21話
幹也達が進路について真剣に話をしたその日の夜。ケルベロスはもう何チーム目になるか解らないほどのチームを潰していた。すでに東、南を制し、そして西の大半を手中に収めた。今日の得物はその西の残党とも呼べる小さなチームだ。
「た、助け……!」
前歯をなくし、口元を真っ赤に染め上げた、チームのリーダーと思しき少年が、道長を見上げた。最初の威勢はどこへいったのか。恐怖で顔を歪めながら道長に助けを請うた少年を見た瞬間、道長が忌々しげに舌打ちをする。
「…うぜぇ…おまえらもう族やめろ。そしたらもうこれで止めてやる」
「は、はい……!すみませんっした!」
最後にケリの一発でもお見舞いしてやるつもりだったが、その気すらも萎えた。腰抜けが、と口の中でそう吐き捨てて踵を返す。その時、大地がポケットに両手を突っ込んでちゃらちゃらと歩いて道長のすぐ脇に立ち止まった。ひょーいと道長の肩越しに青ざめた顔をした少年を見おろすと、大地は道長に向かってにんまりと笑った。
「なー道長ぁ、コイツら別に族やめささなくてもいいじゃん。つかパシリにしようぜー。流すときもさぁ、警察に見つかったらコイツら囮にしたらいいじゃん。な?そうしようぜ!」
ケラケラと笑いながら新しいオモチャを見つけたように笑う大地に、少年は更に顔を青ざめさせ、道長は嫌悪感を露にして眉をしかめた。
「こんな腰抜けいらねぇよ」
「ああ?べつにケルベロスにいれんじゃねんからいいだろ?パシリパシリ」
「腰抜けはいらねぇつってんだろ」
「だからぁ」
「大地」
尚もいい募る大地を道長は無理矢理遮った。
「いい加減にしろ」
「……へーへー。わかりやしたよ総長様」
投げやりにそう言うと興味をなくしたのか大地はくるりと道長に背を向け、またちゃらちゃらと離れて行った。道長はその背中を見ながら苦々しげに眉間に皺を寄せた。
いつからだろうか。最近、大地とこういったすれ違いが多くなった。まずい、と道長はもう1本眉間に皺を寄せる。そのとき、慶太郎がどすどすと走りよって来た。
「道長さん、ブラッズの矢部から、やっぱマッポが動いたって連絡がありました。けど、こないだ入れた黒夜叉党が南町の方に流すのに成功したらしんで、ここは大丈夫だと思います」
「……は?」
「や!つっても、そんなのんびりもしてらんねぇと思うんで、そろそろ撤収しませんか?」
「……」
突然の報告に、反応が鈍り、思わず黙り込んでしまった。慶太郎は慶太郎で道長がこんな反応をするとは思っていなかったのだろう。少し戸惑ったようにその巨躯を丸め、頭をかいた。
「あ、あの…マズかったッスか?警察が動くって噂があったんで、いままで通り囮で釣ったんスけど…南町なら黒夜叉のが詳しいんで矢部に指示を任せて……」
「…いや、それでいい」
よかった、と言ってニカッと笑った慶太郎。だが、道長はその笑顔を複雑な思いで見つめた。本来なら、その指示を出すのは大地の仕事だからだ。
「おまえが…そこまでやってると思ってなかった…」
視線を少しふせ、ぼそり、と、つぶやくようにそう言った道長に、その真意を汲み取った慶太郎も顔を曇らせた。
「…俺が言うのもなんッスけど…最近、大地さん大丈夫なんスかね?」
「……」
「……ぶっちゃけ、同盟組んだチームの頭からは不満も出てて…」
慶太郎の沈んだ声に、道長はさらに眉間の皺を増やした。
大地が天狗になりはじめている――
傘下が増え、ケルベロスが強大化するにつれ、大地は以前にもまして明るく友好的に振るまい、チームを纏めることに尽力していた。その甲斐あって傘下が増えてもすぐに馴染み、ケルベロスを筆頭とした大きなひとつのチームとして迅速にまとまりを持って動くことが出来ている。今、大地はなくてはならない存在なのだ。
なのにその一方で、最近の大地は自分の実力以上の力を自分のものだと思っているように見受けられた。噂では最近鳶職の仕事もサボりがちなのだと言う。カツアゲ狩りで楽に、それもかなりの金額が手に入ったからだ。
激変する毎日。他のチームを潰し、強大化していくケルベロス。食うか食われるか。その渦中にいる人間をふくむ全てのものごとが、日々刻々と激変している。ブラッズの八瀬もトビオも矢部も、慶太郎も大地も、そして道長自身も。
だがそれは必ずしも良い方向だけに変化しているのではない。道長は、すでに他のメンバーと談笑している大地の背中を見つめた。
足を絡めとられそうな不安。それを振り払うように、道長は一度だけ頭を振った。
「大丈夫だ。あいつなら」
大丈夫。今だけだ浮かれてるのは。大丈夫、あいつなら。もう一度、言い聞かせるように心の中でそう繰り返し、道長は「撤収だ」と声を張り上げた。
:::
来客があったのは、翌日の夕方だった。
突然、ホームの門番をしていたひとりが工場の一番大きな部屋、つまり全員が常に集まっている大広間に飛び込んで来た。
「波多さんッ!ヤクザっぽい野郎が殴り込んできましたッ!!」
その声に廃工場内は騒然とする。叫び声のような報告に道長は片眉をあげた。ついにきたか、と唇を咬む。佐宮紅蓮連合会を潰した時に覚悟はしていた。ヤクザと繋がりがあるというのが本当ならば、バックにいるその組が黙っているはずがない。佐宮を潰してからすでに3週間近く経っているのだから遅いくらいだ。
だが、なんてタイミングで来てくれたのだと恨まずにはいられなかった。今、廃工場にいるのは、ちらほらと集まりかけた15人ほどの下っ端と、慶太郎、そして八瀬とトビオだけだった。大地は、まだ、来ていない。
「人数は?」
「ふたりです!」
「ほかの見張りは?やられたのか」
「す、すンません…ッ!!」
「おい、どうする道長ッ!?」
「…道長さん、引きますか?」
走って来た見張りの報告を受けて八瀬が叫び、慶太郎が撤退を尋ねた。道長はしかし、その報告に違和感を覚える。八瀬と慶太郎の問いかけには答えず、見張りに向き直った。
「おい、そいつどんなやつだ」
「えっ、あ!すっげぇ背ぇ高い野郎です!グラサン掛けてて…」
「――!道長さん、もしかして!」
言いさした慶太郎に、道長は無言で頷いてみせ、だめ押しのように質問を重ねる。
「…口にホクロあったか?」
「あ、ありました!」
その答えに、道長はほっと肩の力が抜けるのを認めざるを得なかった。だが、訳が解ってない他のメンバーや八瀬やトビオは焦燥を露に困惑していた。
「大丈夫だ。安心しろ」
道長が、そう言ったときだった。大広間の出入り口の向こう側からカツーンカツーンとやたらとゆったりした足音が響いた。道長と慶太郎以外の皆がごくりとつばを飲み込む。
もったいぶったように大広間に現れたその男は、報告通り190cmはありそうな長身だ。流れるような曲線のサングラスをかけてその姿をさらした。
ピンストライプのグレーのスーツに真っ黒のシャツを合わせ、首元にはいかにもな金のネックレス。短く整えられた黒髪がそれを引き立てて、ただでさえ高い身長をさらに大きく見えるようなオーラを放っていた。すらっとした体躯だが、非常に安定感と力のある体なのだろう。その右肩には、気を失った見張り役の少年が担がれていた。
大広間に緊張が走る。だが、男はそんな緊張を意に介した様子もなく、ゆったりした動作で、サングラスを取った。その眼光はこの男がカタギの人間でないことをはっきりと伝える。男はぐるりと大広間に視線を走らせ、そして道長を見つけるとホクロの特徴的な口元に笑みを浮かべた。
「相変わらずちっせぇな道長ぁ!」
突然そうのたまった男に、その場にいた全員が凍り付く。道長は決して小柄な訳ではない。むしろ背丈はあるほうだ。なのにこの道長にそんな暴言を吐く人間がこの世にいるなど、誰が想像しただろう。
だが、激怒するかと思われた本人はほんの少し、苦笑しただけだった。
「あんたが高過ぎなんスよ。…龍太郎さん」
名を呼ばれ、男は嬉しそうに破顔する。
唐突に現れたこの男こそ、ケルベロス初代特攻隊長・板橋龍太郎、その人だった。
「お久しぶりです」
「おう」
「お、お久しぶりです、龍太郎さん!」
「うお!慶太郎、だっけか?うはは!相変わらずでっけぇな。よお、大地はいねぇのか?」
「まだたぶん仕事ッス」
道長、慶太郎と挨拶を交わし、肩に担いでいた少年を側にいた者に任せ、龍太郎は、誰だとざわめくホームをにやにやと見渡した。
「おー結構新顔増えてんな」
「そうッスね。でも、初代の名前は全員に教えてありますよ」
「カカッ。なら、顔も教えてやらねぇとなぁ」
龍太郎は自分に視線を送ってくる者達をぐるりと見渡すと、すぅっと息を吸い込んだ。
「おう、聞けコラぁ!俺がケルベロス初代特攻隊長、板橋龍太郎様だ!」
大声で言い放った龍太郎にホームが大きくどよめいた。そのどよめきに満足そうに笑うと、龍太郎はまた道長に視線を落とした。
「しっかし、まぁ、あの佐宮潰しちまうとはなぁ。しかもこの短期間でよぉ。俺らは無理だったのに、スゲーなおめぇら」
道長はすぐ近くにいたひとりに酒を買って来るようにと万札を握らせ、どっかりとソファに体を沈めた龍太郎の左側のソファに同じく腰を落とした。
「これも初代あってのことです」
「やめろやめろ。世辞はいらねぇよ」
カカカと豪快に笑う龍太郎。その様子はケルベロスにいた頃と全く変わっていない。道長は尊敬と懐かしさをこめた視線を龍太郎に向けた。
一体どれくらいぶりだろうか。他の初代は引退後まったく顔を出さないが、極道の世界に入った龍太郎だけは二代目が活動しているときから何度か様子を見に来てくれている。最後に会ったのは道長が総長に就任した後だったように思うからかれこれ1年近く会っていなかったことになる。
話したいことは山ほどあったが、道長は先に八瀬とトビオを龍太郎に紹介した。ケルベロスの初代は他チームにもその名を轟かせていたから、八瀬とトビオも感無量といった様子で頭を下げていた。
それぞれに挨拶がちょうど終わった頃、先ほど酒を買いに行かせたメンバーが帰って来た。5人は安酒をくみかわし、そこからほんのしばらく世間話に花を咲かせた。そして、会話が途切れたのをきっかけに、道長は核心に触れた。
「…なにか、ありましたか」
静かな道長の問いかけに、先ほどまでの龍太郎の陽気な笑顔が影を潜めた。龍太郎は残っていた酒をくっと煽ると、至極真面目な顔で話を切り出した。
「……忠告に来た」
「忠告?」
「ヤクザがくるぜ。森山組だ」
ざわり、と、廃工場が鳴いた。
道長はやはり、と拳を握る。それは他の幹部も同じだったようだ。みな、複雑な感情を表情にのせている。
「森山組とその親ンとこが今までちょっとごたついてたんだが、それが収まったんだと。今朝割と確かな筋から連絡が入った。佐宮潰してからいままで音沙汰がなかったのはそのごたごたのせいだ。けど、それが収まったって事は近いうちにおいでなさるぜ」
「……はい」
「俺達のときも来た。そんときゃ森山組から来た、西村って野郎が『バックについてやるから佐宮と和解協定を結べ』って言って来てな。それにキレたヨシが大暴れしてうやむやになったんだが…ありゃまぐれだ。2度目はねぇ。森山組はもともと佐宮のバックにいたトコだ。黙っちゃいねぇだろ」
その場にいた全員が神妙な顔つきで龍太郎の言葉に耳を傾けた。今更ながら、彼らは実感していた。自分たちが今いるこの世界が、どれほど本物の闇に近い場所にいるのかということを。
いや、自分たちはすでに片足をその闇の中に踏み入れてしまっているだろう。己の中に、確かな思いを抱いていなければ、簡単に全身を持って行かれる。何をもって踏みとどまるのか、堕ちるのか、それを迫られているのだと誰もがひしひしと実感していた。
「腹括ってヤクザの犬になるか、闘うか、解散してでも逃げるか。よく考えるこった。ただし、時間はそんなにねぇぞ。明日か、明後日にはたぶん、奴ら動くぜ」
言って龍太郎は、もっと早くに来てやりたかったと、苦々しげに口を引き結んだ。
「森山組は秀珱会の子飼いで小さい組だ。同業の俺から見ても汚ぇ商売してやがる。ただ、西村って野郎が来たならまだ話は通じるかもしれねぇ。西村はエゲツねぇ野郎だが、筋は通す男だ。けど、それ以外のヤツが来たときは…ヤクザの犬になる気がねぇなら県下統一は諦めて、潔く解散しろ」
道長はちらりと廃工場にいる者たちの顔を盗み見る。誰も何も言わないが、その顔が語る心のうちは様々だった。最悪の未来を予想して青ざめている者、龍太郎の忠告に真摯に耳を傾ける者、極道者のなにが恐いのかと言いたそうな者など、様々だ。
そんななか、八瀬が龍太郎にぽつりと疑問をぶつけた。
「失礼ッスけど、その大暴れした〝ヨシ〟さんってのは初代総長のことで?」
八瀬がそう尋ねると、龍太郎はその通りだと頷いた。
「ああ、説明忘れてたな。そうだ。ヨシはケルベロス初代総長のことだ。本名は嘉村〝正俊〟」




