3.今思えば、あれが人生最大のモテ気だったのかもしれません
ある日のこと、私達の国に災害が起こりました。
何日も雨が降り続き、作物が枯れ……ダンジョンには誰もやってこなくなり、領土は窮地に立たされました。
雨はいまだに止む気配がありません。
このまま降り続けば、領土どころか国も立ちゆかなくなる。
そんな状態だったので、私達の領土に国からの支援もなく、困り果てていました。
「クレイシア、こんなことを言うのもなんだが……ファウストのところへお嫁に行く気はないか? お前が嫁としてきてくれるなら、いくらでも支援しようって言ってくれてるんだ」
父様がいうファウストとは、私の幼なじみです。
私達の領土は国の境目にあり、二つの国と隣あわせになっておりました。
その隣の国には、私達と同じくダンジョン経営をしている父の親友がいて、その息子がファウストでした。
ファウスト達の一家は、私達とよく似ています。
領主であり、古くからダンジョン経営をしていました。
私達なんて足下にも及ばない人気ダンジョンですし、ファウストは私のお相手として申し分ないと言えます。
しかし、私は絶対にファウストのダンジョンだけは、行きたくありませんでした。
なぜならファウストのダンジョンは、恐怖を愛する神・サダーコ神がお作りになった、悲鳴と絶叫がこだまする《呪怨の塔》というホラーダンジョンだったのです。
私はお化けとかそういう類いが苦手です。
なぜ苦手なのかといえば、百パーセントファウストのせいです。
あいつは怖いものをより怖く語るスキル《恐怖感染》を持っていて、幼い私にトラウマを植え付けてくれました。
ファウストにとって、恐怖イコール素晴らしいものです。
その良さをわかってもらいたいとばかりに、私に色んな怖い話しをしてくれましたが、トラウマがさらに深くなっただけでした。
ファウスト自体は、悪い奴というわけではないです。
私が父様に連れられてやってくるたびに、自分のおやつをわけてくれましたし、領土の美味しい屋台にもよく連れていってくれました。
私が泣くたびに、美味しいものをくれて……って私、丸め込まれてませんかね。
しかし今は領土の一大事。
ファウストだって、自分のダンジョンで泣きじゃくる女なんて嫁にもらっても困るはずなのに、幼なじみのよしみでこんなことを言ってくれているのです。
ここは一つ、嫁に行くしかないか。
いやでも……。
そんなふうに葛藤をしていたら、隣の国から使者が手紙を持って来ました。
ファウストのいる国は、私達の領土の南西側。
その使者は北西側の国・エイデルハインからのものでした。
エイデルハインは深い森に閉ざされた国です。
私達の国も含め、どこの国とも国交をあまり持たない国でした。
そんな国の王・ヴェルフレイム様が、私達に援助を申し出てくれたのです。
降り続く雨を止ませ、被害にあった者達へ十分すぎる援助を送ろうと、ヴェルフレイム様は約束してくださいました。
しかし、それには交換条件が。
私を……ヴェルフレイム様の妻として寄越せと言ってきたのです。
ちなみに、当時ヴェルフレイム様は四百二十歳で、私は十八歳でした。
えっ、四百二十歳? 人間なのソレ?って言いたくなりますよね。
しかしヴェルフレイム様は、一応人間なのです。
その体の中に、かつて大陸を恐怖に陥れたという魔族の王を封じていらっしゃいます。
体の中にいる魔族の王のおかげで、ヴェルフレイム様は不死。
子を産ませて魔族の王を引き継がせない限り、寿命で死ぬことはないそうです。
ヴェルフレイム様は、自らを犠牲にしてその体に魔族の王を封じたお方。
彼が望めば、どんなものでも捧げようと各国の王は約束しておりました。
しかし彼は、今まで何も望まず、自国から出ようとはしませんでした。
そんな彼が初めて望んだのが……私、クレイシア・ウォルコットだったというわけです。
一応貴族だったので、多少の政略結婚はしかたないと思っていました。
女性が結婚するのが十二から十六歳と若いこの国では、そろそろ行き遅れの私です。
妥協しないとなとは、思っていました。
しかし、あのヴェルフレイム様なんて……酷すぎます。
彼はとても有名でした。
真っ黒な毛むくじゃらの体は山のように大きく、爛々と真っ赤に光る瞳は八つ。
口は人を丸呑みできる大きさ。歯は岩をも砕けるくらいに丈夫で、角は鋭く天を突くように尖っている。
まさに、魔族の王といった風貌をした方だと……聞き及んでいました。
彼の領土に入った人間は、頭から丸呑みにされてしまうとか、魔族に姿を変えられてしまうとか。
昔から子供達の間では、定番の恐ろしい話しとして語り継がれています。
ファウストの一番お気に入りの話しであり、何度も繰り返し聞かされて……私が一番苦手とする話しです。
ヴェルフレイム様が治める国は、かつて人で賑わった大国だったようですが、今は廃墟と化していました。
木々がうっそうと繁り、魔族がうようよと住んでいて危険な場所のため、足を踏み入れる者はいません。
魔族達は、ヴェルフレイム様の命令には絶対服従。
彼が魔族を自国に留めているおかげで、私達は平和に暮らせているのです。
感謝の気持ちはありますが、だからといってそんな国の国母になんてなりたくありません。
お断りの手紙を書こうとすれば、私達の屋敷に自国の使者がやってきました。
そして彼らは、「断るなんてとんでもない。ヴェルフレイム様と結婚しろ」と私に迫ってきたのです。
「私には、ジークという恋人がいます!」
私は断固とした態度で、それを拒みました。
ジークは、私が十二歳のときに雇った従者です。
十年後の出世払いで、従者兼偽の恋人役をしてもらう契約を交わしていました。
そうしないと私は、アベア神の神子なのに、ダンジョンに入れなかったからです。
ちなみに、両親や姉妹達、そしてアベア神にもジークが恋人だと公言しています。
七歳になる妹達にも恋人がいてダンジョンに出入りできるのに、当時十二の私が一人だけダンジョンに入れないというのが悔しくて、見栄を張った結果でした。
「あなたには《エンゲージ》の証がありません。恋人がいたとしても、婚約者はいない。つまり《エンゲージ》を結べる、結婚のできる女性ということです」
しかし国からの使者は、私の訴えをあっさりと却下しました。
私一人を差し出せば、多くの国民が助かるのです。
困りきっている私達の国が、見逃すわけもありません。
私の気持ちなんて置いてきぼりにして、縁談は順調に進みました。
ムリです、結婚なんてしません!
いくら叫んだところで無意味でした。
これは国レベルで決まった話。
ちっぽけな小娘が叫んだところで、どうにかなる話ではありませんでした。
しかもタイミングの悪いことに、ジークには長期のお休みを出していました。
雨が降り続いて、ダンジョンがお休みしていたからです。
こんなときに限って連絡も取れません。
婚約の儀式を行うため、私は城へと無理やり連行されてしまいました。
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廃墟のような城を想像していましたが、ヴェルフレイム様の城は掃除が行き届いていて綺麗でした。
ただし黒や紫が中心の内装はおどろおどろしく、私の恐怖を煽りました。
「ねぇ、クレイシアは知ってる? ヴェルフレイム様はね、それはそれは恐ろしい方なんだよ。目があったら最後、大きな口で頭からバリバリと……」
恍惚とした表情で恐怖心を煽ってくるファウストの声が、自然と頭の中で再生されます。
普段の私は泣き虫ではありませんし、ダンジョンに出てくるモンスターも蹴散らせるくらいには勇敢です。
けれど、それとこれとは別のお話でした。
私の心臓の音は早すぎて、どこまでも続く一つの音のよう。
辛うじて泣いてはいませんが、目の前は涙で滲んでよく見えませんでした。
「よくきたな」
けだるそうな声と共に、ヴェルフレイム様が私と国の使者を出迎えてくれました。
噂とは違い、山のような大きな方ではなく、普通の人間と同じサイズをしていました。毛むくじゃらでもないようです。
それでも纏う空気が人間のそれと違うことは、敏感に感じ取っていました。
アベア神の神子である私は、そういう気配にも聡かったのです。
私はヴェルフレイム様の顔を直視できませんでした。
いや実際には顔を見ました。
しかし、視界が涙で滲み、恐怖のせいでどんなお顔だったかは覚えていません。
心の中は「何故、私が?」という疑問でいっぱいでした。
別段美人というわけではありませんでしたし、器量がよいわけでもありません。
一般的な金髪よりもやや暗い、金茶の髪。
狸っぽいと友人から言われる顔は、愛嬌こそあるとは思いますが、美人と言われたことはありません。
背だって平均的で、胸も平均……すみません、ちょっと盛りました。
少々女の子らしさに欠ける体ながら、お尻だけは自信があります。
しかし、はっきり言って、私よりも下の妹達のほうが断然美人で器量よしです。
きっとヴェルフレイム様は、妹の誰かと私を勘違いしているのでしょう。
この場に来ても、私はそれを本気で信じていました。
「私が……妻だなんて、何かの間違いではありませんか?」
可愛い妹達が犠牲になるよりは、私の身を……とは思います。
それくらいの姉妹愛はありましたが、疑問が口をついてでました。
「俺を最初に欲したのはお前だろう、クレイシア・ウォルコット。突然のことに驚いたのはわかっているが、忘れたとは言わせないし、逃がす気もない」
恐れ多くも、名指しでそんなことを言われました。
強い力が宿る声は、どこかで聞き覚えがあるような気もしました。
しかし、そこまで言われてしまって、記憶にございませんと言うことも出来ず。
黙りこんだ私の左手に、ヴェルフレイム様が指を絡めました。
「アベア神に誓って、ジークフリード・ヴェルフレイム・エイデルハインは、いずれクレイシア・ウォルコットを妻とすることを誓おう」
出会ってまだ十分もたってないのに、いきなり婚約です。
早すぎるよとは思いましたが、従うしかありません。
「……私、クレイシア・ウォルコットは……アベア神に誓って、いずれジークフリード・ヴェルフレイム・エイデルハイン様と結婚することを……ここに誓います」
ヴェルフレイム様の言葉の後、私も同じように誓いの言葉を口にしました。
そうすれば、にぎりしめられた左手が熱くなり、手の甲に《エンゲージ》の証が刻まれたのです。
《エンゲージ》の証がある限り、私はヴェルフレイム様以外と結婚することは許されません。
その間に他の人と情を交わせば、アベア神からの天罰が下ります。
このままでは、最短で三ヵ月後にヴェルフレイム様と結婚させられてしまうでしょう。
なぜ三ヵ月かというと、アベア神はすぐに結婚ということをお許しになりません。
三ヵ月以上の婚約期間の後に、結婚と順序が決められているのです。
婚約を破棄するには、互いの同意が必要。
私が嫌がっても、ヴェルフレイム様は頷いてくれないでしょうし、そもそも嫌だという度胸も権利も……私にはなかったのです。
「少し約束の期限には早いが、前払いってやつだ。その権利が俺にはあるだろ、シア」
堅苦しい口調ではなく、砕けた様子でヴェルフレイム様はそんなことを言いました。
慣れ慣れしく、そして満足げに私を呼び捨てにします。
その呼び方は、従者のジークにだけ許しているものでした。
「これでお前は俺のものだな」
私の手の甲にキスをしながら、くくっと楽しげにヴェルフレイム様が笑います。
それはまるで死刑宣告のように――しばらくずっと、耳に残っていました。