五十話 ギルマン恋愛事情~第一夜~
僕は、フライパンを返しながらブイローさんに振り返った。黄色い卵が宙を舞う。
「あのですね、ブイローさん。僕は今日の夜を楽しみにしてたのは知ってますよね?」
「いや、お前にとっても悪い話じゃないんだし、な、ここはさ」
フライパンで受け止めて、きれいな形に整えたら、皿に置いた。赤のケチャップでアクセントと酸味を足し、緑のパセリを添える。
「どうですか?」
ブイローさんはスプーンでそれをモゴモゴ食いながら答えた。要するに試食である。
「悪くはねぇが歯ごたえが欲しいな。きゅっとした感じの」
「きゅっとした感じですか」
どうやら今日の賄いでもある僕の新作『ズッキーニとタマネギのオムレツ』はもう少し改良の余地があるらしい、メニューに上がるまではもう少しかかるだろう。
「しかしそれ以外は悪くねぇな。卵と野菜でちょっとお高くなるが、ちょうど一皿銀貨一枚だろうこれなら」
「この店、大皿に三人前から五人前の物が多すぎるんですよ、いい加減その料金体制何とかならないんですか?」
銀貨袋亭は前金一皿銀貨一枚だ。ラーメンが銅貨二枚で食える昨今、ちょっとお高く感じる。その分量が多いので、団体客に受けるのだが、お一人様はちょっと辛い。
「ギルマンのお一人様が増えたから、客単価を上げることで稼ぎたいんだがなぁ」
「まぁ、ギルマンは金を落としますからね。んじゃあ僕はそろそろ……」
手を洗い、エプロンを外す。するとブイローさんは僕の腕を掴んだ。
「まぁまぁまぁまぁ、いいじゃねーか」
「嫌ですよー! いくら貰ったんですかあなた!? キアン・コーウさんの屋台貸し切りするのを僕は楽しみにしてたんですよー!」
食欲と金銭欲の醜い戦いが始まったのだった。
結局金貨一枚と銀貨三枚で僕が折れる形となった。
うらぶれたスシの屋台では、僕の横に、『偶然居合わせた』という形でターチウォさんが座っている。
なぜこうなったのか、経緯の程を話しておく必要があるだろう。
ブツブツ言いつつも財布に金貨と銀貨をしまい込む僕。貧乏が悪いんだ。
「で、わざわざブイローさんを経由してまで、僕になんの用なんですかターチウォさん。どうせなら直接言ってくれたら儲かったのに」
僕に用があるのは縦に長いことに定評のあるギルマン、ターチウォさんだった。
「ああ、いえ、出来れば自由に動いて欲しかったのでしばらく休んでいただける許可を貰おうと思ったらお金を取られて」
む、時間のかかりそうなことなのか。後で追徴金を要求しよう。
「それでまた何の話なんです? クジラになる夢はまず泳げるようになってからにしましょうね」
僕はお茶をすする。ああ、おなかがすいた、早くスシが食いたい。
「いえ、その、キアン・コーウさんに、その、恋をしてしまって」
がしゃーん
「もしもし?」
僕は、カップを落とした後たっぷり三十秒気絶した。
「はっ!? いや、いやいやいや!! キアン・コーウさんですよ!? あのずんぐりむっくりとやたらでかくてぶつぶつで口が広いバケモノですよ!?」
言ってて気分悪くなってきた。今日会うんだけど大丈夫だろうか。
「いやぁ、そこが美しいんじゃないですか」
「あ、そうですか」
ギルマンの美的センス前々から思ってたけど、本当に当てにならねぇな。
……まぁ、ひょっとしたらアンコウのギルマンであるキアン・コーウさんは、魚界では美人なのかも知れない。
「で、これですよ、これ」
僕はあんまり機嫌は良くない。僕の趣味は食べ歩きなのだ。せっかくゆっくり一人でキアン・コーウさんの店で食べれる約束を付けたのに。それも、以前お世話した成果なので、滅多な機会じゃないのに。
「どうかしましたかい? さ、何から握りやしょ」
相変わらず女性とは思えない男らしさ、いや、おっさんらしささえある大将ことキアン・コーウさんである。
「お勧めを下さいよ。嫌いな魚はないですし、ターチウォさんは何がいいです?」
「そうですねぇ、キアン・コーウさん、なにか困ったこととか無いですか?」
「こら、勇み足。こら」
いくらなんでも踏み込み過ぎである。
「そうですねぇ、困り事と言ったら、こいつですかね」
ことんと、僕らの前に出された椀。陶器で出来ていて、中に澄んだ液体が注がれている。
「コンソメ、ですか?」
「吸い物と呼びます。まぁ、意味合い的にはコンソメと変わりませんが、動物や野菜からスープを取るコンソメは贅沢品でしょう? これは、概ね海のもので作ります」
「ああ、そうですねぇ」
コンソメスープは陸のものをふんだんに使い出汁ガラは捨ててしまう本当の意味での贅沢品だ。一般的にはスープは昆布やエビ、ホタテから取るのが、僕らあまり材料費に金をかけられない料理人の原則であった。
「これは、昆布と貝から出汁を取ってるんです。欲を言えば東方ではカツオの干し物を使うんですが、こればっかりは手に入りませんでした。……そうなると、どうしても旨味が足りませんで」
手にとって啜る。十分美味いが、なるほどちょっと足りていない。
「そこで、シイタケを探してるんですが、これが手が出ないほど高くて……」
「シイタケってなんですか?」
「キノコですよ。広葉樹の根本に広く生えています」
へぇ、流石ターチウォさん、よく分かってる。
「乾いたシイタケを入れると、味に深みが出るんですよ。ただ、数入手するのが難しくて」
それはそうだろう。キノコは森に生えるもので、森は基本的に国有だ。畑で取れる野菜のほうがよほど楽である。
「ああ、でも、ターチウォさんは山師ですから、なんとかなるんじゃありません?」
「なんとかなるんで?」
「ええ、任せて下さい!」
安請け合いをするターチウォさんを見ながら、僕はまた巻き込まれるんだろうなと、諦めつつ鯛の握りを頬張った。
「で、ポイントを稼ぐのにそのシイタケとか言うやつを探すんですか? 頑張ってくださいね」
「そんなこと言わないで下さい。手伝って下さい」
にゅるりと帰り道にターチウォさんは絡みついてきた。この人ギルマンの癖に根性あるんだよ。まぁ、根性なしで同じく恋するギルマンのヒ・ラメイさんよりはよほど好感が持てる。
「僕はそのシイタケってキノコを知らないんですよ! 他当たりましょうよ!」
「私お金はほとんどブイローさんに払ったし他に友達いないんです!」
ああ、もういくら払ったんだ、後で取り返してやる! 僕の懐に。
「あと、シイタケちょっとなら持ってます。食べてみますか?」
あ、気になる。僕は結構食には貪欲なのだ。
パチパチとコンロの上で焼けるシイタケ、網から魔法の鉄球にジュージュー汁が落ちる。
ゴクリ。
「これは、美味しそうですね」
見るからに美味そうなキノコだ。
「どうやって食いましょう」
「魚醤やレッドペッパーもいいですが、塩が合うと思います」
たまらず齧り付くと熱い汁が溢れでて、キノコなのにジューシーで肉厚。
「こ、これはたまらないですねっ!? なるほど、美味しい出汁が出そうではあります」
「そうでしょう、そうでしょう。では、森へ探しに」
「いえ、僕は別件を思い出しました、協力はしますけど後で落ち合いましょう。……ってか、夜に行くんですか?」
「はい、善は急げです」
頑張るなぁ、この人。まぁ、ギルマンは疲労を感じないらしいが……この辺りにギルマンの短命の原因があるのかもしれない。
翌朝。
想定通りボロボロになってるターチウォさんに遭遇する。この人見つけやすいなぁ。
「やぁ、シイタケ一杯取れました?」
「に、二個、だけ」
「そんな上空で目を逸らしても、どうせ視線なんか合いませんよ……そのでかい袋ですか?」
「いえ、これは違います」
そう言い、中身を地面にゴロンとぶちまける。一個のでかいキノコだ、極彩色で美味しそうには見えない。
そして転がったキノコは、唐突に口を開けて笑い始めた。
「あーひゃひゃひゃひゃはははははひゃひゃっはっはっはっは!!」
僕は呆然と、そのキノコを眺めながら言う。思わず一歩退いた。
「……なんです、これ?」
「ワライタケです。珍しいんですよ?」
「キノコが、笑ってるんですが?」
「はい、笑うキノコなんですよ、珍しいです。森の奥で忍び笑いがしたらこいつですね」
「あーひゃひゃひゃふひひひゃひゃひひひひひ!!」
地面をだんだん叩きながら笑い転げるキノコ、足はないが手はある。コワイ。
「どうすんです、こんなの、食えるんですか?」
「いえ、食うと笑い転げて死にます」
「どうしろってんだ!!」
「どうしろって、どうしろってひゃっはっはっはっはっは!!!」
ジタバタ笑い転げるワライタケに指を突きつけ僕は言う。
「大丈夫ですよ、今、自分が転がって面白いだけですから、そのうち笑い疲れます。面白いでしょう?」
「面白いのはこいつだけな気がする。……はぁ、行きますよ?」
「へ、どこへ?」
「ブイローさんからお金もぎ取ってきました。隣町までシイタケ買いに行くんですよ」
僕は、ワライタケを無理やり袋にふんじばり、ターチウォさんに言った。
「もごごー! ふくろ、ふくろのなかっ!! ははははハー! 笑い、笑い死ぬー!」
うわ、うるさい。
僕は小さな屋台に着席をする。久しぶりに歩き疲れた感じがする、身体が鈍ってるな。
「お婆さん、無事シイタケ買い付けられましたよ」
「そいつは良かったねぇ、ヒィーっヒッヒ。ワカメラーメンでいいのかい?」
「ちょっとお金があるんでエビも入れて下さい」
しわくちゃのお婆さんは、麺を取り出して茹で始める。そう、ここは路地裏のラーメン屋である。今日も元気なギルマンや労働者が麺を啜っている。
「それにしても、よくウチでシイタケ使ってるって気がついたね」
「すっごい、ここのスープは気にかけてたんで、あの独特の風味はキノコだったんですね」
「ヒィーっヒッヒ! そうさ。エビとホタテと鶏ガラにシイタケがうちのスープさね。シイタケの旨味は他の旨味に深みを持たせるんだよ。盗まないでおくれよ?」
「残念ながら盗んでも流通に難がありますね。ちょっとお高く付きました。それにしても、キノコを栽培してる人が居ただなんて……」
僕の目の前に、ワカメとエビの盛ってあるラーメンが置かれる。サービスなのか煮卵も乗ってる。
「ウチでもたくさん使うけどね。ウチは昔世話したよしみで安く手に入れてるのさ」
ここのラーメンは一杯銅貨二枚。そのスープに使われているくらいだから、きっと安いと踏んだのが正解だった。僕らは隣町でシイタケを丸太で栽培している山師に出会ったのだ。
事情を話すと、それなりの価格で卸してくれると約束された。ブイローさんから貰ったお金は、旅費ととりあえずのシイタケに消えてしまったのが痛い。
「安いと言っても、シイタケの栽培は魔術も使う難しいもので、しかも丸太を使うから資本が必要、割に合わないみたいですけどね」
「あんたらよく気に入られたねぇ」
「ここでの話をしたら一発でした。あの話は本当に良いんですか? ちょっとならブイローさんからお金出ますよ?」
お婆さんは笑いをながらスープの中から袋を出した、中にはグズグズの野菜やよく煮られたシイタケが入っている。
「ラーメンにはシイタケは合わないからねぇ。具材に使えるでもなし、出汁ガラは捨てるばかりさ。他の生ゴミも一緒に引き取ってくれるなら、うちは大歓迎だよ」
「ええ、新しいメニューの草案もできています」
とりあえずは野菜とシイタケのオムレツというところだろう。出汁ガラのシイタケは味はすっかり抜けるらしいが、その分他のスープを吸うし、何より歯ごたえが良い。色々使えそうだ。元手がタダなのにキノコは高級感もある。
気に入られたのは、この食材を無駄にしない精神だ。お婆さんも山師の人もこの案件は困っていたらしい。
「さて、お勘定お願いします」
「ワカメラーメンにエビとタマゴで銅貨二枚と鉄貨五枚さ」
「……サラリと勘定に入ってるんですね」
「あーひゃひゃひゃぶひゃぶひゃひーひゃっはっはひゃっは!! ボラれてんの!」
お婆さんは僕の後ろのキノコを指さし言った。
「ところでさっきからうるさい、あれは何だい?」
「ワライタケです。『僕のほうが面白い』って、無理やりついてきてて……」
「ひゃーはっはっは!! 不幸、不幸だ!!」
ワライタケをぶん殴るが、こいつはそんなことでは全く動じない。笑い転げ続ける。
僕は、このはた迷惑なキノコにしばらく取り憑かれるのだった。
「ひーっ! おかしい!! はた迷惑!! ひゃーはっはっはっは!!」
ああ、もうやかましい。