五十五話 お隣さん事変
「おい、ウィリック。お前に食ったことのない店で食事させてやろう」
店も終わり、調理場の片付けをしていた僕は、たいそう顔をしかめさせて答える。
「自慢じゃないですけど僕の趣味は食べ歩きですよ? よっぽどの店じゃないと大体行ったことありますからね?」
よっぽど高い店にも行ったのでよっぽど新しい屋台くらいだろう。もしくはとても評判の悪い店か、僕は後者を予想したのだ。
「いや、警戒すんなよ。お前さんが色々食べまわってるのは知ってるよ。今から俺が連れて行くのは宿屋だ」
「宿屋?」
僕が問うと、ブイローさんは自慢気に答えた。
「そうだよ。この街はレストランがぶっちゃけ少ないからな。宿屋で飯を食う習慣が整ってるんだ。一つ勉強してみても良いだろう?」
なるほど、屋根とベッドのある僕としてみれば宿屋に泊まる道理もないため、宿屋飯は久しぶり、この街では初めてとなる。確かに行ったことのない場所だ。
「……しかし、ブイローさん、屋根があるのはあなたも変わらないでしょう?」
ブイローさんは頭を掻きながら答える。
「いや、たまーにベッドの上も片付けるのが面倒になって、それでも清潔なベッドに行きたい時があるじゃねぇか」
うわ、この人真性のダメ人間だ。
シグマンド・ホテルは小さな宿屋で、銀貨袋亭のお隣さんだ。経営はシグマンド夫妻。気の良い老夫婦で何度か立ち話をしたことがある。下働きにはギルマンのカマスンガさんだ。
僕はふんわり漂う気持ちの良いパンの匂いで目を覚ました、どうやらここはパンを焼くらしい。
「んんーーっ!! いい朝だ」
起きる場所が変わると気持ちがしゃっきりする。置いてあった洗面器で顔を荒い、軽くベッドを整える。昨日は夜遅かったから食事は無かったが、今日は一日この宿屋でゆっくりして夕飯を食べて帰る算段だ。
ブイローさんの贈り物にしては悪く無い。僕は上機嫌で朝食を食べに行こうと扉を開けた。
カマスンガさんが死んでいた。
おいやめろ。
「……エラを剣で一突きみたいですね。僕も医者じゃないんで詳しいことは分かりませんが」
カマスンガさんは死んだ魚の瞳でこっちを見ている、血はあまり出ていないがなんかきついしやりにくい。
「まさか、こんな所で殺人事件とはなぁ」
「なんということでしょう」
「いえ、もう良いですからカマスンガさん起きて下さい。このままフライにしますよ」
「ぎょっ!?」
剣を突き刺したままガバッと起きるカマスンガさん。剣が僕の顎にあたって鈍い音を立てる、痛い。
「探偵ツアーはお気に召さなかったか?」
「いえ、まぁ、それ以前にカマスは死んだふりしませんし。あと、ギルマンが死んだらブイローさん発狂するでしょう?」
ギルマンの葬式には大変な苦労がつきまとう。僕なら発狂する。
「……なんでこんなことやってるのか、ご飯でも食べながら聞きましょうか」
深入りするのならまずは食事をしようと思った。朝食も食べずに終了とかありえない。
「あ、この卵とトマト炒めたの美味しい」
割と僕はすぐに上機嫌に戻った、やっぱり朝食が美味しいって元気になる。
「後でレシピ教えましょうか?」
カマスンガさんが作ってたのか、これ。そしてカマスンガさんがこちらを向く度に、頭の剣がガツゴツ当たる。痛い。
「その剣抜けないんですか?」
「ジョーク魔術道具なんですけど、一度付けると半日抜けなくって」
「なんて迷惑な」
カマスンガさんはとりあえず無視して、夫妻に話を聞こう。
「……で、どうしてこんなことをしたんです?」
「いえ、その、お客が」
しどろもどろの夫妻に代わってブイローさんが答える。
「客が逃げるんだよ、この宿屋。代わりになんか面白いこと出来ないかって夫妻が」
その面白いことがカマスの死んだふりか。
「なんでです? ここ大通り沿いでしょう?」
ブイローさんは手で幽霊っぽい格好を取ってから言う。
「そりゃ、お前、出るんだよ」
またか。しかしこんな近所に出るとは思わなかった。
「そして、どこに出るんですか?」
「お前の部屋」
僕はブイローさんの頭に椅子を叩き込んだ。
「はぁ、昨日は出なかったんですけどねぇ?」
「お前変な所で神経太いからな」
ブイローさんとギスギスしながら部屋に入る。まぁ、幽霊なんて一度とびっきりの飛び道具を見た後の僕だ。今更ナニが出ても驚かない。
「……出ませんね」
「そりゃ、出ろって言われて出るもんでもないだろう」
「出てくるなって言って出てこないようなら苦労はしてませんよ」
「あ、どうもこんにちは」
ほら出た。朝も早くからご苦労様である。
「幽霊のトーマです。怖がりませんね?」
「むしろ、常識人であることに感動を覚えていた所です。内心どんなとんでもない奴がまた現れるかと思ってましたから」
「それは苦労なされたことで」
ブイローさんは呆れた顔で。
「むしろ幽霊と素で会話してるお前のほうが俺には怖い」
「まぁ、ギルマンに比べたら不思議でも何でもなくないですか? 人間ですし」
「……そりゃあ、そうだな」
ブイローさんも得心した。
「……で、できれば出てこなくなると嬉しいんですけど」
トーマさんに話しかける、お互い座っての面談だ。一応お茶は出したが幽霊は飲めないだろうなぁ。
「そうは言いましても、私、消えることは出来ませんから」
「……昨晩はどちらに?」
「知らない人が急に来たので、クローゼットに」
シャイだ。
「では、どちらかに移動していただくことは?」
その言葉に対してもバツが悪そうにトーマさんは答える。
「いやあ、私地縛霊なもので」
「地縛霊じゃしょうがないですねぇ」
地縛霊とはその土地にしがみついた霊だ。動けと言っても無理がある。
「ところで、トーマさんの死因は?」
場合によっては成仏してくれるかも、と思って聞いてみるのだが。
「それが、記憶がかなり吹っ飛んでて……分からないんですよ」
こりゃダメだわ。
「ありゃどうしようもないですよ、幸い人畜無害ですから理解して貰うかこの部屋を諦めたほうがいいですね」
夫妻は肩を落とす。うぅん、しかしなぁ。
「新たに客を呼ぶアイデアとかないか? いっそ幽霊の出る宿屋として売りだすとか」
「怖いんならともかく彼のほうが怖がりそうで不安定で嫌ですね。後、見世物になるのは彼には本意じゃないでしょう」
「あ、あの」
そのトーマさんが話しかけてきた。
「どうかしました」
「その、見世物というなら、僕は手品師なんですが」
「いらっしゃーい、いらっしゃーい止まると幽霊トーマの手品ショーが見れるよー」
頭に剣をぶっ刺した(気に入ったらしい)カマスンガさんが客引きをする、人だかりができている。
「……あれ、インチキじゃないですかね?」
幽霊のマジックは大受けである。そりゃそうだろう。
「今から金貨が掌を抜けまーす」
抜けるよ、そりゃ抜けるよ、あんた幽霊だろう!
「身体から鳩が出ますー」
出るよ、そりゃ出るよ、あんた幽霊だろう!
「疑問に思ったけど、幽霊だと物が持てないんじゃなかったか?」
「幽霊は触らなくても物を浮かせることが出来るんです」
今丁度、美女の浮遊マジックをやってるが、それはマジックではなく特殊能力である。
「まぁ、害はないし、良いんじゃないか?」
「害は……あるんですよ」
帰ってみれば分かる、どうやらトーマの手品は幽霊界にも受けたようで、僕らの銀貨袋亭はその帰りの幽霊たちでごった返しているのだ。
暇なら成仏してくれ。