37話
最近、道長が頻繁に訪れるようになった。いつしか幹也は、それを心待ちにするようになっていた。受験勉強はなかなかにハードだが、道長が毎日ほんの少しだけ訪ねてくれることが活力になっていた。話すことなど他愛もない話。CDの貸し借りだったり、ただ昼食を一緒にとったり、一緒に学校から帰ってみたり。
毎日長くても1時間に満たない。短ければそれこそ10分ほどだ。だが、そのほんの短い時間がとても温かくて、嬉しくて。毎日の楽しみだった。
優しくて、温かくて、心地よくて、ふわふわする。
前から道長は幹也にとって〝特別〟だった。自分の〝普通〟にあてはまらない〝特別〟な存在だった。
自分がゲイだということは小学校高学年の頃にはぼんやりと自覚していた。
初恋は中学の時の2年上の先輩。初めはやはり、ひどく悩んだ。自分の恋愛対象が同性に向くということが、家族にどのように影響するのか、家族にどのように映るのかがまったく解らず、恐怖にも似た感情に苛まれた。悪いことをしているわけではないのに悪いことをしているような、それでいて懺悔も出来ない。常に罪悪感に苛まれていた。
だが、幹也にとって大きな救いだったのは、幹也のその初恋の相手もゲイだったということだ。委員会での繋がりだけだったが、それがきっかけで先輩後輩として親しい間柄となり、恋に落ちた。
先輩が卒業間近となったある日のことだった。その先輩は幹也もゲイではないのか、と明るく問いかけた。
先輩がゲイであることを知らない幹也は驚愕し、軽蔑されるのではという恐怖に、真っ青になって固まってしまった。そんな幹也に先輩は苦笑して、驚かせたことを謝り、そして自分もゲイであることをこっそりと教えてくれた。
そして彼は言ったのだ。「ゲイであることはどうしようもない。そしてそれは別に悪いことでもなんでもない」と。自分はそう考えて割り切った、と。
もちろん、彼も非常に悩んだのだという。自殺しようかとさえ考えたのだとあっけらかんと笑って言った。だが、実際本当にそこまで悩んだだろうことはなんとなく感じ取れた。
そして彼は続けた。「悩んで暗い顔をしている方が、よほど周りに心配をかける。それなら、悩む時間を明るく楽しく過ごせるように使った方がよほどいい」と。そして、自分のように仲間もいるのだから、本当に信頼できる人にだけ解ってもらえばいいじゃないか、と。
さすがにそれだけで割り切ってしまえるものではなかった。それでも、幹也が好意を寄せてる相手から、自分を肯定してもらたことと、そして同じ悩みを持っていた人からのアドバイスは幹也を大いに救った。
もちろん、そのせいで先輩にますます惚れたのは言うまでもないだろう。もっとも、結局その先輩に想いを告げることは出来ず、そのまま疎遠になってしまったのだが。
ノートにペンを走らせながら、幹也はそのことを何とはなしに思い出していた。そして、今、道長に抱いている〝特別〟だと思う感情。これが、かの先輩に寄せていた想いと同じであることを、幹也は気付いていた。
確信を持ったのはいつだっただろうか。初めからだったのかもしれない。ほんの数日前のような気もする。
道長に毎日逢うようになってから、何重にも鍵をした扉が開きそうになっている。今はまだ、扉から漏れ出てくる温かいものに微睡むような幸せを感じるだけですんでいる。だからこそ、扉は絶対に開けては行けないと、幹也は自分に堅く戒めていた。
カリカリとノートの上を走るシャープペンシルに集中する。気持ちを認め、少しくらいの幸せにひたるのは許そう。しかし、家族のことを差し引いても、自分は受験生なのだ。感情に溺れるような愚かな真似は許せない。
一階の電話が鳴った。母は店の所用で家を空けていて、父は配達だ。店は時々手伝いに来てくれるアルバイトの人が回している。そのため、家の中の電話は誰も取れない。幹也は仕方なく席を立ち、はいはいと呟いて部屋を出た。
「はい。渡樫生花店です」
『すみません××大学病院です。渡樫晴海さんのご家族の方ですか?』
「……は、い」
『実は――』
ざぁ、っと血の気が引く音が電話の声を遮った。
* * *
平穏は、本当に、唐突に破られるものだと知っていたはずなのに。道長は、夢であってくれと願わずにはいられなかった。
電話があったのは、夕方だった。放課後、ホームである廃工場で、チームのメンバーと他愛もないことを談笑していた時、突然、携帯電話が震えた。ディスプレイには〝幹也〟の文字。滅多にかかってこないその文字に一瞬にして心拍数があがり、喜び勇んで電話にでた。
まさか、逢おうなんて話なのでは。そんな淡い期待は、電話の向こうから聞こえてきた幹也の声音に一瞬にして砕け散った。
『…道長くん…?』
「もしもし?…幹さんか?」
普段の幹也からは想像できないほどの、か細い声に一気に不安になる。周りで談笑していた連中も道長の冗談を許さない表情に思わず黙り込み、何事かと道長を見つめた。
『…道長くん…どうしよう…』
「…幹さん?」
『どうしよう、どうしよう道長くん…!僕、どうしたらッ』
「幹さん落ち着け。何があったんだ」
『お父さん……お父さんが』
「幹さん!聞こえねぇ!何があった!?」
「お父さんがッ!…じ、事故ったって!』
「――ッ!!」
伝えられた内容に、血の気が引いた。幹也が家族を誰より大切にしているのは、痛いほど理解していた。ましてや、幹也は小さい頃に肉親を亡くている。それが、また――?
大人びた落ち着きを持つ普段の幹也からは想像できないほど混乱している。完全にパニックに陥っているらしい。か細い声で『どうしよう』と繰り返す幹也の声。道長は誰よりもまず幹也が心配だった。
道長は、極力落ち着いた穏やかな声音を意識して、ゆっくりと話し始めた。
「幹さん、今どこだ?」
『今、家で…家に…」
「お袋さんは?」
「お、お母さんは今…仕事で外に、まだ、連絡つかなくて…』
「親父さんはどこの病院だ?」
『近くの大学病院、に、は、搬送されたって…あの、北町のとこの大きい…』
「幹さん、まず落ち着け。大丈夫だ。とにかくお袋さんにもう一回連絡いれて、店閉めて病院行け。俺もすぐ行く」
『…ちなが、く…』
「しっかりしろや!親父さん助けられんのも、お袋さん支えられんのも、あんたしかいねんだろぉが!?」
『!…はい…ッ!』
道長は幹也の返事を確認するや、メンバーの何事かと問う視線を、問題ないと一瞥して、風のようにホームをあとにした。
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「幹さん!」
病院の中に居るものとばかり思っていた幹也は、病院の入口の前で、真っ青な顔のままつったっていた。道長は走り寄って思わず幹也の二の腕を掴んだ。
「親父さんは?」
「ごめ…解んな…どうしても、怖くて…な、中に入れないんだ…!」
言われて気付く。幹也は傍目に解るほど震えていた。答えた声もカタカタと歯の根がかみ合わない状態で紡がれた。道長は思わず幹也を掴む手に力を込める。
「大丈夫だ。俺が一緒に行く。それでも怖ぇなら、俺が代わりに行く。…どうする?」
冷静に、幹也を落ち着かせることを意識してそう問えば、ようやく少し落ち着いたのだろう。真っ青な顔のままだが、幹也は短く「行く」と答えた。
道長はそれに大きく頷くと、幹也の手首を掴んで受付へと向かい、幹也の養父・晴海の所在を尋ねた。
エレベーターに乗って、教えられた病室を目指す。目的の階まで行くその中では真っ青の顔は相変わらずだが、先ほどまでとは打って変わって早く病室に行かねばと焦っている幹也が居た。チンといやに軽い音と共にエレベーターの扉が開く。幹也は弾丸のように飛び出した。道長が慌ててそれを追う。
走りながら病室を探し、晴海の病室を見つけた幹也は、力任せにドアを開け中に飛び込んだ。
「お父さん!」




