18話
保健室事件から2週間が経った。
11月に入り、秋色が濃くなったことで、冷たい風が頬を撫でることが増えた。幹也達3年生の一部は既に公募制推薦入試を受け終え、合格発表を今か今かと待つ者もちらほら出て来ている。
幹也も受験勉強のまっただ中だ。ただ、店の手伝いは相変わらずのペースで続けていた。晴海と雪江には店の手伝いよりも受験勉強を優先して良いと言われていたが、そこは頑として譲らなかった。代わりに結果を見せると言って納得させ、その言葉の通り模試でも悪くない結果を出していたからのだから文句のつけようなどない。晴海と雪江は無理だけはするなと言って幹也の好きにさせていた。
受験戦争が加熱し、3年生の教室棟の空気が殺伐としている中で、唯一幹也だけがぐんぐん成績を伸ばし、今まで以上にイキイキとしていた。
「幹也ー!」
終礼が終わり、教室がざわめく。その中でも大きな声がしたとそちらの方を見てみると一志が鞄に荷物を詰めていた。ひらひらと手を振って返事をすると荷物を詰め終えた一志は、6限目に唐突に行われた古典の抜き打ちテストの恨みを晴らすかのごとく、幹也の元へ飛んで来た。
「息抜きしに行くぞ!付き合え!」
「いいねぇ。どこ行く?」
「ドルテオ」
「おお…贅沢に行きますな…」
「じゃねぇと発散になんねぇだろぉが!」
ぎゃーと喚くように一志が言った『ドルテオ』というのは、高校の近くのカフェのことだ。毎週新作ケーキが並ぶほど種類が豊富で、加えて紅茶やドリンクの種類も充実しており、とにかく美味しい。加えてテーブルが個室のように仕切られていて、男性でも席に着いてしまえば恥ずかしくないというのが良かった。他のケーキ屋やカフェに比べて男性客が多いのもドルテオの特徴だ。
ただ、唯一の難点が、価格だった。なにせ高い。ケーキセットを頼んでも1500円かかる。それだけの値段を払う価値はあるのだが、いかんせん高校生にはなかなか辛い。ましてや一志は底なしの甘党なので、ケーキひとつでは治まらない。最低でも2つは食べたいというのだから、それこそここぞ!という時にしか行けないのだ。
「心の平穏を取り戻しに行くんだ!」
「はいはい」
鼻息荒く熱弁を振るう一志に、見かけによらず甘いものが好きなんだから、とは言わないでおく。ともすればチャラいと悪評を打たれる友人の、二枚目顔の下に隠された一面に幹也はクスリと笑って合意した。
だが、ふと一志がぴたりと止まる。何かに気付いたらしい。なにかしら、と幹也が首を傾げれば、一志も同じように首を傾げた。
「ところで幹也、おまえ金大丈夫か?」
「え?うん、大丈夫だよ?」
「マジで?財布あんま持ち歩いてねぇだろ。あんの?」
「あ、うん。今日はちゃんともってる。ドルテオ行くお金は充分あるよ」
指摘され返事をしたものの、幹也もそういえば、と思った。幹也は普段学校に財布を持ってくることはあまりない。しかし、ここ最近は雨のために帰りにバスに乗ることも多かったので財布を持っていた。だが、いつもなら雨の日以外財布は鞄から抜き出して持ち歩かないようにしている。なのに雨の日に使ったその財布は鞄の中にそのまま入っている。何故だろう。と考えて幹也はすぐに答えを見つけた。
「そうか…最近カツアゲにあってないからだ」
ぽつりと呟いたひとことに、下足ホールで靴を履き替えながら一志が「そりゃそうかもな」と明るい声で返事をした。
「へ?なんで?」
「あれ?波多から聞いてねぇの?」
「何を?」
全く見当がつかなかった。そもそも波多道長の名前すら久しぶりだ。あの保健室事件以来、道長の名前は耳にしていない。聞いてる聞いてないどころの話じゃない。
「ケルベロスさ、今いろんなチームに戦争しかけながら大規模なカツアゲ狩りしてるみたいだぜ?不良連中の間ですっげー噂になってる」
「え?戦争って、それって前からしてたんじゃないの?」
下校の生徒に混じって一志にそう尋ねれば、一志は鞄を持っていない方の手でぽりぽり頭をかきながら、イタズラでも見つかったようにへへへと笑ってみせた。
「わり、それ結構古い情報だったみたい。ここ数年はケルベロスは戦争参加してなかったんだって。武闘派にかわりはなかったみたいだけど」
「…そうなんだ…知らなかった」
「まぁそりゃ、そんな世界とは縁遠い俺達の耳には入らない情報だしな」
「じゃあなんでカズはそれを知ってんのさ」
「そりゃそういう悪い友達がいるからっしょ」
さらっと言った一志に、幹也は不安気な顔をしてみせた。この大事な時期に、大丈夫なのか、引きずられたりしないのか、といった感情が思わず表情に出た。だが途端にそれは一志の友人に失礼だったのでは、と思い、幹也は一志から顔を外して赤面した。
「心配しなくても俺もそいつもちゃんと線引きしてっから大丈夫だよ」
「…うん、ごめん」
「気にすんなよ、フツーはそう考えるって。…でも、そこを考え直すのが幹也の良いとこだよな」
ニカッと笑ってそういった一志に「お世辞言っても驕らないよ」と幹也が言えば「ちぇー」と一志はまた笑った。受験のせいで友達ごっこをするようになってしまったクラスメイトもいるなか、一志がこうして遠慮なく付き合ってくれることが嬉しい。
「けど、なんで突然カツアゲ狩りなんか始めたんだろうな?」
「さあ?」
「なんか聞いてないの?波多に」
「そんな仲じゃないよ」
言えば一志はあまり納得していないのか、ただ「ふーん」とだけ返事をしたが、一志はふとにやりと笑うと、何か思いついたようにぴっと人差し指を立ててみせた。
「もしかしてさー、戦争のほうが口実で、本当は幹也のためにカツアゲ狩りし始めたんじゃね?」
「うははは!まっさかぁ!」
突拍子もない一志の仮説に幹也はあっけらかんと笑ってみせた。ふぃっと風がふたりの頬をかすめてから、街路樹の枯れ葉をカサカサと鳴らして、幹也と共に一志の考えを笑っているようだ。だが、一志は食い下がった。
「けど、一緒に展覧会行って、しかもそのあとカツアゲに襲われたの助けてくれたんだろ?」
「それはそうだけど。でも、ほんとにそれ以外の接点なんてお店以外ないんだよ?なのに僕なんかのためにカツアゲ狩りまでするはずないよ。カズならする?」
「どうかなー。でも全くないともいねぇんじゃねぇのー?下の名前で呼び合う仲になったんだろ?」
「呼び合うって…そりゃ下の名前でいいとは言われたけど、僕名前呼ばれたことないよ?」
「……でもさぁ、一番初めに会ったのだってカツアゲ狩りだったわけだろ?そっからずっと幹也んとこの花屋に通っててさー」
「通ってくれてるって言っても月に1回だよ。戦争のついでにカツアゲ狩りもって思ってくれてるならまだしも、戦争が口実でカツアゲ狩りしてるとは考えられないって」
「むー」
まだ自分の立てた仮説の非現実性を認められないのか、唇を突き出している一志。幹也ももしかして、とその可能性を探ってみるが、一連の道長との付き合いを思い返すと、やはりそれは到底ありえない、とかぶりを振った。
「やっぱりありえないって。まともに話したのだって展覧会行った日の前後少しだけだよ?ないない」
「ちぇーつまんねぇの」
「…カズはいったい何を期待してるの…」
「別にー」
話が一段落したところでドルテオの前についた。重厚な装飾の入った木製の扉を開く。いらっしゃいませーとウエイトレスの可愛らしい声が迎えてくれた。ここのウエイトレスの制服は由緒正しいメイド服を忠実に再現したような上品なロングスカートのもので、着ている女の子をとても清楚に見せる。一志曰く男性客が多いのはこれもひとつのポイントだというが、はたしてどうだろう。
可愛いウエイトレスに案内されて席に着く。さっそく舐めるようにメニューを見始めた一志を尻目に、幹也は久しく見かけない、かのぶっきらぼうな客の顔を思い出す。
「ケガないかなぁ…道長くん……」
冷たい風が窓に当たって、一度だけカタリと鳴った。




