15.それはまるで出口の見えない迷路のようで
「ジーク!? ジーク!!」
いきなり倒れてしまったジークの体を揺さぶれば、ゆっくりと目を開けました。
「よかった。いきなり倒れたから、心配したんですよ。大丈夫ですか?」
「……誰だお前」
心配した私に、ジークが怪しむような目を向けてきます。
立ち上がると私から距離を取りました。
「ここはダンジョン……だよな。なんで俺はここにいるんだ」
「なんでって、覚えていないのですか?」
まるで借りてきた猫のように、ジークは警戒する視線を向けてきます。
「あんたはダンジョンに入って、それでうっかり足をすべらせて倒れたのよ」
「この俺がか? というか、ここはアベアが司るダンジョンか」
適当なことを言ったアベア神に、ジークは腑に落ちない顔をしていました。
「それでアベア。俺のために女を探す気になったか? ヴェルフレイムを受け入れられるくらいに魔力が高く、子が産める体で、身寄りもなく、後腐れのない女がいいんだが」
「そんな愛のない縁結び、お断りよ。大体ね、墜ちた神に手を貸したら、あたしまで父なる神に怒られちゃう。こんどこそ大事なものを切り取られちゃうわ!」
ジークの言葉に、アベア神が大げさな動作でそんなことを言います。
「切り取られたほうがマシだっただろ。ヴェルフレイムから聞いてるぞ。エリートだったのに、男女見境なく手を出して、父なる神の怒りを買ったんだって? 戦いの神候補だったのに、罰として女神のポジションで愛の神をやってるらしいな」
「うるさいわねぇ、今はちゃんと一途よ!」
くくっと意地悪くジークが笑えば、珍しくアベア神がムキになります。
いつものようにギスギスしているわけではなく、どこか遠慮の無い雰囲気がありました。
「どうだかな。邪魔したな」
ジークが立ち去ろうとします。
慌ててその手をつかめば、思いっきり嫌な顔をされました。
「ちょっと待って下さい、ジーク!!」
「お前、馴れ馴れしいな。どうして俺の愛称を知ってる?」
引き留めた私を、ジークが冷ややかな目で睨んできます。
触るなとばかりに手を振り払われました。
それは、他人を見る目で。
突き放したその態度に、線をしっかりと引かれたのを感じます。
「あぁ、もしかして……アベアの神子だから、俺の愛称を知ってるんだな」
「……」
私にとって、ジークは最初からジークです。
酒場で初めて出会ったとき、自分から名乗ったのをジークは覚えてないようでした。
私のことを、ジークは忘れてしまっている。
その衝撃に、言葉を失います。
「ふぅん、魔力はかなり高いみたいだな。なぁ、お前……俺の子を産んでみないか?」
「なっ!?」
じろじろと私を眺めていたかと思えば、ジークがそんなことを言ってきます。
「金ならいくらでもあるし、子を産んだ後は好きにしていい。どうだ?」
「悪いけど、この子はあたしの子だから。手出したら殺すわよ?」
最低なセリフを吐いたジークから、アベア神が私を庇います。
「ヴェルフレイムを受け入れられる器は珍しいんだが……諦めるか。オカマは怒らせると怖いしな」
ふっとジークは肩をすくめ、その場を立ち去ってしまいます。
こちらを振り返ることもありませんでした。
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「アベア、これは一体どういうことなんですか! ジーク、どうしちゃったんですか! まるで私のこと、忘れちゃったみたいですっ!!」
「ぢょ、ぢょっと落ち着いてシアちゃん! 馬鹿力なんだから、首しまっちゃう!!」
胸ぐらを掴んで引っ張れば、降参だというようにアベア神が言ってきます。
まだ聞きたいことはありましたが、仕方ないので解放してあげました。
「ジークはペナルティを負ったのよ。婚約破棄を言い出したものは、婚約破棄をした相手に五年間は好きと伝えることができない。覚えているでしょう?」
私はアベア神の神子ですから、そのことは知っていました。
ヴェルフレイム様……ジークは私との婚約を自分から破棄していたことを思い出します。
ダンジョンに入ったときのアベア神とジークの会話は、このことだったのかと気づきました。
「ジークはクレイシアちゃんに婚約破棄をしていたわよね。だから、ペナルティが発生したの。恋人だって偽ることも、このお約束の中に含まれるのよ。ペナルティを犯した場合、自分の中にある相手の記憶が消える。つまりこの場合だと、ジークの中からクレイシアちゃんに関する記憶が消えたってことになるわ」
「そんなの困ります!!」
「もう起こってしまったことは仕方ないわ。ジークのことは忘れて、ここであたしと暮らしましょう?」
抗議すれば、ふふっと楽しそうにアベア神は笑いました。
「あたしの眷属になってよ、クレイシアちゃん。不自由はさせないわ。こう見えてあたし、かなり信仰を集めてるから、奥さんになれば贅沢できるわよ?」
「悪いですが、オカマは守備範囲外です!」
ウインクしてくるアベアに即答します。
そんなことより、ジークのことで頭がいっぱいでした。
「そういう辛辣なところも好きよ」
「ふざけないでください、アベア! どうやったらジークの記憶を取り戻せるんですか!!」
「ペナルティを受けて記憶をなくした相手と両思いになって、婚約を交わすこと。《エンゲージ》が結ばれた瞬間に、記憶が戻ることになっているわ」
記憶をなくしてしまった相手を愛し、もう一度愛情を積み重ねる。
つまりジークに、もう一度好きになってもらわなくてはいけないということです。
『シア。その気持ち、俺が忘れても……ずっと覚えてろ。約束だからな』
直前のジークの言葉を思い出します。
アベアによれば、このダンジョンの扉を私の『恋人』として一緒に開けた時点で、ジークにはペナルティが発生していたようです。
だからジークは、それならいっそと思い切って、私に告白してきたのでしょう。
先ほどのジークの冷たい目を思い出せば、少し涙が出ました。
忘れられてしまったというのは、思いのほか胸にきます。
「もう一度、私がジークを振り向かせて《エンゲージ》を結べば……記憶は戻るんですね」
忘れられたままなんて、絶対に嫌です。
それに、私はあのとき『好きかもしれない』なんて、曖昧な言葉で誤魔化してしまいました。
誤解もとけて、この気持ちに気づいたばっかりなのに……こんなのはあんまりです。
「えぇ、そうなればジークはクレイシアちゃんのことを思い出すわ。でも、どちらかが『好き』を告げた瞬間に――《婚約破棄》のスキルが発動する」
唯一の希望を打ち砕くように、アベア神が告げます。
冷水を頭からかけられたような気分になりました。
「記憶が戻って嬉しいって、抱きついただけでもアウトね。相手を愛する気持ちがあれば、触れ合うだけでも発動する可能性があるわ。かなり強いスキルだから」
「そんな! じゃあ、記憶が戻った瞬間に、ジークが私を嫌いになるってことですか!」
迷路に迷い込んだように立ちつくせば、そっと優しくアベア神が肩に手を置いてきました。
「ジークのことは不運だったと思って忘れるのが一番よ。ジークだって、クレイシアちゃんのことを忘れてしまったんだから」
「アベアなんて大嫌いです!」
なだめてこようとするアベアに、言葉をぶつけます。
けれど大して堪えた様子もなく、アベア神は私に視線を合わせました。
「別に、クレイシアちゃんをいじめたいわけじゃないのよ。ジークだけはダメなの」
困ったように、アベアは言います。
ヴェルフレイムは、元々神様でした。
人に裏切られ、絶望に染まり。
アベアによれば、一度墜ちてしまった彼は、周りの穢れを集める装置のようになってしまったようです。
ジークは、そんなヴェルフレイムを体に封じ、穢れを浄化する役割を持っているようでした。
「ジークの一族は、神をも操る一族だった。それが原因で、国は繁栄し――そして滅びた」
遠い昔を思い出すように、アベアは静かな声で語ります。
「あの子は、一族と国の罪滅ぼしを一人で背負っているわ。今もずっとね。全くあの子は悪くないのに、一人でずっと……背負っている。それはとても可哀想だとは思うの」
ジークがヴェルフレイムの力をコントロールし、エイデルハインの地にいる魔物を抑えている。
そのおかげで世界は平和でした。
私もその恩恵にあやかっていましたが、普段の生活では意識したことがありません。
「長い時の中で、ジークの力は弱まった。あの子は体の中にいるヴェルフレイムを、新しい宿主に移そうと考えていて……それで昔はよく、あたしのところへ来ていたの。新しい宿主になれる子を産める、そんな女と縁を結べってね」
疲れたように、アベアは深い溜息を吐きます。
「クレイシアちゃんは、潜在的な強い魔力を持ってる。ジークの子が産める素質があるの。でもね、それは危険なことなの。クレイシアちゃんがクレイシアちゃんじゃなくなる可能性が高い。そんなの絶対に嫌だし、何より――あなたには誰よりも幸せになってほしいの」
強い決意の宿る声。
アベア神はアベア神なりに、私を思ってくれている。
それは……痛いほどに伝わってきました。
遅くなってすみません。
頑張って削ろうとしたのですが、ムリで……またプロローグ終われませんでした。
次こそは終わらせたいです。




