五十二話 ギルマン恋愛事情~最終夜~
「あそこ、見てくださいなウィリックさん、ほら」
ジャスティーナさんが指差した展示物には『イカスミな僕ら』と書いてあり、仲睦まじく遊ぶ奇っ怪なイカの彫刻があった。ギルマンのセンスはよく分からない。
「はぁ、イカですね」
「可愛いですよね」
ローレライのセンスもいまいちわからない。僕はローレライなはずなのだが……分からないのは女性のセンスなのだろうか。僕には、絡みあうイカがマジな目をしていて不気味ささえ覚える。
「……え、ええ」
「やぁ、来てくださいましたか、私の個展へ」
葉巻を吸いながら現れたのは、どんどん偉そうになりつつあるヒ・ラメイさんだ。
今日は彼の個展への招待状を貰ったのだ。ダフ屋にでも売ればよかったと後悔している。
「どうですかな、ジャスティーナさん。私の個展、楽しんでいただきまし」
「ぜんっぜん」
食い気味でジャスティーナさんは答える、そうだろうと思った。即座に踵を返し、僕は腕を組まれ連れて行かれる。
「あっちの方見て行きましょう。何か買ってさし上げましょうか?」
「後が怖いから良いです」
結局これは僕とジャスティーナさんのデートなのだった。ヒ・ラメイさんは膝から崩れ落ちる。ヒ・ラメイさんによる久しぶりのアタックは、アタックする前に玉砕と散った。
「うっうっ、なんでですか、なんでっ!」
久しぶりに銀貨袋亭に姿を現したヒ・ラメイさんは高いワインでクダを巻いていた。彼一人で今日の売上がうなぎのぼりだが、ちょいと精神衛生に悪い。
「なんでだか、分からないんですか? ヒ・ラメイさん」
僕は横に座り、グラスを差し出す。意外と素直にヒ・ラメイさんはワインを注いだ、ああ、美味しい。
「なんでですかっ!?」
「そりゃ、他の男とデートに来た女がなびくかっ!?」
「がーん!?」
ヒ・ラメイさんは雷を背景にショックを受ける。当然の話だ、ジャスティーナさんにとって場所など僕と歩くための名目にすぎない、僕だって迷惑してるんだ。断ると命にかかわる。
「し、しかし、私凄い偉くなりましたよ! お金いっぱい持ってますよ!?」
「ローレライが、それでなびくかっ!?」
「がーん!?」
ヒ・ラメイさんは雷を背景にショックを受ける。当然の話だ、ローレライは皆金持ちである、人間界の権威や財産になど興味はない。
「というより、ギルマンだってそんなこと気にしませんよっ! ヒ・ラメイさん前から言おうと思ってたけど人間に毒されすぎです!」
「だ、だって人間には褒められるし、モテる……」
「ああ、もう誰だこのギルマンに変な世界を教えこんだのは!?」
努力はしているかもしれないが、努力が方向音痴すぎる。これなら花束が買えずに珊瑚の束でアタックしていた頃のヒ・ラメイさんのほうがまだ好感度は高かったろう。
「とにかく、今のヒ・ラメイさんは『なんか偉そうで鼻持ちならないギルマン』です。何ですかその付け髭と葉巻」
ベリっと剥がす。ヒ・ラメイさんは膝から崩れ落ちた。
「わ、私は一体どうすれば」
「早急な対策は無理ですね、またアタックしまくったらどうですか?」
僕だって思いつくものなら思いついてあげたいが、この状況のヒ・ラメイさんにかける言葉が見当たらない。
「こうなったら、度胸、根性を付けなければ!」
「僕はそろそろ厨房に帰りますね」
素早く危険を察知して椅子を立つ。
がしっ!
だが、ヒ・ラメイさんは僕の腰にタックルして来た。くそっ! ギルマンってのはこういう時素早い。
「お願いします、手伝って下さい! 成功したらいくらでも払いますから!!」
「せめて成功しなくても払えー!」
変なところでケチだな!!
翌朝、浜辺。
「まったく、変なところでギルマンってやつは押しが強いんだから……で、何をするんです?」
「ギルマンに伝わる度胸試しの儀式をしようと思って」
「帰って良いですか?」
一個も良い予感がしない。
「まぁまぁまぁまぁそう言わず。まずは、バンジージャンプです」
「崖から飛ぶんですか? ああ、意外とまともですね」
ギルマンだから落下先が水で落ちても万に一つも怪我しないだろうし、特に問題はなさそうだ。
「はい、では……」
やおらヒ・ラメイさんは足元を掘って砂の小山を作ってその上に立った。
「はじめます」
「ちょっと待てやコラ」
小山の高さは三十センチもない。これでは上手くやっても足もくじけないどころか、跨いで越せてしまう。
「う、うう……こ、こわいっ!」
「しかも怖いのかよ!!」
そして、三時間砂山の上で震えているヒ・ラメイさんを僕は蹴り飛ばして終わった。
「次は」
「もう付き合いませんよ僕は」
「そう言わず! 一人だと心細いんです!!」
僕の腰にタックルをかますヒ・ラメイさん。もんどり打って砂地に倒れる、ああ、もう砂まみれだ。
「ああっ、もう鬱陶しい!! なんでギルマンって奴はどうでもいい所に根性があるんだ!! 今度は何をするんですか!?」
「ど、動物、動物と戦います!?」
「もうハムスターが出てきても驚きませんよ!」
「これです」
勇ましい棘に覆われた雄々しい姿、それは見まごうこと無くウニだった。
「……ウニだ」
「はい、ウニです」
もう、突っ込む気力すらおきない。
「で、どう戦うんですか?」
「こう、置いて、襲い掛かってくるのを待ちます」
砂地に、ウニを一個ぽつねんと置く。哀愁を感じる。
「……」
「……」
ウニは力をためている。
「……って、襲いかかってくるか!!」
「こ、こわい」
「しかも怖いのかよ!」
「つ、次は」
「もうやめましょうよ」
僕は、ウニを割って食べている。ヒ・ラメイさんはマップを開いた。
「肝試しです」
「心霊スポット回りですか。どこです?」
「ここです、大海原はたくさん死人が出たとか」
……まぁ、そりゃ死んでるだろうけどさ。
「こ、こわい」
「まだ真っ昼間ですよ!? 早い、早い!!」
「怖いものは怖い!!」
「真顔で寄るな、こっちが怖い!!」
ギャーギャーと言いながら、これから三十個もの試練が僕に襲いかかるのだった。
「結局、ろくなことはしませんでしたね。貝殻を探したり小魚を捕るのがどのへんが怖いのか本当によく分からない所です」
ただ、どっと疲れた。なるほど、ギルマンの試練は質より量らしい。
「これで度胸もついたかと! 後は告白するだけですね!」
ヒ・ラメイさんは、それで成功するイメージが見えているのだろう。相変わらず人生舐めてるフシがある、それで上手くいくなら僕は要らないっての。
「まぁ、当たって砕けますか」
僕がため息を付いたところで声が聞こえた。
「にゃー」
「あ、ジャスティーナさんところの猫」
「ギョギョギョーーーーー!? ね、猫だーーーーーーー!!!!」
ヒ・ラメイさんは、ダバダバと逃げ出してしまった。
「あら、ウィリックさん、アレクサンダーと遊んでたんですか?」
「名前がついたんですね、飼猫。また、丸々と太っちゃってもう」
僕はため息を吐く、結局、徒労を買っただけなのだ、今回。ヒ・ラメイさんはジャスティーナさん家の玄関をくぐることさえ出来ずに終わるのだった。
「……え、この話、ここで終わるんじゃなかったんですか?」
「にゃー」
「いえ、それが、今朝になって大変なことに……」
僕は半眼で空を睨む、あのヒラメ、何を今度はやらかしたのだろう。
隣に住んでいるジャスティーナさんの家は、次々やってくる特急便の荷物で文字通り山となっていた。花やお菓子、はたまた宝石など様々だ。
「うわお、ヒ・ラメイさんですか?」
「ええ、迷惑しちゃうわ」
ヒ・ラメイさん。サ・バーンさんの息子で売れっ子のサンゴ彫刻家。ノミの心臓を持っていて人生を舐めている。
そして努力の方向音痴であった。きっと彼の恋は実ることはないだろう。
ただし金だけは持っている。