35.その手を取って
「ん……」
側に誰かのぬくもりを感じて目を覚まします。
どうやら自分が抱きあって寝てるようだと気づき、その相手の顔を確認して息が止まるかと思いました。
「ジっ……ジーク!? な、なんで私のベッドにいるんですか!?」
あまりのことに飛び起きて、ベッドから出れば、ジークがゆっくりと伸びをしました。
しかもこともあろうに、裸です。
下半身はシーツで隠れていましたが、とんでもない恰好をしていました。
「なんだ、朝から騒がしいなシアは。寝ぼけてるのか?」
「寝ぼけているのはジークですよね!? ここは私の部屋のはずです。どうしてジークが裸で一緒に眠っているんですか!?」
ジークはまだ眠たそうに、頭を掻きます。
大きな天蓋付きのベッドから降りると、ズボンを身に着け、私の前までやってきました。
その距離はもの凄く近くて、ドキドキとしてしまいます。
「な、なんですか。近いですよ?」
「昨日のことで照れてるのか。ふーん、シアにも可愛いところがあるんだな」
からかうようにジークは言います。
そこには甘い響きがあって、戸惑いました。
昨日は修復できないくらいの、喧嘩をしたはずです。
「シア」
ジークが距離を詰めてきたと思えば、唇を奪われました。
「なっ、なっ!?」
「おはよう、言い忘れてたからな。朝食食べにいくぞ」
わけのわからない私に、ジークは悪戯っ子のように笑いました。
◆◇◆
ジークに手を引かれるまま、朝食の席につきます。
ティファニーはいましたが、そこにクリスさんとライナスさんの姿がありませんでした。
「クリスさんとライナスさんは、まだ起きてないんですか?」
「クリスとライナス? 誰だそいつらは?」
尋ねれば、ジークが首をかしげます。
「誰って第七騎士団の……」
「騎士団? シアの国のやつらなら、昨日の結婚式でもう国へ帰ったぞ?」
「もしかして、挨拶でもしたい知り合いでもいたのか?」
ジークだけでなく、ティファニーも不思議そうな顔をしていました。
どうにも話がかみ合いません。
それにジークは、先ほどから私のことをシアと呼んで……その親し気な雰囲気も含め、記憶をなくす前のようでした。
「昨日の結婚式ってなんのことです? クリスさんもライナスさんも、三騎士とサキュバスさん達の恋を応援してくれて、協力してくれたじゃないですか!」
「……」
混乱する私を見て、ジークとティファニーは顔を見合わせます。
何を言っているのかわからないといった様子でした。
「あ……もしかして」
ジークが私のそばまでやってきて、額に手を置きます。
ふんわりとその手から熱を感じたかと思えば、不思議と心が落ち着くようでした。
考えようとしていたことが、ふんわりと霞んで、どうでもいいことだったように思えてきます。
「やっぱりな。俺の魔力の影響を受けてたみたいだ。昨日は少し……無茶したからな」
バツが悪いというようにジークはいい、そっといたわるように私の体を抱きしめました。
「初日から何をしてるんだ、ジーク。嫌われても知らないぞ」
「うるさいぞ、ヴェルフレイム。我慢がきかなったんだ!」
あきれたようなティファニーに対して、ジークの声は照れた様子でした。
「昨日はその……シアの体に俺の魔力を注ぎすぎた。だから、記憶の混乱が起こってたみたいだ」
気遣ってくれるジークに、胸の奥がふわりと温かくなります。
何か魔法を使っているのでしょうか、私とジークの体はほんのりと光を放っていました。
「シアの体の魔力を少し調整する。なじませるから、俺に心を預けて……目を閉じていろ」
ジークに従えば、瞼の裏に昨日の光景とともに、記憶がよみがえってきます。
私の国に突然訪れた災害。
困り切った私達を助けてくれたのは、隣国のヴェルフレイム王。
魔族の王であり、恐れられている彼が、援助の代わりに望んだのは私との結婚でした。
たとえ国のためだろうと、そんな恐ろしい方と結婚したくない。
そう思った私ですが、実はヴェルフレイム王の正体はジークで。
私は結婚を受け入れて、昨日皆に祝福されながら、ジークとめでたく夫婦となったのでした。
白いウェディングドレスを着て、幸せそうな私とその隣で笑うジークの姿。
祝福してくれるみんなの顔が、鮮明に思い出せます。
式が終わって二人っきりになった後は、ジークが準備していた部屋を見せてくれました。
幼いころ私が憧れていたお姫様みたいなベッド。
そこにはテディベアもあって、二人で眠っても十分すぎる広さがありました。
夫婦になった私達は、そこで……。
――本当に、そんなことありましたっけ。
びっくりするほど、しっくりきません。
小骨が喉に引っかかっているような心地になります。
胸の奥には幸せよりも、後悔や苦い思いが渦巻いています。
何かが違うと心が叫んでいました。
そっとジークの胸を押して、体を離します。
「シア」
ジークは私の名前を呼びましたが、そう呼ばれることにすら罪悪感を覚えました。
◆◇◆
ジークと過ごす毎日は、平穏で優しいものでした。
時々意地悪なのは変わりませんが、私に甘くて、なんでも願いをかなえてくれようとします。
けれど私はいまいち乗り切れずにいました。
「少しは機嫌なおったか?」
「別に最初から怒ったりなんかしてませんよ」
今日は気分転換にと、外へジークが誘ってくれました。
街で人気のカフェはオシャレで、店内にはカップルの姿がいっぱいあります。
私の機嫌が自分と同じように甘いものでとれると思っているのでしょうか、パフェをおごってくれます。
ずっとこんな難しい顔をしているのは、ジークに悪い気がしてきました。
「こっちのも少し食べるか?」
「いいんですか? それなら少しもらいます」
ジークのイチゴが乗ったパフェにスプーンを伸ばそうとすれば、パフェをすくって私の口へと差し出してきます。
「えっとジーク?」
「ほら、口開けろ」
「ちょ……それだとバカップルみたいですからね!」
「お前文句言いながら、こういうのに憧れてただろ。俺が相手じゃ不満か?」
不満なわけはありません。
むしろ嬉しいです。
こんなことを、ジークがしてくれるとは思っていませんでした。
おねだりしたところで、できるわけないだろと言われそうなところです。
「ほら。俺だって、恥ずかしいんだ。さっさと口あけろ」
甘やかされていると分かれば、むずがゆい気持ちになります。
勇気を出して口をあければ、舌の上にイチゴとアイスの味が広がりました。
この後は二人で買い物に行き、よく行くダンジョンで思いっきり遊びます。
ジークはいつもより優しくて、そして甘い視線を投げかけてきます。
幸せなはずなのに……心の奥にある不安に似た何かは、その分だけ大きさを増すようでした。
「シア、帰るぞ」
夕方、そろそろ家に帰る時間です。
ジークが手を差し出してきたのに、私はその手を取るのをためらいました。
「どうした?」
「……一緒に行っては、いけない気がして」
「何を言ってるんだ。シアの居場所は俺の隣だろ」
「そうなんですけど……」
ほらと、目の前のジークが強引に手を伸ばしてきました。
手首を掴まれて引かれれば、誰かがもう一方の手首を掴みました。
「……ジーク? なんで、ジークが二人いるんですか!?」
振り返えれば、そこにいたのはジークでした。
目の前のジークが白い服を着ているのに対して、後からやってきたジークは黒い服を着ています。
「行くな、クレイシア!」
目の前で笑っている白い服のジークを、後からやってきたジークがにらみつけます。
「そんな権利はお前にないだろ。シアが好きなのは、お前じゃなくて過去の俺だ。俺が好きだから、そのためにシアは傷ついて、頑張ってる」
そうだろと同意を求めるように、白い服のジークが私の頬に触れてきます。
黒い服のジークが、その手を払いのけます。
「……っ。それでも、俺はこいつをお前に渡す気はないんだ!」
黒い服のジークが、私の肩をつかんで、ぐいっと自分のほうを向かせました。
「ちゃんと俺を見ろ、クレイシア! 過去の俺じゃなくて、今の俺を見てろ!」
苦しい胸の内をさらけ出すように、ジークが言葉にします。
「過去の俺ばかり求めるなよ。あいつよりも、俺のほうがずっとお前のことを……好きだ」
その瞳に宿る熱や、強く握られた肩の痛み。
伝わってくる感情の波に、ドキドキと胸が鼓動を打つのがわかりました。
「ジーク、ジークっ!!」
ジークに抱きついて、声をあげます。
迎えにきてくれたと心が叫んでいて、私はボロボロと涙を流して泣きついていました。
その瞬間、白い服のジークも、周りの景色もぼやけます。
めまいがして立っていられなくなれば、黒い服のジークがしっかりと抱きとめてくれました。
次に目を開けたときには、私はベッドの上にいました。
誰かがそばで座って、手を握ってくれています。
上半身を起こして確認すれば、それはジークでした。
「あっ……ジーク、おはようございます」
「おはようじゃないだろ……このバカ」
挨拶をすれば、ジークになじられます。
それから、手を引き寄せられたかと思うと、抱きしめられました。
何事だと混乱しましたが、そこにいたのは私の知っているジークでした。
記憶をなくして、少し乱暴で不器用な……そんなジークです。
事情をきけば、どうやら私は夢にとらわれていたようでした。
いい夢が見られるようにと、アルシェさんが私に術をかけたところ、夢から戻ってこられなくなっていたようです。
それを、ジークが助け出してくれたということみたいでした。
「クレイシア」
「はっ、はい……」
喧嘩していたことを思い出せば、手間をかけさせてしまってすみませんという気持ちになってきます。
眉の間にしわを寄せているジークに、何を言われても受け止めようと思っていました。
叱られることを覚悟すれば、私の唇にジークの唇が重なります。
「ちょ、ちょっとジーク!?」
「うるさい、黙ってろ」
ジークは怒っているようでした。
逆らうこともせずに、その口づけを受け入れます。
乱暴で荒々しくて、気持ちが伝わってくるようなキスでした。
「くそっ、なんで俺はこんな面倒なのを……また好きになったんだ」
キスが終わって、抱きしめたジークがそんなことを呟いたのが、耳元で聞こえました。




