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君は青、俺は赤。  作者: ハルタ
2章:小さな変化と不確定要素
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5話



「あ。いらっしゃいませ」

「……」


 日々は淡々と過ぎ、幹也と道長が再会してから既に半年が経った。再会したからと言ってお互いに際立った変化があるわけではなかった。ただ、あれ以来道長は度々この渡樫生花店を訪れるようになった。とは言っても月に一回の祖母であるかえの月命日の花を買うだけなのだが。それでも今まで適当に買っていた花を渡樫生花店で買うようになっていた。


「今日もお祖母ばあさまにですか?」

「…ああ」

「じゃあしばらく待ってて下さいね」


 2度目に店を訪れたとき、幹也は熱心にどんな花束にするのか尋ねた。道長は特に興味もなかったので予算を告げ、任せると言い放つと、無礼な態度の客に腹を立てるかと思いきや、幹也は大はりきりで今度はかえの好みなどを熱心に尋ねた。


 幹也のその熱心さによって生み出される花束は道長の予想を毎度、気持ちいいぐらいに裏切った。あるときはピンクの花で揃えて窓辺に飾りたくなるような小さなブーケのように。あるときはモノトーンで揃えつつも暗くならないようにシックに。あるときは色とりどりの花をたくさん集めて華やかに。まるで墓前に供えるとは思えないような花束だが、それらには必ずさりげなく仏花が織り交ぜられていた。


 いつだったか、道長はどうして墓前に飾るような地味なのにしないのかと訊ねたら「同じ仏花ならより美しいものを見てもらいたい」ときらきらした笑顔で返事が返ってきた。


「女性に贈るなら尚更でしょう?」

「…87で死んだババアだぞ…?」

「女性に年齢なんて関係ありませんよ」


 そう言ってまた笑った幹也に「こいつは根っからの女好きか」と道長が思ったのはここだけの話だ。


 とにかくそんな調子でいつの間にか道長自身とくに意識をしていたつもりではなかったのだが、気付けば渡樫生花店は行きつけの花屋になっていた。アレンジはしてくれる、花は安い、己の行動範囲内にある。となれば、そうなるのも自然と言えば自然な話だ。


「お待たせしました」


 軽快な声が聞こえて振り返ってみれば、英字新聞を模した包装紙で背の高い白い花だけを包み、ヨーロッパ映画に出て来そうな花束を携えた幹也が――余程満足いく出来になったのだろうか――いつも以上にきらきらと笑って待っていた。なにが面白くてそんなに笑顔を振りまくのか。半ば感心しながら道長は後ろのポケットに入れた長財布を抜き取った。


「あ…」


 道長は何を思ったか開けた小銭入れのチャックを閉め、かわりに札入れの方を開けた。そして千円札と一緒に何かのチケットを取り出した。


「…これ」

「はい?」

「やるよ」

「え?」


 言って渡したのは随分風変わりな生け花と思しき展覧会の招待券だった。幹也はそれを受け取りしばらくきょとんとしていたが、突然爆発したかのように叫んだ。


「サニエル・オストじゃないですかッ!!どうしたんですかこれ!?」


 サニエル・オストとはベルギーの造形作家だ。植物、主に花を使った作品を作り続けている芸術家でベルギー王室の式典の装飾を任されるほどの活躍をしている。それ以外にも世界的に高い評価を得ており、日本にも度々訪れ展覧会を開いている。幹也が受け取ったチケットに載っている生け花のようにみえたそれも、よくよくみれば日本人の思う生け花とは随分毛色違うものだった。


「……るせぇ」

「あ、ご、ごめんなさい、でも、本当にこれ、ど、」

「知り合いに新聞配達やってるヤツが居て、貰った。あんた好きかと思って…」

「好き!好きです!もう大好きです!!」

「……」

「あ、あの、これ…」

「…だからやるって」

「~~ッ!!」


 顔を紅潮させてただでさえ下がっている眉尻をさらに下げ、幹也はもう感極まって声も出ないと言った様子でチケットを見つめている。たかが招待券一枚でここまで感激できるなんて得な性分だな、と道長は冷静にその様子をうかがった。


「波多さん」

「!」


 名前を呼ばれてギョッとした。知り合って半年、確かに名前はお互い伝え合っていたが道長はとっくに幹也の名前を忘れていたため幹也が自分の名前を覚えていた事に心底驚いた。それもそうだ。ただ花を売る、買うだけの関係の道長達は名前を呼び合う必要はなかった。


 しかし、それ以上に道長を驚かせたのは幹也の今まで見たことのない蕩けるような笑顔だった。


「ありがとうございます。やばい、すげー嬉しい!」


 あまりの幹也の喜びように思わず口角が動いた。そのことがなんだかひどく恥ずかしくて、道長は素っ気なく「別に」と返事をしてそっぽを向いた。これ以上ここに居たくなかった。道長はおつりのこともすっかり忘れて立ち去ろうとしたが、もちろん幹也に捕まった。


「すみません。お待たせしました、360円のお返しです」


 それだけ受け取るとすぐに道長は踵を返したが、幹也は待って待ってと慌てた様子で道長を呼び止める。なんだ、と道長は苛立ちを露わにした眼差しを幹也に向けたが、幹也はまだ興奮が続いているからなのか、道長の視線に臆する様子もなく突拍子もないことを口にした。


「いつにします?これ」

「は?」


 言ってる意味がまるで解らない。全身でそう伝えれば、幹也の方がきょとんとする。一体なんなんだ。さっきから胸の辺りをグチャグチャとかき混ぜられているような感覚に道長の苛立ちはエスカレートする一方だ。ワケ解んねーこといってんじゃねぇと凄んでやろうかと思ったそのとき、幹也がのんびりとした調子でぽりぽりと頭を掻きながら口を開いた。


「一緒に行かないんですか?」

「……」


 さも当然だと思っていましたと言わんばかりの幹也の間抜け面に道長の毒気は一気に抜き取られた。


「…招待券は1枚しかねぇだろ…」

「これ!1枚でふたりまで行けるって書いてますよ!」

「…女誘えよ」

「僕、カツアゲに遭いやすいんです。巻き込みそうで女子なんて怖くて誘えません」

「………ならそういうの好きな野郎連れてきゃいいだろうが」

「僕の周りに花が好きな男子はいません」

「俺だって好きじゃねぇよ」

「……」

「……」


 言えば、幹也はまるで小さな子供のように本当にがっかりしてみせた。別に悪い事はしてないはずなのに気まずい。むしろ良いことをしたはすなのに実に気まずい。


「でも、ホントに素敵なんですよサニエル・オスト……波多さんお花、お嫌いじゃないでしょう?絶対気に入ると思うんです」

「……」

「本当にすごく素敵なんです!見て損はありません。お忙しいわけじゃないなら一緒に行きましょうよ!」


 なおも喰い下がる幹也に道長はまただんだんと苛立ちを感じ始めた。


「…ったく何なんだっつーんだ……、おまえ俺のこと好きなのかよ?」


 口をついて出たその言葉。幹也は当然の反応というべきか、ぽかーんと口を開けて固まった。


 そして、言った道長は自身の言葉に内心ひどく驚いていた。思いもしなかった事が口をついて出て来たからだ。

 だが、そんな道長におかまいなしに、幹也は竹を割ったような明るさで突然笑い出した。


「あっはっはっはっは!やだな波多さん僕男ですよ?そんな下心ないですないです。お誘いしてるのは貴重な男の常連さんにもっと花を好きになってもらいたいからですよ」

「……」


 屈託なく笑ってそういう幹也は言われずとも裏などない事は明白だった。道長は自分が言った事に珍しく恥じ入り、黙る。だが、生来の悪人面のせいで、不機嫌になったようにしか見えなかった。もっともプライドの高い道長には好都合だったかも知れないが。そんな道長を見て、幹也は苦笑して言葉を続けた。


「ごめんなさい。確かに僕もしつこかったですね。…でもこれで最後にしますから。1回だけどうですか?世界が広がりますよ?」


 首を傾げて眉を下げ、控えめにしながらもなおも誘う目の前の少年。あまりにもきらきらとした誘いに、揺るがないと思っていた気持ちが揺らぎだした。


 まぁ、無料だし。特に予定はない。つまらなかったらすぐ帰れば良いのだし。贔屓にしている花屋の店員の誘いだ、無碍にするのも気が引ける……たまには、こんな暇つぶしもいいかもしれない――


 言い訳は揃った。道長はさも面倒くさそうにわざとらしくひとつ息を吐いてみせた。


「……解ぁったよ」



:::


 そうして現在約束の日。朝11時。駅前。道長はまるで興味のない展覧会を見るために、まるで人種の違う幹也を待っている。だが、道長はひどくイライラしていた。


 約束の時間は10時半。現在時刻は11時7分。道長自身11時頃に着いたのだが、その自分より遅いとはどういう了見なのか。ここですでに相手が既に帰っているかも知れないという発想に至らないのが何様、俺様、道長様だ。加えて普段待ち合わせをすれば必ず相手を待たせるくせに自分が待たされるのは嫌いという超自己チュー具合。イライラはほぼ頂点に達していた。道長は5本目の煙草を飲み終え、もう帰ろうと腰かけていた花壇から立ち上がった。


 そのときだった。人ごみをかきわけて幹也が小走りにやって来た。


「波多さん!」


 背が小さいため人ごみに埋もれる幹也は必死に道長に見つけてもらおうと片手を高々と上げ、ぴょんぴょんとうさぎのように跳ねながらこちらへと向かってくる。


 その滑稽な姿に道長は思わずぶっと吹き出した。


――なんだあれ、何歳だよあいつ…


 まるで小学生だ。店にいるときの大人びた表情と口調で同い年くらいだと思っていたが、あんな様子を見せられるともしかするともっと年下かも知れないと思う。道長は不機嫌だった事をすっかり忘れ、人ごみの中でひとり爆笑しないように必死に耐えていた。


 だが、そんな道長の内心を知らない幹也は、今にも泣き出しそうなほど眉を下げ、道長の前に来るなりがばっと音がするほど深く頭を下げた。


「遅くなってすみません!」


 深く深く頭を下げる幹也。周りを行き交う人々がちらちらとそれに視線を寄越した。いや、正確には幹也と道長の両方に。それもそうだ。かたやいかにもガラの悪い長身の男、かたや人の良さそうな小柄な少年。カテゴライズするなら加害者と被害者といったところか。

 普段からよく自分たちに投げられるその視線。普段なら、甘んじて受けるが今回に限ってはこちらは何もしていない、むしろ逆だ。なのに不躾に投げられるそれは決して気分のいいものではなかった。

 道長は「ちっ」と小さく舌打ちをすると幹也の腕を引っ張り、無理矢理上体を上げさせた。


「わ」

「…もういい。行くぞ…どっちだ?」

「あ、はい、こっちです」


 幹也がしっかりと歩き出したのを確認して道長は幹也の腕を放し、ベージュのトレンチ風のコートのポケットに両手を突っ込んだ。ダウンやマフラーが欲しいほど寒くはないが、10月の秋風をコートなしで凌ぐのはさすがに辛くなっている。コッツコッツとブーツの踵を鳴らしながら幹也のナビに従って半歩先を進む。歩幅が随分違うため幹也はかなり早足で歩いているようだったが、道長は気にせず自分のペースで歩き続けた。


「…おい。あとどんくらいだ?」

「え?あ、もうすぐですよ。ほら、あのビルです」

「……まだ先じゃねぇか」


 うんざりと顔をしかめると、隣から少しばかり息の上がった幹也の「すぐですよ」という笑い声が届いた。




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