだと気づいてしまった。
今の自分を、否定されたような気がした。
どちらも同じ自分のはずなのに、こんな気持ちを覚えるのはおかしい。
そうわかっていても、心は納得してくれなかった。
クレイシアだけじゃない、ヴェルフレイムもそうだ。
このモヤモヤは、かなり前からジークの中にあって、あの瞬間に爆発してしまった。
「今の俺に、昔の俺と同じものを求められても困る。というか、お前もヴェルフレイムも、本当に昔の俺が大好きなんだな。今回助けたのも、今ここにいるのも……そいつじゃなくて俺なのに」
あんなこと、言うつもりはなかった。
クレイシアもヴェルフレイムも、結局はジークのことを大切に思ってくれている。
それはちゃんとジークもわかっていたのだ。
ただ、二人から聞く、過去の自分があまりにも自分とかけ離れすぎて、他人のように思えて仕方なかった。
懐かしいなと、過去のジークを語る二人を見ていると、仲間外れにされたような気もしていた。
そこに自分は必要ないのだと――そう、感じていたのだ。
◆◇◆
ライナスとクリスは仕事があるからと、国へ帰るらしい。
クレイシアに挨拶をしたがっていたが、まだ起きないらしく、よろしく言っておいてほしいと頼まれた。
「ヴェルフレイム王、これを」
帰り際に副団長であるクリスから渡されたのは、一枚の手紙だった。
ジークでいいと言ってるのにと思いながら、それを受け取る。
それは王と王妃からの手紙であり、今回の件についてのお詫びとお礼、そして何かあったときには力になるという一文が添えられていた。
「王妃様は、あなたにとても感謝している。何せ自分を監視している三人の騎士だけでなく、敵対する勢力をあっさりと排除できたのだからな。困ったときは、全力で力になると言っていた」
「……最初から、これが目的だったんじゃないだろうな」
クリスを睨むように、ジークは眉をひそめる。
よく考えれば、今回の依頼はかなりイレギュラーだった。
王妃は元々《婚約破棄の魔女》の客だった。
他国の王子と結婚させられるのが嫌で、クレイシアを頼ってきたのが出会いだ。
その王子も婚約破棄の依頼を店に持ち込んできて、結局は似たもの同士でくっついたのだが。
それがきっかけで、王妃とクレイシアは仲良くなった。
《婚約破棄の魔女》やってくる客の六割くらいは、王妃からの紹介でやってくる。
クレイシアは王妃に感謝していたが、ジークは彼女のことがあまり好きではなかった。
油断ならない女というのが、ジークの王妃に対する印象だ。
ジークの正体が、エイデルハインの王であることも薄々感づいていたように思う。
王妃を通して頼まれた、今回の婚約破棄。
基本的にクレイシアは、本人以外が依頼してくる婚約破棄を引き受けない。
大切なのは本人達の意志だと思っているし、それを了承すれば気にくわない相手の婚約を破棄してほしいなんていう依頼が成り立ってしまう。
クレイシアのスキルも、店のことも王妃は把握していたはずだ。
なのに、この依頼を持ち込んだ。
王妃は客を紹介してくれるお得意様であり、友達だ。
体裁のため、引き受けるだけでいいと言われたら、クレイシアは引き受けるだろう。
「この国の政治は王ではなく、裏で王妃様が行っている。第一騎士団の三人は、王妃様付きの騎士だ。五賢人の息子達が側にいるのを、王妃様はうっとうしく思っていた」
言い逃れは難しいと思ったのだろう。
クリスがネタばらしとばかりに、説明を始めた。
「騎士共がサキュバスと駆け落ちしてくれるなら、王妃様にとって好都合だった。婚約期間の三カ月を過ぎれば、夢の世界へとサキュバスと共に彼らは姿を消すだろう。だが、彼らの親の邪魔が入り、上手くいかない可能性のほうが高かった」
そこで王妃は、クレイシアを使うことにした。
思い合っている二人がいるなら、クレイシアはくっつけようとするだろうし、自分からの依頼なら無茶でも多少は聞いてくれると踏んでいたのだ。
「おそらく王妃様は、三人の騎士を自分の側から遠ざけられれば、それでいいと考えていたはずだ。自分に反抗する五賢人までも排除しようとは……考えていなかったと思う」
結果としてこうなったがと言いながら、クリスの目は泳いでいた。
もしかすると、そこまで計画通りだったのかもしれない。
そんな思いに、クリスは囚われているのだろう。
食えない女だなと王妃への警戒レベルを引き上げ、ジークは二人を見送った。
◆◇◆
「おい、ジーク。さすがに夕方になっても起きてこないのはおかしくないか?」
夕飯の時間になっても、クレイシアは姿を見せなかった。
ヴェルフレイムが扉を叩いても、無言でドアを開けてくれないのだという。
「お前、クレイシアと何かあっただろう」
黙っていたら、ヴェルフレイムが図星をついてくる。
そのとおりなので、何も言い返せなかった。
「何故喧嘩したのかはしらないが、悪いと思ったら謝ったほうがいいぞ。特にお前はデリカシーがないからな。昔も体重が増えたと気にするクレイシアに、柔らかくなって俺好みだとか言って怒らせただろう。慰めたつもりでも、本人にとってそうじゃないこともあるからな」
そんなことを言った記憶はない。
記憶を失う以前の話だと思えば、ギリとフォークを握りしめるジークの手に、無意識の力が加わっていた。
「ジーク、お前……本当は、クレイシアの記憶が戻ってないんだろう」
溜息交じりに、ヴェルフレイムは言う。
暴走しかけた後のヴェルフレイムに対して、ジークは過去の自分を演じるようにしていた。
記憶が戻ったことは、騒動が終わってからクレイシアに話す。
そう口止めまでして、ジークが嘘をついたのは、ヴェルフレイムが不安定でいつ暴走してもおかしくない状態だったからだ。
「昔の俺じゃなくて悪かったな。がっかりしただろ」
今のヴェルフレイムはすっかり安定しているし、見抜かれてしまった嘘に意味はない。
ジークはフォークを皿の上に置き、素直にそれを認めた。
「……いや、なんとなく気づいていた。悪かったな、ジーク」
ヴェルフレイムが謝ってきたが、どうしてそこで謝られるのかわからなかった。
食卓の上を歩き、ジークの目の前までやってくる。
「行儀が悪いぞ」
「お前と視線を合わすのも一苦労だからな。少しは見逃してくれ」
そう言って、ヴェルフレイムはいきなり頭を下げてきた。
「お前に、嫌な思いをさせてしまってすまない」
「どうして謝る」
「そんな顔をされてしまったらな。記憶を忘れて辛いのは、ジークも一緒なのだということをすっかり忘れていた。すまない」
つぶらな瞳で、ヴェルフレイムが見つめてくる。
子豚に小さなコウモリの羽が生えた、威厳の欠片もない魔族の王。
まるで父親が自分の息子に向けるような視線を、ヴェルフレイムはジークに向けていた。
「過去のお前も、今のお前も私にとっては大切だ」
「……嘘をつかなくてもいい。お前もクレイシアも、元の俺がいいくせに」
自分の葛藤や、大人げない拗ねた気持ちが全て見抜かれた気がした。
恥ずかしさとやるせなさから、ジークは顔を逸らす。
「今のお前も昔のお前も、結局はジークだ。積み重なってそこにある。決して別の者じゃない」
食卓から降りたと思えば、ヴェルフレイムがジークの膝に乗ってくる。
それから、ジークの胸に、背中を預けてきた。
「今でこそ私はこのようなキュートな姿だが、昔は恐ろしい魔族の王だった。その前は神であり、人に寄り添っていた。どの私も私だと、ジークは受け入れてくれただろう? それと同じことだ」
姿形が変わろうと、暴走しようと、ジークにとってヴェルフレイムはヴェルフレイムでしかない。
それと同じことだと、ヴェルフレイムは言う。
くっついた場所からは、高い体温が伝わってくる。
その動作は気安く、言葉はすとんと胸に落ちてきた。
「クレイシアとも、そのことで喧嘩したのか?」
「喧嘩っていうか……一方的に、酷いことを言った。あいつが俺の記憶を取り戻したくて、頑張ってるのは知ってたのにな」
前髪をくしゃりと握りながら呟けば、そうかとだけヴェルフレイムは呟いた。
叱るでもなく、ただ受け入れるというように。
それから、ヴェルフレイムはジークの膝を降り、扉の方へ歩き出した。
「ほら、行くぞジーク。食事は皆で食べたほうが美味しいだろう? クレイシアもお腹を空かせているはずだからな」
ヴェルフレイムが手招きをしてくる。
そうだなと笑いながら、ジークは扉に手をかけた。
ちゃんと謝れば、クレイシアは許してくれるだろうか。
そんな不安を抱きながら。
2016/12/5 微修正しました!




