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君は青、俺は赤。  作者: ハルタ
4章:無関係な2点の関係性(上)
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13話

 幹也は自室に入ると鞄を机の横に置き、学ランを脱いだ。先にズボンをジーンズに履き替え、それからカッターとその下に着ていたTシャツも脱いだ。


 ふと、姿見鏡に映る自分の裸に眼が止まる。幹也の体は意外にも引き締まっている。筋肉質ではないが、無駄なものもついていない。それというのも花屋の仕事は想像以上に重労働だからだ。部活もしてない帰宅部の幹也はぷよぷよかがりがりの体をしていると思われがちだがそんなことはない。クラスメイトと力こぶを競うときなどは面白いくらいの反応がある。だが、幹也の引き締まった体は決して美しいとはいえなかった。


 なぜなら、幹也の腹には大きな火傷の痕があるからだ。


 幹也はそっとそのケロイドに触れる。今でこそ、目を背けずに見ることが出来るようになったこの痕。右脇腹を中心に広がり、あばらの中ほどまで引き攣れた肌が伸びている。これは、幹也が施設にいたころに負ったもの。同時に施設を脱走するきっかけになったものだった。


 ひどいところだった。

 悪夢のような。


 そのころの記憶はひどく曖昧だった。はっきりと覚えていることは学校にもろくに行かせてもらえず、施設の職員の機嫌ひとつでルールがコロコロ変わり、理不尽な暴力が横行するところだったということくらいだ。


 入所して間もない頃、実の両親に大事に愛をそそがれていた子供の幹也は、大人が暴力を振るうことを知らなかった。正しいことは正しいといえば通じるのだと信じて疑わなかった。その結果、理不尽で絶対的な力を振りかざした大人によって、幹也の心は踏みにじられた。実の両親を亡くしてすぐの幼い子供には尚のことそれは抉るように深い傷になったことは想像に難くない。


 以来、幹也は他の子供達と同じく力に従った。息をひそめ、ひっそりと己の生きる術をさぐるようにして生活する日々。幹也から完璧なまでに笑顔を奪うには、そう時間はかからなかった。


 そうして、2年の月日が経った時、その事件は起こった。施設で最も幼い子供が肺炎で倒れたのだ。もちろん子供達は肺炎だとは解らなかった。しかし、あまりにも苦しそうなその子を見て、病院に連れて行くよう、わずかに残っていた勇気を振り絞って幹也を含む何人かが職員に掛け合ったのだ。


 だが、それはいとも簡単に断られた。ただ晩酌の邪魔だから、と。積もりに積もった何かが、とうとう幹也の中で音を立ててキレた。そこからはあまり覚えていない。気がついたら薄暗い納屋に倒れていた。恐ろしいほどの雨が降っていて、右半身がひどく重かった。右脇腹の辺りになにか異常があるのは解るものの感覚がなく、自分自身に何が起こったのかを判断することはできなかった。

 誰か、と助けを呼ぼうとするにも声がでない。それでもなんとかしないと自分は死んでしまうと本能的に感じ、幹也は体を起こした。


 そのときだった。開くはずのない納屋の戸ががたがたと開いた。驚いて凝視していると、現れたのは職員に抗議するのはバカだと言って止めた、施設で最年長かつ入所して一番日の浅い正俊まさとしという少年だった。幹也より4つほど年上で、いつも職員に殴られて顔に痣を作っていた。


「立てるか?」

「マサトシくん…」

「無茶しやがって…でもおかげであいつら、やっと隙を見せやがった。脱走すんぞ。掴まれ」


 そういった正俊は余程焦っているのか乱暴に幹也を立たせ、走り出した。幹也は絶叫したいほどの痛みに襲われたが、気力を振り絞って我慢した。今から考えれば10歳の子供が声も上げずに我慢出来るような痛みではなかったはずだ。しかし仲間の脱走を邪魔してはいけない。なにより幹也自身ここから解放されたいという思いが、幹也にそれをさせた。逆に言えば、たかだか10歳の子供にそこまでさせる程に恐ろしい施設が存在したということだ。


 土砂降りの雨が幹也達の脱走を助けた。靴もなく、裸足で、冷たくて痛いほどの雨に打たれながらひたすら夜の道を走り、そうして抜け出した幹也達は、近くの病院に駆け込んだ。


 そこで出会ったのが渡樫夫妻だった。


 病院に駆け込んだ頃には幹也の意識は再び朦朧としていた。それでも病院に着く前後からのことは不思議とよく覚えていた。闇の中に浮かび上がる光の中に正俊に引きずられるようにして入ったところに、夫婦と思しき男女が立っていて、驚いたように自分たちを見ていた。それが雪江と晴海だった。


 雪江達にとってその日は、流産して数日した夜だった。幸い、母体にはそれほど影響はなく、退院出来るほどに体力は回復していたが、待ち望んだ我が子を失った悲しみは深く気力の方が回復しなかった。心配した担当医が入院期間を少しだけ延長してくれたことに甘えて病院に滞在していた。晴海もそれに献身的に付き添っていた。そしてその時はちょうど、じっとしているとふさぎ込んでしまうからと、夜の病院をひたすら散歩していたときだった。


 後に幹也はその時のことをふたりから何度か聞かされていた。雪江達がシンと静まり返った廊下や階段をひたすら歩き続け、もう夜中も近い頃。緊急搬入口のあたりをふらついていると、ふいにその自動ドアが開き、刺すように冷たい風と雨の飛沫が雪江と晴海の頬を叩いた。次いで目にしたのは信じられないものだった、と養父母は語った。


 土砂降りの雨に濡れ、泥だらけの少年がふたり。どこの紛争地帯から逃げて来たのかと思うような出で立ちだったという。しかもそのうちのひとりはぐったりともうひとりに支えられ、今にも崩れ落ちそうだったのだ。雪江と晴海は自分たちの目が信じられず、声も出せずに立ち尽くしていたが、それを現実に引き戻したのは幹也を支えていた正俊だった。


「ぼさっとしてんじゃねぇ!医者を呼べ!こいつが死んだらてめぇらブッ殺すぞ!」


 朦朧とする頭の端、隣で自分を支えていた正俊の声を幹也は今でも覚えている。その声にはっとした晴海が慌てて幹也を支えようと腕を延ばしたが、またも正俊の怒声が飛んだ。


「バカヤロウ!腹にでっかい火傷があんだ触るんじゃねぇ!触らずに連れて行け!絶対落とすなよ!」

「解った!」


 普通ならばなんという言い草だと怒りそうなものだが、正俊の鬼気迫るもの言いはいかにこの状況が一刻を争うものなのかを理解するには充分だった。晴海いわくそんなことに腹を立てる気も起きなかったという。幹也は晴海に慎重かつ迅速に抱えられ、すぐにナースステーションへと運ばれた。


 晴海に運ばれながら朦朧とする意識の中、幹也は正俊を眺めていた。正俊は晴海が幹也をナースステーションに連れて行くのを見届けると、踵を返してまた雨の中へと戻ろうとしていた。


――ダメだよマサトシくん…


 思うが声は出なかった。誰かお願いだから正俊くんを止めて。そう願った時、雪江が咄嗟に正俊を止めた。


「どこへ行くの!?」


 悲鳴のような雪江の声が、正俊の足を止める。正俊は舌打ちせんばかりの形相で、それでも雪江の声に振り返った。


「他の連中が逃げ切れたか確かめにいく」

「他の連中って?まだ、他にもあんな子がいるの!?」


 正俊は返事をせず雪江を一瞥するとまた走り出そうとしたが、雪江が咄嗟に正俊の腕を取って引き止めた。幹也はそれを祈るような気持ちで眺めていた。


「離せクソババア!」

「他にも、あんな子がいるの!?」


 暴れる正俊を雪江は必死で引き止めてた。腕を振り回し逃れようとする正俊。子供とはいえ恐らく中学生くらいのその少年に、雪江は濡れるのも構わず正俊を押さえ込むようにして抱きしめた。


「他にも、助けが必要な子がいるのね!?」

「そうだ!だから俺が行くんだ!離せっつってんだろうがこのクソババア!」

「警察に連絡するから!一体何が起きているのか説明して!」

「警察なんかあてになるかよ!!」

「貴方ひとりで何が出来るの!?思い上がるのも大概にしなさいッ!!」


 病院に似つかわしくない、驚くほどの声量だった。雪江自身驚いたと後に聞かされた。雪江は自分がひ弱な印象を人に与える人間だということを良く理解していたし、彼女自身もそうだと思っていた。だから、目の前にいる、関われば恐らくろくなことにならない少年に向かって怒声を発し、必死になって助けようとしていることが信じられなかったらしい。


 だが、助けたいと、心底そう思ったと彼女は言った。一体どうすればこの平和極まりない日本でこのような状況に陥るというのか。この惨劇から目を背けてはいけない。自分の子供は助からなかったから尚のこと。

晴海が連れて行った少年も、今目の前にいる少年も、心底助けなければと思ったと、雪江は語ってくれた。


 ナースステーションに抱え込まれた幹也が意識を手放す直前、気弱そうな女に怒鳴られて驚いて大人しくなった正俊に語りかける、雪江の静かな、しかしはっきりとした口調が聞こえた。


「大人が信用出来ないなら、私たちを利用しなさい。警察も、子供のいうことは聞かなくても大人のいうことなら聞くわ」


 頭の片隅に響く、雪江の声。未だにはっきりと覚えている。あれは覚悟を決めた声だった。


「あの子を死なせたら私たちを殺すと言ったわね?」

「……」

「あなたに殺されるのならなんだってするわ。何をして欲しいの?全部話して」

「……くれ」

「…ん…?」

「…助けてくれ…ッ!」



 それからの雪江達の行動は速かった。警察に連絡し、なによりもまず脱走した子供達を保護した。そして、問題の施設を押さえると、事件は驚くほど迅速に明るみにでた。幹也が目覚めたのはちょうどその時だった。


 幹也は奇跡的に助かった。火傷はひどい跡が残ったものの、熱湯をかけられてから納屋からでるまでの時間が意外にも短く、さらに冷たい雨に打たれながら移動したことが幸いして一命を取り留めたのだ。


 事件の第一発見者として、渡樫夫妻はその後、施設にいた子供達の次の行き先など事件解決に尽力した。しばし多忙を強いられたが事件がニュースなどで大きく報道された為に、各方面から援助の声が上がり――いろいろと問題も起きたが――結果的に事は速く解決したのだった。


 そしてその間、渡樫夫妻は幹也と正俊を自宅に招き、自分たちの息子のように接した。


 寝食を共にし、家事の手伝いをさせ、病院に通い、手続きなどの問題で学校にいけない間の学習を手伝い、夕食の後には一緒にテレビを見たりゲームをしたり、店が休みの日にはショッピングや遊園地に行き、礼節を欠いた時には厳しく叱り、過ちを認めれば温かく抱きしめた。


 だが、ふたりが負った傷は深く、始めのうちは口を利こうとすらしなかった。だが、渡樫夫妻は我慢強く、深く彼らを愛した。安全で、安心出来る場所があることが当たり前になるようにと。それを幹也と正俊も徐々に理解したのだろう。2ヵ月が過ぎる頃には幹也も正俊も少しずつ、渡樫夫妻に歩み寄るようになっていた。


 事件がほぼ解決するというある日、夫妻はふたりを居間に呼んだ。


「幹也、正俊、他の子の正式な行き先が決まったよ。先方には私たちも行って来た。先生も優しい良い方だったし、その施設にいる子達も明るく元気だった。安心出来るところだよ」

「……そうか」


 言ったのは正俊だった。どこか不安気な様子を残してはいたが、ほっと少しだけ笑んでみせた。幹也はそれを黙って無表情でみつめていた。


「それで、君達なんだが…」


 ついにきたか、とふたりはごくりと喉を鳴らした。自分たちも同じところに行くのだろう。ずっと覚悟していたことだった。いつのまにかこの家はふたりにとって居心地のいい場所になっていた。解っていたのに、ついに、この時が来たか、と思わずにはいられなかった。


 だが、渡樫夫妻が口にしたのは意外な結論だった。





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