三十五話 ハーヴリル裏路地うらぶれた屋台のスシ
「ここだ」
「ここですか……?」
僕はサバのギルマン、サ・バーンさんの案内で一つの屋台へ来ていた。裏路地の錆びついたうらぶれた屋台であった。僕も大抵食べ歩いているが、ノーサンキューだ。
「貧乏なサ・バーンさんがおごるって言うからなにか変だとは思ったんですよ。変なのはごめんですからね?」
「大丈夫だ。この店は旨いスシを格安で食わせてくれるのだ」
「す、スシ? いや、悪いですけど本当にノーサンキューです。何が悲しくてスシなんて食わなきゃならないんですか」
マイナーな穀類であるライスを酢まみれにして、押し固めた上に酢漬けの生魚を乗っけるスシである。正直美味しいと思ったことはない。何が悲しくて単品なら美味しい食材を組み合わせてまずく食わなきゃいけないのだ。
「まぁまぁまぁまぁ」
「ちょ、ちょっと」
サ・バーンさんの押しに負けて椅子に座る。カウンターの向こうにいる大将に一つ会釈をして。固まった。
ガタッ!
「僕はこれで!」
「まぁまぁまぁまぁ」
サ・バーンさんに押しとどめられる。いつになく強引だなこの人!!
「だって、だってギルマンまではいいんですけど! あれ、あれ!!」
でかい。ヒラメのギルマンは横に広く、太刀魚のギルマンは縦に長かったがあれはただでかい。
そしてズングリムックリとしていて、ただひたすら不気味なその姿はまさにアンコウだった。
「あんなの誰が見たって逃げ出しますよ、この屋台が寂れている理由も一発で分かりましたよ!」
だって覚悟ができた今でも、目が合わせられない。
「いらっしゃい」
陽気に出迎えてくれるが、それすら脅迫罪に問われないかと思うほどだ。僕はギルマンを顔で差別しない方だったが、これはちょっと引く、いくらなんでも引く。
「まぁまぁ、食べてみれば分かるって」
「そもそも、僕スシ嫌いなんですよ」
「なんだって?」
「すいません、その顔で迫らないで下さい、アンコウさんっ!?」
怖いっ! 超怖いっ!?
「まぁ、うちじゃ皆そう言うんですよ、何から握りましょう」
「じゃあ、マグロ」
「つ、ツナぁ?」
そろそろ僕の不信感はマックスだ。あんな血合いだらけで、でかいだけの下魚どこをどう食べても美味しくないだろう。煮込みか焼いて食べるのが普通だ。オイル漬けなら僕も食べる。
「いいトロが入ってるんですよ。ああ、トロっていうのは『トロッとしている』って意味でね、腹身の部分です。新鮮じゃないと出せないんで、漁港近くにわざわざ店を構えているくらいで」
む、中々気さくなアンコウだ。やっぱりギルマンを見た目で差別するのは良くないが怖い。
「確かに、マグロの腹身は鮮度が落ちやすいですからね……うちじゃ煮込みますが」
しかし、大丈夫なんだろうかスシなんて。お腹壊さなきゃいいけど。
「ヘイ、トロお待ち」
「む……」
見た目で押し固めたスシとは何かが違う気がする、綺麗だ。おしぼりで手を拭いてから一つ食べてみる。
「ふぁっ……?」
なんだこれ、ご飯が口の中でほどけて、脂身が甘くて……これ本当にスシか!?
「酢だ! 酢が違いますよね!? 酸っぱさが全然嫌じゃない! 魚に合う!」
「へい、東から取り寄せた米の酢ですよ。あと、そこにある東の大豆の調味料につけると美味しいですよ。高いんであんまり出さないでくださいね」
小皿に魚醤に似た茶褐色の液体を注ぎ、トロを付ける。慣れない辛さはこれはワサビか。あまり料理に使われることはないが、なるほど、多少ならこういう使い方もあったのか。生魚の臭みをさっぱり解消してくれる。
「次、次行きましょう、これは良い!!」
「ぷはーっ 食った食った。 お酒も入ったしこれで帰りますか、ごちそうさま」
「ちょっと待ち給え」
ちっ、やっぱりなんか裏があったか。
「何ですか、たまには『ここで美味しくお別れして終了』でも良いじゃ無いですか」
「そうは問屋が卸さないよ、実は大将……キアン・コーウさんは悩みを抱えているのだ」
「どうも、キアン・コーウです」
ペコリと頭を下げるとごとんと屋台が鳴った。どこかぶつけたらしい。
「はぁ、どうも……まぁ、この店が潰れそうなんですよね?」
『なんで分かった』
「分からいでか、僕だって料理人ですよ。超新鮮な魚を種類揃えているのに客が来ない。店主は不気味。しかも東方の珍しい調味料まで揃えていて、採算が取れるわけが無いです。廃棄多いでしょう? 料理としては素晴らしいですが、ぶっちゃけ採算が取れないのはどうかと思いますよ。」
そりゃあ潰れもする。しかし、僕としてもここが潰れるのはちょっと惜しいと思ったんだ。
「腕をどこかに売り込んだらどうです? どのレストランでも宿屋でも買ってくれるでしょう?」
「いや、自分はどうしてもここが良いんですよ……ここは漁港まで徒歩で何分もないから、あがったばかりの魚が手に入るんですよ。ここじゃないと食べさせられない味もありますんで……」
「ああー」
それはなるほど、見上げたプロ根性だ。だとしたら手は一つしか無い。
「じゃあ客を呼びますか」
「呼び込みチラシでも撒くのかね?」
「いえ、サ・バーンさん。それよりも効果的な人を知っています」
「何だね、急に呼びつけて。このドゥベルゲング・リーザンは暇ではないのだぞ?」
「毎夜銀貨袋亭に来ている人には言われたくないです」
この人はドゥ……えっと、リーザンさん。中央の方では美食家として名が通っており、本もたくさん出版しているグルメ作家だが、この街ではただの貧乏人のたかり屋だ。
最近ではこの街でもグルメ本を書いて出版しているらしい。割と売れているんだとか。
「どうせ客にたかりに来たんなら、気持よくおごってあげようじゃありませんか」
「ふむ、このドゥベルゲング・リーザンに下手なものを食わすとどうなるか分かっておるのだろうな?」
「素敵なダンスでも踊ってくれるんですか? ここです」
リーザンさんは、眉根をしかめて店構えに口を出す、まぁそうだろう。
「このようなぼろっちぃ屋台、このドゥベルゲング・リーザンの口に合おうものか! 不愉快だ!」
「などと言いつつ席には着くんですね」
まぁ、この人は貧乏人なのでタダ飯の機会は逃したくないだろう。あ、キアン・コーウさんの顔に固まってる。引きつってる。
「いらっしゃい」
「店主は一見強面ですが良い人ですよ、オススメ握って下さい」
「握る? スシ……スシだとぉ?」
やっぱりこの人も、グルメの端くれを名乗るだけのことはあるか。やっぱり反応してくれた。
「スシなど酢漬けのライスを押しこんで固め、古い生魚をトッピングした食い物ではないか! スシは米を一番まずく食べる方法だ!」
「はいよ。サバおまたせ」
リーザンさんはガタンと椅子を立つ。
「しかもサバだと!? サバは生で食すには危険な魚だ! 傷みやすい!! このドゥベルゲング・リーザンを殺す気か!」
「まぁまぁまぁ。騙されたと思って、口に含むだけでも」
「……まぁ、貴様の顔を立ててやるか。どれ、この魚醤らしきものにつけるのだな」
リーザンさんは口に含むと、目を見開き数回咀嚼して飲み込んだ。そう、この人舌は確かなのだ。
「なんだ、この、まるでプリプリとした噛みごたえ、そしてベルベットのような舌触りは! ……そして、何かがこのサバの風味を引き立てている! これは何だ!? おのれ、このドゥベルゲング・リーザンの味覚と嗅覚を試そうというのか!!」
うわ、この人物凄い勢いで変に盛り上がっちゃってるよ!!
「昆布だ!! 昆布で下味をつけているのだな!? そうだろう!!」
「ええ、そこまで分かるお客様はそうそういらっしゃいませんよ」
キアン・コーウさんは笑顔(?)でそれに答える。
「勝った!」
僕は小さくガッツポーズをとる。これで、まず目的は達するだろう。
数日後、僕はグルメペーパーを読んでいた。早速例の屋台はべた褒めされていた。あの人って仕事するんだな。
「顔が怖いギルマンが営む、世界観の変わるスシ屋か」
「ヘイ、ミスターウィリック、そこは人気だそうだね。行ってみるかい?」
ダイケルさんに僕は快く答える。
「そうですね、僕ももう一度味わいたいですし、ダイケルさんのおごりなら行きましょう」
そして、店につくのだが。
「何だ、この、とてつもない行列」
「……これ、並んでたら朝までかかりそうですね」
効果出すぎだろう、これ。
リーザンさんの凄さを思い知りつつ、結局再び食べることは僕らには物理的にできないのであった。
そしてこの後、紆余曲折を経てスシの革命児としてキアン・コーウの名が世界に広まることを僕達はまだ知らない。
ある意味めでたしめでたし。