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君は青、俺は赤。  作者: ハルタ
5章:無関係な2点の関係性(下)
25/47

25話

 


 あのあと、道長は久しぶりに自宅に帰った。もはや誤摩化す事の出来なくなった不安をなんとか払拭したいと思い、ゆっくりぐっすり睡眠をとろうと考えたのだ。


 大きく高い塀に囲まれた、300坪の波多本家の日本様式の邸宅。その隅に松の木に囲まれてひっそりと建っている離れが道長と、今は亡き祖母の居住スペースだった。


 裏門にほど近い位置にこの離れは建っているため、大嫌いな父とその妻とに顔を合わせる心配はない。それでも道長はこの家は好かなくてあまり帰って来ていない。それをおして、わざわざ帰って来た。それなのに。


 道長は眠れずにいた。ベッドに横になったとき、時刻はすでに西村が来た日の翌日の昼を示すものになっていた。そんな時間から寝る必要はなかったのだが、道長は眠りたかった。嫌な事を全部忘れてぐっすりと。なのに、神経が立っていて眼は冴えるばかり。一晩中起きて帰って来たのだから疲労しているはずなのに、一向に眠れはしなかった。


「…チッ」


 道長はひとつ舌打ちすると、パジャマ代わりの黒のスウェットにダウンを羽織り、家を出た。

 目指すは、双順の寺だ。



:::



「おお、道長やないか。久しぶりやな」

「ッス」


 前置きもなく開けた本堂の襖。少し驚いたように自分の名を呼んだ老僧に、道長は挨拶とも言えない挨拶を返す。すると双順の眉がぎゅぅっと顰められた。


「なんや道長、その寝間着みたいなだらしない格好は。仏さんの前にくる格好やおへんえ、情けない…」


 始まった…と、思うもいつも通りの小言を言い始めた双順にどこか安心する。別にどんな格好でこようと自分の勝手だろうと言おうとしたときだった。外からふいに若い男の声が飛んで来た。


「そーじゅーんさーん!こんにちはー!渡樫生花店ですー!」


 どきり、と心臓がなった。あの、花屋だ。


 なぜ、あいつがと驚く道長。落ち着かない心臓を押さえ、そういえば以前、寺の花は渡樫生花店で買っているという話を双順がしていた事を思い出した。ここで出くわすのは別段不思議な事ではなかったはずだ。


 だが、幹也に会うときは大抵、店に行く時。つまり、これから会うという心積もりがある。それが今回ないまま顔を合わせそうになっていることに、道長はひどく落ち着かなかった。

 双順ははいはいと返事をして本堂の襖を開け、寺事務所の玄関前にいた幹也を呼び寄せた。元気な幹也の挨拶が聞こえる。道長からは見えないが、きっと幹也はいつもとかわらぬ満面の笑みを浮かべているのだろう。


 双順が本堂に戻ると、それに続くようにして大きな木箱に美しい花を携えた幹也が姿を現した。


 じわり、と温かい何かが道長の胸に広がった。


「あれ!道長くんがいる!なんで!?」


 驚いている口調だがその顔は眩しいほどの笑顔だ。まっすぐな好意を向けられ、道長は戸惑いを隠せず、無愛想にただ「よう」と素っ気ない返事をする。幹也は道長のすぐ側に花の入った箱を抱えたまま正座し、道長と双順を交互に見ながら興奮気味に疑問を口にした。


「お知り合いだったんですか?」

「ああ、道長はわしの孫みたいなもんや」

「ええー!いいなぁ道長くん」


 まさにキラキラという擬音語が似合いそうな笑顔でそう言う幹也に、道長はたじろぐ。よくよく考えれば、あの保健室の一件以来の再会だ。なんだかいろいろ恥ずかしい事をしたのではなかったかと思い始めると、居たたまれなくなって来て、道長は幹也の顔を直視出来なくなった。


「…いいことなんか全くねぇよ」

「んー?なんやと道長。こっち向いてもっぺん言うてみ?」


 呟くようにそういった道長に、すかさず双順が被せた。遠慮のないそのやりとりに、幹也はふふっと頬を緩ませる。


「ふふ。いいなぁ本当のおじいちゃんと孫みたい」

「そらせや。道長のことはこーんなちぃちゃい(小さい)とっから知っとるよってなぁ」

「そうなんですか!」

「保育園の頃の道長なんか、そらぁもぉ、かいらし(可愛い)子ぉやったんやで、女の子みたいでなぁ」

「女の子!?」

「和尚。余計なこと言わないで下さいよ」

「女の子みたいな道長くんかぁ…」

「シめんぞてめぇ」

「おまはんほんまに口わん(悪く)なったなぁ。ええ?道長。ちぃちゃいとっきゃあんなに…」

「和尚!」

「あははは」


 知らず知らず肩の力が抜けていた。幹也と双順が揃うのは初めてのはずなのに、不思議なほど違和感はなく、むしろ心底ほっとするのどかな空気が本堂に流れた。道長にとっての、つかの間の休息。戻って来た、と思った。穏やかな現実の世界に気付けば口元が緩んでいた。


 道長はふと疑問を持った。戻って来た、と思った自分に。


――…あ?


 自分は、本来己のいるべき場所を一体どこだと思っているのだろう。


 道長は自分がそれに即答できないことを唐突に自覚して、ゆっくりと口元を手で覆った。どこが自分にとっての現実なのか。どこが本当に自分がいるべき場所なのか。


 あまりに違う、ふたつの世界。


 双順や幹也のいる明るい世界。そして今道長が生活の中心として身を寄せているケルベロスのいる世界。本当にいるべき場所が道長の中で揺らいでいた。


 ふいに西村のにやけた顔を思い出す。そして、忌々しげに自分を見た大地の目線も。


 目眩がした。唐突に自覚した、恐怖。

 今、自分が生活の中心としているケルベロスのある世界は、あまりにも本物の闇の世界に近すぎる。自分は、本当はとてつもなく恐ろしいことをしでかしているのではないのか。


 西村の誘いは断った。だが、別の組が来ないと誰が言い切れる?あの大地の眼は、ヤクザ者との繋がりを諦めたと誰が断言出来る?


 答えはどちらも〝否〟だ。


 寝て、必死に忘れようとした不安が、ここに来た事で逆にはっきりしてしまった。


 戦争を続けるほど、県下統一を目指すほど、てっぺんをとろうとすればするほど、西村が誘った本物の闇が近くなる。そのことに恐怖している。親友がおかしな方向に傾いていることに猛烈な不安を抱いている。


 漠然と感じていた不安が、くっきりとはっきりと大きくなって覆い被さってきた。己のいる世界が定まらない。ぬかるみに足を取られ、ゆっくりと沈んでいくような。


 道長はゆっくりと視線をあげる。今、目の前に広がるのどかな空気との温度差に、ぞくり、と背中を何かが這った。





 ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽





 ケルベロスがホームと呼んで集う、廃工場から離れてから1時間ほど経っただろうか。西村は車から降り、付き人をさせている木島に煙草と缶コーヒーを買いに行かせた。その間に、西村はスーツの内ポケットから携帯電話を取り出し、コールした。


 プルルルという機械音が数回。ブッと音がして、低い男の声が応答した。


「ああ、真鍋まなべさん、お疲れ様です。西村です」


 西村が真鍋、と呼んだその男は、西村が所属する森山組の3人いる副組長のひとりだ。今回の暴走族の少年達を引き込む案件の立案者でもある。


『どうだった?』


 ことの成否を尋ねる台詞ながら、それはどんな形で引き込んだのかを尋ねていることに、西村は苦笑する。真鍋はまさか引き込めなかったなんて話が出るとは欠片も思っていないのだ。もちろんことにあたる前は西村も同じように思っていた。それだけに改めて自分はこの案件を失敗させたのだと思わず苦笑が漏れた。


「いやぁ、総長はってる波多道長。大した奴です。俺と木島で乗り込んだのに眉ひとつ動かさず、突っぱねやがりました」

『突っぱねたぁ?西村ぁてめぇ、まさかしくじったんじゃねぇだろうな?』

「すんません。ヤツを落とすことはできませんでした」

『てめッ…こ、の!大バカ野郎がッ!!』

「いやぁ。すみません」


 あえて明るい口調で報告すれば、予想通り、真鍋の怒号が西村を責める。しかし、西村は動じなかった。自分の選択に絶対の自信があったのだ。


「ただね、真鍋さん、言い訳じゃありませんが、波多道長、ありゃダメですよ」

『はぁ?どういう意味だ』

「あいつはカタギです」

『…ああん?』


 さらに訳が解らんという真鍋に、西村はくすくすと笑う。


「今日会って解りやした。あいつの根っこはカタギです。喧嘩はするし、流しもします、サツだって怖くねぇ。ですがヤツらはそれをヤツらなりのルールを守ってやってるつもりなんですよ。スポーツでもしてる感覚なんでしょう。だもんで、ウチに入れたところで使い物にはならんでしょう。シャブもハッパもしねぇ、殺しは当然、汚ねぇ仕事も、アイツらは死んでもやりゃしませんよ」

『なもん、脅して染めちまえば済む話だろうが。ふざけた言い訳してんじゃねぇぞ西村』

「ええ、仰る通りです。ですが…クククッ」

『なんだ?』


 訝る真鍋。それでも西村は笑うことを止められなかった。


 道長の、あの――眼。

 嗚呼、思い出すだけで、ぞくぞくする。


「総長の波多道長。あいつ、本気で小指だしやがったんですよ」

『なんだと?』

「小指です。指つめるから、ケルベロスは諦めてくれと言いやがりました」

『…まさか』

「俺も嘘かと思いましたけどね、あれは、本気でした。なんなら手首ごと持って帰って来れましたよ真鍋さん。ヤツは、率いることの何たるかを心得ています」


 道長は解っていた。理解していた。チームのヘッドである、その意味を、重みを。


――大したガキだよ…


「もしもこっちに入ったら、奴はさらに化けるでしょう。恐らく波多道長は俺達が舵取りできる領域を越える人材…そうですね、組長の後を継ぐくらいの人材になると思います」


 言いながら、西村は嘲笑った。道長がもしもこちらに入って来たならば、組長の跡を継ぐ程度では収まらないだろう。あんな金に汚い老害の跡など西村でも継げると思っているのだから。それなら、道長はもっと上を行くに違いない。


 そう、道長がこちらに入って来たならば、きっと自分たちを食い潰す。


『…だが、奴の根っこはカタギだから、汚ねぇ仕事はしねぇ。…か』

「ええ。たぶんもう一度行きゃあ、次は奴らチームを解散してでも逃げるでしょうね」

『……』


 真鍋が沈黙する。己が出した案件が失敗に終わりましたすみません、では済まされない。一般人の社会人でもそうだ。西村達ヤクザにはそこにさらに面子と命が掛かってくる。それは当然西村も同じだ。失敗しましたと笑っていては、支部長などという地位にはいられないし、そもそも命がいくつあっても足りない。


 それでも西村に余裕があるのには、訳があった。


「ただね、真鍋さん、代わりを見つけました」

『代わり?』


 西村はほんの数分前に掛かって来た電話の主を思い返す。ひどく緊張した、少年の声。一体何を思って掛けて来たのか今はまだ解らない。だが、一枚岩かに見えたケルベロスのほころびがあったのは、西村にとっては嬉しい誤算だった。知らず、西村の口が厭な笑みを浮かべた。


「思わぬところに、適材がいたんでね。ケルベロスを配下に置くことは出来ませんが、思ってる額に近い数字は毎月吸い上げられそうです。ヤクの販路も広がるでしょう。引っ張り込むのに失敗したことは俺が責任もって誤摩化します。それに、ガキを取り込むのに躍起になってる場合でもありませんしね」

『…それもそうだ』

「そう言う訳なんで。俺はこれから木島連れて支部に顔出してから戻ります。それじゃ、真鍋さん。また…」


 プッと音がして、通話が切れた。ちょうどその時、遣いにやっていた木島が戻って来た。


「お待たせしました」と、大きな体を曲げて、西村に煙草と缶コーヒーを渡す木島を見つめて、西村はふとこれが道長だったらと考えた。きっと道長は想い通り以上に動く、賢い飼い犬になるだろう。しかし、それは果たしていつまでの話か。


「…おまえがバカでよかったぜ」

「へ?」


 西村はハッと笑って煙草をくゆらせ、さっさと助手席に乗り込んだ。木島に「さっさとしろ」と笑って、車を発進させる。


 ゆっくりと走り出したそれは、間もなく深い闇の中へと消えて行った。






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