八十一話 ナニーさんのお宅訪問
いつものようにサ・バーンさんが職場に現れた。この店はギルマン用のなんでもお悩み相談所じゃないんだけどな。
「やあ、ウィリック君。その後母上はどうかね?」
「食欲以外は元気です。ペンギンをこね回してます」
「そのうち治るだろう、心の病には時が必要だ」
サ・バーンさんは出された水を飲んだ。この人店に来て注文せずに水だけ飲むのやめないかな。いくら貧乏人だからって、ここ飲食店だぞ。
「で、今日は何の用なんです? そのうち水に金取りますよ」
「いや、実は頼み事なんだ」
嫌な予感が止まらない。この人の頼み事でやばくなかったことなど、数えるほどしかない。
「……なんです?」
「実は、ナニー君が」
「断ります」
僕は食い気味というか食いまくりで断った。
「最近、職場に顔を見せなくて」
「だから断ります」
誰が好んで自殺をするんだ。
「家に様子を見に行ってくれ」
「顔をドアップにしても断ります」
いい加減慣れたわその芸。
「様子を見に行ってくれないと……」
「お、何ですか? ギルマンの脅しなんか怖くないですよ?」
ギルマンに実行力などないのだ、怖くなどない。
「私が明日波打ち際で死ぬことになる」
容易に想像できた。
「ちきしょう、なんで本当に行く羽目になるんだよ」
しかしサ・バーンさんが波打ち際で死んでいるのも寝覚めが悪いので行くしかない。本当はダイケルさんかリチャードさんを護衛に用意したかったのだが、ダイケルさんは妹さんが熱を出したらしく、リチャードさんは夜勤だった。
なんか猛烈に嫌な予感がする。
「あれがナニーさんの家ですか。アパートや長屋じゃないんですね」
収入源はサ・バーンさんの助手だから基本貧乏なはずなんだけど、どうやって住んでるんだろう。石造りの小さいが割としっかりした家だ。
バシィッ ビシィッ ズドムッ!!
なんか聞こえる。激烈に悪い予感がする。
「音止みましたね」
「あの家は大体そんなもんさ」
音の正体を確かめるのが嫌なので近くにあったホットドッグの屋台で時間をつぶしていた。ここのホットドックパノミーが熱々で香ばしくて美味しい。ちなみに店主は人間だ。ギルマンはここで商売をするほど肝が据わってはいないだろう。
「ごちそうさまでした、あと情報ありがとうございました」
小銭を置いて、屋台を後にする。
元気そうだからこのまま帰っても良いだろうかと少し考えてしまったが、このまま帰ってしまっては致命的な情報を見落とす気がする。
しばし天秤にかけた結果、僕は今の危険より明日の命を取ることをした。
女性の家への家庭訪問が死に直結するのはこの街くらいであろう。
「すいません」
重い鉄扉をノッカーでノックする。別に鉄の扉は珍しいわけではなく木の扉なんて高級旅館くらいでしか見ない。だけどこれ、分厚いな。
中から、駆けてくる音が聞こえた。僕は、慌てて扉から離れた。
「はぁい!!」
どかぁん!! と、勢いよく外方向に開け放たれるドア。
やべぇ、危うく初手で死ぬところだったぞ。なんだこのデストラップ。
ぎぃ、と、扉の断末魔が聞こえ、がこんと落ちる。蝶番が死んだのだ。
「ウィリックさん!!」
伝説の左ストレートが変化してそのまま追うような裏拳、そのまま体制を崩さずに身体全体を捻るような回し蹴りが飛んでくる。
そのすべてを僕はギリギリで避けた。ダイケルさんやリチャードさんから旅の間受けた修練の賜物だ。
「……ってか! 無断で三連撃来ましたよ!? 今まで二回だったのに!?」
こんなところ進化しないでいただきたい。
「だって……嬉しくって!! 久しぶりじゃ!! 無いですかっ!!」
「言いながら攻撃するなっ!?」
やっぱりこの人は命に係わる。会うたびパワーアップするとかどこの怪物だろうか。
「で? なんでお休みしてたんですか?」
お茶をすすりながら言う、砂糖は無いし茶葉も良くない。基本的にこの人も貧乏人なのだ。
「はい、必殺技を編み出したくて」
「んじゃ、帰りますね」
早々に席を立つ。一秒だって居たくない。
「あっ!? お茶、お茶のお代わり入れますね!!」
「いえ、今の話で長居したくはありませんよ、だって必ず殺す技ですよ? 誰にかけるつもりなんですか」
「んじゃ、行ってきます」
「肝心なところをはぐらかしてるんじゃねぇよ!?」
行ってしまった、たぶん僕が必ず殺されるんだろう。怖い。
「しかしなぜ家の中なのに風を感じるんだろう」
ふと後ろを見ると、壁の石が一つ抜けてる。
「なるほど、漆喰がはがれて落ちたのか……?」
いや、なんか、床に砂……いや、砕けた石が……。
「お茶のお代わり……どうかしました?」
「あまり聞きたくないんですけど、ここどうなされたんですか?」
「ああ、いいアイデアでしょう? そこだけ壊しても石をはめなおせば元通りですから」
「はぁ」
つまり、殴り壊してるのかこの人は壁を。なるほど石材なら石一個持ってくればいいので効率的である。
……この人は自然石を素手で破壊できるんだな?
「まぁ、ともかく僕は帰りたいんですけど。病院には顔を出してくださいね?」
一点張りである。僕だって命が惜しいのだ。
「そうだ! お菓子があるんだった!!」
「無理して引き留めなくったっていいですって!?」
ばたばたばたとナニーさんは行ってしまった。このまま帰ってもいいがさすがに悪いことをしてるようで嫌だ。
「あれぇ!? この辺にあったと思ったんだけど」
台所から何やらひっくり返すような音がする。そんなに昔のお菓子、食べて平気だろうか。
「……ん? なんだこれ」
足を置いたレンガの一部が動く。壊れているのだろうかと跪いて動かしてみると、案の定外れた。
「本……?」
なんか薄汚れた本が出てきた。なんかろくなことになる気はしないが毒を食らわば皿までだ。目を通してみる。
△月×日
今日は初めてのデート、相手はナニーさん。なんでも俺のストリートファイトを見て一目惚れしてくれたらしい。これはチャンスだ、美人の嫁をゲットしてやるぞ!
「ああ……」
もう何となく経緯とオチまで読めた。一ページ進める。
△月〇日
昨日は体が痛すぎて起き上がれなかった。なんだあの強い女。危うく逃げなければ死ぬところだった。
あの女のことは忘れよう、おや、誰か来たようだ。いや、出ないで置こう、うわ扉
日記はここで終わっていた。僕は素早く日記をしまってレンガを元に戻す。つまりあれか、この家はナニーさんがその男性から奪い取った簒奪品か。
普通に犯罪じゃないか。
「あれ? どうかしたんですか?」
「ああ、ちょっとトイレを借りようかと」
「ええ、どうぞ、奥の部屋の突き当りになります」
僕は何事もなかったかのように立ち上がる。ここでの選択ミスは死に直結する。
「……あれは何ですか?」
奥の部屋に何か見える天井から下がった鎖に床に散らばった大量の砂。そして千切れた布片である。
「ああ、あれはサンドバックなんですよ、散らかっててすいません」
「なるほど、必殺技ですね……失礼します、急用を思い出しました」
「アッお菓子……!」
こんな場所に一瞬でもいられるかと、僕はダッシュで家から逃げ出した。
「このあたりの長屋か……まだこの街にいたんだな」
僕は家の住所を頼りに前の住民である男性を探し出そうとしていた。ブイローさんがこの時とても役に立ってくれた、感謝はしない。恩は僕の方が売っている。
僕は長屋の錆びた扉をノックする。日記には、必ず復讐を誓う旨が書かれた紙片が挟まっており。説得をしてそれを止めるためだ。
部屋からは打撃音が聞こえてくる。サンドバックでも叩いているのだろう。
ナニーさんが心配なのではない。それは分かるだろう。男性に義理があるわけではないが、死者を出すわけにはならない。
ナニーさんがいたあの部屋には、『替えのサンドバック』が、ずらりと並んでいたのだ。
あんな化け物を相手にしてはならないと、説得の言葉をいくつか胸に秘めもう一度強く扉をノックした。
願わくば必殺技が必殺ではあらん事を。