39話
冬。ほとんどの花がひっそりと、土や枝の中に蕾を宿し春を待つ。空気はさらに冷たくなり、気がつけば季節は12月も半ばを過ぎていた。
相変わらず、道長と幹也は毎日短い逢瀬を続けていた。だが、決してお互いの気持ちに踏み込むようなことはしなかった。晴海のことがふたりの間に見えない線をひいたのだろう。幹也と道長は、ただただ穏やかに過ごしていた。
そんなある日のことだった。道長はバイト先からもらってきた、溶剤の大きな空き缶に適当な新聞やら木材やらを突っ込んで火をおこし、凍える廃工場でひとりぼーっと過ごしていた。最近は県下統一で落ち着いたことにくわえ寒さも手伝い、夕方のホームに来る者はかなり少ない。今も広い廃工場には道長しかいなかった。
何をするでもなくぼうっとしていた道長に、近づく足音があった。
「…あの、総長…」
恐る恐ると言った声音で呼びかけられ、道長はそちらに視線をやった。そこにはひどく思い詰めた様子の少年がひとり。
中学生くらいだろうか。比較的背の高い道長よりも顔半分低い。同年代では長身だろうが、その体は骨格が出来上がっていない頼りなさをしていた。まだまだ幼さを残しているその顔は、喧嘩をしたのだろう、目元や口元が大きく腫れ上がっていて大きな絆創膏が貼られている。短く刈り込んだ髪をこれでもかと脱色したらしく、色はほぼ抜けて白に近い。耳にはいくつもピアスを開け、口と右眉にもひとつずつピアスが刺さっていた。
道長は視線だけで先を促す。だが、少年は何を躊躇っているのか黙ったままだった。
「…なんだ」
一向に何も言う気配のない少年に、道長は声をかけた。すると、ようやく少年はごそごそとポケットから何かを取り出し、それを硬く握りしめた。
「…総長…大地さんを、止めて下さい…」
「はぁ?」
ぼそり、とひとりごとのように少年が言った言葉。道長は意味が分からず思わず間抜けな返事を返した。だが、何を言っているのだ、という次の言葉を道長は飲み込んだ。
少年は、小刻みに震えていた。その目は今にも泣くのではないかと思うほど真っ赤になっている。
ぞわり、と嫌な予感が道長の全身の表皮を粟立てた。
「…おまえ、その手の中のは…なんだ?」
道長は急に激しくなった鼓動を叱咤しながら、少年にそう尋ねた。尋ねながら道長は思った。当たって欲しくない。今胸中にある予想はどうか外れて欲しい、と。平穏が突然崩れることを、知っている。だからこそ、道長の背には厭な汗が次から次へと流れた。
少年はゆっくりと道長に近づき、躊躇いがちに硬く握った掌を道長に向けて広げてみせた。そこに、あった物。
それは、乾燥させた、大麻だった。
呆然と、道長は少年の掌にあるものをみつめた。
「……大地さんに、買わされました…」
「……っ」
決定的な一言を言われ、道長は顔面を思いっきり殴られたようなショックを受けた。ガンガンと頭痛がする。眼球を奥へ押し込まれるような不快感。熱が脳に集中する痛みに反して、首から下が凍るように冷えて行く。
「…すんません総長、…俺ッ…最後、まで…いらッ、いらねぇ、って、いえませんっ、したッ!」
少年はそう言うと、とうとうボタボタッと涙を落としてしゃくりあげた。
道長はブルブルと震える手で、少年が差し出すその大麻をひと摘まみ取りあげた。大地が、これを売っているのか。メンバーに押し付けるような形で。それも逆らえないような下っ端を相手に。暴力で――?
――大地…ッ!
当たってしまった。先ほど、当たってほしくないと思った胸中の悪い予感が。足元がゆっくりと揺れているような感覚に襲われる。ただひたすら何故という言葉が頭の中をぐるぐると回り、疑問が言葉にできない感情とともに道長の全身を駆け巡る。
「総長…ッ!大地、さんを、ッヒク、とめ、止めて…くださッ!」
「……」
「俺ッ、憧れ、てたんス。大地さんにッ、強ぇのに、俺みてぇな下っ端も、すげぇ、面倒、とか、いっぱいみてくれて…マジに兄貴みてぇで…ずっと、大地さんみたくなりてぇ、って、思ってたのにッ!」
大麻を掌に乗せたまま、少年は顔をぐしゃぐしゃにしながら道長に訴える。道長は縫いつけられたように少年が差し出す大麻を見つめる以外できなかった。
「買えって言われた時、笑ってる大地さんが怖くて…俺…笑いながら殴られて、最後までいらねぇって言えなかったんス…すんません…!告げ口みたいにして総長に言うとか…!俺ッ、腰ぬけでマジすんません……ッ!」
「……」
「お願いします総長!大地さんを止めて下さい!!俺、もう…あんな怖ぇ大地さん見たくねぇッス!!」
がばっと勢いよく頭を下げる少年。その姿を見ながら道長は大地のことを思い返した。
戦争を始めてから、すこしずつおかしくなった大地との関係。最初はなにも思っていなかった。だが、すこしずつ、大地がホームに顔を出す日が減り、仕事もさぼりがちになっていたと聞いた。さらにはあの、森山組の西村が来た後の態度。
ケルベロスの思想からすこしずつ、大地の考えがずれ始めていたことは解っていた。大地の様子がおかしいことも解っていた。なのに、どうしてこんなことが発覚するまで放っておいたのか。どうしてもっと話をしなかったのか。
甘えていたのだ。何も言わない大地に。幹也と兼昌寺に行ってから、大地がまた以前のようにホームに顔を出すようになっていた。だから、大丈夫だと思い込んでいたのだ。会話量は以前よりももっと減っていたというのに、大地のことを全部わかった気になっていた。
――くそっ!
思い返せばありすぎる心当たり。後悔しかなかった。
しかし。
これで終わらせない。大地は、ケルベロスにとって、そして道長自身にとって大切な存在だ。大地がおかしくなっているというのなら、殴ってでも連れ戻す。それこそ、命がけで。
道長はぐしゃぐしゃと少年の頭を乱暴にかき混ぜた。
「…よく、知らせに来た」
「!」
「任せろ」
「――ッ!はいっ!!」
涙で震える少年の声が道長の背中を押した。
大地を取り戻しに行く。――絶対に。
道長はふと少年を振り返った。
「…おまえ、名前は?」
少年はきゅっと涙を拭い、迷いの無い眼で道長を見た。
「マサシっす。龍目、正志」




