二十七話 迷惑な大根
朝も早くのことである。僕は仕事を始めていた。
濡れた布をかけて、暫く待つ。数分待ったところで、頃合いかなと思った。
「ぶあーーーっ!? な、なんだぁっ!!」
ゼーハーと息を切らしているのは起き抜けのブイローさんだ。息を止めていたので当然である。
「六分ジャスト、よく持ちましたねぇ。流石と言うべきか呆れるべきか」
僕は、砂時計を確認する。ブイローさんは当然カンカンに怒った。
「いや! 濡れ布巾なんかかけやがって、俺を殺すつもりか!!」
「起こしに来たんですよ、感謝しやがって下さい。あと早く着替えて下さい」
「やり方っていうもんがあるだろう!! 俺は雇い主だぞ!!」
気勢を上げるブイローさんにずいっと迫り、凄む。
「それがどうしたんですか、僕は雇われコックですよ。当然あなたより忙しいんで急いで下さい」
「……今日は休みだぞ、何をやらせようっていうんだ」
僕は朝食代わりに用意したミルクをベッドの横にあるテーブルに置きながら答えた。
「休みは残念ながらキャンセルです。連日の盛況で明日使う分の調味料がさっぱり足りません。分かったら早く出かける準備してくださいね」
「ちょっと待て、お前、なんで鍵のかかってる俺の部屋に……」
バタンと扉を閉める、そいつは秘密である。
ちょうど今日はバザールが開催されていた。水曜開催ではなく不定期開催なので運が良いと言えよう。辺りは人でごった返し、人混みが嫌いなブイローさんはぶつくさ言っていた。
「大体、調味料くらいバザールに合わせなくっても業者に委託すればいいだろう」
「調味料業者は毎週火曜金曜にしか来ません。今が水曜ですから木曜の営業分だけどうするんですか?」
「海水でも使っとけ」
流石にそうも行くまい。僕らはバザールを回ることにする。
「塩に魚醤か、重いものが多いですね。量もいるし……取り置きだけしてもらって後でリアカーで取りに来ますか」
「ダイケル呼べば良かったなぁ」
「呼べば給料二割増しですよ? あ、後、今日は僕もきちんと給料もらいますからね。在庫管理しないブイローさんが悪いんです。昨日買っておけば面倒はなかったものの」
僕も正直不本意なのだ。ちゃっちゃと済ませてしまいたい。
「おう、魚醤屋あったぞ、あれでいいんじゃないか?」
「駄目です、あの店前試したけど味が酷いんですよ。あと値段も高い」
買うなら、いっそ良い物を買いたい。それも安くだ。
「お前の買い物、女みてぇだな……ん? なんだこりゃ」
細長い香水瓶のようなものに入った真っ赤、いや少し赤黒い液体をブイローさんは見つめた。
「うわ、それヘルペッパーじゃないですか。僕も実物初めて見る」
「ヘルペッパー?」
ブイローさんの問いに僕は答える。
「地獄唐辛子とも言いますが、世界一辛い唐辛子を煮詰めに煮詰めた抽出液がそれです、何でも一滴で風呂桶一杯が辛くなるとか。あんまり強力なんで鍋で薄めてからその薄めたのを使用するんですよ。ぶつけりゃクジラだって泣きながら逃げますよ」
「辛党のためにあるようなもんだな」
「よし、これ買いましょう。加減さえ間違えなけりゃ同じだけの唐辛子買うより経済的ですよ」
「ああ、そういう考え方もあるのな」
一度試してみたかったのだ、他人の金で趣味のものが買えるって素晴らしい。
「あとは塩と砂糖……は、どこでも売ってますね。あれ、長男さんだ、こんにちわーっ」
長男さんは、きょろきょろと探しものをしていた。……あ、やばい、トラブルの臭いがする。そして、僕らを見つけると慌てて駆け寄ってきた。しまった、逃げそこねた。
「良かった、あんたたち、探してたんだよっ!! ちょ、ちょっとすまないが来てくれ!」
「一体なんなんですか!?」
グイグイ引っ張る長男さんに僕は問いかける。
「あんたたちにお届け物なんだよ!」
長男さんは、三兄弟と社長のサメのギルマンとで運輸会社をしていた。会社と言っても小さいもので、泳脚をまとめあげてトラブルや金銭の受け取りを一括する会社である。
「……で、これなんですか」
「お、俺もまさかこんなに量あるとは思わなかったんだよぉ!!」
浜辺に山のように積まれたのは、それは立派な大根の山だった。人間ほどの大きさがある。
「見事な巨大根ですけど、こんなに育ってたら食えませんよ。よくこんな物数揃えてますね」
巨大根は名前の通り、でかく育つ。育つことは育つのだが、食べれるのはせめて腰まで育った時までで、それでもちょっとゴリゴリするのだ。ここまで育つとちょっと食い物にはならない。原っぱによく自生してるんだよな。
「いやぁ、兄さんに交渉を任せたのが間違ってたよ。契約書書いちゃったしどうしようかな、と」
次男さんが、申し訳無さそうに言う。彼もだいぶ商売人が板についてきた様子だ。
「いくら貰ったんです?」
「これだけ、一件の価格としては破格だったんだろうけど、これだけ数があると泳脚もたくさん雇わないといけないから、完全に赤字ですね」
三男さんはソロバンを弾いてみせる。なるほど、確かに結構良い値段だけどこれだけの数の巨大根を運ぶにはちょっと、なぁ。
「ところでこれを届けてくれって依頼なんですよね。どこになんです?」
「銀貨袋亭」
三人は一斉に僕らの方を指さした。なるほどちくしょう。
「これ、店に入ってきたら店が大根で溢れかえるぞ。めんどくせぇことこの上ねぇ。依頼人は誰だよ、もうなんか聞かなくとも分かるけどよ」
「商工会からですね」
「うわ、隠そうともしないのかハケチャッピーさん」
ハケチャッピーさんは商工会の会長で、ブイローさんに毛の恨みがありとても憎んでいるのだ。
「しっかし金のかかる嫌がらせですね!! 大根集めて、ここまで運んで、泳脚の依頼金まで出して!」
「スポンサーがついているのだけは確かだろうな。あのローレライのおねぇちゃんに」
僕はローレライのエッダさんからも恨まれているのだが、恨まれているのは隣に住んでいるジャスティーナさんなので、僕はとばっちりに近い。
「このまま放っておくっていうのもどうだ。浜辺なんで誰も困らないだろう」
「それは、うちが違約金を払わないといけないことに……倒産してしまいます」
次男さんが申し訳無さそうに言う、張本人の長男さんも肩を落としている。確かに、彼らをまたあの不憫な生活に落とすのは、出来れば避けたい。
「リアカー引いて全員で往復しますか?」
「嫌だよ、何往復しなきゃいけないんだよ、第一、うちが大根処理しきれねぇ。食えたもんじゃないし」
「あー、うん、意外にこの嫌がらせ巧妙ですね!」
どこに行っても困るのだ、この物体。かと言って、一度銀貨袋亭に運んでから捨てたらやっぱりめんどくさいし……。
「おーい、ウィリック君」
「あれ? リチャードさん、どうしたんです?」
「いや、探してたんだよ。俺のところに来た鉄ダワシ引き取ってくれる約束だったじゃないか」
「ああ……ん、リチャードさん。剣術練習で使うシースリーブって壊れたやつあります?」
シーゼット藻から作られた、練習用の剣である。軽くて柔らかくフワフワしている物体だ。
「そんなもんで良ければ売るほどあるよ、いや、ゴミにして捨てるだけなんだけどね」
「む、うぬぬ……よし! んじゃあ、鉄ダワシとそれ、持って来ちゃって下さい! 長男さんと次男さんはそれを手伝って! んで、ブイローさんは魚醤たっぷり買ってきて下さい。あと、三男さんは金物屋に行ってこいつを!」
「お、おい、やりたいことは分かったが、そんなん上手く行くのかよ」
「はい。あと、人を呼んで下さい。給料は払ってくださいね?」
ブイローさんの言葉に僕は親指を立てて答えた。上手くやれば、これ、なんとかなるはずだ。
「なんなんだねこれはっ!!」
ハケチャッピーさんが踏み込んでくる。しかし、そこはもう賑わっていた。
「なにって、今日は銀貨袋亭が珍しく休み返上して開店してるんですよ」
僕は、大根の煮物を器に盛りながら答える。それをクラダさんに渡した。
「銀貨袋亭って……ここは浜辺じゃないか!」
「浜辺で商売してはいけないという法律はなかったはずです。ちゃんと看板も立ててますよ」
足元の、普段は今日のおすすめを書く黒板にはちゃんと『出張銀貨袋亭』と書かれている。そう、大根が運べなければ銀貨袋亭のほうが移動すれば良い話なのだ。
「というか、あんまりお金のかかる嫌がらせはやめたほうがいいですよ。エッダさんが怒ってるんでしょう?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
おそらくは、僕らの店が大根で埋まって困ってるところを高笑いしつつ眺める作戦だったんだろう。しかし、そうは問屋が卸さない。
「しかし、何度も思うが良くこの大根食えるところまで煮込めたな。俺は無理だと思ったぞ」
ブイローさんの耳打ちに、僕は答える。
「はい、実はシーゼットの粉……シースリーブ何かをすりおろして作った粉ですね。を鍋の表面にびっしり浮かせて煮込むと、水が沸騰しないんですよ。すると、煮物が驚くほど短時間に柔らかくなるって、師匠が言ってたんです。上の粉はすくってやる必要がありますけどね」
「それは食っても良いものなのか?」
「師匠はバクバク食ってましたけど、僕は食ったことがありません。ですから食べません」
「……まぁ、死人は出て無いようだしな」
うん、死にはしないと思う。シーゼット藻を口に入れたら死ぬって事例はないし。
鍋の方も、三男さんに言って特別でかいのを三つ買ってきてもらっている。需要がないわけではないので特別注文でもない。多少の出費だが、あの巨大根を運ぶことを考えれば大したことはないだろう。
「……稼ぎにもなって嬉しい所です」
「なんだとっ!? 巨大根で金を取るのか!?」
ハケチャッピーさんは黒板をしっかり読む。
「参加料銅貨一枚……と、大根を洗うこと?」
「あれです」
僕は親指で波打ち際を指差す。そこでは男やギルマンがわっせわっせとでかい大根を鉄ダワシで洗っていた。
「鉄ダワシで洗うと皮を剥かなくて良いんですよ。物凄い楽です。ちなみに切るのはナタで切ります」
ダイケルさんがその横でかっぱんかっぱん大根を割っていた。
「鉄ダワシ一個銅貨二枚だよー」
そして、その横では三男さんが鉄ダワシを売っている。稼ぎは客一人につき銅貨三枚という計算になる。それをブイローさんが一枚、僕が一枚、三男さんが一枚貰うのだ。本来はタワシはリチャードさんのものだが、警邏部隊はアルバイト禁止なのだった。
「暴利だ」
「そのかわり食べ放題なんですよ。リッテルも売ってますよ?」
ブイローさんはリッテルを売って歩いているのだ。二重の稼ぎだが、僕も儲けと給料で二重取りなので何も言うまい。
「おう、ハゲチャビンそう肩を落とすな。俺が一杯大根おごってやるからよ。何しろ大根が次から次にやってくるからよ」
「ワシはハゲチャビンではないっ!!」
「良いんですか?」
僕の問いにブイローさんはニヤリと笑って。
「おう、俺のおごりだ。スペシャルなのを一つ頼むよ。ハゲチャビンは確か辛党だったよな?」
「ああ、スペシャルなのですね、まいどありー」
僕はニヤリと笑いつつ、懐から赤い液体の詰まった瓶を取り出した。
余談だがこの日からハケチャッピーさんは辛党を辞めたらしい。
毛根のためになるから良いんじゃないかな?