四十話 ウィリックのスシ
とある休日の朝、僕は寝間着のまま叩き起こされて不満だった。ブイローさんじゃないが休日くらいゆっくり寝たい。目の前にはドアップのサバ。いい加減その顔を寄せる癖をどうにかして欲しい、神経が減る。
「……で、サ・バーンさん何の用なんです? つまんない話だったら蹴り出しますからね」
「ウィリック君。実は君に、スシを握ってもらいたい」
僕はサ・バーンさんを蹴り出した。我ながら怪力である。
「何故蹴りだした」
「いい加減にして下さい。昨日は結構遅くまで飲んでたんで眠いんですよ! 第一僕にスシなんて握れるわけがないでしょう!!」
スシは熟練の技術を要すると僕は思う。キアン・コーウさんというギルマンの握ったスシは他所で食ったゴミのようなスシとは世界が違ったので、それこそ熟練の腕がいるのだろう。
「スシが食いたきゃ並んででもキアン・コーウさんの屋台に行って下さい。僕だって最近行けないくらい人気ですが!」
「実はそのキアン・コーウからの頼みなのだ」
「……む、なんかワケありですね。分かりました、水の一杯くらいは出しましょう」
僕も起き抜けで、酔い覚ましの水を欲しているのだ。
「で、だね」
「顔を寄せないで下さい。心臓が減る」
一個しか無いので大事に使いたい。僕はサ・バーンさんを押し戻した。
「うむ、実は店が流行っているので氏は旧友の料理人仲間を呼んだらしい。そして自慢のスシでもてなそうと思った所で、だな」
「大将、なにかご病気でもされたんですか?」
「うん、産卵時期が」
「ぶっばぼっぶぉっ!?」
思わずコップの水で溺れかける。
「どうかしたのかね?」
「どうしたもこうしたもないですよ!? あの強面のアンコウ女だったんですか!?」
いくらギルマンでも……断言こそしないが男は卵を産まない。そうか……あの顔で女か、いや、ギルマンは顔じゃないんだろうけど。
「何を言っているのだね。アンコウだから当然だろう」
「あ、ああ。そういやそうですね」
アンコウのオスは十五センチ位だと聞いたことがある。ギルマンだから気にもしなかったが、そういやメスだ。ギルマンは時々よく分からない。
「別に相手もいないから産み落とすらしいが、それでも今日は動けまい」
「別に今日はお休みにして明日握ればいいじゃないですか。連中どうせ暇なんでしょう?」
相手もこっちもギルマンだ。不測の事態くらいあるのは承知の上だ。
「それがそうではないのだ。誰も彼も料理人、忙しくて店を空けられるのは今夜くらいなのだ」
む、僕は少し思案する。受けないという考えはないが、厳しい。
ギルマンというのが既に厳しい。彼らはただでさえ味にうるさいのに、なおかつプロの料理人だ。付け焼き刃の僕程度がチャレンジするのは愚の骨頂だろう。
「あ、ところでこれはレシピだ。この通りに作ればいいらしい」
「それは早く言いましょう!?」
レシピのあるなしは、料理を作るには大きな差があるのだった。
ならチャレンジするのはタダだしやってみよう。
「……って言ったけど、ごめん、無理、不可能」
僕は大量のライスが入った鉄ボウルに囲まれて突っ伏していた。ギルマンズがそれを掻っ込んでる。店の米を使いきってしまった。
「全然違いますな」
「違う違う」
「キアン・コーウさんのはもっとマイルドだった」
「うっせぇよ分かってんだよギルマンズ!」
僕が怒鳴り散らすと彼らは散っていく。あ、残飯処理班が消えた。
「げぷ、にしても、やり方一つでかなり違うようだな」
ダイケルさんも味見がもうきつそうだ。しかし僕としては納得がいかない。
「炊き加減は大体覚えましたけど、何か香りが違いますねぇ。あと握るの難しい」
どうしても形が崩れてしまう。何度練習しても難しいし、もたもたしてるとネタが乾いてしまって味が変わるのだ。
「……だめですね、キアン・コーウさんには悪いけど、謝りましょう。彼女の家知ってます?」
「ミスターウィリックが知っているのでは?」
「……とりあえず、屋台へ行きましょう」
屋台へたどり着くと、整頓された道具類が既に置いてあった。
「割と余裕ありますねキアン・コーウさん」
「何に使う道具かも書いてあるぞユー……これ」
ダイケルさんの指さした、なんとも珍しい木製のタライには『ライスを混ぜる用』と書かれていた。
「……メモが置いてありますね。『サ・バーンさんには知らせておきました。食材については市場の人に話を通してあります。お米から違うので気をつけて下さい』だそうです」
僕はメモを地面に叩きつける。
「ふざっけんなよサバ! このやろう!! サバ!!」
ばんっばんっ!!
「落ち着け、落ち着けユー! 不備があったのはミスキアン・コーウだっ!?」
これが落ち着いていられようか、僕は盛大に暴れ散らかすのだった。
「シャリ……上手く行きましたね」
「片付けからここまで時間かかったのはミスターウィリックのせいだぞ」
僕らの前にはタライに入った光り輝くシャリが。
「しかしどうするのだね? ユーはまだスシが握れないだろう」
「はい、いっそ握りません」
「ホワット?」
「だから、握らないんです。僕の出した結論はこうです」
そう言い、刺し身を作り始める。刺し身はよく昔作っていたし魚は今でも捌く、得意中の得意だ。
そしてその刺し身を、器に盛ったシャリの上に乗せる。
「タライは木製だったので汚れると嫌ですから、器があったのでこれに盛りつけてドンブリにしちゃいましょう。味は変わりません!」
「なるほど、逆転の発想だ!」
「キアン・コーウさんほどテキパキ仕事もできませんけど、これなら事前に作れます。卵焼きなんかも適当に乗せちゃいましょう!」
「いっそ彩りに細かくして乗せたらカラフルではないか?」
「ええ、それで行っちゃいましょう! 新しいメニューが完成してきましたよ! 貸し切りの立て札出して下さい、頑張っちゃいますよ!」
僕たちはノリノリで作業を進める。そうだ、ノリや玉子を下に敷けばシャリが汚れないかも!
新しいメニューも出来た。味見ではかなりの出来だった。臨時の店主にしては上出来だったろう。……しかし、僕らは大きな思い違いをしていた。
「来ないっ! 一匹も来ない!!」
「そうか、ギルマンだから……なんかあって散り散りに逃げたんだな」
教訓、ギルマンには不測の事態があるため安易に約束事をしてはいけない。
結局僕ら二人は、新メニューとなったチラシズシを肴にうらぶれた屋台で遅くまで一杯やるのだった。
ああ、ビールが旨いなちくしょう!