2話
それはこの辺りでは割と良く見る光景だった。3月。現在時刻は22時。
安っぽいネオンが連なる飲屋街、道を一本奥に入れば風俗街が広がるこの界隈は所謂一般人、特に学生には優しくない場所だ。裏路地に1人で迷い込めば若いアウトローに金品を巻き上げられてさよならポイ。それがこの近辺を歩く時の暗黙の了解だった。
「だーからぁ、ちょっとでいいんだってぇ。貸してよお金。返すからさぁ」
いかにもな台詞でカツアゲをする金髪の少年。上の歯が一本欠けていて、白い吐息に混じって時々ひゅうと音が混じる。うしろでは同じような雰囲気の少年が2人、ニヤニヤと下品に笑っていた。
「だから、本当にさっきカツアゲにあって貸せるお金がないんです」
3人に囲まれた少年が叫ぶ。下手な嘘をつくもんだなと、道長は何の感慨も無くぼんやりと遠巻きにそれを眺めた。「いつものこと」で、済んでしまうほどその光景はここでは日常なのだ。
しかし、絡んでいる側の少年達。よくよく見れば道長が総長を務める暴走族チーム『ケルベロス』に最近入ったばかりの下っ端だ。これは素通りできなかった。自然と足が止まる。
「あれ、ウチの新入りじゃないッスか?」
隣を歩いていた慶太郎――彼は特攻隊長だ――もそれを見つけ不快そうに眉をひそめた。
この近辺最強と唱われるケルベロスにはかなり有名な唯一絶対の掟がある。
〝喧嘩上等〟
誰もが一度は聞いたことがある文句だが、ケルベロスにおいてこの四字の意味は深く、重い。
〝全ては喧嘩で解決し、欲しいものは喧嘩で奪え〟
これはケルベロスの結成に大きく由来する。今でこそ暴走族として動くことが多いが、そもそもは喧嘩好きの3人――初代幹部にあたる。現在は3代目だ――が腕試しに暴走族を潰して回ったことから始まった。
その化け物じみた強さの3人を周囲がいつしかケルベロスと呼ぶようになり、彼らを慕って集まった者によって自然発生し今の形に落ち着いたのだ。
つまり喧嘩が全ての始まりだった。だから今でも喧嘩はケルベロスの行動の原点であり、最重要事項だ。チームに入るときはもちろん、幹部を決める時も喧嘩で行われる。
喧嘩が絶対のケルベロス。だがその裏を返せば喧嘩以外で物事を解決すべからずということ。そしてそれにのっとればカツアゲは御法度だった。
「…ケータ」
「はい。後は任せて下さい」
低く呻くように慶太郎の名を呼んだ道長。それだけで慶太郎は次に道長が何をするのかを的確に理解したのだろう。後任を約束すれば、道長はこくんとひとつ頷いて、ゆらりゆらりとその少年達に近寄った。
道長と少年達の距離が2mもなくなった時、3人のうちの1人が道長と慶太郎に気付き、慌てた様子の中に少し嬉しそうな声で頭をさげた。
だが、道長はそれを思いっきり殴り飛ばした。
「天下のケルベロスのメンバーがッカツアゲなんてだっせぇことやってんじゃねぇぞゴラァ!!」
道長が吠えたと同時に驚きと恐怖で固まっている残りの少年が文字通りふっ飛んで行く。1分と経たないうちにことは道長の圧勝で終息した。
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「それじゃ、ミチナガさん。こいつら〝ホーム〟に運んでおきます」
190cmを越す柔道家のような巨躯をもつ慶太郎は、低く呻く3人を軽々と担いで――1人は引きずられていたが――そう言うと、ホームと呼ばれる彼らの活動拠点へとその場を離れた。
慶太郎の背中を確認して、道長はゆったりとした動作で絡まれていた少年を振り返る。少年はただ呆然としていた。嵐のような展開についていけてないその様子はずいぶん間抜けで、どこか愛嬌があった。
「身内が迷惑かけたな」
ぼそり、と道長は少年に告げる。少年は慌てて頭を下げると礼を言った。
「そんな!こちらこそありがとうございました。助かりました」
下り気味の眉尻をさらにへちゃっと下げて苦笑する少年。普段あまり初対面の人間と話そうとしない道長だったが、少年のその顔につられたのか珍しく話を続けた。
「…さっきのは本当か?」
「さっきって?」
「『カツアゲされて財布が無い』」
少年はまたへちゃっと苦笑する。
「ほんとです。なんでなんですかね?僕、ほんっとによくカツアゲに遭うんですよ…」
「……」
「だから財布って普段ほとんど持ち歩いてないんですけど…」
今回はダメだったなぁとひとりごちる。あまりにもあっけらかんとして言うものだから本当にカツアゲに遭っているのかと疑問が頭をもたげたほどだ。
「……財布持ち歩かないって、いつもどうしてんだ」
「え?あ、えっと、お札は靴とか上着の内ポケットとか定期入れに入れたりしてるんです。あと小銭はハンドタオルで包んでこれに」
言って取り出したのは首から下げたアジア雑貨店に売ってそうな小さなポーチ。可愛いでしょ?と顔まで持ち上げられたそれには仏教画にでてきそうな不気味なゾウの絵が描かれていた。
「………」
まるで治安の悪い国の観光客だ。熟練のスリだって真っ青な徹底ぶりに開いた口が塞がらない。いや、そのポーチを可愛いだろうと見せるそのセンスもいかがなものか。どこにでもいる平凡な少年に見えるのにこの変人っぷりと言ったらどうだろう。内気なのかと思いきや、同属の不良でも恐れを抱く自分に対して、物怖じせずに人好きのする笑顔で喋る様子はいっそ好感すら抱く。
しかし、あまりの突飛さに道長は呆然としていた。そんな道長を気にも留めず、少年は改めて丁寧に礼を言うとするりと道長の脇を抜けて帰路についた。
残ったのは冷気にさらされて白くなった少年の吐息。小さな背中はすでにネオン街に消えて見えなくなっていた。世の中面白いヤツがいるものだ。道長はくるりと方向を変え、自身もホームへ向かった。
ベタな言い方をするならば、これが道長と花屋の少年の出会いだった。
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「どんなお花をお探しですか?」
時は戻って花屋の前。5月。現在時刻は18時。あの時と同じ笑顔でそう尋ねてくる少年。
道長は視線を店内に巡らせる。もう夕方ということもあって、まばらに空のバケツや少ししか花が残ってないバケツがいくつか見受けられた。視線を戻せばかわらず微笑んで自分の返事を待っている少年がいる。黒のシンプルなエプロンが板についていて、初めて会ったときより大人びて見えた。
「カーネーション」
ぼそり、とつぶやくように言うと、少年はまたふわりと笑う。
「はい、少々お待ち下さい」
言って少年は大きな冷蔵庫のガラス戸を開けて、まだ少ししか開いていないカーネーションがたくさん入ったバケツを2、3個引っ張りだすと少年は道長を見上げた。
「色はどれになさいますか?」
赤、オレンジ、イエロー、ピンク…その他にも花弁の渕だけ色付いている種類もある。だが、どれも道長が欲しいものではなかった。
「白。…あるか?」
「はい、でも…あの、母の日にですよね?」
あと3日もすれば母の日だ。この時期にそれ以外の目的でカーネーションを買う客――特に男性客――は少ないのだろう。道長も例に洩れずそうだったのでただ頷いてみせる。
「え、と、実は母の日に白いカーネーションって亡くなった方に贈るのが一般的なんですけど…」
「知ってる」
よろしいのですか?と続けるつもりだったであろう言葉を遮って道長がそう言うと、少年は少しばかり驚いた様子で目を瞬かせた。
「死んだ祖母さんにだから白で良い。一本だけくれ」
「…解りました」
少年は少しばかり申し訳なさそうに笑うと、五分咲きの1本を取り出してラッピングを始めた。
道長はぐるりと店内を見渡す。濡れたコンクリートの床。花や巨大な冷蔵庫で隠れているくすんだ壁。作業台の周りに転がる切られた茎から青いにおいがする。最近の花屋に多い木造や黒を基調としたシックな内装とは違って昔ながらの古くさい下町の花屋。所狭しと並ぶ使い込まれたバケツに納められた花はしかし、しゃきっと背筋が伸びていてとても元気で健康的な印象を受けた。表の小さな看板にある〝渡樫生花店〟という名前が実にしっくりと良く合っている。
「お待たせしました。200円です」
そいういって少年が持ってきた白のカーネーションは綺麗に英字新聞と透明のセロファンに包まれ、緑と茶のリボンで品良くまとめられていた。
だが、道長は眉をひそめた。当然だ。カーネーション1本を注文したのに、渡されたそれには淡いピンクに色づいたカスミソウが添えられていたのだから。
「…おい。このちまいのは頼んでねぇぞ」
「これは僕からです。この間助けてもらったので」
そして「あの背の高い方にもよろしくお伝え下さい」とまたにっこり笑う。
この少年の笑顔には何かあるのだろうか?マイナスの感情がいつの間にか滑り落ちて行くような感覚を味わいながら、道長は「そういうことなら」と、ありがたく花束になった注文の品を受け取った。
なかなか見かけない、まるで小さな桜のようなカスミソウは真っ白のカーネーションを引き立たせるためだけに過不足なくそえられていて、実に上品で穏やかだった。
道長は黙って財布から200円取り出すと、そのまま黙って少年に渡す。少年は相変わらずふわりと微笑みながら礼を言ってそれを受け取った。
「ありがとうございました」
「……お前さ」
「はい」
「ここの人間?」
道長は指で店を指す。
「そうです。幹也って言います。どうぞよろしく」
「……名字は?看板の…」
「ああ〝わたがし〟です」
「渡樫…」
おうむ返しに一度繰り返す。
「…甘そうだな」
「よく言われます。美味しそう、とか」
初めて会った時のように下がり気味の眉をへたりと下げて幹也と名乗った少年は照れくさそうに笑ってみせた。
「あなたは?」
「あ?」
「お名前、なんて仰るんですか?」
ふわりと笑む幹也に、再び心地よいようなでもどこか焦るような気分になる。
「…ケルベロス3代目総長。波多道長」
――何故?