28.必要とされているのは
「息子をどこへやったんだ! あいつはオーギュ家の跡取りなんだぞ。婚約破棄を依頼したのに、出来ないどころかサキュバス共に味方するとは!! 金か。金がもっとほしいのか、この強欲めが!」
小太りの男が、鎖で壁に繋がれたジークに向かって、札束を投げつけてきた。
王妃を通じて《婚約破棄の魔女》に依頼をしてきたオーギュ家の当主だ。
薄暗い牢屋は、地下にあるため湿っていて、窓もないため外の様子はわからない。
サキュバスと婚約した三人の騎士の父親に取り囲まれ、ジークは尋問を受けていた。
オーギュ家当主は商売で成功した貴族であり、金でクレイシアを裏切れと迫ってくる。
「両思いの場合は、婚約破棄できませんって、店の利用規約には書かれてるだろ」
「うるさい、うるさい! 両思いだから婚約破棄できないだぁ? そんな手紙を寄越されても、納得できるか! 息子はサキュバスの悪い魔法にかかっているだけだ。金ならいくらでも出すから、とっとと息子の居場所を吐け!」
オーギュ家の当主は、聞く耳もたない。
三騎士の中でも俺様な騎士の父親だけあって、どこまでも傲慢な男だった。
サキュバス三姉妹と騎士達が両思いだと知ったクレイシアは、今回の依頼は断らせてもらうと、手紙をオーギュ家へ送っていたらしい。
そしてその後、彼らと共に行方をくらませた。
ジーク達に連絡をよこさなかったのは、追われる身になっていたからだったのだ。
「知らないものは知らない。今回の件を断ったことすら、俺は教えられてな……ぐっ!」
「物分りが悪いな。お前はただ、私達に許しを請い、あの魔女とサキュバスを私達の目の前に突き出せばいいんだ。この国で私達に逆らって、生きていけると思っているのか!」
第二騎士団を動かし、ジークを捕らえたワンド家当主が、腹に蹴りを入れてくる。
行き場のない怒りをぶつけてくるかのようだ。
「自分の都合で騎士を動かして、俺を捕らえて……王達はこのこと知ってるのか?」
「緊急議会でクレイシア・ウォルコットとその関係者の捕縛は決まった。五賢人と呼ばれる議席を持つ貴族のうち、三人が同意すればそれは実行される。私達三人は、その五賢人なのだよ。王の許しがなくとも、これは国の総意だ」
睨みつければ、ワンド家当主はジークを嘲笑う。
(王や王妃なら、クレイシアの味方をしてくれるはずだが……こいつらの権力はかなり強いようだな)
この国は王がいるが、議会制もある程度取り入れている。
おそらくは無理を通したのだろう。
自分達が正しいのだと思っているところが鼻につく。
とくにこのワンド家当主は、いけ好かない。
今すぐに叩きのめしてやりたい気持ちでいっぱいだったが、ここはぐっと耐える。
やろうと思えばできたが、今はそのときじゃない。
「真面目な私の息子のことだ。一度婚約したら、それを遂行しなくてはと思っているのだろう。目を覚まさせてやらねばな」
ワンド家の息子は、表向きは真面目な騎士だった。
父親である彼は、義理でサキュバスに付き合っているんだと言わんばかりだ。
「キリキリと吐いてくれないかなぁ? 僕達も決して暇ではないんだよ」
今度はコルセス家の当主が、ジークの頬をナイフの腹でペチペチと叩いてくる。
細身の優男であり、笑みをたたえているが、目は笑っていない。
三騎士の中では一番チャラい騎士の親であり、写真で見た騎士の顔とよく似ていた。
「サキュバスの巣に送り込んだ暗殺者も、全て返り討ちにされちゃってさぁ。君の主人であるクレイシアが、全員を引き連れて逃げたって報告がきてるんだよ? 化物が人間を浚うのに、加担したんだ。一緒に討伐されても文句は言えないよね?」
コルセス家は代々文官だったが、国の暗部に関わる仕事も請け負っていた。
蛇を思わせる目を向けて、ジークを脅してくる。
「サキュバスは化物じゃない。クレイシア達に怪我でもさせてみろ……殺すぞ?」
「へぇ、いい目だね。君は、彼女に惚れてるのかな?」
忠告してやれば、クスクスとコルセス家当主が笑う。
「あいつは俺の契約者だ。というか、お前達全員……後で覚えておけよ。この俺にこんなことをして、ただで済むと思うな。命乞いしても、這いつくばっても許してやるつもりはないからな?」
「へぇ、君ごときが私達をどうにかできるとでも? 調べても何も出ない、戸籍も偽物の君が?」
クレイシアと過ごすにあたり、記憶喪失前のジークは仮の戸籍を作っていた。
戸籍がない、もしくは偽物ということは、貧民街の人間もしくは裏社会の人間である可能性が高い。
コルセス家当主は、ジークについても色々調べたのだろうが、エイデルハインの王であるところまでは辿り着けなかったらしい。
あからさまに見下した態度だった。
「本当、不愉快だなぁ。身分を弁えない奴は嫌いだよ。従っていれば優しくしてあげるのに」
鋭い痛みの後に、ジークの頬を血が流れていく。
「おい! 見えるところに傷をつけるな! ばれたら私の立場が危ういのだぞ!」
「あぁ、ごめんね。でもこれくらいなら、稽古でできたって言い訳できるよ。彼は騎士なんだしね」
ワンド家当主が、コルセス家当主を怒鳴りつける。
その慌てた様子からすると、捕縛はともかく尋問の許可までは出ていないのだろう。
その後も尋問は続き、ジークはいつの間にか気を失っていた。
起きたときには彼らの姿はなく、その日を境に彼らは牢屋にやってこなくなった。
おそらく、クレイシア達が見つかったが、手こずっているのだろう。
(クレイシアのことだ。結婚ができる時期まで、時間を稼ぐ気でいるはず。そこまで逃げ切れば、三騎士は夢の世界の住人になれる。現実世界の奴らがどう足掻こうと、手出しはできないしな)
だからこそ騎士達の親が、なりふり構わず焦っているのだが。
彼らと違って、ジークにはクレイシアの逃げる場所が分かっていた。
恋愛と婚約の神・アベア神が司るダンジョン《ウェディングケーキ》。
あそこへ逃げ込めば、クレイシアの独壇場だ。
たとえ追っ手が来ても、ダンジョンに挑戦しない限り最上階へは辿り着けない。
(さっさとここを出なきゃな。けど、ヴェルフレイムを呼ぶのは……)
ジークが躊躇っていたら、牢屋の鍵が開いた。
飯の時間じゃなかったはずだと、そちらへ目を向ける。
「助けにくるのが遅れてすまなかった!」
第七騎士団の団長・ライナスが駆け寄ってくる。
ジークの様子を見て、痛々しそうに顔を歪めた。
「ジーク、何故私を呼ばなかった! 敵など、一瞬で蹴散らしてやったというのに!」
ライナスの後ろには、眼差しの鋭い美しい男がいた。
それがヴェルフレイムだと、ジークは一瞬で見抜く。
その体からは尋常じゃないほどの邪気が漏れ出し、爛々と輝く目には狂気が揺らめいていた。
ジークは、ヴェルフレイムをその身に封印している。
だからお互いに離れていても、なんとなく居場所が分かるし、その気になればどこにいようとヴェルフレイムを召喚することができた。
しかしジークは、あえてヴェルフレイムとの繋がりを断ち切っていた。
(ここに呼ばなくても、この状態か。これは召喚しなくて正解だったな)
ライナスに鎖を外してもらう。
本当はその場に倒れ込みたかったが、意地で踏みとどまった。
「この程度、お前を呼ぶ必要もない。それよりヴェルフレイム。俺の命なく、勝手に人型になるな!」
強がりだと見抜かれようと、ここは虚勢を張る必要があった。
ヴェルフレイムの普段の姿は、封印を施した仮のものだ。
子豚の姿で、空を飛ぶくらいしか力を与えていなかったはずなのに、人型へ変身できるほどの力が流れ出してしまっていた。
ヴェルフレイムは、過去に暴走した後遺症もあり、人間の悪意にとことん敏感だ。
器であり、一番近い存在であるジークに向けられたものなら尚更であり、そしてジーク自身の負の感情も彼に影響を与えてしまう。
ヴェルフレイムを呼べば、ジークは無傷で牢屋から出られただろう。
けれど、その場合……封印を保てる自信がなかった。
すでに封印は、限界に近い。
記憶を失ってからというもの、ジークの心にはいつだって得体の知れない苛だちがあった。
その影響で、綻びそうな封印を保つだけで精一杯だったのだ。
そこに理不尽な言いがかりをつけてくるバカ共と、この……怨念の染み付いた地下牢。こんな場所にヴェルフレイムを呼んでしまえば、それこそ暴走させる危険性があった。
「許さない……許してやるものか……! 見つけて八つ裂きにシテヤル……」
傷ついたジークを見て、ヴェルフレイムは憎しみと怒りを覚えているようだった。
纏う邪気が一層強くなり、濃密な魔力が充満し始める。
人型がぶれ始め、肉食獣のような姿が一瞬重なって見える。
「落ち着け、ヴェルフレイム! 俺は大丈夫だし、この借りをタダで返す気もない」
「その体で、何が大丈夫なんだ。これだから人間は……やはり、全て滅ぼスベキダッタ!!」
まずいとジークは思う。
ヴェルフレイムの体が膨張し始め、鋭い爪や牙が生えて、四つん這いになった。
ライナスも異変に気づいて、剣を構える。
「ジーク、これはどういうことだ。彼は君の友人なのだろう!?」
「そういうことになってるのか。とりあえず、剣を収めてくれ。俺がどうにかする!」
戸惑うライナスを下がらせて、ジークはヴェルフレイムに一歩近づく。
「殺ス……全テ。こんな世界ハ、滅びてしまえばイイ……ククッ、ハハハハハ!」
ヴェルフレイムは笑いながら、壊れたように呪いの言葉を吐き、魔法で天井に風穴を開けてしまった。
太陽の光がさしこみ、その向こうには壊れた屋敷の残骸が見えた。
「ぐっ……!」
心臓が手で握られたように苦しくなり、ジークは床に膝をつく。
この痛みは、封印が破れそうになっている証拠だ。
「しっかりしろ……ヴェルフレイム! お前はそんなこと、望んでないだろうが!」
「クク……ハハ、アーハッハハ! 壊ス、壊ス、壊シテヤル!!」
ヴェルフレイムは、すでに人型を捨てて、化け物の姿になっていた。
八つの目は爛々と赤く輝き、その体毛は黒く。人狼のようなその姿で、高らかに笑っている。
ジークの声は、もう届いていないようだった。
(もうダメ……か。いや、でも……まだどうにかできるかもしれない)
思い浮かんだ可能性。
ジークは、それにかけてみることにした。
立ち上がり、不敵な笑みを作る。
それから、ヴェルフレイムに向かって手を差し伸べた。
「そんなことしてる場合じゃないだろ、ティファニー!」
クレイシアが彼につけた名前。
それを口にすれば、ヴェルフレイムは笑うのをやめ、こちらを向いた。
「シアが待ってる。迎えにいくぞ!」
かつてのジークが、クレイシアを呼ぶときに口にしていた愛称。
ヴェルフレイムの瞳が、大きく見開かれる。
「ジーク、記憶が……?」
獣のように荒く息を吐き、自分の中の力を抑えこむように、ヴェルフレイムは腕に爪を立てた。
その瞳に光が戻ってきたのを見て、しめたとジークは思う。
「お前は化け物じゃなく、可愛い子豚ちゃんだろ。そんな姿じゃ、シアに嫌われるぞ?」
からかうような口ぶりで、しょうがないやつだというようにジークは言った。
本当は記憶なんて戻っちゃいない。
けれど、そういうフリをすれば……ヴェルフレイムは泣きそうな顔になった。
「……そうだな。そうだよな。クレイシアを迎えに行こう」
ヴェルフレイムがジークの手を取る。
邪気が薄れ、子豚の姿に戻った彼をジークは抱き上げた。
どうにか封印は持ちこたえたようだ。
暴走間際にあり、疲れていたのだろう。
穏やかな顔で、ヴェルフレイムは寝息を立て始める。
「お前もクレイシアも……俺じゃなくて、記憶喪失になる前の俺を必要としてるんだよな」
暴走の危機は、どうにか回避した。
二人が以前のジークを取り戻すため、頑張っていたのも知っていた。
なのに――苦いものを噛み締めた気分で。
ジークは、小さな声で呟いた。
◆◇◆
「すまなかった。彼らの暴走を止められなかった。彼ら三賢人は力を持ちすぎていて、王座についたばかりの王や王妃は侮られてしまっているんだ」
ライナスが謝罪し、ジークに肩を貸してくる。
第七騎士団の詰所に連れていかれ、手当を受けた。
ジークがいたのはコルセス家の地下にある牢屋であり、個人の敷地内だったため、余計に発見が遅れたらしい。
すでに捕まってから一週間が経過していた。
ヴェルフレイムは、ジークが帰ってこないとライナスの屋敷へ押しかけ、第七騎士団と共に行方を探していたようだ。
思いの外消耗していたようで、ジークとヴェルフレイムは三日ほど寝込み、それからダンジョン《ウェディングケーキ》へと旅立った。




