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君は青、俺は赤。  作者: ハルタ
4章:無関係な2点の関係性(上)
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14話



「ここで暮らさないか?」


 幹也は驚いて声も出なかった。それは正俊も同じだったのだろう。目がこぼれ落ちそうなほど大きく見開かれていた。


 晴海は淡々と語った。自分たちには子供がおらず、やっと授かった子も流産して失ったこと。この2ヵ月で幹也と正俊を実の息子のように思うようになったこと。さらにはこのままここで暮らせば根強く噂され、居辛い思いをするかも知れないこと。それでも自分たち夫婦は幹也と正俊に息子として全力で守ることを約束するから、ここで暮らして欲しいと思っていることを。


「すぐに、答えを出す必要はないよ。施設に他の子達が入るのも1週間後のことだ。それまでじっくり考えてくれればいい。たくさん話して、一緒に暮らせるか考えてくれないか」


 幹也の胸はただただドキドキと高鳴っていた。渡樫夫妻のもとで暮らすことが出来ることに、嬉しさが急速に膨らんで行った。しかし、正俊が隣で絞り出すように「……解ってねぇ」と言ったことで、幹也は冷や水をかけられたようにびくりと肩を揺らした。


 正俊は苦々しそうに眉間に皺を寄せ呻くように呟いた。


「解ってねぇよ。俺達を引き取るってことは、俺達が噂されていじめられるだけじゃねぇ。アンタ達もだ。こんな小さな花屋、あっという間に潰れるぜ?」

「それも、覚悟の上だよ」

「ホントに解ってんのかよ!?店が潰れたら、どうやって生きていくんだよ!?」


 正俊は立ち上がって怒鳴った。正俊はどうしても、耐えられなかったのだ。今までいろんな家庭を点々として来た正俊だったが、ここまで、自分たちのことを大切にしてくれる人たちは居なかった。たった2ヵ月しかともに過ごしていなかったが、疑うことを常としていた正俊でさえ信じたいと思うほど、渡樫夫妻との生活は心地よかったのだ。


 そんな彼らが危険に晒されるのは耐えられない、と言った正俊に、幹也もその通りだと、考えの浅かった自分を恥じた。そのとき幹也はまだ表情の変わらない、口数もほとんどない子供に成り果てていたが、それでも幹也はゆっくりと口を開いた。


「正俊くんが言うことが本当になるなら、僕もここにはいたくない……」


 ぼそぼそと言葉を紡ぐ幹也。晴海と正俊は目を見開いた。無理もない。ここ数ヶ月、幹也はまともに口を利いたことはなかったのだ。それほど施設での出来事は彼にとって深い傷になっていたと言っていい。その、幹也が言ったことが、正俊と同じことだったのだ。


 重い沈黙が降りた。このとき晴海は嬉しさと悲しみに同時に襲われ、どうしても声を出すことが出来なかったのだと後に語った。自分たちに心を完全には開いてくれていないと思っていた幹也が、自分たちをこんなにも大切に思っていてくれていたことに筆舌に尽くし難い喜びを感じた。しかし同時に、こんなにも幼い子供が自分の願望を伝えるよりも先に、現実を見据えた大人の返事をしたことにやるせないほどの悲しみを感じたのだ。


「……」


 しばらく、ひどく重い沈黙が降りた。


「…ふたりとも、この家は嫌い?」


 それまでずっと沈黙を守っていた雪江がそう言った。


 ふたりの子供は大きく目を見開き、お互いの顔を呆然と見合わせた。そして叫んだ。


「そんなわけない」と。


 叫んだことがきっかけとなったのだろう。幹也と正俊は大粒の涙をこぼして泣き出した。歯を食いしばり、声は上げず、ただぼろぼろと涙だけを流して、泣いた。


 雪江はそれをしばらく見つめていたが、ふいに立ち上がるとふたりの側へと歩み寄り、ただ静かに抱きしめた。それを見守っていた晴海もまた雪江にならい、3人を抱えるようにして抱きしめた。


「泣きなさい。いっぱい泣きなさい。我慢なんかしなくていいの。思いっきり泣いていいのよ」


 雪江は静かにそう言ったが、ふたりはまだ何かを堪えるようにして直立不動で泣いていた。雪江はその様子を見て苦笑するとふたりの頭にその細い手を乗せ、慈しむようにゆっくりと撫でた。


「あなたたちは今までずっと我慢して来た。でももう我慢しなくてもいいの。甘えていいの。ワガママを言っていいの。欲しいものを欲しいと言っていいのよ。大丈夫よ。私たちはこう見えてしぶといのよ。大丈夫。ワガママを言っていい。幸せになっていいの。いっぱいいっぱい幸せになって、そうしていつか別の人に返せばいい。……もう、我慢しなくてもいいのよ……」


 雪江のその言葉を合図に、ふたりは声を上げて泣き出した。雪江に、晴海にしがみつき、喉が潰れてしまうのではないかと思うほど激しく、すべてを吐き出すように泣き続けた。


 そして、泣き疲れて眠りについた。深い深い、何年かぶりの心地よい眠りだった。



:::



 真夜中、幹也は目を覚ました。少しばかり頭が重いのに、不思議とスッキリしていた。こんなに深く眠ったのは久しぶりだった。


「起きたか?」


 声のする方を見ると、布団にくるまったままこちらを見ていた正俊と目が合った。


「…正俊くん」

「ふは、目、腫れてんな」

「正俊くんもだよ」

「っせーな。解ってるよ」


 正俊はそういうともぞもぞと掛け布団と共に、器用に幹也の寝ている布団まで移動して来た。幹也は当然のように自分の布団に正俊を受け入れるスペースを作る。頭をぶつけられるくらいまで幹也に体を寄せた正俊は、バサッと自分の掛け布団を幹也にも被せた。


「なぁ、幹也……おまえどうする?」


 さっきとは打って変わった静かな声。その問いに幹也は顔を曇らせた。


「…正俊くんはどうするの?」


 答えあぐねて、幹也は先に問いを返した。すると正俊も幹也と同じように少しばかり顔を曇らせる。


「…解んねぇ。迷ってる…」

「うん……」


 我が儘を言ってもいいと抱きしめてくれた雪江。本当に甘えていいのだろうかと幹也は葛藤の中に居た。きっと彼らは自分たちを裏切らない。本当のお母さんとお父さんのような、温かさをくれる人たちだと思う。でもだからこそ、彼らに被害が及ぶようなことは避けたかった。


 それでも今ここで正俊にだけ本音を言うのは許されるかも知れない。幹也が恐る恐る正俊の耳に口を寄せれば、正俊も自然と耳を貸した。そうして伝えられる幹也の本音。


「ほんとのほんとはね…僕、ここの子になりたい……」


 静かに、静かに、正俊以外の誰にも伝わらないように告げられた幹也の本音に、正俊はさらに複雑な顔色を浮かべた。


「正俊くんは?ほんとのほんとは?」

「そりゃあ…俺だって……おまえと同じだよ」


 幹也が素直に疑問をぶつければ、正俊は絞り出すようにそう答えた。しかし、この年齢の4歳差というのは大人と子供ほどの差がある。幹也が考えるよりずっと難しいことを考えているから正俊は決めかねているのだろうと思った。正俊はうぅーと唸った後、うつ伏せに近い状態で幹也に寄せていた体をごろんと反転させて仰向けになると、頭の後ろで手を組んで天井を見つめた。


「けど俺はさ…ケンカっぱやいしさ、すぐ面倒ごと起こすし、頭悪ぃし、口も悪ぃし、ついでに目つきも悪ぃロクデナシだからさ…ここに居てもやっぱ…迷惑かける気がすんだよな…」

「…そうかなぁ……」

「おまえは、大丈夫だ。おまえは、晴海さんと雪江さんと暮らすのがいいと思う」


 正俊はまた体を反転させて幹也に体を向けると、笑ってそう幹也に告げた。今度はそれを幹也が複雑な顔で見つめ返した。


 おまえはここで暮らせばいいと言った正俊。自分の命を救ってくれた正俊。誰よりも信頼出来る正俊。きっと、彼の言うことは間違いではない。そう思えば思うほど、幹也の中にはあるひとつの願望が首をもたげた。


 だが、それを口にしてもいいのか。迷う。口をつぐみ葛藤している幹也の脳裏に雪江の言葉が甦った。


「僕…」


――わがままを言っても良いの


「僕…正俊くんに、お兄ちゃんになって、欲しい…な……」


 おず…と見上げたそこには、きょとんとした正俊の顔があった。だが、次の瞬間――


 正俊は破顔した。


 暗いはずの部屋がぱっと明るくなったような正俊の笑顔を幹也は今でもはっきりと覚えている。そして幹也は安心したのだ。きっと、正俊は自分と一緒に明日の朝にでも渡樫家の子供になると雪江と晴海に返事をするだろうと。言って良かったと、幹也はとても安堵した。その安心感に呼び寄せられた睡魔に抗うことなく、幹也は再び瞼を落とした。


 だが、翌日、


 正俊の姿はすでになかった。





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