八話 芸術家志望ギルマンの道とは
それは深夜の閉店直後、酔客たちの残るその時間帯はトラブルの種が多く残る。
「要するにまたブイローさんがお金を稼ごうとしてるんですね」
「おう、なんでわかった?」
そりゃ、謝礼の入った小袋受け取ってるの見てますから。あとで九割要求しよう、そうしよう。
「……で、そちらのサクラダイのギルマンですか?」
「おう、お前ギルマンの悩み相談得意だろう?」
勝手に得意にしないで貰いたい。
ペコリと頭を下げた、赤いリボンをつけたピンク色のギルマンは、どこかで見たことがある気がするサクラダイのギルマンだった。女性のギルマンは人間に見分けがつくようにこうしてリボンをつけていることが多々ある。
だからといって人間の反応が変わることは、あまりない。
「こんにちは、あら、まぁ、うふふ」
「あの、僕帰っていいですか?」
「帰るな、俺だって寝たい」
「なら相談に乗ってんじゃねぇよ」
高まる我々の殺意にサクラダイのギルマンがプルプル震える。話が進まないし早く終わらせたいので流すことにした。
「……えーっと、僕はウィリックです。そちらは?」
「はい、クラダと言います。うふふっ」
微妙にシナを作っているサクラダイ。どうしてもギルマンの女性は、見た目が魚なだけにこういう仕草が、なんというか、一言で言うと気持ち悪い。
「……で、クラダさんの悩みっていうのは?」
「ふふ、はい、私、実は画家志望なんです……」
「僕帰って寝ますね」
席を立つ。掃除も終わったし残りの酔客はダイケルさんが帰している。今日も仕事は終わり。いや、清々しい。
「いや、ちょっと待てよ。なんで、そこで爽やかに諦めてんだ」
「ハッハッハ、知らないようだから言いますけどね、ブイローさん。ギルマンですよ? 魚眼で見た風景の上に視界は三百三十度、おまけに上面まで見渡せるような生き物がキャンバスに物を書くと、何が起こるかわかりますか?」
「迫るな、何が起こるかまでは分かんねぇが、言いたいことは良く分かったから」
ブイローさんは僕を押し戻し、僕は椅子に座る。ダイケルさんが出してくれていたお茶に口を付けた。
「要するに、徹底的に向いてねぇのな?」
僕は頷く。クラダさんには悪いけど、ムリなものはムリなのだ。
「だから、すいませんが……」
「おう、ちょっと待てよ」
ブイローさんが僕に耳打ちし、テーブルの上に小袋の中身を落とす。
金貨だった。
翌日の朝、僕らは店の前で落ち合った。
「七割かぁ。まぁ、仕方ないかなぁ」
寝てるだけで三割持っていくブイローさんは正直羨ましいが、差額の四割分の仕事をすればいいだけの話だ。金貨の魅力には人は勝てない。
「……で、クラダさん?」
「うふふ、はい、なんです?」
この人なんかちょっと不気味なんだよなぁ、まぁ、魚だからなんだろうけど。
「モチーフは? 人物画です? 静物画です?」
「うふふ、風景画をしようかと思います。やはり、あの流れる風とロマン溢れる大地を絵に描いてこそです。ふふ」
あっちゃあ、いちばんダメな奴だ。ギルマンは、人とは見えてる景色がそもそも違う。まだ物品なら矯正すればいいが、風景はどうしても人間ウケするものが描けない。
「とりあえず、僕も芸術はさっぱりです。少しでも分かりそうな人のところに行きましょう、できればギルマンが良い」
「あら、お相手は?」
「サンゴの細工職人です」
貧民街の一つの長屋がそれだった。
見渡せばあちらにもこちらにもギルマン。そう、ここはギルマン長屋だ。
その内の一つをノックする。
「もしもし、ヒ・ラメイさんいますか?」
「開いてますよ」
そもそも鍵などついていない。ギルマンに盗まれて困るものなど無いということか、そもそも彼が貧乏なのか。……両方だろう。
開けると、ヒラメのギルマンが一匹。相変わらずの不気味さだ。彫刻刀でサンゴの塊から小物を彫っていた。薔薇の花の小物のようだ。
「どうも、ヒ・ラメイさん。こちら、サクラダイのクラダさんです」
「ど、どうも……」
と、クラダさんが頭を下げ、上げた瞬間の事だった。
「ギョーーー!!! 不気味ーーー!!!」
「ギョギョギョーーーー!!!」
クラダさんがまず驚き、そのクラダさんにヒ・ラメイさんが驚く、いわゆるギルマンの連鎖反応だ。長屋のあちこちでギョギョギョー! という声が響き渡る。
「落ち着け」
互いに逃げ出そうとしたギルマンの足に、僕は慌てず騒がずヒモを引っ掛けたぐり寄せる。
あちこちで逃げ出すギルマンはいたが、それは知ったことか。
「……で、まぁ、ヒ・ラメイさんに芸術家としてのコツを伺いに来たのですけど」
お互い簡単な挨拶を済ませ、ヒビの入ったコップで水を飲みながら話を始める。
「……しょっぱい、海水だこれ」
僕は海水が嫌いじゃないけど、流石にこれは飲みたくはないと思った。なんでこんなに貧しいんだこの人。
「難しい話ですね。ワタクシは手癖で覚えちゃいましたけど、とにかく数をこなすしか無いかと思います」
プルプル震えながらヒ・ラメイさんは答える。
「あら、そうなのですか……。私が想像しているよりも難しいですのね」
「そりゃまぁ、そうですよねぇ」
彼らギルマンの視力は大したこと無い、人間の十分の一程度だ。辛うじて色彩感覚は存在するが、人間ほど豊かというわけでもない。しかし、視界と動体視力は大したもので、生きていく分には十分だろう。
しかし、視力をキャンバスに写す画家には徹底的に不向きである。ギルマンの絵を見たことあるが灰色が多く、歪んでいて、とても良くは分からなかった。
「あとは……人間に売るのですか?」
「うふふ、そのつもりですよ。私は、私の芸術を人間の皆さんに知って貰いたいのです」
ヒ・ラメイさんはうーんと唸る。なるほど言いたいことは良く分かった、これも、ギルマンに売るのなら見方が同じ生き物だ。買い手もつくのだろう。
「……それなら、一つ手があります、もういっそそのまま売るのです」
「それ、売れますか?」
「ハイ、人間には極稀に、変わり者がいらっしゃるので。まぁ、そういう人に目が付けば……」
ああ、なるほど分かった。確かに人間にだって変わり者はいる、そういう需要を抑えれば……。
「それではいけません! 私は、画壇に立ち、人間の画家たちに新風を巻き起こします。そういう隙間狙いな卑屈な真似などやりません!」
ヒ・ラメイさんは困ったように肩をすくめ言う。
「……ワタクシには打つ手がありません」
ですよねー。
「まぁ、実際僕も手のうちようが無いですし、今回、ブイローさんに言ってお金返してもらっても良いですよ? これは何のお力にもなりそうにない」
街外れの公園で、僕はため息をついた。クラダさんはキャンバスの準備を始めている。
ひと通り話を聞いたが、やはり、これといった解決策は見当たらない。彼女はきっちり人間の画壇で人間と勝負するつもりなのだ。
「うふふ、いいえ、それには及びません。語り合い。私は私の道を見つけました。それで十分です。これからは私は私の道を行き、認めてもらう。ですから、今から描きましょう! あの太陽を!」
と、中天に輝く太陽を絵筆で示す。
なるほど、あれがモチーフなら、ギルマンが描いてもたいして酷い事にはなるまい。
彼女はパレットに絵の具を落とし……。
「そう言えば、オレンジの絵の具って無いのですけど、みんなどう書いてるんでしょう?」
彼女はそうつぶやいた。
そうか、そっからなのかよ。
「店長ただいまー、とりあえず、満足したみたいですよ。仕込み手伝えずにすいません」
僕は遅い昼食を屋台で済まし、戻ってきた。僕がいない日はこの店ではまかないは出ない。ブイローさんが適当だからだ。
「良いのよ、稼ぎにはなったし。所で今日から店にウェイトレスが増えるから、料理人が増えて客の回転良くなったからダイケルを皿洗いに専念させたいし。あいつにも料理教え始めないとな」
「はぁ、分かりました。どんな娘です?」
「はぁい、今日からウェイトレスになったクラダですー。よろしくねっ☆」
「僕、今日は寝ていいですか?」
心の底から、つぶやいた。