五話 魚と人魚と恋愛事情
それは、一日の営業も終わって片付けをしている時だった。
「ダイケルさん。余り物詰めときましたんで食べて下さい。朝ごはんにして下さいよ、今から食べると太りますから」
「ユーは本当に良い世話女房になれるな。もちろん、体には気を使っている」
などというやりとりをしていると。珍しく客と話していたブイローさんから声が掛かる。
「おい、ウィリック、ダイケル、ちょっと来い」
この店は、ラストオーダーから片付けを始めるため、店の中には酔漢がしばしば残っている。その内の一人を介抱していたのだ。どうやら珍しくギルマンの酔っぱらいらしい。
「いや、ちょっと待って、おい待って」
その客を見た僕は固まる。恐怖のためだ。
そのギルマンを形容すると平たかった。板のように平たく、その脇に手が生えていて下に足が生えていた。それはまるで、ヒラメのようだった。
「こわっ!? 怖いですよこの人!?」
「ユー、人を見た目で判断しちゃいけない」
「説得力ありますねダイケルさんっ!?」
「いや、実際不気味だろ、これは往来を歩いて良い生き物じゃない」
「バッサリ行きましたねブイローさん!?」
まぁ、実際左に寄った目だとか、なんか圧倒的な存在感だとか。こう、なんだろう、一言では表せない不気味さが存在する。
「ま、まぁ、彼が何なんです? というか、誰です?」
「あ、ああ、申し訳ないワタクシ、ヒ・ラメイと言います」
ペコリと頭を下げる……ますます不気味なヒラメにこちらも頭を下げ、ちょっと首を傾げる。
「サ・バーンさんとお知り合いですか。ネーミングに親近感を感じる」
「ハイ、サ・バーンは父になります」
深く、深く考えちゃダメだ、耐えるんだ、僕。
「おう、どうもこいつ悩み事があるらしくてな」
「ギルマンの悩み事は珍しいですね」
ギルマンは、ストレスに弱いので都合の悪いことは良く忘れる。『ギルマンも、三歩歩けば物を忘れる』と言った具合だ。
「ハイ……ワタクシ、その、恋の悩みを抱えておりまして」
「カープ?」
「ノンノンノン。ウィリック、ラブ、ラブロマンスだよ」
ちっ、できればはぐらかせたかった。ギルマンの恋愛話なんて、これほどろくでもないものはねぇぞ。
「……で、相手はどんなお魚よ」
「ハイ、赤い鱗と、透き通った声が印象的な、あれはもう素晴らしき……」
「ごめん、聞いて分かるもんじゃないし共感できないから。何で悩んでるのかを伝えて」
ヒ・ラメイは、体の下で指をもじもじさせながら(これはこれで気色悪い)ぼそぼそと喋る。
「いえ、あの、ですね。告白の勇気が湧かなくて……」
「そりゃ普通そうだよね」
ギルマンに告白などという習慣はない。彼らは、どこかの海で申し合わせたように集団見合いをしてつがいを作り、集団出産して解散するのだ。そして、それ以降出会うか出会わないかは運次第である。つがいのギルマンはほとんど見たことがない。
「まぁ、ともかく会って見よう。ギルマンの世界だったら、贈り物は珊瑚の束とかどうかな? 相手の人が分かんないと、これどうしようもないわ」
「はい、相手は離れ小島に住んでいます」
「泳いでいくことになるのか……ちょい嫌だな」
そこで、ダイケルさんが口を挟む。
「ミーは船持ってるよ。小船だけど、今使ってないから一緒に使うかい?」
それはまさしく渡りに船だった。さぁ、後やるべきことはひとつだけだ。
「ブイローさん、こっそり立ち去ってなかったことにしようと思ってるんでしょうけど。貰ったその謝礼の入った小袋、三分の二はこっちで貰いますよ?」
「何で分かった」
分からいでか。
大体の街には、港がある。
これは港がローレライとの貿易に必須なものであり、港があるイコール働く人が多くなると言うことである。特にこの街は、砂糖貿易もあるだろうから船は必須だろう。
今準備してるここも活気がある、たくさんのギルマンの人足が働いていた。
「しかし、ダイケルさん。良く船なんて持ってますねぇ」
年季の入った船だ。乗せる荷物もないので、一応きちんと漕げるかどうかの点検を行う。船に使う木材は、いつの世でも不足して貴重だ。だから、船を持ってれば三代は食えると言う。
「ああ、パパとグランパは漁師をやってたんだ。金魚漁を主にやってたんだよ」
「金魚って、あの金魚ですか。結構チャレンジャーですね」
金魚とは、海に眠っている黄金を食べて体を黄金で覆った魚である。他にも、銀魚、銅魚、鉄魚などが存在している。
「ああ、結構儲けてはいたのだけど、ミーは決まったレールを進みたくなかったんで、料理の道を行こうと思ってるんだよ。船は貿易をしたいといっている妹に譲る」
「オールも問題ないですね。ヒ・ラメイさん、乗れますよ」
「おう? お前ら船になんか乗ってどこか行くのか?」
カナダライを持った三兄弟とばったり出くわす。
「そちらこそ、どうしたんです?」
「俺ら、怪我も引いてきたし、金もねぇから。せめて腹膨れさそうとパノミーでも取りに、な……」
沈痛な様子で語る姿は、なんと身につまされる話であろう。パノミーは、どこにでも生えていて誰でも取れるので、とりあえず貧乏人は海に潜れと言うほどのものである。だが、粉にするのはそれなりの機材がいるので貧乏人は茹でて食べる。
「……そうですか、なんだったら、途中まで乗せていきますよ。ウニの取れる場所までご案内しましょう。ダイケルさん、途中なので寄り道しても大丈夫ですか? 帰りは自力でってことになりますけど」
「ありがとう! ありがとう!! 聞いたか次男三男!! 今日は動物性淡白が食えるぞ!」
「ウニだー!」
「ホタテもあるといいなぁ!!」
涙ぐましい話に、思わずほろりとする。良い場所を教えてあげよう。
「所でお前ら本当にどこに行くんだよ。俺達じゃあるまいし夜逃げってわけじゃないだろう?」
ここで、嘘をついても仕方がない。正直に話す。
「離れ小島の……ダイケルさん、どこでしたっけ?」
「赤い真珠島」
「そう、そうそこです」
「へぇ、ローレライさんたちのところに行くのか。俺達もお近づきになりたいね」
「へ? ちょっとまって、そこ、ローレライ住んでるんですか!? ……ヒ・ラメイさん!」
僕は、ワシっと、ヒラメを鷲づかみにして、目を見て話す。ちょっと体を傾げる体勢になるが。
「……あの、その島、特別に住んでるギルマンとかいませんよね?」
ヒ・ラメイさんは首……と言うか体を振る。そう、基本的にローレライはギルマンが大嫌いだ。だから住むところは同じにしないし、ギルマンは怯えて逃げる。
「じゃあ、ヒ・ラメイさんが好きって女性は……ローレライ!?」
プルプル震えながら、ヒ・ラメイさんは頷く。がっちりホールドされてるので逃げられない。ただならぬ殺気に人足たちが一斉にクラウチングスタートの体勢を取る。
「んなこと出来るかぁーーーーー!!!」
僕の叫び声に周囲のギルマンは一斉にダッシュしたり、海に飛び込んでクロールや華麗なバタフライで逃げ出すのだった。
僕らは、怒られる前に逃げるように出航することにした。大声を出して人足達が逃げたためである。
「ここが、例の洞窟ですね。えーっと、暗いですよね……まったく見えない」
洞窟の中は、水音がし、まったく見通せないほどの暗闇に包まれていた。ほぼ岩で出来た島だ。明かりは届かず、見通しはちょっと厳しい。
「ダイケルさん、明かりの魔術か何か使えます?」
「できない。だが、ミーはこの通り紙袋を被って生活しているので、気配で大体分かるよ」
「……理屈はともかく分かりました。ヒ・ラメイさんは?」
「魔術は使えませんよ?」
「そっちは聞いてねぇよ。明かりはどうです?」
ギルマンは、魔法や魔術の類は使えない。その代わり、効き難くもある。『存在そのものが不思議だからじゃね?』が通説である。
「私は暗くても見えるほうですね。ほのぼんやりと見えます」
かといって、頼りないギルマンの視力や、信用していいものか分からないダイケルさんの感覚に頼るのも切ない。僕は、懐からボンボンをひとつ取り出した。
『もっと光を!』
ボンボンを投げるとボンボンは消え、代わりに明かりが点った。眩いほどの明かりだ。貴重なボンボンを使っているのだからこれくらいないと困る。
「ほぉ、ユー。魔術言葉が聞こえないと言うことは、魔術ではないようだが、代償が要る。と、不思議な魔術だね」
「ええ、ローレライからの口伝で伝えられる『意訳魔術』って言うんです。魔術に比べて便利ですけど、感覚でしか覚えられないので、廃れつつあります」
ローレライは魔法ありますしね。と付け足す。魔術は人間が使うローレライの魔法の劣化版だ。何が悲しくて、全てにおいて魔法に劣る魔術をローレライが覚えなきゃいけないのだと僕も思う。
「ユーはハーフだったね。しかし、代償はボンボン……いくら魔力がないとはいえ、ユー、思い切っちゃったね」
「お察しの通りです……」
僕としても、嘆かわしい限りである。ともあれ嘆いても仕方ない。前を向いて歩こう。
「相手はローレライのジャスティーナさん。ルビーの鱗が特徴的な方でしたね。んで、何度か近寄ろうとしたものの、蹴散らされてる、と。……まぁ、ナイスガッツです」
ヒ・ラメイさんは、ギルマンにしては頑張っている方だ。普通のギルマンは、臆病さから二度目をやろうとは思わない。
「ともあれ先方と話して見ましょう。あとは、長男さんから教わった、『作戦』で何とか」
三人は同時にうなずく。これは、明らかに禁断の恋なのだ。
奥のほうの岩場に彼女はたたずんでいた。
「あら、いら……げぇっギルマン!」
僕らの顔を見ると、彼女は明らかに顔を強張らせた。
「しっし! いい加減しつこいですわよ! また追い払ってやろうかしら!!」
金糸で出来た髪に、ルビーの鱗、プロポーションはまさに『ローレライスタイル』型に嵌めたようなローレライだ。
ローレライは、どうやっても個体差の判別が難しい。ローレライ慣れしてる僕から見れば、彼女は美人の部類だった。
「まぁ、そう言わず。ちょっとお話だけでも……ヒ・ラメイさん、ここで逃げないでください」
ヒ・ラメイさんの腕をつかみつつ。僕は一歩前に出る。
彼女が基本的なローレライだったら好みのタイプは、勇敢で、タフな、むくつけき男と言うことになるだろう。残念ながら優男、デブ、魚な我々のステータスにそういうものはない。
「なんの用ですのよ。私は魚もデブも優男も興味ありませんわよ?」
うん、基本的ローレライだ。厳しい。
「一応、プレゼントだけでもと思って。これ、珊瑚の束なんですけど」
だが、彼女は、その珊瑚の束を受け取ると、地面に叩きつけた。
「……で?」
「あの、ヒ・ラメイさん。彼女のどこに惚れてるんです? 僕はぶん殴りたいんですけど」
「い、いえ、その、歌声が、あまりに心地よくて」
なるほど、ローレライの歌声には魔力があるとも言う。それほど彼女達は歌が上手いのだ。それならば信じなくもない。
「しかし、これは参りましたね」
「ほーっほっほっほ! あら、ジャスティーナさんじゃありませんこと? そんなところで、よりもよって寄ってくる男はそんなのばっかり、とんだ男運の無さですこと。もう適齢期も過ぎてるのに!」
「げ、エッダ!」
現れたメノウの鱗をしたローレライは、禿頭の『いかにも!』なマッチョを連れていた。
なるほど、彼はエッダとかいうローレライの配偶者なのだろう。夫を連れてまだ島に顔を出しているなどと言うエッダとか言うこのローレライも、大分酔狂だ。普通は海の中でいちゃラヴしながら余生を送るのだ。
「……へぇ、ずいぶん粗末な旦那を連れてるんですね。エッダさんとやら」
僕はすかさずピーンと来た。この人たちは『使える』。
「あんだとう? 坊主、もう一回言ってみろ」
「タコが良く吼えますね。その見せかけの筋肉、なんかに使えるんですか?」
「野郎、ぶん殴ってやろうか!」
この気配に、ヒ・ラメイさんは逃げそうになるが、ダイケルさんが抑えてくれた、良い仕事だ。
「殴り合いは、この場ではスマートではないですね」
と、手近な岩の上に肘を置いて立てる。アームレスリングの構えだ。
「あなた、お名前は?」
そう、ジャスティーナさんが聞いてきた。これは、好感触だ。
「ウィリック・アメラルド」
「それが、墓に刻む名かい?」
禿が言ってくる、その言葉に、僕は唇の端だけ歪めた。タコがますます茹で上がる。
「やってやろうじゃないか!」
僕の手を取るタコ。決まった。合図も無くアームレスリングが始まる。
「むっ、くくく……ぐぉぉおおっ」
一人奮戦しようと顔を真っ赤にするタコだが。勝てるわけがない。僕は見た目以上に筋力がある。華奢に見えるのはローレライであるからで、人間に直すとゴリラのようなマッチョであるはずなのだ。
……一度ムキになって、鍛えすぎてから気がついたのだ。
「ひとつ教えといてあげるけど、僕は、ギルマンとのアームレスリング大会で優勝したこともあるんだよ」
そしてアームレスリングには、コツがある。プロと素人では、筋力に差があっても絶対に勝てないやり方があるのだ。僕はアームレスリングには絶対の自信があった。熊とやっても負ける気はしない。
「そらよっ!」
「い、いてぇっ!!」
岩に相手の腕を叩きつける。へし折るまではしないが、これで利き腕は片付けた。
「くそ野郎! 喧嘩なら負けるか!! その綺麗な顔二度と見れなくしてやるぜ!!」
かっかしたタコは僕を殴ろうとしてくる。だが、それを僕はなんなくかわした。僕が喧嘩に強くないのは、相変わらずだ。殴り合いなら勝てるはずがない。だが、ダイケルさんから、かわし方は習い始めていたのである。
(ユー、怒った奴の動きは見やすい、ビビらず見れば百パーセント避けれる)
そう、ダイケルさんは喧嘩ができる人だったのだ。僕は命を守るため、これを習い始めていた。
『すっ転んじまえ!』
そこでボンボンをひとつ。たまらず転んだタコの頭の横を勢いつけて踏みつける。
「勝負は、決まってると思うんだけど?」
それで、本当に勝負は決していた。ハッタリである。
タコとエッダさんは捨て台詞を吐きながら去っていった。
「久しぶりに気持ちの良い殿方を見ましたわ! もう、胸のすく様な思いです!」
ジャスティーナさんは一気に機嫌が変わった、擦り寄ろうとする彼女から一歩引き。僕は言う。
「いえいえ、実は、僕は弱いんです。実はもっと強い方がいらっしゃいます」
「そちらの方?」
実際強いのだが、ダイケルさんは首を振る。とたん、ジャスティーナさんは顔を曇らせた。
「ヒ・ラメイさんは強いですよ。まぁ、見ていてください!」
「いえ、それは無いのじゃないのかしら……?」
そこで僕は、ヒ・ラメイさんに向かってファイティングポーズを取る。これまでの撒餌は十分。後は、ヒ・ラメイさんが僕を殴って僕が倒れるだけである。ギルマンにそりゃないだろうと思われるだろうが、これは事前に打ち合わせしていた長男さんの作戦であった。
先に『絶対負けます、殴りません』と、念を押していれば怖くない。
タコさんがいなかった場合は、僕とダイケルさんとで勝ち抜き戦をするつもりだったが、今思うとそれは苦しい。
「ワワワ、ワタクシだってやるときはやります!!」
一握りの勇気と拳を構えて、ヒ・ラメイさんは僕に向かってダッシュをかます!
……って。
「思いっきり足が裏切ってるー!?」
ヒ・ラメイさんは正面を向きながら後ろ向きに走る。なんて見事な背面走り。見事に僕から離れていく彼に、ダイケルさんは感心さえしている。
「ちげぇよっ!? 帰って来いヒ・ラメイさん!!」
これで、ここまでの作戦は、全力で瓦解するのだった。
「そういうことだったのですね。まぁ、そういうことなら許しましょう。私もギルマンには多少冷たく当たりすぎていたのでしょう」
結局、作戦などというものを完全に見失った僕らは、誠心誠意お願いすることになった。最初よりも僕の印象が良い為、ずいぶんとすんなりお話を聞いてくれる。
「後は、もう、ヒ・ラメイさんのがんばりに期待するしか」
「ああ、それにしても、今日は永遠の恋人に会いました!」
「げっ!?」
タコを倒したのはやりすぎだったか、そういえば、この作戦失敗したらこうなるよな。と言うことをすっかり忘れていた。ローレライは勇敢で強い男を好むのだ。
「私のこの愛を、歌にしてお送りしましょう! さぁ!」
「まずいですよ、ダイケルさん! これ!!」
「ミーは特に損はしない」
「こ、このダンシングファット……!?」
ジャステーナさんは歌を歌い始めた。彼女は思いの丈を、その細い喉から、流麗な音で……で?
「ほげぇぇええええええええええええええええ!!!!」
『ぎゃー!?』
僕とダイケルさんはのた打ち回る。これは酷い、洞窟は鳴動し、地響きが起こる!
超驚異的な音痴だ!! その歌声には攻撃的な魔力がガン積みされている!!
「ぼぇぇええええええええええ!!!!!」
そうして僕らの意識が薄れ行く中。ヒ・ラメイさんは洞窟の影から。その歌声に聞きほれていた。
「ああ、なんて可憐なんだ……」
ああ、こいつら、お似合いだわ。