41話
道長は、幹也に助けられてから4日後に退院した。全身に打撲、裂傷など、今までケンカで得た傷の中でもひどいものだったが、命に別条はなかったし、後遺症もまったく問題なかった。骨折していなかったのが不思議なくらいだ。
ただ、怪我以上に道長の身体には、大地のことがよほどショックだったらしい。一晩明けた次の日、道長は食を受け付けなかった。
食べたはしから戻すほどひどいものではない。だが、口の中に食事を含むだけで吐き気がこみあげ、嚥下することはできなかった。
医者は怪我による摂食障害かもしれないなどと言って、しばらく様子見の為に入院手続きをおこなった。だが、原因は明白だ。道長から連絡を受けて見舞いにきた慶太郎も、話を聞いて道長の状態が怪我のせいではなく、大地のせいだということを確信した。
道長にとって救いだったのは、その入院期間中にひとりでいる時間が少なかったことだった。朝は、双順が見舞いに来、必要なものを届けてくれた。昼は慶太郎や八瀬、トビオが入れ替わり立ち替わり来ては、他愛もない話をしたり、大地の話をした。
そして、夜は幹也が来た。とくに話すでもなく、本当に短い時間だったが、ただ、そばに居た。花束を携え、柔らかく笑んで道長を訪ねた。
それが救いだった。大地のことを完全に忘れるでなく、でも、考えなくていい時間がちゃんとあった。結局心配された拒食症状は日を追うごとに鳴りを潜めた。
そして、4日後の今日。12月24日。道長はひどく長いようで短い入院生活から日常へと戻ってきた。
少しの荷物をもって、病院を出る。清算は後日でよいと言われていたので、受付を素通りして外の空気を吸う。隣にチームの誰かがいたら「娑婆の空気が美味ぇ」くらい言っていたかもしれない。彼らの反応を想像し、ふっと笑う。
本当は、未だくすぶっているものがある。だが、もとの生活を送ろうと思えるようになっていた。誰かに逢いたい。すごく、誰かに逢いたかった。双順。慶太郎。八瀬。トビオ。ケルベロスのメンバー。龍太郎。
そして、幹也。
息がひどく白く見えた。道長はジーンズのポケットから携帯電話を取り出すと、少し迷ってから電話をかけた。
『はい』
すぐに、返事があってどきりとする。同年代の男にしてはほんの少し高くて優しい声。
「幹さん」
『うん』
「俺。道長。…今、いいか?」
『大丈夫。今日、退院だよね?』
「ああ。今、病院でたとこ」
『よかった。おめでとう。ごめんね、行けなくて』
「いいよ、学校あんだし」
『こっちは終業式が終わって、今学校出たところなんだ』
「ああ、そうだと思って電話した」
『ふふ、そっか。なにか急ぎの用事だった?』
「あー……その…」
核心に触れられ、言い淀む。誤摩化すように、肩に鞄をかけなおした。歩きながら電話をしていたら、もうすでに駅の広場まで来ていた。行きかう人がどこか浮ついている。それを見守るようにしているのは――大きな、クリスマスツリーだ。
道長は、少し間を開けてから、思い切った。
「幹さん、今日、暇か?」
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「ごめんね。お待たせ」
「いや、俺も今来たとこだ」
思った以上に人でにぎわっている駅前のツリーの前で、ふたりは落ち合った。
突然、誘ったにもかかわらず、幹也は二つ返事で道長の誘いを了承した。多忙な受験生の身に加えて、クリスマスの花屋はリースの販売や年末に向けての繁忙期。半ば以上断られると思っていただけに、幹也の返事を聞いた道長は、怪我が完治していない腕でガッツポーズをとり、駅前でひとり二重の意味で悶絶した。
以前の道長なら兼昌寺に連れ出した時のように問答無用で引きずりまわしただろう。しかし、幹也への想いを自覚した道長は、我慢を覚えた犬のようなもの。幹也の都合を優先し、夜、食事だけ一緒に摂ろうとで待ち合わせた。
行き交う人の中にはカップルも多い。着飾り、楽しげに笑う人々が大きなクリスマスツリーのイルミネーションの光を浴びている。
「そっか、クリスマスイヴだね今日」
「……今更気付いたのかよ」
本当に今思い出したとばかりに言った幹也のその言葉に、道長はがっかりと肩を落とした。道長にしてみれば一大決心をしてデートに誘ったような心境だったのだ。思った以上に相手にされてない事実に、少し気分が沈む。だが、次の瞬間――
「デートみたいだね」
「!」
さらりと言われた言葉が、道長の胸に矢のようにとすりと刺さった。満面の笑みを浮かべてそんなことを言われ、きゅと胸を高鳴らせてしまった道長に罪はないだろう。
幹也は幹也で、ほんの少しだけ期待を込めてそう言っていた。ほんの少しだけ。いつかこの気持ちを友情へと昇華させるまで、ほんの少しの楽しみにこの程度の戯言をいうくらいは許してほしい。そんな気持ちで、冗談に聞こえるように笑って道長にそう告げた。
「よかったの?イヴの相手が僕で」
「……腕でも組むか?」
「へ!?」
「くくッ。冗談だ。真に受けんじゃねぇよ。バーカ」
「あはは。ひどいなぁ。道長くんが真顔で言うからじゃんか」
お互いに、冗談に聞こえるように。ほんの少しの期待を乗せて。伝わってほしい。伝わらないで欲しい。そんな思いを内に秘め、ふたりは笑った。
「今年ももう終わりかぁ…」
「早ぇな」
「道長くんと知り合って、あと3ヶ月くらいで1年だよ」
「…もっと、長いかと思った」
「え?」
「実際まともに絡むようになったのはここ2ヶ月ぐらいだろ?」
「あぁ、そうだね」
「なのに…なんつーか。1年どころかもっと、ずっと長い間一緒にいたような気がする…」
「…うん…」
他愛もない、こんな会話がひどく心地よかった。頬を撫でる冷たい空気が心地よいと感じるほど、じんわりと熱が集まっている。ふたりは、お互いにお互いを見ないように、ただ黙々と目的のレストランへと歩を進めた。
入ったのは、古い洋食屋だった。学生の身で入れるところなどたかが知れている。それでも、安くてうまいと評判の店で雰囲気の良いところ、と道長は必死に探した。予約の電話を入れるとこのクリスマスイブに奇跡的に大丈夫だと返事があった店だ。
赤いレンガ造りの小洒落たその店のドアをくぐり、適当なものを注文する。道長はいつもの調子でなんの疑問もなく酒を注文しようとすると、幹也に足を思いっきり踏まれた。恨みがましい眼で幹也を睨めば、逆にっこりと笑い返されてしまう。ただ、いつもと違って眼が全く笑ってないその笑顔は、道長の背筋をひやりとさせた。
喧嘩などしたくない。幹也の機嫌を損ねたくない道長は、珍しく何も言わずに大人しく引き下がった。注文を取り終わったウェイトレスがふたりの席から離れたあと、困ったような笑顔で幹也は小さく足を踏んだことをわびてからそれでも「駄目だよ?」と道長に告げた。
道長は憮然とした態度を取りつつ「わぁったよ」と返事をしたが、内心、幹也のその困ったような笑みに心を奪われる。
――ちくしょう。可愛い……
まったく重症だ、と、道長はこっそり溜め息をついて、煙草に火をつけた。
その様子を見つめる幹也。本当なら、煙草も止めるべきなんだろう。けれど、そこまで口うるさく言うのも面倒だし、せっかくふたりでいるのに些細なことで空気を悪くしたくなかった。なにより、煙草を吸う道長は、惚れ惚れするほど格好よかった。
――あー…だめだ。やっぱカッコイイなぁ道長くん…
ドキドキと、胸が鳴る。クリスマスイヴに好きな人と食事をしている。
ふたりはお互いに平静を装いながら内心は終始そわそわしていた。せっかく美味いと評判の店に来ていたが、相手が気になって仕方がない。ふたりは結局、味を楽しむ余裕を欠いたまま静かに夕食を終えたのだった。
「そうだ、道長くん、忘れないうちに」
駅へと向かう道の途中、ベンチも設けられている幅の広い遊歩道で、幹也は唐突に道長を呼び止めた。鞄の中をガサガサと混ぜ返し、洒落た紙袋を取り出して道長に手渡した。
「…なんこれ?」
「偶然見つけたんだ。もし会えたら渡そうと思って」
「…マフラー?」
紙袋から出てきたのは、綺麗な赤に染められたカシミアのマフラーだった。
「クリスマスプレゼント。ベタだけどね」
「…今日がイヴだって忘れてたのに?」
「えへへ。それは言わないで」
ばつが悪そうに眉尻をへちょりと下げて笑う幹也につられて、道長も少し口角を上げた。素直に嬉しいと思う。とんだサプライズだ。まさか幹也から何かをもらえるとは思ってもみなかった。
「その色みた瞬間、道長くんと牡丹を思い出したんだ」
「え?」
「〝赤〟は道長くんの色だから。絶対似合うと思って。貰ってくれる?」
「…じゃあ、俺のも受け取ってくれ」
「え?」
道長は、ずっと手に持っていた手提げをまるごと幹也に渡した。普段から道長は鞄のたぐいを持ち歩かない。その印象は意外と強かったのだろう。幹也も今日は道長が荷物を持っていることを珍しいと思っていた。だが、それがそのまま自分へのプレゼントだったとは思ってもみなかったため、本当に驚いた。
「マフラー!」
「ベタにな」
「うわぁ、ありがとう道長くん!」
幹也が受け取った袋から取り出したのは、デジャヴかと思うほど幹也が道長に贈ったものとよく似たデザインの美しい青のマフラーだった。
「幹さんは〝青〟だろ」
「そう?」
「ああ。竜胆の青だ」
「!」
どくん、と幹也の心臓が鳴った。




