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2.質は横にも並べることができない

 質は縦に順序づけることができません(「質Aは質Bより大きい」などということはできない)が、実は横に並べる際にも困難を伴います。「横に並べる」とは、要するにジャンルを区分するということです。


 身近な例をあげましょう。我々は通常、虹は七色であると考え、それを当然のことと思い込んでいます。ですが、これはあくまで便宜上の区別であり、「虹は何色か」の区別の仕方は、民族や地域によって違えば、一つの民族をとっても時代によって考え方が異なります。


 「一つの民族をとっても時代によって考え方が異なる」例をあげてみましょう。よく利用されるのは「信号で使われている『緑』色は、どういうわけか『青』と呼ばれる」という事例ですが、出典を追うことができなかったので、『土佐日記』の例をとります。


 平安時代の日記文学である『土佐日記』には、「『黒』崎の『青』々とした松原を見、磯に砕ける波は雪のように『白』い。貝の色は『赤』く染まっているから、五色に一色が足りない」という意味の文章があります 。このとき「足りない」一色とは「黄色」であり、日本古来の色彩語彙は「白、黒、赤、青、黄」の五色しかなかったわけです。この考え方は中国に由来しており、「緑色」は後年にこの色彩語彙の中から分化した新しい認識というわけです(緑の映えた草を表現するとき「青々した」というのはその名残です)。


 これらの例は「質を区別することは便宜上の問題にすぎず、人々の時代ごとの価値観・文化に大きく依存する」ということを示唆しています。

注記)『土佐日記』は「二月一日:黒崎の松原」を参照しました。原文:黒崎の松原を経て行く。所の名は黒く、松の色は青く、磯の波は雪のごとくに、貝の色は蘇芳(すはう)に、五色いにいま一色ぞたらぬ。

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