30話
「快!晴!!」
時刻は7時。翌朝、空は見事なまでに晴れ渡り、秋独特の高さで幹也と道長を迎えた。
目覚めたと同時に、整った道長の寝顔が飛び込んで来てかなり驚いた幹也だったが、道長の寝起きが意外に可愛いものだったことと、清々しいほどに晴れた空を見て、朝一のドッキリなどすぐに忘れてしまっていた。
兼昌寺はホテルを出てからバスを乗り継いで1時間の距離に位置していた。朝食はラブホテルの無料サービスを遠慮なく利用し、昨夜宿を探した経験から近くのコンビニで昼食も確保しての出発だ。幹也はすでに念願の兼昌寺に行ける期待感で、わくわくそわそわしている。
きっちり1時間後、ふたりはとうとう兼昌寺の正門の前に立った。それほど大きくはないのものの、年期を感じさせるその木造の正門の向こう。意外と人のいるその波に乗って、幹也と道長はそこに一歩踏み入れ、思わず息を飲んだ。
「…ぉおお!」
まさに圧巻。
門から本堂に続く石畳の両脇は、竜胆の、青一色。朝日に照らされてキリリと幾千もの竜胆が美しく咲き誇っていたのだ。誰もが皆、一歩足を踏み入れた途端歓声を上げるのは当然だった。
「すごい!すごいすごいすごいよ道長くん!!」
「ああ、こりゃすげぇわ…」
思わず、道長もそう漏らすほどの竜胆。ちらりと幹也を見れば、感動のあまりその頬は紅潮し、今まで見たことがないほどキラキラとした眼が竜胆に釘付けだった。
「行こうぜ」
歩くことすら忘れている幹也に道長は少しばかり苦笑しながら、そっと背を押して幹也を促した。幹也はハッとしてようやく一歩踏み出す。
「そんな気に入ったか?」
「うん!もう、最高だよ!!ほんとすごい!ううっ『すごい』しか出て来ないのが悔しい。一応受験生なのに…!語彙力!」
興奮を必死で抑えているのがまるわかりの幹也の顔。全身で嬉しいと語る幹也。これだけ素直に喜ばれれば、連れて来て良かったと思うもの。道長の口元は自然と上がっていた。
「ああ、もう…!なんて綺麗なんだろ!」
「これが竜胆か」
「うん!」
本堂への長い距離を、人の流れに乗ってゆっくりと歩きながら、幹也はぽつりぽつりと話し始めた。
竜胆は本州、四国、九州などの広範囲で見られる被子植物だ。以前は水田周辺や山道によく見かけられたというが、近年では自生の竜胆を見つけるのは困難になっているという。ラッパのような筒型の花をつけ、一株に5つの花が咲く。基本的には青や青みの強い紫の花だが、中には白やピンクの竜胆もあるらしい。花は晴れた日にだけ開き、雨や曇りの日は閉じたままなのだと幹也が興奮気味に語った。今日が眩しいほどの快晴だから尚更だろう。
「竜胆っていうのは漢名の『龍胆』って読みの音がいつの間にか『りんどう』になったって説があるんだって」
「へぇ。漢名ってことはあれか?難しい方『りゅう』?」
「うん、そうそう。『龍』の字をあてたのは竜胆の根が胆汁みたいに苦いから、最強の意味を持たせるためだったって何かで読んだなぁ」
「苦い?竜胆って食えんのか?」
「食べられるよ。漢方薬に使われるからね」
「へぇ。一本引っこ抜いて食ってみるか?」
「あはは。怒られちゃうよ。ってか食べても苦いよ」
竜胆から他愛もない話がはずむ。そのせいか、ふと会話が途切れても決して気まずくはなかった。
「それにしても、竜胆が集まるとこんなふうになるんだね。本当に綺麗だ」
「ああ」
「竜胆はね、普通群生しないんだよ」
「あ?ってことは、これはわざと植えたってことか?」
「そうだと思う。竜胆は普通、単独で咲くんだよ。〝悲しんでいるあなたを愛する〟もそこからきてるはず」
「なんだそれ?」
「花言葉。他にもいろいろ…確か〝正義〟とか〝的確〟あとは〝あなたを慰めたい〟だったかな?」
よくもまぁそこまで知っているものだと感心しながら、道長は竜胆を見つめた。
「……なんか、あんたのコトみたいだな」
「――え?」
紫がかった落ち着いた青。元気で明るい幹也の人柄の内に秘められた、生い立ち。それを抱えてなお感じさせない、強さと優しさ。
だからこそ――
「いや…なんでもねぇ…」
気が付けば、ふたりは本堂の前に着いていた。
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本堂での参拝を終え、その裏手へ回る道を見つけ、ふたりは他愛もない話をしながらその道を進んだ。その道の途中も手入れの行き届いた草木がふたりを迎えた。蛇行した細いその道をしばらく進むと、紅葉で屋根が出来ているところに出た。その紅葉の下にあったものに、幹也は「あっ」と声をあげた。
「……牡丹だ!」
「ボタン?」
「ほら!あの赤い大きな花だよ!なんで…」
聞けば牡丹は春の花で、だいたい4~5月が見頃。なのに今は秋、それも11月ももうすぐ終わるというこの頃に、牡丹が咲いているのは幹也にとって信じ難い光景だった。
「……狂い咲きかな?」
「それは、冬牡丹というのですよ」
突然後ろから声をかけられ、幹也と道長は驚いて振り返る。そこには、眼鏡をかけ剃髪した30歳くらいの若い僧侶が立っていた。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
「こちらへは、はじめて?」
「あ、はい、あの、竜胆を見に…」
「ああ、そうですか」
柔らかく笑んで「遠くから?」と尋ねる若い僧侶に、横浜の近くからだと告げると、僧侶は目を大きくして驚いた後、そんなに遠いところからよく来てくれたと破顔した。
「あの、冬牡丹っていうのは、そういう品種なんですか?」
「ええ、品種改良されて冬に咲くようにしたのだと聞いています」
「そっか。天然のじゃないんですね」
「人が摂理を曲げて咲かせている花です」
「あ、…はい」
「ふふ。人が摂理を曲げて咲かせた。褒められたことではないかも知れません。ですが、この冬が始まろうという季節に咲く牡丹もいいものでしょう?」
「――はい!」
思わず、力一杯返事をした幹也に、その僧侶は穏やかに笑みを深めた。
「牡丹の花言葉のひとつに〝王者の風格〟というものがあります。春に咲く牡丹はそれはたおやかで華々しく美しいものです。ですが、本格的な冬が始まろうというこの季節に凛と咲く冬牡丹こそ、まさしく花の王と呼ぶに相応しい風格を纏うと、私は思っています」
「…王者の風格…」
道長がぼそりと呟いた。子供の頭ほどもの大きさのある、大輪の牡丹。赤く色付いた花弁を幾重にも重ね、真っ直ぐに咲き誇るそれは、確かに百花の王と呼ぶに相応しい風格だ。道長はじっと、冬牡丹を見つめた。
道長にならうように、幹也もまた冬牡丹を見つめる。そのふたりの様子に僧侶は嬉しそうにまた笑みを深めた。
「花はお好きですか?」
「はい!」
「ではぜひ境内の〝見松庵〟を訪ねてください」
「ケンショウアン?」
寺の案内板にも見覚えの無いその名に、幹也はおうむ返しに首を傾げた。
「この寺の大門の脇に山頂に伸びる階段があります。それを登った先にあるのが見松庵です」
「そこには、何か花が咲いてるんですか?」
疑問をぶつければ、若い僧侶はほんの少し悪戯っぽく笑ってみせた。
「いえ、何かあるという訳ではございません」
「え?なにも、ないんですか?」
「……ケンショウアンってどんな字書くんスか?」
「察しがいい。松を見る庵と書きます」
「なるほどな。でもそれって、花好きとなんか関係あるんスか?あるのは松なんスよね?」
「ええ。花は…まったく関係がない訳ではありません。でも必ずしもある訳でもない。季節や運も絡みます。花がお好きな方なら誰でも喜ぶ場所という訳でもございません」
「……?」
「そこで何を見るかはあなた方の心のうちにある」
「…心のうちに?」
「ええ。見松庵で何を見るかはあなた方次第。いままで何人もの方がそこを訪れています。そして、がっかりして帰られる方も多い」
「……はぁ」
「ですが…」
「?」
「私は、あなた方ならきっと見松庵を気に入ると思います」
そう言ってにっこりと笑う僧侶に、ふたりは顔を見合わせた。謎掛けのような僧侶の言葉は、まさしく禅問答といったところなのだろうか。何があるのかもよく解らないが、こういわれてしまえば幹也の好奇心に火がつかないはずがない。期待を込めて道長を見れば、そういうだろうと思っていた、と言わんばかりの道長の顔があった。
「行くんだろ?」
「へへ」
幹也は照れくさそうに笑うと、見松庵を勧めてくれた僧侶に礼を言い、さっそくそこへ向かうべく大門を目指した。
大門まで戻って来たふたりは、先ほどの僧侶が言った通り、大門の脇に隠すように山頂へ向かう小さな階段を見つけた。解りにくいからなのか、そこには誰もいない。参道の賑やかしさが信じられないほど静かな、長い長い階段をふたりは登り始めた。
削りだした石をただ積み上げたような、古く登り辛い山道の階段をふたりは黙々と登り続ける。随分と冷え込んでいるはずなのに、薄らと汗をかくほど階段は長い。紅葉しない針葉樹が檻のようにそびえるその間を、ふたりはただひたすら登っていた。
「…まるで、道長くんみたいだったね」
随分と登った頃、幹也が突然、ぽつりとそう零した。
「あ?」
「冬牡丹」
「さっきのか?」
「そう」
しかし、意味が分からんと道長は眉を寄せる。幹也は前を向いたまま言葉を続けた。
「最近の道長くんは、人の上に立つ人の持つ空気っていうか、人を導く人の持つ空気っていうか…そういうのが、濃くなった気がする。初めて会ったときは、あんまりそんなこと思わなかった。でも、今はなんか顔つきが違う」
「ハ。んなもん俺がそういう話をしたからだろ」
「んー…そうかな?…でも、やっぱり道長くんみたいだなって、思ったよ。冬牡丹のこと」
「…どういう意味だ?」
「大きくて、華やかで、気高い」
「……は?」
思いもよらない讃辞に道長は思わず眼を大きくして幹也を凝視した。幹也は、振り返ることもなく、山頂を見ながら言葉を続ける。
「魅せられる。惹き付けられるよ。牡丹みたいに」
「…な、にを…」
「〝王〟の象徴…」
「……」
「道長くんの花だ」
幹也の顔が見られない。顔が、全身が熱かった。
「…大袈裟だろ…」
かろうじてそう呟き、盗み見るように幹也を伺えば。
幹也は道長を見て、ただ、微笑していた。
「道長くんは〝赤い〟ね」




