24話
『なら、小指を』
道長は、はっきりとそう告げると、迷うこと無く西村に利き手の小指を差し出した。予想だにしなかった道長の行動に、西村は思わず目を見開いた。
「今時流行らねぇかも知れませんが、俺の小指、丸ごと持ってって貰って構いません。それでなんとか勘弁してもらえませんか」
道長は、迷いなくもう一度そう言うと、テーブルの上で右手を滑らせ、さらに西村に近づけた。
道長のその行動に、後ろで息を殺すようにしていたメンバーの方が狼狽えた。慶太郎が「道長さん」と静止の声を上げたが、道長はそれを無視して西村を見据える。
一方西村は道長のあまりの迷いのなさに、この場をしのぐ為のはったりかと考えた。小賢しいガキの言葉遊びではないか、と。それなら、その戯れ言を木っ端みじんに打ち砕いてやればいい。懐に忍ばせた拳銃を取り出し、その小指だけでなく、右手そのものをぶち抜いてやる、と脅せばいいだけのこと。西村は、ゆっくりと、背広の内側に手を差し入れた。
しかし、道長の目を睨み直して、西村は唸るしかなかった。
道長は本気だった。本気だと、思うしかない目がそこにあった。
――信じられねぇ……これが、たかが17歳のガキの目つきか。
「くくッ…ふはははは」
西村は突然笑い出した。あまりに愉快そうに笑う西村に、いつの間にか隣に立ち上がっていた木島が怪訝な顔をする。メンバーの不安の色もさらに濃くなった。道長自身も西村の考えが掴みきれず左膝を掴む手に力が入る。
「くっくっく…惜しいなぁ。道長。実に惜しい」
西村がにやにやと笑って道長を見た。西村の真意が解らずどう答えたものかと沈黙した道長を、西村はしばらく眺めてから、ゆっくりと立ち上がった。
「気に入ったぜ。今回はてめぇの面ぁ立ててやるよ」
「……ぁざッス」
道長は深々と頭を下げた。それに倣うように後ろにいたメンバーもいっせいに頭を下げる。西村はそれをみてまた笑みを深めると、煙草をくわえて立ち上がった。
「気が向いたらいつでも連絡しな。お前なら大歓迎だ」
言って西村は、少し腰を屈めて、テーブルに置いたままの自分の名刺を人差し指でとんとんと叩いてみせた。
「……ッス」
道長はそれに、頭を下げたまま、動かない。西村はまたひとつ、ふ、と鼻を鳴らして笑うと、木島のふくらはぎを蹴って「帰るぞ」と言い放ち、悠々と廃工場を後にした。
西村達の足音が遠のき、パタンと車の扉が閉まって、廃工場から走り去る音が聞こえた。その音によってもたらされたのは、とてつもない安堵感。
――助かった。
その場に立っていた者は皆、糸が切れたようにぐったりと床に座り込んだ。
勿論、道長も。
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「あ~れぇ~?なんだよ何揃ってへばってんだよ、道長」
大地だった。
西村が姿を消してほんの十数分後、ふらりと姿を現したのは、何日も連絡が取れなかった大地だった。その場に残っていた、道長を始めとした誰もが眼を見開いて大地を凝視する。
「え?なになにこの熱烈歓迎。そんなに俺に会いたかったって?違う?ぎゃはは」
にやにや笑う大地に、さっきよりも更に脱力する。
正直なところ、道長は大地が事故か病気、もしくは闇討ちにでも遭ったのかと考えていた。最悪、ヤクザに人質として先に捕まっているのではないかとまで考えた。もう一日連絡が無かったら、戦争を休止してでも探すつもりだった。それがいつもと変わらぬへらへらした笑顔でやって来たのだから、安心したのも無理はない、と言い訳をする。
「…大地…」
「よ。道長おっ久ぁ~」
そして同時に沸々と沸き上がる怒り。一体今までどこで何をしていたのか。よりにもよって、西村達が帰った直後に現れるなんて。一番いて欲しかった時にいなかった親友に、文句のひとつでも言ってやろうと立ち上がる。
「おまえ、今まで何してた」
「え。そこ聞いちゃう?」
「誤摩化すな」
「ちょっとねぇ~強力なパトロン探し、みてぇな?あとケータイ水没したんだよなぁ~…って、なんだこれ?」
言いさして、大地はふとテーブルに置かれている西村の名刺に目を留め、おもむろに拾い上げた。
「……おい、道長」
「あ?」
「なんだ、これ?」
先ほどまでのちゃらけた雰囲気が一変し、困惑のなかに確かな怒気をはらんで大地が道長を見据えた。道長は、大地が何を考えているのか解らず、少々困惑したものの、西村のことは黙っているわけにはいかない。そのまま事実を口にした。
「ヤクザのおっさんが、組の傘下に入れっておいでなすったんだよ」
「――ッ!?それで!?」
「ハッパ売って金納めろってさ」
「違ぇよ!!」
「は?」
「それで、なんて返事したんだっつってんだよ!!」
もの凄い剣幕で迫ってくる大地に、道長は勿論、廃工場にいた誰もが一体大地が何に怒っているのか解らず呆然とするしかなかった。
しびれを切らした大地に、道長はとうとう胸倉を掴み上げられ、どう返事をしたんだと迫られた。道長は、苦しげに眉をひそめて口を開く。
「断ったに決まってんだろ」
「――ッ!てめぇ…ッ!!」
ドガッ、と鈍い音がして、体が地面に叩き付けられた。左頬がジンジンしていることに、ようやく道長は大地に殴られたのだと理解した。ふと見上げれば、さらに自分に殴り掛かろうとしている大地を慶太郎が止めていた。
「大地さん!どうしたんッスか!落ち着いて下さい!」
「うるせぇ!離せケータ!このクソがッ!おい道長てめぇ!なんで断りやがった!」
「…あ?」
「なんでヤクザの下につかなかったッ!?」
「……」
「森島組に助けてもらえば、県下統一はもっと楽になんだろうが!ハッパ売りゃあ、俺らだって稼げんだぞ!?カツアゲ狩りのせいで、どこ探したってカツアゲしてるやつなんかいなくなっちまったのになんで断った!?」
道長は混乱していた。床に座り込んだまま、慶太郎に羽交い締めにされている大地を見上げる。大地の考えがまるで解らない。以前はお互いの考えが手に取るように解っていたのに。今はまるで濃霧が立ちこめているように大地のことが解らなかった。
なぜ、大地の考えが解らなくなった?なぜ、大地はここまでなりふりかまわなくなった?一体、大地は何を考えている?
黒い、何かが足に絡み付く。焦燥が、道長の背骨を駆け上がった。
「このクソが!全部俺抜きで勝手に決めやがって!」
「……」
「聞いてんのか道長!ざけんじゃねぇぞ!俺はケルベロスの副総長だろうがよ!」
「――ッ」
喚き散らす大地に、とうとう道長の中で何かが切れた。
「大地ッ!!」
ビリビリビリッとホームが震えたのではないかと思うほどの怒声だった。シン、と水を打ったように廃工場が静かになる。そのなかで、道長の声だけがはっきりと響いた。
「いい加減にしろよ…」
道長が大地を見据える。珍しく声を荒げた親友に、さっきまでの威勢はどうしたのか、大地はきつく口を引き結び、じり、とわずかに怯んだ。
「勝手なこと言ってんじゃねぇぞコラ。電話もメールも散々した。それでも出なかったのはてめぇだろぉが」
「…水没したっつっただろ…」
「ここに顔も出さねぇでそれが理由になるか」
「……」
「大体、おまえ、ケルベロスの〝掟〟を忘れたわけじゃねぇだろ。今度そんなクソくだらねぇこと言ったら、例えおまえでもチームから叩き出すぞッ!!解ってんのかッ!?」
爆発した道長の怒りが、空気を伝って肌を焼いているような気がした。その場にいた全員が、微動だにせずに、その場に立ちすくむ。
道長と大地。睨み合うことしばし。沈黙を破ったのは、大地の方だった。
「……チッ」
大地は忌々しげに舌打ちし、慶太郎を振り払うと、西村の名刺を握りしめたまま足早にその場を後にした。その頑な背中に、道長は不安が沸き上がるのを止められなかった。道長は幾度となく繰り返した言葉を自分に言い聞かせた。
大丈夫、あいつなら、大丈夫。と。
だがしかし、その言葉はもはや道長を慰める力を、失っていた。




