16.祝福と呪いと
「騙されるなクレイシア。まだ、希望は残っている!」
アベア神にそっと抱き寄せられ、落ち込んでいたら声がしました。
聞き覚えのない男の人の声です。
印象からすると、二十代後半から三十代くらいでしょうか。
耳障りがよく、少々色気を孕んだとてもいい声をしています。
きょろきょろとあたりを見渡しましたが、人影はありません。
そもそもここはアベア神の裏ダンジョンです。
そう簡単に、人が入ってこれる場所ではありませんでした。
「ここだ、ここ。足下だ!」
ちょんちょんとふくらはぎを突かれ、下へと視線を向けます。
そこにはティファニーがいました。
「……ティファニー?」
「ジークの拘束が解けて急いで飛んできたんだが……間に合わなかったみたいだな。すまない」
名前を呼んだ私に頷き、ティファニーが私をアベア神から守るように二本足で立ちました。
「だが、せめて私にできることをしよう。お前の思い通りにはさせないぞ、アベア!」
キッとアベア神を睨み、ティファニーがひづめをつきつけます。
どうやらこの腰にくるようなボイスは、ティファニーから発せられているようでした。
声と言葉にだけ注目すれば、ピンチを救いに来たヒーローですが、いまいち格好がつかないのはその見た目のせいでしょう。
アベア神から私を庇うように二本足で立つと、そのひづめを突きつけました。
「真に思い合う二人には、祝福を持って見守るのが愛の神。それを引き裂こうとするのは、本来の在り方に反するはずだ! さすがにそれは卑怯じゃあないか? アベア!」
「うるさいわねぇ、ヴェルフレイム! 神である前に、あたしはクレイシアちゃんの友人なの! 苦労するのがわかってて、あんたらなんかに渡す訳ないでしょうが!!」
「友人なら友人らしく、恋路を応援するべきだろう!」
目の前で、アベア神とティファニーが言い合いを始めます。
喧嘩するオカマとブタ。
それは、とても妙な光景でした。
「ようやくジークが見つけた幸せなんだ。それを壊すことは、誰にも許さない。それにクレイシアをあの子から奪えば、この世界がどうなるかわからないぞ?」
「それは……脅しかしら? 残念なことに、あたしってばクレイシアちゃん以外の人間はどうでもいいのよ」
ティファニーが不敵に笑えば、アベア神が眉をひそめます。
「ジークの負の感情は、私に直接届き作用する。記憶を無くしても、何か大切なものを失ったことくらいはわかるからな。今のジークの感情は荒れ放題で、封印を解こうと思えば……私は元の姿に戻ることができる。この神殿を破壊されたいか?」
「そっちこそ、あたしに喧嘩を売るなんて……焼き豚にされたいのかしら?」
ティファニーの首根っこを、アベア神が掴んで持ち上げます。
「生ぬるい炎で私が焼けると思うなよ? 逆に焼きオカマにしてくれるわ!」
じたばたと短い手足を振り、ティファニーが言います。
しかし、虚勢を張っているようにしか聞こえませんでした。
アベア神が、ティファニーをその場に投げ捨てます。
ころころと転がり回転が止まれば、ティファニーはびしっとポーズを取りました。
まるで、今のはわざと転がったんだと言わんばかりです。
立ち上がると、仕切り直しだというように服を整え、咳払いします。
「……スキルには大きくわけて二種類ある。純粋な願いのスキルと、代価を支払う必要のある呪いのスキル。前者では叶えられない願いを後者は叶えることができるが、その代償は大きい。《婚約破棄》は後者だ」
後ろで手を組んで、まるでどこかの博士のようにティファニーが語り出します。
「大きな代償を払って、呪いのスキルを受けたとしても。その呪いを解く方法は、かならず存在している。なぜなら、神は基本的に人間に対して甘いからだ。そうだろう、アベア?」
「ちっ」
アベア神のその様子からすると、それは図星のようでした。
「《婚約破棄》のスキルを解除する条件を言え、アベア。聞かれたら答えなければいけない義務があるはずだ」
「これだから同じ神は厄介なのよね……いいわ。教えてあげる」
ティファニーに指摘されて、アベア神が溜息を吐きます。
「《婚約破棄》のスキルを解除する方法は、愛のない他人の婚約を百件解除すること。もしくは愛のある婚約を百件成立させること。あぁ、もちろんあわせて百件ってことよ?」
「百か……多いな。まぁ、一ヵ月に一件成功させれば、五年で解除できるな!」
アベア神の提示した条件を聞いて、ティファニーが私を振り返ります。
「あんた相変わらずバカね。その計算だと八年と四ヵ月はかかるわよ」
「う、うるさい! 少し計算を間違えただけだ!」
アベア神からツッコミを受けたティファニーは、顔が真っ赤でした。
「クレイシアはどうしたい?」
ティファニーが私を見上げてきます。
心はもう決まっていました。
このままでは嫌です。
ジークに忘れ去られたままなんてゴメンですし、耐えられません。
何より私は、ちゃんとジークに『好き』だと言えていませんでした。
ジークに好きと……伝えたい。
相手を見ずに婚約から逃げて、間違って。
傷つけて、たくさんすれ違って。
ようやく誤解がとけて、気持ちに気づいたのに――こんなのってありません。
「私はジークに、好きって……ちゃんと言いたいです。だから、この呪い……必ず解いてみせます!」
そう強く、私は誓ったのでした。
ちなみに、ティファニーが一人でもダンジョンに入って来られたのは、ジークと入れ違いだったからです。
ダンジョン的には、ジークとティファニーは同一人物でカウントされます。
ようやくプロローグ終わりましたので、次回からは本編ですが、少々休憩を挟むため、明日はお休みします。すみません。