8話
時間は、ほんの少しさかのぼる。
今日は何がどうあっても幹也と関わりが切れない日なのかと道長は思わずにはいられなかった。
気まぐれに入った脇道。そこを抜けるとかえが生前気に入って良く行っていた餅屋がある。そこで何か買って墓前に備えようと本当に気まぐれに入ったはずだ。
なのにそこにいたのはガラの悪そうな連中に囲まれたひとりの少年。カツアゲか。なんだか見た事あるような気がするヤツが絡まれているなと思ってよくよく見れば、幹也だ。かぱーんと口が開く思いだ。呆れるほかない。
「なにやってんだアイツ……」
ほんとによく絡まれるんだな、と道長は同情にも似た溜め息をひとつ。だが助けてやる義理はない。無視して通り過ぎようと再び歩を進めた。
しかし、道長はふと、そういえば今朝もカツアゲされていたと言っていた事を思い出し、さすがの道長も同情を覚えて足を止めた。
――助けてやるか…
しかし、この俺を振り回したのだ、財布を盗られて一度がっかりするのもいいだろう、と道長はひとり納得する。それにカツアゲした3人をノせば、ケンカを売る正当な理由にもなるし、ヤツらの財布も頂いて一石二鳥だ。道長はそう考えて近くの壁に背を預け、静観を決め込むことにした。
さぁ、さっさと盗られろ、と、心の中で呟いたそのときだった。
ドガッ!
「――!」
幹也が鳩尾を思いっきり蹴られて、後ろの壁に叩き付けられ、その場に崩れ落ちた。ぐったりと倒れ込んで起き上がる気配がない。不意打ちでしかもあの勢いで鳩尾を蹴られたうえに、恐らく壁で後頭部を打っている。喧嘩は当然ながら格闘技にも縁遠そうな幹也だ。ひとたまりもなかった。
――マズい。
長年喧嘩をしてきたから解る。あの倒れかたはマズい。動かしてはいけない。道長の身体は一気に冷えた。
だが、絡んでいる3人はそんな幹也にはおかまいなしだ。起き上がれと罵声を浴びせ続ける。しびれを切らしたのだろうか、ひとりが幹也を起こそうとその髪を掴もうと思ったのだろう。手を伸ばした。
それを見た瞬間、道長の脳裏に言葉が浮かんぶ。
――触るんじゃねぇ。
不良の手が幹也の髪に触れそうになった時、道長の中でプツリと音を立ててなにかが切れた。
「そいつに触るんじゃねぇッ!!」
叫ぶと同時に道長は、幹也に触れようとしていた男を真横に殴り飛ばした。
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3人を蹴散らして、幹也を救急車に乗せたあと、道長は病院について行く事もなく、午後の町をただぶらぶらと歩き、歩き飽きたところで1本の電話を入れた。それからしばらく、ただぼーっと道のガードレールにもたれ掛かったまま、時間をつぶしていた。
3組目になる女の子達が道長ににべもなく遊びのお誘いを断られ、泣く泣く立ち去った頃、黒のボロボロの軽自動車が道長の目の前に止まった。
「おいコラ道長、この俺をアッシーにしようなんざ100万年早ぇぞコラ」
窓が開くと同時に頭に白いタオルを巻いた土木作業員の格好をした男が、言葉とは裏腹に笑いながら道長にを呼んだ。
「悪ぃな大地」
道長はとくに悪いとも思ってない様子でそう言って一瞥をくれると助手席に乗り込んだ。ぎぃっと音が鳴ってシートに身体が沈む。同じくギシギシなるドアを勢いよく閉めれば、車の中に山ほど置かれた消臭グッズの安いムスクの香りが鼻を突いた。
「くっせぇ車……相変わらずバカみたいに置いてんだな」
「だって俺事故ったせいで鼻あんま利かねぇんだもん。これぐれぇ置かねぇと解んねぇし。それにこの匂いムラムラさせんだってよ。知ってたか?」
「まだ車でヤってんのかよ」
「ったりめぇだろ!俺カーセク大好き人間だぜ?最近はよぉ適当に捕まえた女連れ込んでヤったあと、マッ裸のまま放り出してやってんだー。これがさぁもうすっげぇ笑えんの!」
「……良い趣味してんぜ」
心底イヤそうな顔をみせる道長に、キヒヒヒと笑いながらバスンと音をさせて大地がエンジンをかける。けたたましい音をさせて車は再び走りだした。
「つか俺を呼び出したってことは誰かやられたのか?」
前を見て、運転をしたまま大地は道長にそう尋ねた。道長はちらりと大地に視線を寄越して、また流れる景色に視線を戻した。
大地はケルベロスの副総長だ。高校には行かず、土木作業員として働いているため、年中汚れた白のニッカポッカにTシャツを着ていた。髪を焦げ茶に染め、耳にいくつかピアスをしていて、猫のような吊り目のなかなかの美形なのだが、その言動は下劣なポルノ雑誌が服を着て歩いてるような男である。道長とは古い付き合いで、ケルベロスで知り合ったいわば戦友だった。
「…いや、今日おまえ仕事ねぇって言ってたから呼んだだけだ」
「なんだ。つまんねぇ」
呟くようにそう答えると大地は「せっかく暴れられると思ったのに」とぶちぶち言いながら車を流した。
道は住宅街をうねるようにのび、ケルベロスのホームへと続く。幅の狭い車道、短い上り下りの坂が繰り返されながら、徐々に高台へと登って行く。この坂を上りきったところからまたうねうねと上下左右を繰り返し、平地に出たならばホームはすぐそこだ。
坂の頂点。夕日が直接目に飛び込んでくる。それを手をかざして遮れば、小さな町が一望出来た。
渡樫生花店はきっと、あのあたりだ。
会話のなくなったボロボロの車内で道長は、救急隊員に引き渡した血の気のない幹也の顔を思い出していた。