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君は青、俺は赤。  作者: ハルタ
7章:蓄積に伴う状況変化
36/47

36話


 数日経ち、道長はドツボにハマっていた。道長を苛む罪悪感。枕を殴り、シーツを投げ飛ばし、ベッドマットに穴をあけるつもりで蹴るも、トランポリンしてしまうほどに混乱し、奇声を発して、母屋から家政婦が様子を見に来るほどに混乱し、罪悪感に押しつぶされそうになった。その、理由。


 キスの先を想像してしまったのだ。幹也で。


 妄想とはいえ、自分はなにをしたのか。それを自覚した道長は深く深く、人生で一番落ち込んでいた。


 幹也を汚してしまった。


 そんな考えが、道長を支配した。思春期のガキの妄想で大袈裟な、とは第三者だから言えること。当の本人にしてみれば到底笑えない。相手が幹也だったから尚更だろう。道長の中で幹也はどこか高潔な存在だったのだ。


 罪悪感を覚えていることそのものにも戸惑っていた。罪悪感を覚えている事実が、道長が幹也に対して抱いている感情の正体を裏付けているように思えたからだ。


 逃避しているとどこか冷静な部分で理解している。こんなことを考えている時点で答えなど出ているのだ。それでも、道長は考えないようにした。答えを無視することを心に決めた。


 それ以来、道長は幹也を避けた。避けに避け、徹底的に近寄らないよう試みた。


 それなのに。


 道長は、朝は遅刻もせずに学校に行き、ふらふらと用も無いのに3年生の校舎のそばをうろつき、昼は必ず全学年が集う大嫌いな購買や食堂に行き、放課後は屋上から校門をながめ、バイクで町を流しては視線は花屋に釘付けになり、ケルベロスのホームにいてもどこか上の空だと指摘された。


 その度に、慌てて別のことを考えた。それなのにものの数分すればまた意識は元に戻って考えていた。



 幹也のことを。



 もう登校しただろうか。

 今は何の授業だろうか。

 もう昼食をとっているだろうか。

 今なら花屋で店番だろうか。

 もう寝てしまっただろうか。

 今、彼は、何を――


――いい加減にしろよ、俺…!


 歯ぎしりしたくなる。だが、必死に否定しても、道長の心は叫び続けていた。


 声が聞ききたい。

 話がしたい。

 笑顔が見たい。


 幹也に逢いたくて逢いたくて、どうしようもないのだ、と。


 解っている。もう、自分でコントロール出来ない。どうあがいても持て余してしまうこの感情の、名前を道長は解っていた。


 もはや、認めるしか無いのだろう。


「……幹さん…」


 ぽつり、とつぶやく。それは珍しく誰もいないホームの朽ち始めた天井に放り投げられ、道長の胸にするりと溶けた。


 異常なほど熱い顔を片手で覆い、深い溜め息をひとつ。


 心臓が、壊れてしまいそうだった。



:::



 気持ちを認めてからしばらく、道長は傍目に解るほど浮かれていた。ふっきれてしまえば、あっけないほど単純なもので、幹也を想う度に感じる胸の温かさが気持ちよかった。ずっとそれに酔っていたいと思うほど幸せな気分だった。


 本来なら、同性を好きになったことをずっと悩みそうなものだが、あいにく俺様思考の道長は、自分さえよければ他人の目を気にすることはない。さんざん悩み抜いた今となっては、そんなことはどうでもよかったようだった。幹也に対して抱いていた罪悪感も思い出せば多少なりとも凹むのだが、幹也にそんな妄想を抱いたこと自体を常に思い出さなくなっているのだから勝手なものだ。


 くわえて、幹也がゲイだということも道長には救いだった。自分の恋には充分見込みがあると浮かれ上がっていた。


 そんなある日、ふと、あることを思い出した。

 そして、そのために道長は再び悩んでいた。どうしたらいいのか解らず、ただぼんやりと1日をすごすことが増えた。


 風はすっかり冷たくなり、吐き出す息はすでに白く、目に見えるようになっていた。道長は、何気なく来た祖母かえの墓前でぶるりと肩を震わせた。首元に巻いた大きなマフラーをぐずぐずと持ち上げて鼻まですっぽり隠す。そして、また溜息をひとつ。マフラーの内側に籠った熱が気持ち悪かった。


 幹也はゲイなのだから、自分は幹也の恋愛対象のはず。それはいい。しかし、兼昌寺に行き正俊と再会したとき、幹也は『女性と結婚しなくてもいいと思った』と言って涙した。


 それはつまり、ゲイでありながら女性と結婚し、ゲイであることを一生隠して生きて行くつもりだったということだ。


 そしてその理由と、幹也の性格から考えれば、恐らく幹也の考えは今も変わっていないだろう。


 そうだとしたら、道長の幹也への恋情は迷惑なだけではないのか?


――きっと、迷惑だろうな……


 幹也は強く、優しい。それ故に、告白すればきっと丁寧にフラれるだろう。そして間違いなく、幹也は道長をフったことに苦しむだろう。そこまで解っていて、想いを伝えることは、道長のエゴでしかないのではないか。


 好きでいたとしても、それを悟られることすら許されない。それならば幹也から離れればいいのだが、既に気持ちが膨らみ過ぎた道長に今更幹也から離れることが出来るとは到底思えなかった。


 それならば。


――せめて側にいたい。


 今までの道長なら、そんな馬鹿げたことを、と笑い飛ばしてしまいそうな願いだ。しかし、今の道長は本気でそれだけでいいと思っている。そりゃあ恋人になれるなら、それに越したことはない。けれど、それが叶わないのならば、側にいられるだけでいいと。


 だが、本当にそれで満足するだろうか。いつか、我慢できなくなるのではないのか。結局考えはぐるっと一周して同じところに戻る。


「…はぁあ…」


 墓前なのにまた溜め息が出て、苦笑してしまう。


 視線の先には、微動だにしない墓石。もしも、かえが生きていたなら、こんな自分をなんというだろうか。気持ち悪いとでもいうのか、小事だと鼻で笑うのか。なんとなく、後者のような気がした。冷たい風が、木の葉を揺らしてざわざわと鳴る。道長はまた、くっと肩を縮めた。


「なぁ、ババア…」


 冷たい墓石に向かって、ひとりごとがぽつりと漏れた。


「俺、クソ面倒くせぇ人、好きになっちまったみてぇ…」



:::



 幹也に、逢いたい。でも、逢いたくない。


 相反するふたつの思いを抱えながら、道長はざわつく昼休みの校内をぶらぶらと歩いていた。購買にいくのも億劫で、どうしたものかと思いながらも空腹を訴える腹は足を購買の方へ動かそうとする。


 さて、列に並ぶか、やはり引き返すかを迷っていた時、道長を呼び止める声があった。


「道長くん」


 驚いて振り向いた先には、思った通りの人物が向日葵ひまわりのように満面に笑みをたたえてぱたぱたと走り寄ってきた。


 ずっとずっと気になっていた人が、笑って走り寄ってくる。それだけで世界が鮮やかに色づいて見えた。会えば罪悪感に死んでしまいそうになるのではないかと思っていた。だが、そんなことはかけらも思い出さないほど、道長は一瞬にして舞い上がった。


 周りでは生徒がぎょっとしたような顔で道長と幹也を見ている。その視線はあからさまに、幹也のような平凡な生徒が、不良の二文字をほしいままにしている道長によくも声をかけられるな、と言って憚らない。


 だが、舞い上がっている道長は当然ながら、幹也もその視線に気付いていない。いや、気付いていてワザと無視しているのか。いずれにせよ意に介した様子もなく、幹也はにこやかに「ひさしぶり」と道長に話しかけた。


「お昼買いに来たの?」

「…ああ。幹さんも?」

「うん」


 逢いたいようで逢いたくないと思っていたのに、やはり会えたのは心底嬉しい。他愛もない会話が出来たことがとてつもなく幸せで、道長の鼓動は徐々に速くなり、体温が上がっていくのが解る。そのことに少し焦りを感じながらも、久々に会った幹也が変わらず笑って話しかけてくれたことに、胸がきゅぅっと締め付けられた。


 勝手に一人で盛り上がっていることは解っているが、嬉しすぎて、何を話したらいいかわからず、黙ってしまう。そのことでまた妙に焦る。まるで初恋をした小さな子供のようだ。誰にともなく助けてくれ、と道長が心の中で言いかけた時、幹也がのんびりと口を開いた。


「ねぇ、道長くん誰かとご飯食べる約束してる?」

「…いや」

「よかったら一緒に食べない?」

「え?」


 思いもよらない申し出に、これは夢かと叫びそうになる。悟られまい、と道長は必死で平静を装った。


「別に…俺はいいけど…あんたこそツレはいいのかよ」

「あ、カズ?カズはいっつも彼女とご飯食べるから」

「…ふぅん」

「いつもは教室で友達と食べてるんだけどさ、最近みんな単語帳とか見ながらご飯食べるんだよ。僕あれヤなんだけど、受験近いから言い出せなくて…」


 だから、お昼付き合ってよ、と笑う幹也を断る理由などどこにもない。道長は二つ返事で了承した。さっさとパンを買った。さてどこで食べようかと言った幹也に、道長はある場所を提案した。


「屋上行くまでの階段で食わねぇか?あそこなら、誰もこねぇし」

「いいね!あ、でも寒くない?」

「電気ストーブ隠してある」

「マジで!?」


 この校舎では、空き教室に入りきらない机や椅子といった備品を、最上階から屋上につながる階段に積み上げてある。展覧会を見に行った翌日、幹也と道長が校内で追いかけっこをした時に駆け上がった、あの場所だ。そこは教室に居場所のない道長が、校内に作った隠れ家だった。


 他愛もない話をぽつりぽつりとしながら、ふたりはそこにたどり着いた。積み上がった机や椅子は崩れそうな様子はないが、高く積み上げられている上に蛍光灯が切れているので階段全体が薄暗い。どことなく薄気味悪い感じがするここに寄り付く生徒などいないだろう。校内の喧騒から逃れるのにはうってつけだった。


「そういやここを駆け上がったんだよね、あの時」

「あー」

「よくこんな障害物だらけのとこ駆け上がったよね」

「確かにな」

「あ!わーホントにストーブある!クッションも!あはは、なんでスタンドライトまであんの!持ち込んだねー道長くん」


 笑う幹也に、つられて道長もくすくすと笑う。薄気味悪い、暗い階段が幹也が居るだけで明るく感じるから不思議だ。


「幹さんも持って来いよ」

「ホント!?わーい!やった!」


 秘密基地みたーいとはしゃく幹也に、道長はお気に入りのクッションを渡して、昼食を広げた。



「そういや昨日、店の前通ったけど…幹さんいたか?」


 まるで昼休みの校内ではないかのように静かな階段で昼食をたいらげたふたりは、屋上への扉に背を預けて、のんびりとしていた。


「あ、ううん。さすがに受験近くなって来たから、最近店には出てないんだ。放課後は図書室で勉強してる」

「そうか…幹さんは、どこ受けんだ?」

「K大の農学部。あとは滑り止めで公立を前期と後期でふたつ受けるよ」

「ふーん。やっぱ花?」

「うん」


 はっきりと言い切った幹也に、さすがだ、と自分のことではないのにどこか誇らしいような気分になる。


「将来とか、決めてんのか?」

「んー…やっぱり、花屋がいいな。ちゃんといろんな知識でもってお客さんにアドバイスもできるような…花の世話の仕方は当然なんだけど、効能とかも一緒に教えてあげられたらいいなぁって」

「ふーん」

「カフェも併設できたらいいな、って思ってる」

「カフェ?」

「うん。フレーバーティーってあるでしょ?花もお茶になるんだよ。健康にいいのもたくさんあってね。組み合わせとかで美容にもすごくいいし、女の人に喜んでもらえるなーって思うんだよね」

「…女好き」

「違ッ…う、の知ってるでしょ、道長くんは」

「ふッ、ホモ…じゃねぇや。ゲイの女好きってタチ悪ぃな」

「あっはっはっは!否定はしないよ」

「しねぇのかよ」


 あはは、と笑うふたりの声に予鈴が被さった。どうして、楽しい時間はこんなにも早く過ぎてしまうのだろう。あまりにも名残惜しい。もっと話していたい。もっと幹也のことを知りたい。強烈に後ろ髪を引かれる。道長は腰を上げようとする幹也を、視線で縫い止められたらいいのにと半分真剣に考えていた。


「…次は?」

「ん?あ、授業?自習だよ」

「なら、居ろよ」

「へ?」


 考えるより先に口から飛び出した言葉。言ってしまった、と思ったが、言ったものを取り消すことはできない。道長は幹也を見つめた。驚いた表情で幹也は道長を見返していた。段々と気恥ずかしさを感じて、道長はすいと視線を落とす。


「どうせ、自習なら…ここに居ろよ」


 そう言ったものの、真面目な幹也のことだ、きっと断られるのだろう。しかし、道長の思惑をよそに、幹也はそれもそうだね、と、すとんともとの位置に腰を戻した。


「……いいのかよ」

「あはは、道長くんが居ろっていったくせに」

「いや、まぁ…そうなんだけどよ…」


 嬉しさで口元が緩む。さりげなくそれを手で覆って隠したが、幹也は気付いただろうか。気付いてほしい。気付かないで欲しい。そんな思いを抱えながら、幹也の気配を必死で探った。


「道長くんは?」


 静かに紡がれた幹也の質問に、ちらりと視線を寄こせば、思った通り柔らかく笑む幹也がこちらを見ていた。


「ん?」

「将来の夢」


 問われて、道長ははたと思いだした。自分ですら忘れていたが、心の奥にずっと持っていた自分の将来の夢。ぼそり、と口に出す。


「…バイク屋」

「あー!そっか。なるほど。売る方?作る方?」

「作る方…カスタムができる修理工になりてぇ…」

「道長くんのバイト先みたいな?」

「よく覚えてんな」

「そりゃ忘れらんないよ」


 くすくすと笑う幹也。あの兼昌寺へ拉致したときのことだとわかり、思わず口元が緩んだ。ちらりと隣に座る幹也を盗み見れば、柔らかく笑んだ幹也の横顔。幹也は膝の上に置いた自分の手に視線を落したままだが、かみしめるように次の言葉を口にした。


「好きなんだねバイク」

「ああ…」

「卒業後は、どうするの?」

「シバさんとこで雇ってもらえることになってる。今のバイト先。大学行ったって意味ねぇし」

「そっか」

「独立して、自分の店持つのが…夢だ」


 誰にも言ったことの無い、自分ですら忘れていた将来の夢が、するりと口から滑り出た。


「一緒だね」


 言って、自分を見た幹也の微笑に、切ないほど胸が締め付けられた。



 その日をきっかけに、道長はふっきれたかのように頻繁に幹也に逢いに行った。学校の昼休み、放課後の幹也の自習時間、学校が休みの日の店。決して幹也の負担にはならないようにほんの短い時間。それでも、毎日。


 いつの間にか育っていた幹也へに想い。それを少しずつ幹也に渡すように、道長は幹也に逢いに行った。


 不思議とそれだけで幸せだった。

 道長は願わずにはいられなかった。


 こんな穏やかな時間が、ずっと続けばいいのに、と。





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