43話
最終章です。
大地が捕まったと連絡が入ってから5日。年の瀬のせまった12月29日。道長は、双順の寺の本堂にいた。改造をした短ランをきっちりと身にまとい、背筋をピンと伸ばして座禅を組む。挑むように本尊である不動明王に向き合っていた。
そして、静かに眼を開けた。しんと流れる静かな空気。道長はしばらく本尊を見つめていたが、やがて音もなく立ち上がり、そしてそのまま寺を後にした。
寺の門を出たところで携帯電話を取り出し、数回コールする。ぷつ、と音がして相手が応答した。
『はい』
「ケータ。どこだ」
『いま、ホームです』
「大事な話がある。待ってろ」
『…ッス』
慶太郎の返事を聞くが早いか道長は携帯電話を閉じ、背に主が乗るのを待つ獅子のようなビッグスクーターにまたがる。少し手を加えたマフラーが轟音を響かせた。風が吹き抜けるがごとくそれを走らせ、道長はホームである廃工場へと走り去った。
廃工場についた道長はたむろしている仲間の中から慶太郎を見つけ出すと、いつもはあまり使わない2階の一室へと向かう。朽ちて今にも崩れ落ちそうな錆びた鉄の螺旋階段を上り、応接室として使われてたと思しきその部屋へ慶太郎を招き入れた。
そこにある、朽ちかけているソファにどっかりと座れば、ぶわぁっと埃が舞う。それを気にすることもなく、道長はポケットから煙草を取り出すとカチカチと音をさせてライターで火をつけた。
ふぅーっと深く吸い込んだ煙を吐き出す。そして、道長は腹を括った表情で足元を睨みつけながら、はっきりと、慶太郎に告げた。
「明日、大地を除籍する」
「……ッス…」
慶太郎も予想していたのだろう。特に驚いた様子もなく、淡々と答えたが、その表情には少しばかり落胆の色が見えた。
「ヤクやハッパはしねぇ。それがケルベロスの暗黙の了解だった。しかもヤクザと繋がって、脅してハッパ売ってたのは、喧嘩上等に反する。それを、副総長がやったってのは絶対ぇ許せねぇ。…これは、ケジメだ」
「はい」
「…それから」
道長は、くわえていた煙草を揉み消し、まっすぐ慶太郎を見据えた。
「俺も、やめる」
「……え…?」
「総長やめて、族から抜ける」
「そ、んな……なにを…ハハ」
なんてひどい冗談だ。悪ふざけも大概にしてください。言いたいのに、言えない。道長の目には強い決意の光が宿っていて、聞かされた言葉が冗談ではないことをゆっくりと教えられた。慶太郎は道長から目をそらせないまま、壊れたオモチャのようにゆるゆると首を振る。
「道長さん…そんな…そんな、待って下さい。…道長さんがやめる、とか…そんなことになったら、一体誰がケルベロスを引っ張ってくんスか!県下制圧して、同盟は20以上もあるんスよ!?人数にしたら300人越えてんスよ!?それだけの数を道長さん以外の一体誰がまとめるっつーんスかッ!!」
話すうちに、ことの重大さが解って来た慶太郎は徐々に声量を上げ、とうとう立ち上がって声を荒げた。道長はそれをただただ静かに聞いていた。新しい煙草に火をつけ、表情を変えず、ただじっと沈黙を守ってそれを聞いた。ふたりの間に紫煙が空気に滲むようにゆるやかに立ちのぼる。慶太郎は続けた。
「辞めるとか、言わないで下さいよ、道長さん」
「…いつかは俺だって引退するんだ。それが今になっただけだ」
「ならもうちょっと待って下さい。大地さんのことがショックなのは解ります。メンバーだって、俺だって、すげえショック受けてます。
大地さんに引っ張られて、掟に背きだすヤツも出て来ちまって…今、ケルベロスが揺れてんのは道長さんだって気付いてんでしょ?いつ他のチームが裏切って襲って来るかも知れねぇ状態なのに、今、道長さんにまで抜けられたら、ケルベロスは完全に潰れちまいます!」
「……ハッパに手ぇ出したヤツには、制裁だ。そのあと、俺も大地も抜ける。そうすりゃウチでヤクは御法度なんだって、全員の頭に叩き込まれんだろ」
「だから!そのあとのチームは誰が纏めるっつーんスかッ!!?」
「おまえがいるだろ」
淡々と答える道長に、とうとう慶太郎は激昂した。
「逃げんじゃねぇよッ!総長のくせにッ!!!」
「――んだとゴラッ!!?」
道長はギロリと睨み、立ち上がる勢いに任せて慶太郎の胸倉を容赦なく締め上げた。
「誰に向かって口利いてやがんだテメェッ!!ああッ!?」
今にも襲いかからんばかりの勢いで道長は怒鳴った。その辺の不良ならそれだけで顔を青褪めさせ、戦意どころか逃走する気力さえ殺いでしまいそうな道長の怒気。慶太郎も一瞬怯み表情を強張らせた。しかし、さすがはケルベロスの特攻隊長と言うべきか。一瞬苦しそうに眉を歪めたが、すぐにギロリと道長を睨み返し、道長の胸倉を掴み返した。
「面倒ごと全部俺に押し付けて辞めるってことじゃねぇかッ!それが逃げ以外のなんだっつーんスか!」
「いい度胸だこのクソ野郎ッ!!」
ゴッ、と鈍い音がして道長の拳が慶太郎の右頬にめり込んだ。慶太郎の巨体はその衝撃に耐えきれず、側のテーブルにガッシャーンと派手な音を立てて倒れた。
「頭冷やせバカヤロウ」
「…――冷やすのはあんたの方だろうが!!」
言うなり、大振りのフックを道長に放った慶太郎。予想外の反撃に一瞬反応が遅れた道長は、それをぎりぎりのところで受け流した。勢いを殺さず突っ込んでくる慶太郎から大きく一歩離れて距離を取る。続けて降ってきた慶太郎の左ストレートを懐に潜ってかわし、そのままの勢いで慶太郎の鳩尾に重い一発をくらわせた。
「あがっ、」
もろに食らった腹を抱えて、慶太郎は膝を折る。道長は肩で息をしながら、慶太郎の後頭部をみつめた。
「…気が済んだか?」
「……」
「…ケータ、返事」
「…辞めないで、下さいよ…道長さん…」
「……」
「……お願いします…ッ!」
うめき声にも似た、慶太郎の懇願が道長に届いた。伏せた顔はあがらない。慶太郎がいったいどんな顔でそれを言ったのか、道長には解らなかった。
「道長さんも辞めるんだったら、俺も辞めます…」
「バカか。おまえまで辞めたら本当に壊滅するだろうが」
「道長さんが辞める時点でケルベロスはおしまいじゃないッスか!!」
悲痛なという以外に形容のしようがない慶太郎の眼が道長を見上げ、責めた。道長はそれを受け止めながら、ふ、と慶太郎から顔を背けると、煙草に火をつけ、長い時間をかけてその紫煙を吐き出した。
「…大地から、周りは県下統一したのは俺個人だと思ってるって話を聞かされた…」
「ッ!」
「やっぱ、本当の話なんだな…」
慶太郎の反応に、道長は苦笑を洩らした。どこかで、そんな話は聞いたことがないと慶太郎にいってもらいたかった自分を自覚し、そして少しばかり落胆する。大地の言葉は、やはり本当だったのか、と。
「…俺は、ケルベロスをてっぺんにしたかったんだ。俺がてっぺんに取りたかったんじゃねぇ」
慶太郎もまた、困惑したように黙り込む。道長の思いを身近で感じていた慶太郎には、道長の落胆も痛いほどに理解できたからだ。
「ケータ、おまえ、この族の世界から抜け出したいって思ったことねぇか?」
「ねぇッス」
即答した慶太郎に道長は少しだけ笑んだ。ソファに再び腰掛ける。
「俺は…たぶん、ずっとこの世界から抜け出したかったんだと思う…」
「…道長さん……」
「ここは居心地がよかった。ずっとここでいいと思ってた。でも、心のどこかで、抜け出してぇって思ってたんだと思う」
「……」
指先で、火のついた煙草をもてあそぶ。煙がゆらゆらと道長と慶太郎を隔てた。道長は続けた。
「俺は、ずっと自覚はなかったけど、家族に余計な存在だと思われてるのが苦しかったんだと思う。お袋はいねぇし、親父が俺を放ったらかしてんのが気に食わなくて、それから逃げたくてこっちの世界に来たんだろぉな。いやな場所だったけど、それでもどっかであっちに戻らねぇと、って思ってたんじゃねぇかな。
だから、ケルベロスに憧れて入った。ひとりひとりがギラギラしてて、悪やってんのに、腐りきってないケルベロスに憧れた。腐ってた俺の最後のプライドだったんだと思う…」
「……」
「気の迷いとか、ヤケんなってとか、ただなんとなくカッコ良さそうに見えてこの世界に入ってくるヤツは、きっとずっといなくならねぇ…それなら俺はせめてそいつらがぎりぎりンとこで踏みとどまって、いつか普通の世界に戻れるような場所を作ろうと思った。
始めは、おまえや大地が戦争してぇって言ってたから、じゃあやるかって感じだった。でも…途中から〝それ〟が俺の目的になった。喧嘩上等の掟があって、ひとりひとりがギラギラしてるケルベロスなら、それが出来ると思った。だから戦争をしたんだ。統一してからも俺の理想のケルベロスでいられてると思ってた…けど…」
まるで懺悔だ。
「俺は、どこで間違えちまったんだろうな…」
「ッ…、……」
顔を伏せた道長の表情は読めない。慶太郎の涙は、止まらなかった。
「全員が腐らずにギラギラしてねぇと、ケルベロスはおしまいだ。その為に掟をもっと強いものにしなきゃいけねぇんだ」
「…ふ、っぅ…ぅ、う」
「これは、ケジメだ。――慶太郎」
静かに、しかしはっきりと告げ、慶太郎を振り返った道長は、ふいに口角を上げ、笑ってみせた。
「…あと、頼むな」
慶太郎は覚悟を噛み締めるように、ぐっと奥歯を食いしばった。握った拳が震える。胸が詰まって、嗚咽以外の声が出なかった。それでも慶太郎は戦慄く唇に力を込め、はっきりと「はい」と返事をした。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲
翌30日。ケルベロスだけで集会が行われた。同盟数23。総員300名を越える大集会だった。そこで道長は大地の処分と己の引退を宣言した。
そして道長は、後任に四代目総長を慶太郎、副総長を慶太郎の補佐役だったトキという少年、特攻隊長に大地の補佐役だったヨシフミという少年をそれぞれ指名した。予想通り一悶着起こったものの、思う存分拳で語り合った結果、最後は道長の思惑通りにほぼ全てが丸く収まった。
ただ1点、道長の思い通りにならなかったことがあった。それは四代目幹部襲名に関してだった。
慶太郎は総長を任命されたものの、それを辞退。最大の譲歩として、四代目が決定するまでの総長代行ならば務めると宣言したのだ。それも〝四代目〟ではなく〝三代目〟の代行。
彼なりのけじめだったのだろう。道長がどんなに言葉を重ね、ついには拳を使って慶太郎の顔が2倍の大きさになるまで説得しても、慶太郎は頑として首を縦に振らなかった。それに共感したトキとヨシフミも四代目は名乗らず、三代目代行を高らかに宣言し、とうとう道長が折れた。
これより4年。慶太郎は道長の期待通り、県を支配下においたまま三代目総長代行を務め上げる。
この間に、大地の大麻売買を道長に申告したあの少年マサシが急成長し、慶太郎引退に際して四代目特攻隊長に大抜擢されることになる。そして特攻隊長代理だったヨシフミが総長に、トキは代行だった副総長に正式に就任し、誰もが待ち望んだ四代目が誕生する。ちなみに慶太郎は引退して格闘技界へとその進路を決めることになる。
しかし残念ながら、この四代目の代にケルベロスは他のチームの存在を許すようになってしまう。それほど、県下統一の維持は難しかったのだろう。
それでもケルベロスの掟は絶対のものとして守られ続け、ケルベロスを引退する者は必ず、進学や就職など、道長が望んだ世界へと戻るようになっていった。中には、族の世界から足抜けしたいと他のチームから相談に来る者が現れるほど。
こういった慶太郎の総長代行就任後からのケルベロスの活躍は、驚くべきことに、ケルベロスのホームを中心とした地域の恐喝や窃盗、薬物売買といった少年犯罪を、徐々に減少させるほどの影響を及ぼすことになる。
ケルベロスは確実に道長の想い描いたチームへと成長していったのだ。
代行であったがゆえに、総長の特攻服に彼の名は残らない。だが、ケルベロスになくてはならない者として、慶太郎の功績は道長の武勇伝と共に密かに語り継がれることになるのだが――
それはまた、別のお話。




