四十九話 Bar木乃伊の怪
僕と詐欺師のスミスは、何の因果か夜の街を歩いていた。もう人通りも大分少ない。
「今の屋台イマイチだったな」
「そう思うんなら付いてこなくて良いですよ、奢っておいて貰ってよく言えますね。確かにイマイチですけど」
僕はいつもの食べ歩きだ。ハーヴリルは屋台の数が多く、また、入れ替わりも激しい。定期的に見て回るのは楽しいのだが、その分ハズレを引く確率も高くなる。
「まぁ、あのラーメン屋はまず潰れますね」
「なぁ、ウィリック。屋根のあるところで飲み食いしようぜ? さっきから小雨が鬱陶しいんだ」
「だから無理に付いてこなくていいんですって、僕の趣味なんですから。あと、分かってて言ってるでしょう?」
この街できちんと屋根のある店は、高級店舗が二つとうちの店だけだ。宿に飯のついてくる文化のあるこの街では、あまりレストランの需要がない、内食か屋台がメインだった。
「いいじゃん、洒落た飯もたまにはさ。奢ってよ」
この男、スミスはタカれると思った相手にはとことんタカる。僕はさぞカモなんだろう。
「お断り、ラーメンで小腹が一杯になったあとに行くのは勿体無いですよ。リッテルでも飲みましょう」
「俺、ワインがいいな」
「大概にしないとトンビの巣の中にぶち込みますよ?」
脅し文句を吐きつつ裏路地を回る。このスミスという男は色男で口が回り、盗みも上手いが、腕っ節は僕より立たないので別に怖くない。
すると、ふと僕らの前に一つの店が現れた。
「あれ、こんなとこに店が、ここに来るのは初めてですが、良かったですね、屋根がありますよ」
スミスは、僕の言葉におもいっきり渋面で答える。
「……マジでここに入るの? やめとかねぇ?」
「なんでですか? 一応飲み屋ですよ。確かに、石造りというか瓦礫に鉄の扉を据え付けたような廃墟ですけど」
僕の言葉で十分説明がつくだろうか。半分崩れかけた廃墟に苔と蔦を絡ませたようなのが、そこだ。『Bar 木乃伊』と書いてある。うわお、雰囲気ある。
「すいませーん、やってますか?」
「入りやがったこいつ!」
僕は、中に入って椅子に座る
「おい、本当にここで飲むのかよ、何かこう、薄暗くねぇ? 湿っぽくねぇ? カビ臭くねぇ?」
「なら帰ればいいじゃないですか。それにここ、ホコリが積もってるわけでも蜘蛛の巣かかってるわけでも無いですし、ランプの光だから多少暗いですけど営業中ですよ」
しかし、雰囲気あるなぁ。ここなら、幽霊……は往来で見たことあるか。悪魔の一匹も出てきてもおかしくはない。
「いらっしゃいませー」
出てきたギルマンを見て、五秒後。
『帰ります』
僕らはハモった。
「だからやめようって言ったじゃないか! どうすんだよあれ!」
「予想がつきますかあんなの! あれ、アレどっから見ても……!」
僕は失礼だと思いつつも目の前のギルマンに指を突きつけ言う。
「干物のギルマンじゃないですか!」
もはや、生命体ですら無い。
「ひょっひゃっひゃ。お客さん、まぁ、座らないかね」
割と強引に着席させられ、ちょっと乾いたおしぼりを出される。
「なぁ、おしぼりがカビ臭いんだけど」
「だからといって、今から帰るわけにも行かないでしょう」
「え? 帰ろうぜ」
スミスの言いたいことも分かるが、まぁ、冷静になれば、何となく分かる。
「ずいぶんお年を召してるようですが」
要するに、干物のギルマンではなく。『干物みたいにカラカラになってる年齢のギルマンである』お年寄りがしわくちゃになるのと同じだ。ギルマンはそんなに長生きしない……と、思う。ので、ここまで長生きのギルマンは初めて見るが。
「ふぇっへっへ、そりゃ、この婆さんは年と飯だけはギルマン一倍食ってるよ。この年でも鍋いっぱいのパノミー食うもんさ」
あ、女性なんだ。しかし健啖なことで。
「資源の無駄だ、早く死ね」
ごすっ! 僕はスミスをカウンターに押し込んだ。
「なにすんだよっ!」
「失礼とか以前にめんどくさいからやめろっ!」
ろくな事にならんわ! と真剣に思う。
しかし、干物っぽいお婆さんというのは分かったが一体何の魚のギルマンなんだろう……いまいち魚種の特定が難しい。アジかサワラか、いや……。忘れよう。
「さて、何をやるかい?」
「リッテルを。何かつまめます?」
「うちの乾き物は美味しいよ、ひゃっひっひ」
そう言って、出てきたのはスルメだった。うわ、懐かしい。
スルメは南の地方ではいまいち食わないので久しくお目にかかっていない。北の乾いた風でスルメイカを干して作るのだ。
「……なんか、独特の匂いするんだけど」
「そういう食い物ですよ、噛めば噛むほど味がします」
「パサパサでミイラ食ってるみてぇ」
まぁ、そういう食べ物だけどさ。
干物のギルマンは震える手で戸棚からリッテルを取り出して瓶のホコリを拭き、グラスに注ぐ。
カチャ、バチャカチャカチャカタタッ。
「なぁ、半分くらいこぼれてるんだけど」
「ああ、もう、お婆さん。こっちでやるからいいですよ!」
お年寄りは大事にしなくてはいけない。
「ああ、すまないねぇ。この歳になるともう腕が言うこと効かなくって」
ギルマンでもそんなことがあったとは驚きだ。ちょっとでも弱ったら死ぬと思ってた。
「はい、乾杯」
「……なぁ、カビ臭いんだけど」
「気のせいですよ。意外と神経細いなぁ。……ん、このリッテル、旨いですね。しょっぱくない」
僕の言葉に嬉しそうにお婆さんは答える。ギルマンでかつ干物なので表情など分からないがそう思ったのだ。
「分かるかい? それ、三十年もののリッテルなのさ。安酒をそんなに寝かせる奴は普通いないんだけどね。寝かせるとしょっぱさが抜けて旨いだろう?」
なるほど、確かに保管の手間を考えるとウィスキーやワインを寝かせたいから無理だけど、こんなのもあるのか、勉強になった。
「三十年って腐らねぇ?」
「アルコールの強い酒はしっかり保存すれば腐りませんよ。……帰っていいんですよ?」
スミスもタカリとしての意地があるのだろう、頑として動かない。捨てれば良いのにそんな意地。
「なら、五十年もののリッテルも出してこようかねぇ。ちょっと酸っぱいけどあれも悪くないのさ」
お婆さんは奥への扉をガコンと開けてバタンと閉める。
「しっかりしてねぇ?」
「してますねぇ。ああ、スルメとリッテルは合うなぁ」
海のものと海のものなので、僕はビールやワインよりリッテルが合うと思う。
しばらく、まったりとした時間が流れる。
「なぁ、遅くね?」
「遅いですねぇ、でも、扉の向こうから話し声が聞こえますよ」
そこからは、しゃーこ、しゃーこと包丁を研ぐ音と、不気味な声が聞こえてくる。
「ひゃっひっひ、だからのぉ、新鮮な生き肝が二人分も入ったからの。そう、若いやつじゃ。それで一杯やらないかの?」
扉がゆっくりと開く、そこには大きな包丁を持って血まみれのギルマンが。
「……う、うわあっ!?」
それを見て血の気を引かせ、慌てて外へ飛び出した。
「ありゃ、帰ったのは一人だけかい?」
お婆さんは、残念そうに扉を閉め、血を樽の水で洗った。
「あんまり余所者をビビらすのは止めたほうが良いですよ。お婆さん」
僕は、リッテルを傾ける。そう、慌てて帰ったのはスミスだけだ。
「なんか拍子抜けじゃのう、こうやって客を脅かすのが楽しみなんじゃが」
「ギルマンはビビリですから人なんか取って食いませんよ。結構良い店ですし、この店」
チビリとリッテルをやる。うん、おいしい。
「ところで、その生き肝って食えるんですか?」
「ああ、二人前あるから次来る常連と一緒に食べるといいよ。裏口から来るから。若い鶏の肝さ……あんた、こんなのも食うかい?」
「鮭ジャーキーじゃないですか! もちろん!」
僕はそうしてひとり酒で夜を明かすのだった。
「んで、結局代金は奢ってもらっていい夜でしたよ。鮭ジャーキーを一杯貰ったのでおすそ分けです」
ブイローさんに手渡しする。鮭は川で生まれて、秋に大挙してまた川に押し寄せる魚だ。川が近くにあるところではやたら簡単に取れるが、海で取ったほうが味は良い。
「え、それって木乃伊って店? まだあそこに干物の婆さんいるの?」
「おや、ブイローさん知ってるんで?」
ブイローさんは難しい顔をしながら言った。
「ってーか、うちの爺さんが子供の頃からあそこの干物婆さんって干物だったって聞いたから……まだ生きてたんだ、と」
「……よほどそっちの方がぞっとしますね、あのお婆さん何歳なんだろう?」
ギルマンの生態は謎に包まれている。あのお婆さんはまた今夜も不気味に笑いながら若者をからかっているのだろう。
一番怖いのは、最初から干物の形をしたギルマンだったという可能性だが、そこはあまりに怖くて調べられなかった。
人間、首を突っ込まなくても良い謎があるという話である。
突っ込んでしまった結果、Bar木乃伊が『記録にあるかぎり』千年前から存在すると聞いて、マジビビった僕みたいにならないように皆も気をつけよう。