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君は青、俺は赤。  作者: ハルタ
9章:出発の為の総括的展望
44/47

44話

 引退宣言をし、完全にケルベロスから離れた日の夜。道長は携帯電話を開けては閉じ、閉じては開け、長い時間にらめっこをしていた。


 表示されているのは、初代特攻隊長の龍太郎のナンバーだった。さんざん迷った挙句、道長は意を決して発信ボタンを押し、携帯電話を耳にあてた。


 一回…二回…。呼び出し音が鳴る。出て欲しいような、そうでないような。また、かけなおそうかと思ったその時、返事があった。


『おう』

「龍太郎さん…」

『道長か。どした?』


 変わらない、あっけらかんとした声に、心底ほっとする。道長は、そっと息を吐いて「今時間いいッスか?」と問うと、一気に要件を吐き出した。


「引退しました。ケルベロス」


 心臓が走る。何を言われるのか、いろいろと想像したが、結局解らなかった。解らないまま龍太郎に電話をかけた。道長の中のけじめのひとつだった。いやな緊張に心臓がうるさい。早く、返事が欲しかった。


『…そうか』


 龍太郎の返事は短かった。落胆した様子もなく、驚いた様子もなく、ただ淡々と道長の言葉を受け入れた声音だった。


『お疲れ』

「…ざッス…」

『緊張したか?俺に電話すんの』

「…ちょっと…」


 口ごもると、携帯電話の向こう側からくつくつと笑う声が聞こえた。すこしずつ緊張が解けた。それをみはからったのか、龍太郎が「安心しろ」と続けた。


『安心して、引退しろ。後輩の面倒は、生きてる限り俺が見る』

「はい。ありがとうございます」

『おう』

「…あの、龍太郎さん…」

『あん?』

「大地のこと……聞いてますか?」

『……ああ』

「大地は、除籍しました」

『そうだな。それでいい』

「…あいつのこと、よろしくお願いします。…あいつの帰る場所を消しちまったんで…」

『ああ…任せとけ』


 日を追うごとに、思い知る。大地との溝は、恐らく自分が思っている以上に深い。すぐに会いに行ったところできっと大地のことだ、天邪鬼のように道長が思う方向と逆の方へ行くだろう。それなら、しっかりと時間と距離を置いた方がいい。そして、その間を安心して任せられるのは龍太郎しかいなかった。


 その龍太郎が引き受けてくれた。これで、大地は大丈夫だろう。そう、思う一方で、道長は龍太郎本人のことも気になっていた。


「あの…龍太郎さん、俺が言うのも変なんスけど…」

『なんだ?』

「ケルベロスに縛られないで下さいね」

『ハッ!言うようになったじゃねぇか』

「ナマ言ってすんません。けど…俺は…」


 自分が引退する段になって、ようやく見えるようになったもの。それが、先達のことだった。初代も、二代目も、皆この世界にはもういない。唯一龍太郎だけが未だ暗い世界に身を置き、ケルベロスを見守っている。


 道長は純粋に心配だった。どこか責任感の強い龍太郎が、ケルベロスの存在によって明るい世界に戻れずにいるのではないのか、と。


『安心しろ。俺は暗いとこでしか生きていけねぇ性分らしい…結局居場所はここ以外ねぇし、俺もここが一番居心地がいいんだ』

「……」

『ヨシやおまえは、正直俺には眩しすぎる…。なのに羨ましいと思ってる。俺ぁどっちつかずの浮き草なんだ。でもそれが一番居心地いい。だから、俺はヤクザやりながらケルベロスに顔を出しに行くんだろうぜ』

「そんな…」

『そういう野郎もいるんだ。けど、おまえはこんな世界に未練感じてんじゃねぇぞ、道長』

「……はい」


 噛み締めるようにして返事をした。またひとつ肩の荷が下りた気がした。体が軽くなる。鎖が外れたような、そんな感覚。龍太郎の言葉が体の奥底にしみ込んで溶けた。


「最後に、ひとつだけ」

『うん?』

「ちょっと前に正俊さんに…ヨシさんに会いました」

『!』

「伝言です。〝風邪ひくなよ〟って」

『…チッ。どっかの海賊マンガじゃねぇぞクソが…』


 なんとなく龍太郎が今どんな顔をしているか解った気がして、道長はこっそりと口角を上げた。


『おい、もしアイツにあうことがあったら「余計なクソお世話だ」って言っとけ』

「はい」

『道長』

「はい」

『おまえ、もう2度と俺にかけてくんな。俺の番号も消せ。これっきりだ。いいな?』

「…はい」

『じゃあな』

「はい。どうか、お元気で」

『おう。お前もな。――あばよ。3代目』



:::



 ざっくざっくと音をたてながら、道長は双順の寺の石段を下りていた。まともな外灯もなく真っ暗なそこ。ここを下れば墓地だ。夕方ならまだしもこんな草木も眠る丑三つ時では、気味が悪くて誰も近づかない。だが、道長はそこを平然と下っていった。今は、むしろ夜中の廃工場の方が恐ろしい。再びあそこに行けば、もう二度とこちらには戻ってこれない気がしていたから。


 それだけのことを思えるようになっていた。もう、道長の心は完全にあの後ろ暗い世界から、双順や幹也たちのいる明るい世界に戻りつつあった。


 細い道を通り、ひとつの墓地の前にたたずむ。かえが眠るその石の前に。


「よぉ、…見てたか?」


 随分と長い間墓石を見つめ続けてから、道長はぽつりとつぶやいた。


 大切な、大切な道長の祖母。死してなお道長を支え続けている存在。ずっと、どこかで見守っていてくれていたと道長は感じていた。


 だからこそ、道長は夜中にもかかわらず報告に来た。きっちりとけじめをつけてきたことを。


「長い間、心配かけた」


 墓石に、そっと手を触れた。今際の際であっても、ついぞ触れることのなかったかえの頬に触れるように。大事なものを慈しむように、そっと、触れた。冬の冷気に晒されて氷のように冷たいはずの墓石が、何故かとても温かく感じる。もう一歩近づいて、道長は額をことり、と墓石に触れさせた。


 自然と、笑みがこぼれる。


「ばあちゃん、あんがとな…」



:::



 夜中、双順はふと眼がさめた。時計を見れば3時だ。こんな時間に起きるのは珍しかった。あまりにもすっきりと起きてしまったので、すぐに眼を閉じる気にもなれず、双順はむくりと体を起こして羽織を肩にかけた。ぎしぎしと鳴る廊下をゆっくりと歩き、何とはなしに本堂へと赴いた。


 本堂の周りをぐるりと廊下が囲んでいる。それをまたぎしぎしと鳴らして正面に出るかというとき、思わず双順は眼を見開いた。階段に座り込んでいる人影がある。こんな時間に、一体誰が、と思った瞬間、その人影の頭が動いた。


 暗闇にも浮かびがる、鮮やかな金髪。思い当たるのはたったひとり。


「…道長か?」

「!…ッス」


 さすがにこの時間に会えるとは思ってもいなかったのだろう。道長は驚いた様子でこちらを見つめていたが、すっと立ち上がると恭しく頭を下げた。その、よどみのない所作にまるで別人がいるような錯覚を覚える。


 目の前に居るのは間違いなく道長。なのに、纏う空気がまるで違うようになっていた。


「なんや、憑き物が落ちたみたいやな…」


 まさに、そう表現するのがしっくりきた。もともと整った顔に淀みがなくなり、すっきりとした、すがすがしい表情をしている。


「和尚」

「うん?」

「…俺、族をやめてきました」

「ああ――」


――なるほど。


 双順は、深々と頷いて、全てを悟ったように穏やかにほほ笑んだ。


 外に居るのはさすがに冷えるだろう、と双順は本堂の戸を開け、道長を座らせた。マッチでいくつかのろうそくに灯をつける。暗闇の中に本尊の不動明王が静かに浮かび上がった。なにか大事な話をするときはいつも必ず本堂だった。


「和尚」

「うん」

「俺、完全に足を洗ってきました。祖母にも挨拶を済ませてました。これから、真面目に学校行って、約束してるバイク屋に就職するつもりです」

「うん、うん」

「和尚」

「ん?」

「今まで、こんな俺を見捨てないでくださって、本当に、ありがとうございました」


 まっすぐに双順を見つめ、道長はそう静かに告げた。双順はじっと道長を見つめていたが、やがて、ふっと微笑んだ。


「…道長、ついといで」

「?」


 双順は本堂の脇から寺事務所へと道長を案内した。寺事務所の簡素な応接室に道長を通すとしばらく待つように言い残して、双順は一度部屋から出、しばらくしてふくさにつつまれた何かを手に戻って来た。


「開けてみ」


 言われ、するするとふくさを開いて出て来たものに、道長は思わず眉をひそめた。

そこにあったのは、道長名義の一通の通帳だった。何気なくそれを開けば、目を見張るような金額がぽんと1番上に記載されていた。


「…これ、は?」

「かえはんから預かっとった」

「ババぁ…祖母から?」

「かえはんの遺産や」

「――え?」


 遺産相続はとうの昔に終えたはず。道長は遺言に従い、祖母の遺産を一切受け取らない代わりに、戸籍上も正式に実父、秋長とその正妻の子と認知することを認められた。今までの道長と秋長やその正妻との実際の関係を変えることは無かったが、かえは息子夫婦に、己の死後、道長の法的に確かな後ろ盾になることを約束させたのだ。


 道長にとっては、父親の庇護の元に置かれることは腹立たしいことこの上なかったが、自分の為を第一に考えてくれた祖母の顔に泥を塗る訳にもいかず、渋々承諾したのだ。


 なのに。目の前にある祖母からだと言われて渡された、この道長名義の通帳は一体どういうことだろう。


「公にはされんかったけどな、遺言でおまはんがお日ぃさんの下で堂々と生きていく覚悟がでけたら渡すように言われとったんや。法的には何も問題ないようになったるよって大事に使い」

「……」

「ひとつ提案があるんやけどな」

「はい」

「それを元手にお父はんとっから自立しよし」

「え?」

「あの窮屈な離れから出たらええ。今のおまはんなら、もう大丈夫やろ?」

「……」

「道長」

「は、はい」

「……」

「…あの…?」

「…よう、頑張ったな」

「!」


 静かに告げられた労い。


 唐突に湧きおこった胸が締め上げられるような感覚に、道長は歯を食いしばった。


 気がつけば、ぱたぱたと胸元や硬く握った手の甲に水滴が落ちている。


 多くを失い、多くを得た。今流れているのは果たして、後悔なのか、安堵なのか、悲哀なのか、歓喜なのか。もはや道長自身にも解らない。ただ、ひたすらに、涙が溢れて止まらなかった。


「…お、しょ…」


 ひきつる喉を叱咤して、なんとか双順の名を呼ぶと、道長はがばっと音がするほど勢いよく両手をつき、畳に額をこすりつけるようにして頭を下げた。


「双順和尚ッ…!…この、ご恩は…ッ、いっしょおッ、忘れません…ッ!」


 叫ぶようにそう言って、深々と頭を下げた道長に、双順は、ただにっこりと微笑んだ。



 そして31日。夜。

 もうすぐ年が明けるというその時。


 双順はあっけなく、この世を去った。






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