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君は青、俺は赤。  作者: ハルタ
7章:蓄積に伴う状況変化
38/47

38話


「お?幹也!」


 呆気にとられた。


 ドアを開けたとたん飛び込んできたのは、医者と談笑していた晴海の姿だった。


 晴海は、幹也の養父は無事だった。いや、正確には無事ではない。パイプベッドに半身を起した彼を良く見れば、右足が包帯で白くなっている。しかし、はっきりと息子の名を呼び、破顔した晴海はどうみても命に別条があるようには見えない。


 安堵から、幹也はその場にへたりこんだ。


「幹さん!」

「幹也!?」

「大丈夫かい君!」


 急にへたり込んだ幹也に、同じ病室に居た皆が驚いて口々に声を上げた。それに対して幹也は未だ茫然としつつも、少し苦笑を混ぜた表情で大丈夫だと返した。


「ごめんなさい…安心して…」


 駆け寄ってきた医師は、そりゃびっくりしたよな、と笑い飛ばした後、また来ますと言い残して病室を後にした。


「幹也。驚かせて悪かったな。…君も、一緒に来てくれたんだよね?ありがとう」


 晴海はそう言って道長にも、柔和な笑みを向けた。幹也を助け起こしている最中だった道長はそれに慌てて頭を下げる。晴海はそんな道長にさらに笑みを深めた後、幹也がちゃんと立ち上がったのを見て傍に手招きした。


 晴海は、幹也の頭にぽんと手を乗せるとそのまま自分の方へと引き寄せ、ぽんぽんと肩を叩いた。


「ごめんよ。心配をかけたな。けど、このとおり大丈夫だからな」

「お父さん…」

「ほらもうそんな顔するな!男だろ!」

「だって…!」


 本当に安心したのだろう。幹也の眼には今にもこぼれそうなくらいの涙が溜まっていた。それをみた晴海はただただ苦笑した。


「安心しろ。幹也の子供の顔見るまでは何が何でも死なんさ!」


――…!


 その言葉を聞いた道長はザァッと全身が凍る思いだった。出入り口に近いここからでは、幹也の表情は見えない。しかし、今の言葉を聞いて、幹也が世のほとんどの人と同じ安心感を得られないことは嫌というほど理解してしまった。


 それなのに。


「うん!」


 聞こえてきたのは幹也の明るい声。


 今の道長にはそれが、身を割かれるほどつらい悲鳴に聞こえて仕方がなかった。



:::



 晴海のけがは幸い太ももの強打ですんだ。足首も捻挫していたが酷いものではない。骨にも異常はないということだった。幸いベッドにも十分空きがあるということだったため、大事をとって一日入院という形にはなったが、明日には松葉づえで退院の予定だ。


 幹也から事の次第を聞いた雪江が、着替えなどを持って来たのと入れ替えに、ふたりはとぼとぼと病院をあとにした。歩き出してから、道長は乗って来たバイクを病院に置き去りにしていることに気がついたが、そんなことはどうでも良かった。隣を歩く幹也が無言のまま、無表情であることのほうがよほど気になって仕方がなかった。


 やがて、角を曲がり、車も人もほとんど通らない道に入った時、幹也がぽつりと言葉をこぼした。


「道長くん…ありがとう」

「いや…よかったな、親父さん、たいしたことなくて」

「うん……」


 ふと、幹也が立ち止まった。訝しんで、振り返れば、幹也は深くうなだれていた。その姿が、あまりにも心もとなかった。「幹さん」と声をかけようとしたとき、小さな幹也の呟きが耳に響いた。


「…どうして僕はゲイなんだろうね…」

「……」

「結婚したって子供つくる自信なんかないよ。女の人相手に、そんな気全然起きないし…」

「……幹さん…」

「そもそも結婚出来るのかって話だよね。はは…」

「……」


 幹也はふらふらと歩きだし、止まっていた道長を追い越す。それに道長は少し距離を保ったままゆっくりと後を追う。幹也は、振り返らない。


「せめて……バイセクシャルだったらよかったのに…」


 風に消えてしまいそうな、幹也の声が道長の耳に届いた。


 道長はそれに、何も答えることが出来なかった。


 呟いた幹也の背中は、泣きたくなるほど遠い。手を伸ばせば触れられる距離なのに、遥か彼方にあるようで、慰めに手を伸ばしても決して届かないような。


 幹也と道長の間を冷たい一陣の風が吹き抜けた。



:::



 晴海が事故に遭ってからもう1週間がたった。未だ松葉杖を使うようにいわれているが、なぜか忘れてしまうらしく、晴海は杖なしで仕事をしては、幹也の養母、つまり晴海の妻の雪江に叱られている。


 そんな様子を話しながら、幹也は道長と帰路を同じくしていた。


「タフだな、親父さん」

「タフっていうのかな。正直困ってるんだよ。治りが遅くなるかもしれないからちゃんと杖つかって、っていうんだけど、忘れるみたいでさ」


 言って、幹也は雪江に小言をもらう晴海の姿を思い出してくすくすと笑った。道長はそんな幹也の様子に微笑む。


 早い日の入り。あたりはもうほとんど日の光はなく、空は美しい藍色に染まっている。こつこつとふたりの革靴がアスファルトを鳴らす音に、遠くで鳴る踏切の遮断機の鐘の音が彩りを添えていた。


 心地よい沈黙。もうすぐ駅というところで、道長がふと口を開いた。


「なあ幹さん」

「ん?」

「あん時…なんで、俺にかけたんだ?」

「え?」

「電話。親父さんが事故ったって。なんで、俺だったんだ?」


 突然に、そう、静かに問われて、幹也ははたと止まった。言われて初めて気がつく。どうして、自分は道長に連絡をしたのだろう。


「…ご、ごめん…あの時は……迷惑かけちゃって…」

「違う。そういう意味じゃねぇよ。単純に、疑問」

「……」


 思わず、黙り込む。幹也は改めてどうして道長に連絡をしたのか振り返った。何故、道長だったのだろう。一志だって、正俊だっていたのに。


「…一番最初に、思い浮かんだのが道長くんだった」

「……」

「道長くんしか思い浮かばなかった…」


 幹也は、素直にそう告げた。それ以外に説明のしようがなかったと言ってもいい。道長はそれを聞いて、ただ「ふーん」と言うと、ふいとまた進行方向へと体をむけて、てくてくと歩を進めた。


 幹也はその背中を複雑な思いで見つめる。改めて、道長の問いかけを自分に問いなおした。


 なぜ、自分はほかでもない道長に電話をしたのか。


――事情を知っていたから。

 それなら、正俊のほうがよほど自分の事情に明るい。むしろ家族なのだ、すぐにでも知らせるべきだった。


――すぐに駆けつけてもらえる人だったから。

 それなら、一志でも良かったはずだ。一番の親友で、幹也の家庭の事情にも明るい。助けを求めれば絶対に駆けつけてくれる無二の友達だ。


 けれど、道長よりに連絡をした。


――なぜ?


 道長なら、絶対に、応えてくれると思った。


 それだけの信頼を寄せていたからだ。むしろ、道長に問われるまで、自分の行動に疑問すら持っていなかった。いつの間にか、幹也にとって道長が助けを求めようと思うほど近しい人になっていた。


 そして、それは一方的に寄りかかる想いではない。今回のことと逆の立場になれば、間違いなく何を置いても道長を助けに行く。家族と同等に道長のことを想っていた。いや、いっそ、家族以上に――


――ああ、僕は、こんなにも君のことが…――


 いつのまにこんなにも育ってしまったのだろう、この感情は。幾重にも鍵を閉めた扉。蓋をして、蓋をして、見ないようにして来た。なのに、漏れ出した感情だけでこんなにも胸が苦しい。


 思い返せば、道長には結構な態度を取られていると思う。店に来るようになった初めの頃は、まともに返事もしない客だった。展覧会では置いて行かれ、翌日謝罪もさせてくれず、兼昌寺へは問答無用で拉致された。


 けれど、魅せられた。いつから想っていたのか解らないなどと思っていたが、きっと、ずっと、初めて会ったあの時から、道長に惹かれていたのだ。彼の視界に入れるだけで胸が高鳴った。言葉を交わせるのが嬉しかった。笑顔を向けられるのが、泣きそうなほどに、幸せだった。


 穏やかで、優しくて、温かい。なにも隠さない、なにも取り繕わない自分でいられた。道長の前でなら、弱い自分すら曝け出せた。


 そんなこと、気付きたくなかった。


 もしも願いが叶うなら、今すぐこの気持ちを友情に変えて欲しい。


 伝えられない気持ちなど、邪魔なだけだ。下手に感づかせてしまえば、今の関係すら壊れてしまう。ゲイだと衝動的に打ち明けられたのは、道長が〝自分には関係がないなら〟気にしないと言ったからだ。


 そもそも、ゲイとして生きていくつもりも誰かと関係を持つつもりも毛頭ない。そうしない、と堅く心に決めている。世間のセクシャルマイノリティーへの理解はかなり深まっているだろう。それでも、完全に無くなったわけではない。だから、家族との関係を守るために、家族に世間の白い目を向けさせないために、幹也は口を閉ざす。


――めんどくさい…


 道長のことを想う自分を嫌いになりそうだった。本来、誰かを想うこの気持ちは、大切にすべき、尊い感情のはず。


 しかし、幹也にとってはただの重荷だ。幹也は自嘲気味にふっと笑み、これ以上この気持ちが育たないことをただひたすらに祈った。


 風が冷たい。空気はひどく澄んでいるのに、先を行く道長の背中が、ほんの少しぼやけてみえた。





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