プロローグ
首都カイリー。
南海に浮かぶ大陸、メガラニカ連邦と呼称される国家の南東部の街だ。精々が多少栄えた田舎町、或いは景観だけが売り物の地方都市、といった趣ながら、とある特徴によって唯一無二の位置づけにあった。
即ち、王の居住地。市街地の中心を横断する人工湖の中心に鎮座した古めかしい館。それこそが、全土に散らばる地方局を束ねる国家保安局、通称〝青薔薇〟の対外的な本部兼、このメガラニカ連邦の実質的な支配者たる一族の代表が逗留する屋敷だった。
南條真琴を最初に目撃したのは、二人組の警察官であった。
いつも通り、繁華街周辺を見回っている最中、まっすぐ自分たちに向けて進んできた、とある人物。
背は高くも低くもなく、真一文字に口を結んだ精悍な顔つき。長袖のカッター、鏡面の黒眼鏡、つばの広い帽子と、一見ありふれた夏の格好。若干目を引くのは、真っ白な髪の毛くらいだが、脱色している若者自体は珍しくもない。
しかし何より、両脇に提げた二振りの無骨なナイフを見咎め、若い警官は瞠目する。明確な武装は、不用心な観光客を脅しつける路地裏の不良少年が持つような折り畳み式ではなく、鉈に近い大型のものだ。
反射的に腰の拳銃に手を伸ばすが、直後頭部に結構な衝撃。少し涙目になりながら、拳を振りおろした連れの先輩に非難の視線を向ければ、黙って左胸を指差す仕草。頭の回転は悪くないのか、後輩がすぐさま意図を理解して対象を確認すれば、その胸元には目立つ青い薔薇の紋章。
あっと声を上げる間もなく、足早に二人の脇を通り過ぎようとする人物に向け、先輩に倣って若くせっかちな警察官も敬礼を送る。相手もそれに気付いたようで、一瞬足を止め、軽く会釈して去って行った。
その後ろ姿を見つめながら、警官たちは二つのことに驚愕していた。即ち、彼の年齢と服装に。
並々ならぬ威圧感に騙されたが、間近で見たその人物は、年端もいかないとまでは言わないが未成年、少なくとも酒や煙草の購入に際しては身分証の提示を要求されるだろう年頃だった。
そして、衣服。量販店には置いていない、仕立てのいい一級品をきっちりと着こなしていたが、あのカッターは制服ではない。あの紋章を身につけるからには支給された隊服を着用するのが通例であり、若い警官は初めて例外を目にしたことになる。
確かに、見た目と外見が必ずしも一致するとは限らず、並はずれた童顔という可能性もあるが、どう大甘にみても青年は二十代前半。学歴や人脈も重要な警察とは異なり、彼が所属する組織は徹底した実力主義、つまり、先ほどの人物は飛び切りの優秀者ということになる。どれくらい狭き門かというと、類似の職業である警官二人でさえ選考方法を耳にしたことがないくらいで、公募されていないことは確かだ。
「馬鹿野郎、何声を掛けようとしてるんだ。肝が冷えたぞ」
「すんません。先輩、今のって〝青薔薇〟、しかも本部の人ですよね!」
「ああ、みたいだな。……全く、なんだって私服野郎がこんなとこをぶらついてるんだか」
件の人物の背が小さくなると同時、まるで有名人を見かけたように興奮し出す後輩に、露骨に顔をしかめるその先輩。別に僻んでいる訳ではないし、彼もまた通った道だったので、憧れる気持ちは分からないでもないが、今となっては騒動の前触れとしか思えない。
年が明けて早一週間あまり。夏休みもおおよそ半分が終わり、大きな公的行事も、月末に控える建国記念祭くらい。準備は着々と進んでいるようだが、まだ田舎に帰省している人が多いのだろう。僅かばかりの静けさを感じながら、去年配属されたばかりの後輩と共に、いつも通り街の見回りをしていたのだが、とんでもない厄ネタとすれ違ってしまったらしい。安全の為にも暫くは大人しくしておこう、と密かに決意した先輩警官は、公僕としての責任感はともかく、流石に後輩よりは保身の術を弁えているようであった。
何しろ、私服の〝青薔薇〟だ。月末に向けた視察でもあるまいし、本部捜査官が出向してくるなど、尋常ではない厄介事が進行しているとみて間違いなかろう。署に戻ってから、なんと報告をあげたものかと、彼は苛立ちのあまり再び後輩の頭を小突いた。