32話
コンビニから出て来た道長は、目の前の光景をどう理解したらいいのか解らなかった。
幹也が、知らない男と抱き合っていた。それも人目も憚らず、ふたりとも大泣きしている。
まるで小さな子供のように、わんわん泣いている幹也。先ほどまでの静かな、大人びた幹也の面影はそこにはなく、ひどく小さな男の子のように見えた。幹也と抱き合っている見知らぬ男の方も、幹也の肩口にその顔を埋め、えぐえぐと男泣きに泣いている。ギリギリと締め上げるように幹也を強く抱きしめて離す様子がない。
――なんだ、こりゃ
立ち尽くすしかなかった。
ただ、ショックだった。何がショックなのかも解らないが、今感じているものを表すにはそうとしか言いようがなかった。
しばらくして、ふたりはゆっくりと離れた。知らない男の方が幹也の顔を何度も丁寧に撫でて、涙でぐしゃぐしゃの笑顔で泣くなと言っている。幹也は、というとまだしゃくり上げ、男の服を握って、泣くなという男の言葉に何度も頷いていたが、その涙は止まりそうになかった。
呆然と突っ立っていた道長に、ふと男の方が気が付いて、道長を見た。その瞬間、道長は思わず手に持っていたビニール袋を取り落とし、眼を見開いた。
「――初代ッ!?」
幹也と抱き合っていた男は、ケルベロス初代総長だったのだ。現役の頃から変わらない赤茶の髪。あまり背丈は高くないのに、随分と大きく見える雰囲気。意志の強そうなくっきりと大きな眼。あの当時の幼さが消え、精悍な顔立ちになっているが、間違いない。道長の尊敬してやまない、ケルベロス初代総長、嘉村正俊。
とにかく挨拶をしなければ、と、道長が頭をさげかけたその時だった。
「…誰だおまえ?」
がぁぁああん…!
という、効果音がリアルに道長の中に響く。いい知れないショックに目眩がした。そうだ。初代ケルベロス総長はそういう人だった。解ってはいたが、それでも忘れられていた事実に膝と手を地面についてしまいたくなるほどのショックが道長を襲う。
そうこうしているうちに、幹也が道長に気付いたらしい。まだぐずぐずとしゃくり上げていたが、正俊の腕を取り、ととと、と道長の元へ連れて来た。ほんの少ししか開いていなかった距離がぐっと縮まる。
疑問が沸き上がった。どうして初代ケルベロス総長が地元から遠く離れたこんなところにいるのだ。なぜ、この凡庸な花屋の店員と、尊敬する初代総長が抱き合っていたのか。知り合いだったのか。いや、ただの知り合いならば、大泣きして抱き合うようなことはあるはずがない。
なら、ふたりの関係は?
ざわり、と何か黒いものが道長の中に溢れ始める。そんな中、まだ嗚咽で上手く喋れない幹也が口を開いた。
「道長くん、僕が話したことっ、お、覚えて、る?施設から、逃がしてくれた、人の、話」
「……おう」
「この人が、その人で――」
道長は呆然と、幹也が紹介する男を見つめる。重なり始める、別個だった人物。信じられない作り話のような現実。こんなことが、本当にあるのだろうか。
「嘉村、正俊くん、です」
――マジで?
:::
「じゃあ、改めて。こちらがお店に良く来てくれる、同じ高校の後輩の波多道長くん。道長くん、こっちが、僕の兄代わりの嘉村正俊です」
まさかの再会をコンビニの前で続けるのもなんだということで、3人はコンビニの近くのファミリーレストランに入った。
聞けば花の運搬業をしているという正俊。少しでも、渡樫家と繋がりを持っていたかったのだと、恥ずかしそうに話した正俊に、幹也が頬を緩ませたのは言うまでもない。このファミリーレストランへも、いつも使っているトラックに幹也と道長を乗せての移動だった。
レストランでは、幹也と正俊が隣り合って座り、その向かい側に道長が座る。だが、道長にしてみれば、自分のことを忘れている初代総長に正面から睨まれ、しかも幹也という寄る辺はなく、まるで取り調べを受けるような心地だった。
「ケルベロスなんだよな」
「ッス…三代目総長をさせて頂いてます…」
「まさか、こんなふうに繋がってるとは思ってもなかったよ。正俊くん、暴走族なんてしてたんだね」
まだどこかくぐもった鼻声でのんびり話す幹也に、なぜか道長は胃がキリキリする思いだ。次から次へと冷や汗が出てくる気がしてならなかった。
「まぁーなぁ。びっくりだよな……けどなぁ…悪ぃなー、俺二代目の幹部くらいしか覚えてねぇんだよなー」
「……まぁ、あんま関わりなかったッスから…」
「うーん……って、あ!」
「思い出したの?」
「おう!そうだよおまえ!小6で入って来たミッチーダッチーのミッチーだろ!!」
ぽん!と、膝を打ち、やっとわかったとばかりに正俊は道長を指差した。途端、道長は顔を強張らせ、幹也はぽかんと口を開けた。
たっぷり5秒の間を置いてから、道長は絞り出すような声で「……そうッス…」と答えた。
「…ミ……ミッチー」
「……笑うな……!」
肩を震わせて笑うのを堪えている幹也に、道長は顔を真っ赤にして呻くようにそういうと、幹也はとうとう吹き出して、大笑いした。それにつられて正俊も道長をにやにやと笑って無言で冷やかす。
道長は殴ってでも幹也が笑うのをやめさせたかったが、正俊の手前それもできず、しばらく赤面したまま、虎が呻くように羞恥に耐えた。
だが、そのおかげで、妙な緊張が解けたのだろう。ふたりが落ち着いた頃、道長はようやく疑問を口に乗せた。
「ふたりは、その…ずっと会ってなかったんスか?」
その問いに、幹也は恥ずかしそうに苦笑する。
「うん。さっきはごめんね。見苦しいものみせちゃって…」
「いや、その…」
「8年ぶりだったんだ…会ったの」
「え?」
「正俊くんが出てってから、初めてなんだよ。会うの。ね?」
「おう…。その、悪かったな……逢いたかったけど…逢ったらぜってぇ泣くの解ってたからよぉ…」
「ふふ。ほんとにね」
「まぁ、なんだ。親父とお袋、元気か?」
「うん。正俊くんに会いたがってるよ」
「前行ったのは3ヶ月ぐれぇ前だからなぁ……花屋はどうだ?手伝ってるって聞いてたけどよ…」
「うん、高校入ったくらいから配達も――」
話題が横滑りして、いつのまにか道長が会話から転げ落ちて行く。仕方のないことだと、納得しながらも、一方でざわざわと胸が毛羽立った。仲良く話しているふたりを前に、くっきりと見える線。どうしようもなく感じる疎外感。仕方がない。事情が事情だ。解っている。解っているのに。
悲しくなるほど感じるこの疎外感に、道長の視線は段々と下がっていった。
この場で、今の幹也と一番近しいのは自分のはずだ。
正俊の生活の中心だっただろうケルベロスに一番近しいのは自分のはずだ。
それなのに、そんなことは何の足しにもならないほど、ふたりの間には何があっても入れないのだと、見せつけられているようだった。
面白くない。ふたりが楽しそうに話しているのが途方もなく面白くなかった。胸にどろどろとした、暗いものが渦巻く。
解っている。
これは、嫉妬だ。
――ダセぇ…
ふと、話題が途切れた時、正俊は頼んでいたチョコレートパフェをつつきながら、感慨深げにぽつりとつぶやいた。
「つか、でもなんつーか。巡り合わせみたいなのが働いたのかね…」
「え?」
なんの話かと幹也と道長が正俊を見ると、正俊は頬杖を着いて、何か含みを持った視線で幹也を見つめていた。
「近々、肚括って逢いに行こうと思ってたんだよ。お前に」
「僕に?」
「おう」
「何か、大事な話?」
「…おう」
先ほどまでの笑みを消し、真剣な表情でそう言った正俊。それを見て、道長は黙って腰を上げた。
「道長くん?」
「席、外します」
「え、あ…」
ひとことそう言って歩き出そうとした道長を、幹也はどうしたものかとおろおろと見上げる。だが、道長を止めたのは、通路側に座っていた正俊だった。
「居ろ」
「…ッスけど…」
「おまえがここにいるのも、きっとなんかの巡り合わせだ。大事な話だ。証人がいんのも悪くねぇ」
そう言われ、道長は渋々浮かしていた腰を再び席に戻した。
正俊はこほんとひとつ咳払いをすると「実は…」と切り出した。幹也と道長は一体何を言われるのかと、知らず知らず、体に力が入る。
しかし、一体どうしたのか正俊は少し頬を赤く染め、視線を泳がせ、なかなか本題に入ろうとしない。3度目の咳払いでようやく決心が固まったのか、しどろもどろになりながら、正俊はようやく重い口を開いた。
「実はな!幹也!」
「うん」
「おまえには直接言うつもりで、黙ってたんだが…実は、昨日、もう親父に電話しててよ……」
「うん」
「…俺よぉ……」
「うん」
「………け」
「うん?」
「……」
「……」
「結婚しようと、思ってる……女がいんだよ…」
「……へ?結婚?」
「それで、その……もう…ガ……ガキも、いるん、だ……まだ、腹ン中だけど…」
「「………」」
最後は消え入るような小さな声で話し終えた正俊はすでに茹蛸のように真っ赤だ。一方の幹也と道長は、一体何を言われたのかまるで理解出来ていないのか、口をぽかんと開けて、呆然としている。
そうしてしばらくしてから「えええええッ!!?」という幹也の声が、店内に響き渡った。




